中小企業診断士 泉台経営コンサルタント事務所 ブログ

経営のこと、政治のこと、社会のこと、趣味のこと、人生のこと

閑話つれづれパートⅢ其の20

2015年08月28日 | ブログ
日本の一番ながい日

 作品としては古いけれど、安保法案とか70年談話が問題になる、未だ歴史と占領軍に与えられた憲法に縛られるわが国にとっては、ある意味過去のものになっていない題材のようである。

 映画としては今回リメーク版ということだが、以前は原作者が大宅壮一氏であり、同じ名前の作品が2つあるのかと勘違いしたけれど、出版時の事情で大宅さんの名で出したけれど、書き手は初めから半藤一利氏であったとのこと。今回知った。

 主役は、役所広司さん演じる終戦時の陸軍大臣阿南惟幾(あなみこれちか)大将で、壮絶な切腹シーンは迫真であったけれど、死後駆け付けた妻の戦死した息子の軍隊における有り様を、遺体に向かい説々と報告する姿こそ、作り手の伝えたかったことではなかったか。乃木将軍も日露戦争で息子を二人とも失っている。わが国の戦争は、国家の指導者たちの野心のために起こしたものなどではけっしてなかったことを訴えている。本木雅弘さん演じる昭和天皇の描き方にもそのことは表れているように思う。

 もう一人の主役である山崎努さん演じる鈴木総理こそ、昭和天皇の信を受け、戦争終結の一大プロジェクトを成功させた立役者であるけれど、大佐時代天皇の侍従武官を務め、同じく天皇の信の厚い阿南陸相との阿吽の絆がプロジェクトを成功させた。物事を○か×でしか判断できない輩には、両人の口と想いの裏腹さは理解し難いかもしれないが、嘘は駄目だが大嘘は肝の据わった政治家の特権ではなかろうか。

 映画の中でも、有名な米国ルーズベルト大統領の死去に際して鈴木総理が米国に送ったという電報草稿時の画面が出てくるけれど、映画の山崎努さん演じる鈴木首相の口から発せられると、国内向けに皮肉の籠った高度なエスプリに聞こえる。

 この弔電については、本稿でも平成21年に「いい話を尋ねて」で、阿川弘之氏の著作「大人の見識」新潮新書2007年刊から紹介した。

 『鈴木内閣が成立して5日後、敵国アメリカ大統領フランクリン・ルーズベルトが急逝する。その時に、鈴木首相は同盟通信社を通じて「深い哀悼の意をアメリカ国民に送る」という簡単ではあるが、ルーズベルトの政治的功績を認めるステートメント*4)を発している。それが世界各国で大きな反響を呼ぶ。

 スイスの新聞「バーゼル報知」の主筆が、「敵国の元首の死に哀悼の意を捧げた、日本の首相のこの心ばえはまことに立派である。これこそ日本武士道精神の発露であろう。ヒトラーが、この偉大な指導者の死に際してすら誹謗の言葉を浴びせて恥じなかったのとは、何という大きな相違であろうか。日本の首相の礼儀正しさに深い敬意を表したい」と、社説で讃辞を発表している。・・・』

 大正9年生まれの阿川弘之さんは、この映画の一般公開を待たず、この8月3日天国に召されたけれど、半藤一利氏は、「阿川弘之全集」(新潮社、海軍提督三部作など全20巻)の刊行*5)に際し「阿川さんは敗亡した祖国日本の葬式をたった一人でやってきたのである」との言葉を寄せているというから因縁がないわけでもない。



*4)「今日、アメリカがわが国に対し優勢な戦いを展開しているのは亡き大統領の優れた指導があったからです。私は深い哀悼の意をアメリカ国民の悲しみに送るものであります。しかし、ルーズベルト氏の死によって、アメリカの日本に対する戦争継続の努力が変わるとはえておりません。我々もまたあなた方アメリカ国民の覇権主義に対し今まで以上に強く戦います」という談話を世界へ発信している。byWikipedia

*5)2005年、終戦60年に刊行されている。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

閑話つれづれパートⅢ其の19

2015年08月25日 | ブログ
続、爆発

 金属ナトリウムなども良く知られた禁水性物質。水と爆発的に反応して水酸化ナトリウムを生じる。エチレンやプロピレンの重合に用いられる有機アルミニウム化合物も同様の禁水性。さらにこちらは空気に触れただけで燃焼するので窒素などの不活性ガスで封印する必要がある。

これらを取り扱う実験室などでは、火災発生時にはスプリンクラーならぬ炭酸ガスを放出する設備を備える必要がある。そしてこの装置は、人の居ない夜間は「自動」に、昼間実験者等が室内に居る時は「手動」にしておく必要がある。「自動」状態であれば、火災発生時自動的に炭酸ガスを室内に放出するから、室内に人が居れば危険である。従って人が室内に居る時は「手動」にしておき、室内で火災が起これば、まず室内の人を避難させてから装置を作動させる。すなわち装置を備えると共に、日常の装置そのもののメンテを含む管理と取扱方法を周知させておく必要があるのだ。

 倉庫などでも禁水性の化学物質を保管するなら、同様の装置を備える必要があった。加えて、消防などに届けして火災発生時の消火方法について充分周知しておく必要があった。倉庫壁面への明確な表示と、日常的にも関係者以外の立ち入り規制も必要である。

 しかしこの倉庫には、禁水性物質だけでなく、猛毒のシアン化ナトリウム(青酸ソーダ)も多量(規定の30倍、700トン)に保管されていたようで、この流出によって近くの川では魚が大量に死んでいるという報道もあり、場所によっては安全基準の数百倍にものぼるシアン化ナトリウムが検出されたという。周辺の大気汚染による住民の健康被害も心配である。

 危険物倉庫などは、その貯蔵量によって公共の建物などからの保安距離が定められるのが普通で、この倉庫ではそのような法規制も守られていなかったようだ。許認可、運用の時点で当局と事業者の癒着、賄賂の疑いが強いようだが、被害者にとっては迷惑な話で、ごく一部の人間の邪(よこしま)な心が、これほど多くの人々を死に至らしめ、遺族に深い悲しみを与える。

 こちらはテロとのことだが、17日にはタイのバンコクの繁華街で爆発があった。タイは国民が温和な仏教国というイメージがあるが、政権を担った一部の私利私欲が歯車を狂わせたものであろうか。20人の方が亡くなり、負傷者は百人以上。負傷者の中には日本人も居た。

 国家は民主政治であろうが、一党独裁や軍事政権などの封権政治であっても、アラブの春ではないが民衆の想いが臨界点を超えれば簡単に崩壊する。そして混乱は続く。政権を担う者、公で仕事をする者は、まずしっかりした自己統治が必要である。

 他所事ではない。わが国だって無責任な扇動報道によって反対主義が蔓延り、旧社保庁の統制のない仕事ぶりは相変わらずである。民主や人権擁護も行き過ぎれば及ばざるが如しとなる。大阪では中学一年生の少年、少女が惨殺され遺棄される事件も起こっている。庶民の暮らしを脅かす闇に潜む卑劣な犯罪、強欲資本主義もしかり、一層の厳しい監視と取り締まりが必要である。クールジャパンの名に恥じない真の平和国家であり続けるためには、警察権、検察権、防衛権など権力の厳正な行使も必要なのである。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

閑話つれづれパートⅢ其の18

2015年08月22日 | ブログ
爆発

 中国天津市の港湾地区の化学物質倉庫が12日午後11時半頃(日本時間13日午前0時半頃)大爆発を起こし、その惨状を伝えるニュースが連日テレビで報じられている。時間の経過とともに確認される被害は拡大しており、中国経済引いてはわが国などの経済にも影響を与えそうな気配だ。何よりすでに百人以上の死者が確認され、百人近い人々が行方不明であることは不幸だ。

 わが国の化学工場などでも時に爆発・火災事故は起きるが、コンビナートでは通常工場の広さに対して従業員数が少なく、人的被害は比較的少ない。

 中国当局は、例によって報道規制を敷くと共に、倉庫の管理責任者などを拘束したという報道があるが、確かにどのような管理をしていたのか、管理責任を問うと共に、原因を究明し徹底した再発防止対策が必要である。

 化学物質の危険性を一般の人は、知っているようで意外と分かっていない部分が多いように思う。数学でいえば、Log.(ログ)とかルート、サイン、コサインとかインテグラルとかが出てくると、「実生活にあまり関係がないので」、となるが如く、理科もベンゼン環だ、不対電子がどうというレベルになると、まさに生活から遠のくことになって「分からない」で済ませている。だから原子力発電は「放射能が恐い」レベルでアレルギー反応を起こして兎に角「反対」と言うが、コンビナートなどの化学工場は夜景が綺麗くらいで済んでいる。

 しかし、わが国でも一昨年、京都府福知山市の花火大会で、屋台の主人が発電機にガソリンを給油中発火・爆発し、子供を含む3人が死亡する痛ましい事故が発生している。取扱者のガソリンの引火性に対する知識の欠如であり、危険物取扱マニュアルの不備である。

 化学物質は人類に多大の貢献をしているけれど、一旦取り扱いを誤れば、悪魔の化身と化す代物である。引火性で非常に燃えやすいの物、燃焼を促進させる物、自然(空気に触れるだけ)発火する物、爆発し易い物、微量でも吸引や摂取すれば死に至らせる物、禁水性(水と激しく反応する)の物、麻酔・中毒性の物、発がん性の物、環境ホルモンなどと呼ばれ、生物に遺伝的欠損を与える恐れのある物、皮膚や粘膜を著しく冒す物、不快な臭気を放つ物、まだまだあるかも知れないが、兎に角化学物質には触れない、近づかないことである。密閉して冷暗所に保管して、管理状態にすべきものと心得るべきである。

 今回の事故は、初期火災の原因は不明であるが、消防による放水が始まって大爆発が起こっているところから、保管されていた禁水性の物質に放水したことが原因とみられている。カーバイト(炭化カルシウム:CaC2)がまず指摘されていた。

 昔は夏の縁日の屋台には、熱源としてカーバイトが必ず使われていた。水を注ぎ、アセチレンガスを発生させて(CaC2+2H2O→Ca(OH) 2+C2H2)燃焼させていたのだ。不快ではないが独特の匂いを今も思い出す。放水で大量に発生したアセチレンに火災の火が引火したと考えられる。 以下次号


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

閑話つれづれパートⅢ其の17

2015年08月19日 | ブログ
正体

 『翁長雄志知事は16日、県庁で中谷元防衛相と会談した。在沖縄米海兵隊を「機動力、展開力、一体性から島しょ防衛、日本の安全保障上、不可欠」とする中谷氏の説明に対し、翁長知事は「弾道ミサイルが発達し、抑止力にならない。沖縄を領土としか見ていない」と返し、認識が異なる互いの主張を説明し合う形となった。(沖縄タイムス)』by17日YAHOOニュース

 この翁長雄志知事の発言は、中国外務省の報道官の発言のようにさえ聞こえるのだけれどどうだろう。翁長知事は、中国の弾道ミサイルの配備状況を向こうで見せて貰ったのだろうか。中谷大臣は尖閣諸島など島しょ防衛のための抑止力でもあることを言っているのに、それは無視である。お隣の国の大統領が反日でしか国民の信を維持することができないごとく、この知事さんも辺野古基地反対しか県民を繋ぎとめることはできないのであろう。県民の幸せのためにやらねばならぬ重要な仕事は他に一杯あるであろうに。

 「沖縄を領土としか見ていない」という発言も気になる。いずれ中国が「沖縄は中国の固有の領土であり、核心的利益だ。」と言い出すのを暗示しているようだ。翁長氏は現在まぎれもなく日本の地方自治体の首長であるはずなのだけれど、その正体はいずこの国の政治家なのであろうか。

 国会議員にも国籍不明の方が多い。それら議員には、この国の国家・国民のためというより、中韓寄りの発言で、身内企業の中韓での仕事を有利に進めたいような利益誘導型の匂いさえすることがある。民主党政権時には円高是正を全く行わなかった。安倍政権になっての円安誘導で韓国製造業は価格競争力を失って失速した。日本企業の品質や戦略の失敗ではなく、為替相場に苦しめられただけなのだ。大手電機メーカーのリストラによって、わが国の技術がどれだけ中韓に流れたのであろうか。

 公平に見て、現在の中国や韓国の言い分に正義はない。国家間ですでに決着した条約や戦後賠償済み案件を蒸し返すのは、現代国家としては認められない行為である。また他国の領海を侵犯しながら、ここは自国の領海などと言う国はこの地球上にあってはならない。しかるに譲歩を重ねた政府の終戦70年談話でさえ、まだ不足があると言っているような政党が、この国に存在すること、そのような意見に組みする勢力があることも腹立たしい。

 いずれも正体は、私あって国家なき哀れな浮浪の人々である。この国家なければ、いずれ個の人権も保障されず、世界を彷徨(さまよ)う民族となることを知るべきであろう。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

閑話つれづれパートⅢ其の16

2015年08月16日 | ブログ
日本の暑い夏

 毎年のことではあるけれど、この8月は気候の上で暑いのは勿論、わが国にとっては広島、長崎、そして終戦記念日が70回目、30年前からは御巣鷹山も加わって、暑さは増すばかりである。さらに5年後には東京オリンピックがこの季節に開催されるというので、今更ながら暑さ対策は大丈夫かとの声が上がるのも当然であろう。

 東京オリンピック招致は石原慎太郎知事が始めて、猪瀬知事の時に成功したが、猪瀬さんの失脚から雲行きが怪しくなった。新国立競技場は、建設費が予算との大幅な差異を生じて白紙撤回。それでもデザイン料などで30億円程度は消えているように聞いたが、確かに舛添知事の言うように誰も責任を取っていない。

 建築技術のことはよく知らないが、ものづくりは一般にその設計でほとんどコストが決まる。建築物だってプロならデザインを見て、大凡のコストは推定できる筈で、その選考結果にも予算が膨らんだ責任はある。オリンピックに関することは世界からの入札が必要なようだから、外国人の設計者のデザインが選ばれることに不思議はないが、著名な建築家であれば設計料も高いのではないか。それらコストも総合的に判断して選ぶべきではなかったか。

 話が少しずれるけれど、サッカーの世界でFIFA(国際サッカー連盟)の役員がワールドカップ開催国選考で多額の賄賂を受け取っていた事が発覚して大きなニュースとなっていたけれど、わが国のサッカー界でも都度なぜ外国人監督をつれてくるのかに疑問が湧く。なでしこは日本人監督で世界一にもなった。男子はなぜ外国人監督でなければならないのか。それぞれの世界、業界の中での縄張り争い利権争いで、各国業界幹部の発言権の持たれ合いなどがなければいいのだが。

 終戦記念日が近づくと、太平洋戦争時の物語がテレビや映画で再現される。フィクションですと断っても、ほとんど事実に基づくものであろうけれど、戦後70年間これらのドラマを見せられ続けた75歳以下くらいの人々には、それらの物語が先の大戦の疑似体験となる。

 先日もTBSで「レッドクロス」という赤十字社の従軍看護婦の悲劇を描いたドラマがあった。わが国の関東軍(満州陸軍)が現地でどのような統治を行ったのか。一部に悪役軍人の横暴ぶりが描かれていたが、勿論立派な軍人さんもたくさん居ただろうけれど、ドラマのそのような部分だけをことさら強調して、中国人虐めを描いた反日映画が今も中国では上映されているとすれば、中国の人々が日本人憎しとなるのは当たり前である。五味川純平の「人間の條件」は高校生の時に読んだ。数々の戦争映画やテレビドラマで軍人の理不尽な暴力行為を見せつけられてきた。それらが、この国の人々に一方的な自慮史観を植え付けてきた。

 現代においてさえ、ブラック企業と呼ばれる会社があり、パラハラ、セクハラ、いじめや残虐な犯罪は絶えない。さらに戦争という極限状態にあれば、人間などいくらでも残酷になれるであろう。そのような事態に陥らないように、真の平和を維持するために国家が何にどのように備えなければならないか、70年前の反省は反省として、現実を直視するそのための暑い夏にしなければならない。



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

閑話つれづれパートⅢ其の15

2015年08月13日 | ブログ
原発再稼働

 8月11日に鹿児島県の九州電力川内原発1号機が再稼働されたということだが、世論調査ではいずこの調査も国民の50%以上が反対という。昼間の電話による調査であれば、受ける側は専業主婦やリタイアした老人で、ランダムサンプリングとは程遠い調査であるがどうなのだろう。この結果が国民の総意であるなら、わが国では例えば、憲法改正も道州制も、国民投票に掛った時点で通る見込みがない。

 御巣鷹の悲劇があった。一挙に520名の命を奪った旅客機事故から30年が経ったけれど、旅客機の便数は増加こそすれ、減ってはいないだろう。交通事故だって依然毎年5000人程度は尊い人命を奪っている。しかし誰も飛行機や車は止めろとは言わない。原発事故は他の事故とは規模影響が桁違いに異なり、人類では制御できないものだから全面的に止めるべきだと言う。または事故が発生した場合の周辺住民の避難方法が確立されていない。責任の所在が明確でない。テロ対策に費用が掛るとか、中にはミサイル攻撃されたらどうするのか。など国民の不安を煽るだけのためのような意見もある。反対派には気持ちいいかも知れないが、かくも物事への反対意見の方が容易(たやす)いということなのだ。それだけのものなのだ。

 福島第一原発の事故は、原因が明確である。想定する津波の高さを低く見積もり、補助電源設備さえ低い場所に、しかも津波で壊れる代物だったことによる。訳も分からず突然爆発したものではない。

 福島事故の原因を十二分に対策すれば、再稼働することに反対することが必要なのかどうか。しかも航空機事故だって、例えば日航機が事故を起こして対策確立するまで、全日空機の他機種まで飛べなくなることはなかろう。東京電力の不手際を九州電力までが4年も待ってまだ負わされるのは事業者としても苦しかろうと思う。

 電力会社だけでなく、電力料金の高騰は中小企業、特にものづくり企業には負担を強いるもので、ただ反対と言って済む連中に理解されるものでもない。最近の原油価格の低下によって貿易赤字は縮小傾向にあるが、環境問題で二酸化炭素削減は待ったなしと思われる。

 現在原油が値下がりし、これは米国などのシェールガス採掘拡大などの影響が大きいと思うが、このように価格は下がることがあれば、オイルショックといわれたように高騰することもある。今、「どうにかなっているではないですか」とは、元総理まで務めた人の発言だったけれど、そのような人物でも新総理当時は国民の大多数が支持した。いかに世論調査が当てにならないかを示す事例である。世論がどうあろうと国家は、その土台であるエネルギー供給のバランスを常に考慮しておく必要がある。そうでなければ責任ある政権運営とは言えないのだ。

 再生可能エネルギーへの挑戦も当然に続けるべきで、将来はそのような完全循環型社会が実現できればいいのだけれど、そこに行き着くまでに、まだまだ多くの富とエネルギーが必要である。

 何でも反対ということでは、そのような成長の芽さえ摘むことになる。あらゆることを複眼的に見て考えることで、短絡的に今だけ「気持いい」で済ませないようにすることは、誰に責任を押し付けるのでもない。国民としての責任である。



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

閑話つれづれパートⅢ其の14

2015年08月10日 | ブログ
70年談話

 安倍首相が終戦70周年にあたり談話を発表するということで、国内外でその内容について注目が集まっている。すなわち、50周年時の村山談話「植民地支配と侵略によって、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えました。私は、未来に誤ち無らしめんとするが故に、疑うべくもないこの歴史の事実を謙虚に受け止め、ここにあらためて痛切な反省の意を表し、心からのお詫びの気持ちを表明いたします。」by Wikipedia を世間は踏襲させたいらしい。従来の土下座外交推進派の勢力がこの国ではなぜか未だ大きい。

 アジア諸国で、わが国を誹謗中傷しているのは、知る限り中国と韓国だけで、それは両国の為政者にとって国内統治に都合のいい話であるからに過ぎない。両国に対してわが国は多額の戦後補償やODAによる援助を続け、両国の経済発展に大いに貢献した。しかるにその事に対する感謝の言葉は両国の指導者から聞いた覚えがない。片務の感情むき出しの国家指導者の弁など信用できる筈もないものを。

 中国は対日戦争勝利70周年と言うけれど、当時わが国と戦った中国政府は蒋介石中華民国、現在の台湾政府である。現在の中華人民共和国の前進である毛沢東一派は当時地方のゲリラ組織でしかなかった*3)。火事場泥棒のごとく戦火に乗じて国家を奪ったに過ぎない。

 歴史は常に勝者によって作られる。村山談話にある『疑うべくもないこの歴史の事実』が果たして真実なのかどうか。村山氏は総理大臣というこの国の最高責任者を務め、その時に発したこの談話は間違いと気づいておられても、死ぬまで守らねばならないのだ。そのためにも安倍総理に対して内容を踏襲するように求めているのであろう。

 わが国では広島、長崎の原爆忌には、その悲惨さが語られ、一部に米国の行き過ぎた戦闘行為に批判はあるけれど、沖縄戦、東京はじめ大都市への無差別大空襲しかり、すべてはわが国軍部の暴走に始まる侵略が原因として矛を収め、中韓のように敵国に謝罪を求め続けたりしない。恩讐を超えて自由と民主主義の価値観を共有する同盟国として、米国との友好関係を戦後70年発展させてきた。

 『植民地支配と侵略によって、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えました』。ならば黒人奴隷の歴史やわが国を除くアジア全域を支配し続けた白人国家の罪が、どのように償われたというのであろうか。チベットやウイグルを強制的に支配し続ける現代中国の帝国主義に罪は無いのか。

 太平洋戦争を契機に、独立を果たした多くのアジア諸国の指導者からは、わが国に感謝こそすれ、恨みつらみの言葉は聞かれない。公平に見て、中国本土を巡る白人国家との利権争いにわが国は敗れたのである。わが国に戦争責任の一端はあるにしても、ナチスドイツのユダヤ人虐殺とは次元の異なる話なのだ。一方向からだけの歴史観が正しいことなどあり得る筈もなく、わが国の哀しい似非学者や、国家も国民も無くただ議席にしがみつくだけの政治家、片方に偏した評論家の言など信じてはならない。



*3)「子々孫々に語りつぎたい日本の歴史」渡部昇一、中條高徳/平成17年8月初版、致知出版社
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

閑話つれづれパートⅢ其の13

2015年08月07日 | ブログ
ナポレオンの村

 以前NHKで「限界集落株式会社」というドラマがあったけれど、趣旨は同じだと思う。現在わが国の大きな問題点のひとつに、地方が消滅する恐れがあることが挙げられる。特に山間の集落や離島では、現実化しているところもあるようだ。

 集落全体を株式会社のような会社組織として、農業などから得られる収益を全体で分配する。農業のやり方を効率化し、また農作物の付加価値を高める方策により、個々の農家がそれぞれに取り組むよりはるかに全体としての収益も増加すると考えられる。

 「ナポレオンの村」は6チャンネル(TBS)の日曜劇場で、「天皇陛下の料理番」、「とんび」また少し前になるが、「仁」などと非常に好評を博した番組が続いている。都庁から限界集落を抱える市役所に赴任した一公務員が、奇抜な発想で住民を巻きこみ奮闘するドラマだ。

 私などが診断士になった2008年頃は、国の施策である農商工連携が注目されており、地元商工会議所などで、農商工連携セミナーをやらせてもらったりしたが、プレゼン資料の中に、塩見直紀氏の著作による「半農半Xという生き方実践編」(株)ソニー・マガジンズ2006年刊から

 『「ないものねだり」の20世紀は終り、地域にすでに存在、または潜在する「宝」=「地域の資源、遺産、経験、記憶など」に光をあて、「あるもの探し」によって地域を見つめ直す時代。』や

 「農業の基本価値」と題する株式会社 創森社から2008年10月に出された大内力先生の著作から、「山を守る人がいるから自然を楽しめる」という以下の一文を紹介したりした。

 『日本の山村の奥の集落はほとんどゴーストタウンになっている。 また一般に、山村の住民の多くは高齢化しており、 最近では人口の絶対的減少が起こっている。

 このように山村に人間がいなくなったことが山を荒らす原因になっている。社会環境の保全というのは、何よりまず人間がそれぞれの地元に住んで、地元の自然をきちんと守っていけるような社会的条件を 維持していかなければならない。社会環境と自然環境とは表裏一体のものだ。そればかりか、山村や農村には伝統的なさまざまな文化的価値がある。民俗・風習から民話や民芸にいたるまで、伝統的文化は 農山村において継承され、維持されるものだ。しかし、それは山村や農村に住んでいる人だけでなく、都会に住んでいる人たちも、休みのときには農山村に行って自然に接触すると同時に、そこに残っている伝統的な文化にも接触することができる。そういうことがなければ、ひとつの国の厚みのある文化的環境は維持できないであろう。』

 国の方針・施策は重要である。それは地方にお金をばら撒くことではない。逆である。山林や農地に対する税制改革が必要なのだ。農地や山林を物理的に管理できなくなった所有者は、手放さざるを得ない状況(遊休農地や遊休山林の固定資産税を増額)にして、少しずつプレーヤー交代を促さなくてはならない。税金を払えない土地は一旦国が没収して企業化するか、農業や林業希望の人々を募り分譲すればいい。都会でフリーターをやり続けるより、農業や林業をやった方がいいという若者は居る筈だ。

 限界集落とか、過疎の村とかいうけれど、実は一杯お宝が眠っているであろう。自分達で掘り出すか、撤退して他人に後継を委ねるかの選択が住民自身からも必要である。単なる惰性による世襲の弊害は政治家だけではないのである。



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

閑話つれづれパートⅢ其の12

2015年08月04日 | ブログ
飛行機は落ちる

 空を飛ぶには気球を使うか、グライダー類のように高い位置から気流に乗る。飛行機のように強力なエンジンを装備してその推進力で、自前で得た気流を支えに飛ぶか、ロケットのように起爆剤のエネルギーで飛び上がるかである。飛行機は、エンジンの重量とその推進力の二律背反のような命題を克服した代物であるから、何らかの原因で十分な推進力が得られなくなれば確実に落ちる。

 7月26日、調布の飛行場を飛び立った軽飛行機が数分後に推力を失い住宅地に墜落した。航空機事故として規模は小さいが最悪のケースだ。原因は明解である。空を飛ぶ飛行機であったこと。飛行場が住宅地の近くにあったこと。飛行機事故は離着陸時に多いと聞いている。だから少々不便でも、旅客機用の飛行場は海に面した所か、山の上を切り開いたようなところに作られている。

 それにしても、この時期にこの事故が自衛隊機や米軍機であれば、この国がひっくりかえるくらいの騒ぎになっていただろうと想像する。マスコミや野党は大喜びし、国会は空転を続けたかもしれない。しかし、自衛隊機や米軍機でも同じ空を飛ぶ乗り物である以上、今現在も恐れは十分にある。ただ、もともとの機体の設計そして日常の整備によって、その危険は極限まで低減されているに過ぎない。

 それでも沖縄普天間基地のように、民家と隣接する航空機基地はリスクが高いのは勿論である。しかし代替基地の建設は遅々として進まない。この原因は先の民主党への政権交代であり、「一度変えてみよう」などという、何かにつけて国民多数の無責任さが大きな過誤を残した事例となった。

 調布飛行場の存在意義を知らない。再発防止にはこの飛行場を安全な場所に移設し、跡地を公園などに作り替えることだ。厚木基地では騒音訴訟で住民側が勝訴したようだが、この基地の存在意義も分からない。工場などもそうだけれど、元々工場があると、周辺地はその所為もあって地価が安いから、どんどん住宅地が拡大して工場に隣接するようになる。あげく住民から臭いとか煩いとか苦情が出始める。法的な規制の隣接距離基準では、工場からの騒音や臭気、爆発・火災の危険から十分保護されない。調布や厚木の飛行場も後から周囲に住民が集まったかどうかは知らないが、保安距離の規制を強める必要もあるのではないか。

 原発反対なども、地球温暖化の進行の速さを聞くにつけても、一方だけが正義面して反対、反対と言っておれる事態とも思えない。十分とはいえずとも保安距離を持って、必要なら住民の立ち退きまで考慮する必要がある。何にでもリスクはある。それよりもその効能が大きいものは必要である。最大限のリスク低減を行うしかない。

 飛行機は落ちる。そのリスクを極小にする努力は、機体の整備とパイロットの訓練に加えて、飛行場の立地、飛行空路から再考する必要がある。




コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

閑話つれづれパートⅢ其の11

2015年08月01日 | ブログ
救世主

 プロ野球の観客動員数の増減については知らないが、近年のテレビ中継の激減は知っている。昔は必ずどこかの局で、7時から9時のゴールデンタイムにプロ野球中継をやっていた。それがこの頃ではほとんど見かけなくなったのだ。

 サッカーのプロリーグが本格化して、プロ野球にとっては、M.E.ポーターの競争戦略論のひとつ「5フォースモデル」*2)にいう「代替品の脅威」が現実化したこともある。また良いプロ野球選手は、簡単に大リーグに引き抜かれる時代となった。業界内の競争がここでもグローバル化したわけである。

 これは興行的な分散でもあるが、国内のスポーツ資質の高い人材が各種スポーツに分散することも要因に挙げることができる。突出した才能が観る者を感動させる。どんぐり背比べでは同じプロ野球でも面白くない。贔息のチームが勝つことは楽しみではあるが、勝負だけでなく個々のプレーを堪能したい欲求が観客にはある。

 われわれが若かった時代には、もし日本にプロ野球がなければ、オリンピックの陸上競技で、日本はもっとメダルが取れているだろうなどと聞いたものだ。それだけスポーツセンスの高い人がプロ野球に集まっていた。

 スポーツの基本能力は脚力であり、運動神経の良い子はまず足が速い。運動神経を活かして稼げるのは、当時は野球、ボクシングくらいではなかったか。相撲やプロレスは巨漢である必要がある。現代では、ゴルフ、サッカーは勿論、プロバスケットリーグやプロテニスもある。各種オリンピック種目でもメダリストくらいになれば、引退後に指導者は勿論、芸能プロダクションなどを通じて稼げる道筋もあるようだ。それだけ分散が激しい。

 しかし、退潮期にあると思われた野球界に、救世主が出現した。早稲田実業1年生の清宮幸太郎選手だ。夏の甲子園東京地区予選の決勝戦は神宮球場で行われたが、当日夜間に行われたプロ試合を凌ぐ28000人の観客を集めたと言う。リトルリーグで世界制覇に貢献しており、打率やホームラン数も相当なものだったそうだから、もっと早くマスコミネタになっていてもおかしくなかった。

 柔道では、日本選手権9連覇の山下八段など、中学時代「九州に怪童現れる」という新聞記事を目にした。高校は九州学院から佐藤宣践師範の東海大学相模高校に転入し、順調に日本一、世界一へ道を歩み大成した。

 清宮選手はまだ高校一年生。3年間の高校生活があり、プロに進むか、大学に進学するかの選択や、大リーグからの誘いもあろう。順調に育ち、日本のプロ野球界で活躍してくれれば、その救世主となるだけの実力と素晴らしいオーラをすでに持っている。日本の野球界の長嶋さんや王さんのようになれる可能性があるような気がする。




*2)5つの競争要因、①既存業者間の敵対関係、②新規参入企業の脅威、③代替品の脅威、④売手の交渉力、⑤買い手の交渉力
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする