中小企業診断士 泉台経営コンサルタント事務所 ブログ

経営のこと、政治のこと、社会のこと、趣味のこと、人生のこと

日々是好日20

2010年12月28日 | Weblog
この国の一年 

 読売新聞朝刊21日に、読者が選ぶ日本の十大ニュースが載った。第1位は「尖閣諸島沖で中国漁船が海保巡視船と衝突、海上保安官が撮影ビデオを流出」、2位は「ノーベル化学賞に根岸氏、鈴木氏」、3位は「口蹄疫」、4位「暑い夏」、5位「鳩山退陣」、6位「はやぶさ帰還」、7位「参議院選民主大敗」、8位「相撲界の野球賭博」、9位「押収証拠改ざん大阪地検特捜検事」、10位「サッカーW杯」。(3位以下省略表記)

 お隣の韓国では、北朝鮮からの民家への実弾攻撃(11月23日)があり、魚雷による哨戒艦沈没事件(3月26日)があったことを思えば、日本の十大ニュースのトップは事件としては小さい。ただ国体を曖昧にし、他国におもねる民主政権下ゆえに膨らんだ事件である。それにしても、関連して建設会社の日本人4人が拘留された事件は改めて中国政府の不気味さを感じさせる。韓国ではさらに中国漁船が警備艇に勝手にぶつかって自沈しながら、その損害賠償を云々という事態まで発生している。

 中国では経済発展によって多くの国民の生活も向上し、魚の需要が急増している。魚は獲るだけ売れるのであろう。国家戦略とも相俟って、中国漁民はリスクを犯しても領海侵犯を繰り返すであろう。日韓といわず、フィリピン、ベトナムも含め中国との海上国境における凌ぎ合いは高まるばかりではないか。日本の尖閣での中国漁船問題はその一角に過ぎない。

 鳩山退陣(6月2日)は第5位に止まった。2007年の安倍首相の退陣は第1位。翌2008年の福田首相退陣でさえ第2位であったことを思えば、いかに鳩山政権が国民に見捨てられていたかが分かる。「待ってました!!」とばかり菅副総理が登場したけれど、脱小沢しか政権浮揚の方策はなく、決断と言う名の場当たり的な政治はすっかり国民に匙を投げられているけれど、コロコロ首相を替えるのは如何なものかという論にも支えられて、菅首相の時に見せる笑顔に、国家の命運を担っているという自覚は感じられない。

 郵便不正事件で発覚した検事の不祥事(9月21日検事を逮捕)も国家の重大な病巣を垣間見せた。公僕意識をなくした公務員の傲慢さの一端が見える。借金まみれの国家財政を尻目に、政府に圧力をかけて法人税を減額させる大企業の経営者もそうだけれど、国のリーダー層に個人あって国家無しの風潮がある。

 私たちの人生は良いことばかりではない。豪雨の日もあり、暴風の日もある。しかし、苦しみの中でさえ生きる喜びを見出してゆかねばならないのである。一方喜びの日は、楽しい日にはそれを精一杯享受すればいい。楽しむべきところはそれを楽しみ、楽しみ無きところもまた無きところを楽しむ。これを日々是好日(にちにちこれこうにち)というらしい。どんな苦しい境界に置かれても、これ好日、結構なことですと、心から思えるようになることである。

 十大ニュースに明るいニュースが無いわけでもない。しかし、それらを政治の黒雲が覆い隠している。政治とカネの問題さえ1年引きずって何の解決も図れず、公務員改革は遅々として進んでいない。自民政権時より増発する国債によって国家の予算と借金は膨らむばかり。まさにルーピーな政党による政権の現状には、是好日とは行かなかった1年である。>
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日々是好日19

2010年12月25日 | Weblog
研究会

 中小企業診断士は、研究会と言う名の勉強会が盛んである。もっとも他の士業やコンサルタントグループのことを詳しく知っているわけではなく、比較対象があって相対的に盛んであると言っているわけではない。ただ、私でさえ3つの研究会に所属しているし、10の研究会に所属していると言っている方もいたことで、盛んであるような印象を持っている。

 ただ私など、一応年会費を支払って会員の資格は維持しているものの、このところほとんどご無沙汰の会もある。研究会に限らず、昨年や一昨年は各種セミナーにも積極的に参加したし、参加できる喜びもあったものだけれど、今年はかなり絞り込んだ。時間と費用の制約もあって、研究会も各種セミナーにも参加意欲を持続することは難しいもののようだ。

 ところが今年、ひとつの研究会を主宰することになり、多くの会員に参加してもらう方策を考える立場になった。引き続き原則として講師は会員の持ち回りであるが、今年は外部専門家の招聘にも注力した。外からの風は新鮮である。外部講師に来ていただいた会では、会員相互の親睦を兼ねて懇親会も行ったけれど、診断士同士の交流も研究会の目的の一つである。

 研究会を主宰して、私がもうひとつ力を入れているのが仲間を増やすことである。研究会によっては、何となく仲間を限定しているような雰囲気のところもあるように思うけれど、協会支部に認定された研究会であれば、皆が納めた協会会費から補助金が出るわけで、オープンであることが原則となろう。幸い当研究会では、今年途中から4名会員が増えた。さらに若い診断士にも参加して欲しいものである。
 
 私たちの研究課題である企業再生では、その対象が業種・業態を問わないし、幅広い知見が問われる、いわば診断士の能力の全てが問われると言って過言ではないであろう。だから日頃企業再生を学んでおれば、一般の企業経営改善案件にあっても、その対応は容易くなると思う。従って、企業再生を学ぶことはすべての診断士に有益であると思う。

 一般に本格的な企業再生案件になると、専門の公的機関に持ち込んでも、コンサル料は数百万円程度必要になるといわれる。だからこそ、万一クライアント企業の存続が危ういと思った時に、町の診断士として、安価で適切なアドバイスによって迅速な対応ができればと考えているわけである。

 われわれ診断士にとって学ぶ分野は多岐に亘り、その学び方もいろいろである。会員相互に知見や情報を公開して共有する研究会という名の勉強会は、ひとつの有効な啓発方法である。
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日々是好日18

2010年12月22日 | Weblog
GOPAN(ゴパン)

 1年を振り返る季節となった。世界で日本で、スポーツ界や自社、個人でいろんな出来事があったけれど、それらのうちの重大ニュースをベスト10やベスト50くらいに絞って紹介するのは恒例である。そんな中、日経BP社の「ヒット商品ランキング」も注目である。

 因みに昨年(2009年)のヒット商品第一位は「プリウス&インサイト」。勿論トヨタ、ホンダのハイブリッド車である。これらは今年も相当に売れた。今年のランキングでは第7位。但しホンダ車は「インサイト」が「フィットHV」に変わっている。昨年2位の「キリンフリー」(ノンアルコールビール)は今年「アサヒビールなど」が加わって、アルコールだけでなく、「カロリー、糖質もゼロのビール風味飲料」となって第6位。その他2年連続のランクインには昨年26位で今年は第4位につけた「ハイボール」がある。私などが若い頃にも飲み屋ではウイスキーのトップメニューだった。飲む場所を変えてのリバイバルである。

 今年の第1位は同点で「Twitter(ツイッター)」と「ipad(アイパッド)」第3位が「食べるラー油」と続くけれど、これらいずれも私には縁がなかった。8位に今年の流行語大賞ともなった「ゲゲゲの」の語源である「ゲゲゲの女房」。すかさず「下下下の内閣」というのがあったけれど、まさに憲政史上稀に見る二代続く低級内閣であることに異論は全くない。

 毎年ヒット商品ランキングを見て、恥ずかしながら自分には意味不明のものが幾つもある。商売柄敏感でなければならないけれど、ランキングに登場してから知る商品があることは例年のことだ。今年白物家電では最上位の第11位にランクインでしているGOPAN(ゴパン)もそのひとつだった。

 日経ビジネス2010.12.20-27年末合併号にGOPANとその開発秘話がある。GOPANは米粒からパンを作る家庭用パン焼き器。鳥取市の三洋電機コンシューマエレクトロニクスが2001年から開発に取り組み今年7月に売りだした。米粉からなら出来ても、米粒からとなると相当の創意工夫がいるし、高価な米粉でなく、どこの家庭にもある米粒をそのまま使えることは、コストと簡便性を飛躍的に好転させる。発売と同時に注文が相次ぎ、生産が追い付かない状態が続いているそうで、来年4月を目処に月産倍増の2万台*19)を目指す。

 三洋電機は昨年12月TOB(株式公開買い付け)によって、三洋ブランドのままで、パナソニックの完全子会社となった。そんな折、私が参加した企業再生塾の総まとめ課題として、大手家電メーカーから1社を選び事業デューデリジェンス(事業の審査・調査)を行うこととなった。その対象企業に私は三洋電機を選んだ。そんなこともあり、後追いながらGOPANのニュースは嬉しかった。

 同社の製品は2008年にも「エネループ」*20)で13位にランクインしていたが、会社の沿革をみると、思っていた以上に業界初、わが国初、世界初と冠された自社開発商品が多いことがわかる。それはわが国の高度経済成長のトップランナー業界としての姿を反映するものではあるけれど、1947年にGHQ(連合軍総司令部)による公職追放指定で、松下電器を離れた松下幸之助氏の義弟にあたる井植歳男氏が興し、2007年まで家電大手最後の同族会社と言われた同社が、意欲的に創造的な仕事をしてきた証左でもあろう。最近は、太陽電池や二次電池*21)で業界をリードしている。

 三洋電機はまた、多くの企業が不況に襲われる度に、全国有数のスポーツクラブでさえ廃部する中で、業績不振の中2008年にはラグビー部が悲願の日本一を成し遂げたり、オグシオと称されるスター選手を生みだし、マイナースポーツであったバトミントンを世間の注目を集めるまでに成長させるなど、スポーツ界への貢献がある。まさに多様性人材集団の香りがGOPANの成功にも通じているような気がして爽やかである。





*19)2010年12月21日、日本経済新聞
*20)充填して繰り返し使える乾電池型蓄電池。従来品に比べて自然放電が極めて少ないことが特長。
*21)繰り返し充電可能なリチウムイオン電池などの化学電池。ハイブリッド車や電気自動車用として大きな需要が見込める。
 
本稿は日経BP社2010.12.20-27年末合併号と同社各年の「ヒット商品ランキング」を参考にしています。
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日々是好日17

2010年12月19日 | Weblog
世界の名詩

 今年1月、本稿で日本の名詩をいくつか紹介した。その種本の姉妹本に「世界の名詩」がある。昭和42年に金園社から編者榊原正彦氏で出たもので、勿論出版社も編者も装丁も定価350円も「日本の名詩」と同じである。ただ、外国の詩には必ず訳者が必要で、訳者の巧拙でも作品の魅力は変わってくるであろうから、そこが日本の詩を味わうのとは趣が異なる。音楽における作曲者と演奏家の関係以上のものがあろう。

 その訳者群を見ていて凄いと思ったのは、訳者のおひとり上田敏氏*17)には、イギリスの詩は勿論、フランス、ドイツ、ロシア、ギリシャ、イタリア、インドの詩までの訳詩があることである。詩心があってあらゆる外国語に精通されていたのであろう。しかも本詩集に掲載された163篇の詩の、直訳で済む中国の漢詩を除く116篇のうち実に38作品が上田敏氏の訳によるものである。いかに優れた翻訳詩人であったかが分かる。しかし氏は大正5年41歳の若さで病死されている。まさに短期間での偉業であり、美人薄命ならぬ子規などにも通じる才子薄命であるけれど、彼もまた日本の明治という時代に、坂の上の雲を目指した一人であったのではないか。

 上田敏氏の代表作のひとつでもあり、私の高校の国語の教科書にも載っていたハイネの詩を掲載する。

 「花のをとめ」
 妙に清らの、あゝ、わが児よ、
 つくづくみれば、そぞろ、あはれ、
 かしらや撫でて、花の身の
 いつまでも、かくは清らなれと、
 いつまでも、かくは妙にあれと、
 いのらまし、花のわがめぐしご。
         -上田敏全訳詩集-

 この詩にはハイネの多くの詩がそうであるように、作曲家によって作曲された楽譜が付いて広く愛唱されている。-榊原正彦編「世界の名詩」-

 上田敏氏には、イタリアの女流詩人アダ・ネグリ*18)の「母」という訳詩もある。『この詩は作者が、おそらくは、自己の体験をとおして、人の子の「母」としての愛と喜びと苦しみと恐れと、そして、その希いとを美しい言葉でうたいあげたもの。・・・後半には、地上の男子すべてに、その切なる願いを訴えている。その願いとは、「地上のすべての男子たちよ。よくおききなさい。-あなたがたは、どうして、たがいに剣をとぎ、戦いあおうとするのですか。-よくおききなさい。おききなさい。人はみな兄弟なのです。・・・」』 -榊原正彦編「世界の名詩」-

 凶悪犯罪は絶えず、行き過ぎた折檻でわが子を死に至らしめる親、親を殺す子もいる。世界には未だ国家・地域間の紛争があり、いたずらな中国の軍拡もある。美しい文学は人の心を清新にする。「このような詩がもっと多くの人に読まれるようにすべきだ」と、編者の榊原氏も述べている。






*17)(1874-1916)東京生まれ、東京帝国大学英文科卒、欧州留学後京都帝国大学教授、慶応義塾大学顧問歴任。カール・ブッセ(独)の訳詩「山のあなた」は特に有名。
*18)(1870-1945)イタリアの女流作家、詩人。「母」は1904年に出版された作者の第三詩集「母ごころ」の中の1篇で、日本ではその5年後(明治42年)に訳詩が紹介された。ロンバルジア小都会に生まれ、小学校の教師をしながら詩を書いた。-榊原正彦編「世界の名詩」-
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日々是好日16

2010年12月16日 | Weblog
12月8日

 昭和16年(1941年)『12月8日未明、帝国陸海軍は西太平洋において、アメリカ、イギリス軍と戦争状態に入れり』。私が生まれる6年近く前の話だけれど、その年私の母は22歳、1児の母であった。母は米国との開戦のニュースに体が震えたという。武者震いではない。

 一方、昔テレビでも随分と活躍された政治評論家の藤原弘達氏*16)は当時、郷里広島から岡山の旧制高校を経て東京帝国大学法学部の学生であったそうな。開戦当時氏は、米国との戦争に負けるとは全く思っていなかったそうである。

 その話は、氏が昭和56年(1981年)8月に広島県大竹市の市民大学講座の講師としてこられ、1時間半熱弁を振るわれたのだけれど、その中で語っておられたものだ。氏と同世代の庶民である一主婦であった私の母が、怖さに体を震わせたのとは好対照である。氏は敗戦後自分の不明を恥じ、戦後は現実の社会を内から外から知る為に世界をまわり、各国のリーダーから庶民の生活ぶりまで見て歩いたそうである。外国を見る時、特に女性の有り様に注目したそうである。女性が幸せに暮らす国はいいというわけである。この視点は流石と思う。

 一般に女性は本能的な感性に優れるように思う。だからその在り様は自分の環境を敏感に反映する。ただ、自身の色恋に関しては別のように見えるが。例えば女性のいる職場では、上司や男性同僚の質が、みごとに職場女性の雰囲気に反映されるものだ。勤めていたころに工場内他部署をいろんなことで訪問する機会があったけれど、女性社員(パート社員も含む)の雰囲気から、その職場の善し悪しを感じたものだ。

 多くの情報を持ってはいてもそれぞれを検証せず、都合よく解釈するのは存外エリート族に多いのではないか。当時東大生の藤原氏もそうであった。現代日本の政治家にはそのレベルで止まって人が多いと見る。テレビで拝見する特に民主党の代議士にはそれが言える。政治家に対する「優秀」の判断基準を間違えている人も多い。だから国政を誤る。

 先の大戦については、識者の間にも評価が大きく分かれるところがある。結果としてかけがえのないあまりに多くの人命が露と消えたけれど、ひとつ言えることは「戦った民族は滅ばない」ということではなかろうか。敗戦後のわが国の復興をみればそれが分かる。ただ、占領下に統治された相手国が米国で良かったということもある。ソ連であれば、現在の北朝鮮になっていたのではないか。

 政治にベストはない。世界が軍事同盟から平和共同体に移行する潮流の中で、なぜ日米同盟堅持なのかという意見が民主党政権になって、さらに喧(かまびす)かったが、ここに来てようやくその意義の理解が国民に浸透してきた。中国、北朝鮮そしてロシアの動きをみれば、日本がいかに軍事的に不安定な地理的位置にあるかが認識されるであろう。このような無法者国家に囲まれている国は、世界の先進国では日本ぐらいなのだ。同じような価値観を共有する国との連携はお互いに効率的なのである。他国の横暴には備えなければならないのである。

 戦争は絶対にいけない。平和が大切だ。と100万遍唱えても、それは侵略を目論む国からすれば思うつぼでしかない。戦う気力をなくした民族ほど攻略するに易きことはない。逆に、たとえ弱くとも刃向ってゆく子はいじめの対象になり難いといわれるごとく、領土の侵略許さじの気迫は重要な抑止力である。「馬鹿な戦争をして」の結果を見てからの批判は容易いが、アジアでただ一国、有色人種を徹底的に見下していた欧米の列強に立ち向かった大和魂はやはり貴重だったと思う。12月8日である。



*16)(1921-1999)細川隆元氏(1900-1994)とのTBSテレビの「時事放談」は人気を集めた。著書「創価学会を斬る」の出版にはいろいろな妨害工作があったとされるが、押し切った。
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日々是好日15

2010年12月13日 | Weblog
公用語

 社内の公用語を英語にするという企業が日本に現れて話題を呼んでいる。私のように英語に関して「読めず」、「書けず」、「話せず」の3重苦の人間がこのような案件にコメントしても何の説得力もないのだけれど、たとえば社長さんがいくら英語を得意だからと言って、社員全員に英語を強制するようなことは芳しくないなという印象は持った。もっとも社員は勤め人なのだから、英語が嫌な人は英語を公用語にするような会社から退職すればいいことで、社員でも株主でもない人間が当該企業をどうのこうの言う権利はなかろう。しかし、このような会社が増えることは、明確な根拠はないが、日本文化の衰退に繫がる懸念を感じ、どうか同調する企業の増えないことを望みたい気持ちだ。

 グローバル化の進んだ現代企業で、外国語の重要性が増していることは事実だ。私のような内向きの人間でさえ、定年退職前の10年間を、出向ではあるが外資との合弁企業で仕事した関係で良く分かる。しかし、企業は組織で成り立っている。ほとんど英語を必要としない部署もある。今さら英語に煩わされるより、心おきなく現在の担当部署に関する業務処理や知識、技能の深化に務めた方が組織全体としてのパフォーマンスは上がる筈だと思う。

 そんな中、文藝春秋11月号の塩野七生氏のエッセー「最近笑えた話」では、社内公用語を英語にした企業を名指しで「御冗談でしょう」と笑い飛ばしておられたのは痛快であった。一般の日本人と違い1年の多くをイタリアで過ごす塩野氏のような、外国語に対する免疫力の強いと思われる方が、大の反対意見であったことは心強い。塩野氏の経験からの考察では、想像力は母国語に限るということのようだ。さらに言語と言うスイッチを始終切り換える緊張感は、塩野氏でさえ精神の破綻さえ懸念されるほどの強さがあるという。

 また、文藝春秋新年号には「英語より論語を」と題する「国家の品格」の藤原正彦氏と作家の宮城谷昌光氏の対談が載っていたが、ここでも複数の外国語に堪能な藤原氏が、『企業が決めたことですから「どうぞご自由に」と思いますが、いったんやると決めたからには、必ずやり遂げてほしいですね。日本の中で英語を公用語にすれば、企業は潰れるということがよくわかるでしょうから』とこちらも笑い飛ばしておられる。塩野氏、藤原氏のような外国語に堪能な賢人が英語の社内公用語化に疑問を呈していることはわが意を得たりである。

 さらに藤原氏は、『経団連などの業界団体も、英語を国民全員が話せないと国際競争力に負けてしまうなどと言ってきましたが、英語と国際競争力に連関はありません。世界で一番英語がうまいイギリスの経済はどうですか。20世紀を通じて斜陽でした。ではどこの経済が優れていたか。世界で一番英語が下手な日本です。数年前のTOEFLの成績では、アジアでは一位がフィリピン、二位がインドで三位がスリランカ。ではこの三カ国がどれほど経済的に発展しているか。・・・』と続けておられる。

 私が勤めていた会社も、以前から学卒者の管理職登用要件として、英語力をあげていた。最近はその適用範囲を広げ、またハードルも上げているように聞く。私なども英語が出来ない不都合はいろいろ経験しているので、業務に関わらず英語力の向上を目指すことはいいことだと思うが、人間やっぱり得手不得手があって、日常会話に支障がない程度の英語力を身につけるのは容易ではない人達もいる。また、ある突出した能力の陰には常識外れの無知があったりするものだ。管理職の条件、いわんや社員の条件にその能力が測りやすい特定の項目を取り込んだ場合、組織構成員の多様性が失われる懸念を持つ。「イノベーションはダイバーシティー(多様性)のシナジー(相乗効果)から生まれる」と言われているのだけれど、企業にとって非常に大切な組織としてのイノベーション(変革する能力)を低下させることにならないのか。

 藤原氏と宮城谷氏の結論は、日本人ならば日本語をしっかり身につけること。経営者も1流を目指すなら、論語に代表されるような中国の古典を学んで欲しい。とのことのようだが、さて、社内公用語を英語と定めた日本企業の今後に注目である。
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日々是好日14

2010年12月10日 | Weblog
版画

 この時期、年賀状書きのシーズンである。私は毎年木版画の年賀状を作る。社会人となってから毎年継続して45年となるが、この間両親が亡くなり年賀状を出せない年や年末に自身の入院や家族の入院があって彫ることが出来なかったこともあり、実は今年丁度40回目となった。年一回の版画彫りも、その作品が40にもなると、彫られた版木のストックも結構な量になり感慨深い。

 入社一年目は、勤務先である石油化学プラントの蒸留塔を彫った。しかし、「灯台かい?」という質問があったりした。それでも独身寮で先輩が版画を見つけ、借りるといって持って行き、ガールフレンドにも出したらしい。その彼女の父親が「器用な人だね」と言ったという話を先輩から聞いたが、私自身にはそのような話は未だにない。

 山口県時代は、錦帯橋や宮島の鳥居を、千葉県に来てからは鋸山の大仏や鎌倉の大仏を、またアクアライン開通の年はそれを彫った。一時期中学時代の美術の教科書から北斎のものや雪舟の水墨画にも挑戦したし、弥勒菩薩や法隆寺の夢殿なども彫った。画材が無い時は干支を彫るけれど、その時も西洋の美術から古代の壁画の牛や犬、デューラー*15)の「野うさぎ」もモデルとした。36歳になる前年はわが亥年3巡ということで、3匹の猪を子供の動物図鑑から彫ったけれど、この頃は一番根気があって、結構細かく彫ることができた。

 何といっても年に一回の作業、技術の蓄積にはならず、未だ小学生レベルと言うと小学生に叱られそうな技量だけれど、木版画にはそれなりに木のぬくもりや趣があって、いわんや年賀状にすると七難隠すところもあって、許される範囲ではないかと思って継続している。

 毎年題材選びから難航する。題材を決めて下絵の製作では、どこまで線を入れるかはその年のこの時期の体調にも左右される。どこかにあるイラストを使えば簡単であるが、写真や絵画から起こすのは少しめんどうになる。ネットの写真から選んだりすると、今年はパソコンに取り込んで済まそうかという誘惑に駆られるものだ。しかし、彫る段階になると体が版画モードになるようで、一気に進むものだ。

 版画は、彫り上がったものを印画するのもひと仕事となる。版木に絵具で色を付けて1枚1枚刷るわけで、チョットした絵具への水加減や塗りの厚さには微妙な違いを生じる。出来上がりを良品と不具合品に分ければ、歩留まりは随分悪いと思われるけれど、申し訳ないもののコスト優先で全て採用とする。

 想えば高校入試の図画工作の試験問題に版画の制作に関するものがあった。出来上がりの図が示されており、その下絵を書けというものであった。どうも正解は鏡対の図であったと思われるけれど、その時私は思いつかなかった。しかし今でもどうも良問とは思えない。

 版画の年賀状製作は工程が長く、手造りであるだけに出来上がりの達成感はある。便利な世の中だからこそ、少しわざわざ不便をしてみるのもいいものである。もっともこのようなプロダクトアウト(製作者本位)の年賀状を受け取った方が喜んでいただけるかが問題ではある。






*15)アルブレヒト・デューラー(1471-1528) ドイツの画家、版画家。人間技を超越した精密描写絵に定評がある。
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日々是好日13

2010年12月07日 | Weblog
報道

 12月3日の読売新聞朝刊に「露のニュース、今や政権のPR」という見出し記事があった。『報道統制の進むロシアで、ベテランのジャーナリストが「ニュースは政権のPRと化した」などとメディアの現状を厳しく批判するスピーチを行い、報道の自由を巡る論議を巻き起こしている』というものである。民主化されたロシアとはいえ、元々国家統制が馴染んだ国柄、さもありなんと頷いてしまったけれど、現政権下ではわが国も他所事ではなかろうと懸念を抱いている。

 以前からNHKの報道番組の一部には、日本の歴史認識において偏見有りとの批判があった。偏見ある報道は国民の認識を事実から歪める懸念が強い。歴史は常に勝者によって作り変えられるから、わが国の韓国や台湾の併合とその統治のあり方や先の大戦に至る経緯など、国民が真実を捉えているとはいえず、戦後処理条約の締結によって解決済みの事案でありながら、歴代自民党政権さえ土下座外交を余儀なくされてきた。現政権には、今となってなお「韓国との戦後処理は不十分」と言う高官さえいる。

 さらに現在のニュース番組のアナウンサーには、明らかに民主党贔屓と映る振る舞いの人が居る。どこかで非難されて降板するかと見ていたけれど、一向にその気配もないことは、個人の問題ではなく、NHKの体質の確信的人事と思える。個人がどの政党を支持しようが、この自由と民主主義の国家においては誰憚ることはないし、それを批判など出来ることではない。しかし、たとえ建前であっても絶対中立が要求される公的報道において、個人的信条の発露が為されているとしたらやはり問題である。

 昨年の衆議院選挙の開票結果を伝える当のアナウンサーは明らかに嬉々としていた。歴史的な政権交代の現場に立ち会った感動があったというような解釈もあろうが、今年の参議院選挙結果報道時の明らかに曇った表情は何を意味するのか。それ以前、郵政民営化の弊害の説明にしても偏見によると思われる誤った解説をしていた。郵便局が分社化されたことで、郵便局へのアクセスの悪い過疎地の住民が、郵便貯金の預け入等を郵便配達員に依頼して行っていた利便性が失われたという説明をしていたことだ。地域の住民間のコミュニティーは重要であるが、元々の公的な業務とコミュニティーを混同してはならないであろうに。

 ついでに述べさせて貰えれば、郵政民営化反対論には、過疎地域での郵政業務のサービス低下を懸念するというか、鼻からそのことを既成事実のように吹聴する傾向があった。日本に過疎地域に暮らす住民がどれほどいて、その利便性が失われるデメリットと、民営化して全体の経営を効率化するメリットを、きちんと比較検証しなくてはならない。一部ほんとうに不便となる地域には、郵政とは切り離しても別の効率的な救済処置を取ればいいことだ。何か改革をやろうとすれば、当然に何割かの不具合は出る。民主主義が最大多数の幸福を志向するものとしても、それが少数の犠牲の上に成り立つものであってはならない。しかし、それをあくまで主張すれば何もできない。少数者には別の施策で対処すればいいことだし、従来やって来た筈だ*14)。

 NHKは、政府が3歳以下の子供手当の増額を決定したニュースの後に、支給対象となる若い母親にインタビューして、その有効性をアピールしていた。また「クローズアップ現代」では、自衛隊の南西諸島シフトや取って付けたようなその訓練の様子が報道されていたけれど、安全保障に寄せる国民の意識の高まりに、現政権への不安払拭報道の感があった。いずれも現政権支援報道と取れてしまう。
 元来、社会主義的な政党やその気分を持った人々は、民主主義を建前としながらも国民への統制が好みで、大きな政府を志向し国家統制を進める懸念が強い。NHK職員に左翼傾向があるとするなら、現政権にとってまずは御しやすい対象となる。今後も巧妙に慎重にさりげなく、目的達成のための報道が成される懸念があり、国民は十分なる監視が必要である。

 報道機関が政権のPRの具と化してはならない。それは一党独裁への橋頭保である。


  


*14)ダム、空港、道路建設のための住民の立ち退きや基地のある町への補償
 など。
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日々是好日12

2010年12月04日 | Weblog
民は信なくんば立たず

 出典は論語。政治にとって国民からの信頼こそが一番重要である。民から信用を失ってしまったら、政治は成り立たない。そのように解釈される。三木武夫元総理なども引用され発言されていたように記憶する。本稿でも昨年5月の「いい話を尋ねて⑭論語(下)」で、文藝春秋に載った白川先生*12)の文章をお借りして、この言葉を紹介した。

 確かに内閣支持率や政党支持率のマスコミの調査結果に、国民から負託されて政治を司る代議士やその代表たる総理大臣が、都度自分の信念を左右させる必要はないし、民主主義が衆愚政治に陥らないためにも、リーダーの確固たる信念は重要である。

 しかし、現在の政治状況にあって、次のニュースにはあきれた。11月28日の読売新聞一面の記事から転載する。『・・・首相は27日昼、東京都内の中国料理店で鳩山氏と約1時間半、会談し、今後の政権運営への協力を要請した。首相は最近の内閣支持率低下に関し、「支持率が1%になっても辞めない」と述べ、政権維持に強い意欲を示した。仙谷氏らを交代させない考えも伝えたとみられる。・・・』

 元々民主党は、民意を大切にする党是ではなかったのだろうか。勿論私は初めからそんなものは少しも信じてはいなかった。実力もないくせに権力を握りたいだけの人間が、または独裁政治によって私利を図る人間が、政治家としての奥深い教養も器量もないゆえに、前政権の弱みをついておこぼれによる議席にしがみつくしかない議員を集結し、怪しげなマニュフェストを掲げて政権奪取を図った、まさに野合集団の政党と見ていたのだけれど、上述の菅首相の発言はまさにその正体を露わにしたものだ。民意などどうでもいいのだ。自分が一日でも長く権力の座に居たいだけなのだ。

 民主政治において、権力をチェックするために野党の存在は必要でありかつ重要である。しかし、施政の批判は容易(たやす)いがその能力は行政能力を意味しない。経営者のいたずらな搾取を抑えるために、また働く者の生活を守るためにも労働組合組織は重要である。しかし、もっと給料を寄こせ、社内賃金格差が広がったのは元の社長が悪いと、組合の代表を経営者にすれば会社は途端に倒産するであろうに。今の政権はまさにそのレベルでしかありはしない。そのリーダーが無責任なマスコミの作りだした政権交代の流れで生み出した衆議院の勢力をバックに、民意を無視しても居座り続けますという姿勢は醜悪でしかない。

 参議院で問責決議を受けた仙谷大臣なども、全く決議無視の姿勢だ。国会議員議決を無視することは、国会軽視につながらないか。そんなことだから、30日の新聞に「120年式典330議員欠席」*13)という見出し記事があった。衆参両院の国会議員は欠員1名を除き721名とのこと。天皇、皇后両陛下をお迎えした式典に、党として欠席した共産党員15名以外、政党別欠席者数は載っていなかったけれど、いずれにしてもほぼ半数の議員が欠席したわけだ。

 与党の代表である民主党の岡田幹事長は記者会見で、「少し残念に思った」と述べたとあるが、少し残念のレベルでは到底ありはしない。わが国の国体はすでに崩れて、国民の代表たる国会議員に、陛下を敬う心根も国会を重視する気持ちもその多くが失っているとしか見えない。この事態だけを見ても、早急に衆議院を解散して議員の入れ替えを行うべきであると言えるのではないか。




*12) わが国漢字学者の第1人者で、文化勲章も受賞された白川静先生(1910-2006) 。文藝春秋2004年5月号特別企画「名著入門」に掲載された白川静先生の「『論語』を読み孔子と対話する」から引用。
*13)29日午前に参院本会議場で開いた議会開設120年記念式典。読売新聞朝刊から。
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日々是好日11

2010年12月01日 | Weblog
晩秋

 秋が深い。12月は四季を3カ月毎に区切れば冬で、今日からすでに冬に入ったことになるけれど、初冬と晩秋は重なり合って季節が移ろう。NHKの大河ドラマ「龍馬伝」が11月末で終わり、併行して昨年暮れに放映された「坂の上の雲」第Ⅰ部の再放送が進んでいる。この5日からはいよいよ第Ⅱ部が始まる。全13回の第6回からとなる。そして第7回では子規が逝く。

 「柿食えば鐘が鳴るなり法隆寺」勿論子規の句である。秋と言えば紅葉であるが、柿もある。わが家の小さな庭にも富有柿の木があり、毎年売り物に負けないくらい形よくおいしい実をつける。その柿の木も今年の酷暑には流石に参ったようで、例年になく多くが青い実のまま落ちた。

 「松山や秋より高き天守閣」という句もある。子規は私の郷里の隣町城下町松山の偉人である。柿の句は、療養生活の世話や奈良旅行を工面してくれた夏目漱石の「鐘つけば 銀杏ちるなり建長寺」への返礼の句ということである。漱石と子規は、漱石が四国松山中学の教師として赴任した時に交流があったようには聞いていたが、子規と漱石の交流が、大学予備門で始まっていたことを私は司馬先生の「坂の上の雲」で知る。

 漱石は松山中学での1年間の教鞭生活を基に小説「坊っちゃん」を書いた。松山中学は子規の母校でもある。『校長は薄髭のある、色の黒い、眼の大きな狸のような男である。やに勿体ぶっていた。まあ精出して勉強してくれと言って、恭しく大きな印の捺さった、辞令を渡した。・・・』と校長との出会いが「坊ちゃん」にあるけれど、この時の東大出である漱石の給料は、その校長の3倍であったようにだいぶん昔になるけれど、NHKのテレビ番組で聞いた。しかし、その後の漱石「坊ちゃん」の松山での経済効果を考えれば、当時の漱石先生の給料など取るに足らない。

 『「子規は食い意地の張った男であった」と漱石はいっているが、頭が疲れてくると菓子を食べた。「するとそれで勢力を増し、また2,3時間も書ける」と子規はいっている。菓子屋へのはらいが月に一円五十銭以上にもなった。米屋への払いが四円、家賃が五円という家計のなかにおいてである。』こちらは司馬先生の「坂の上の雲」の一節である。

 その話を裏付けるような話が、先日11月28日の日本経済新聞の文化欄にあった。俳人で仏教大学教授の坪内稔典(つぼうち・としのり)氏の「朝はあんパン」と題するコラムに、上京して菓子パンの味を知った子規が、後年寝たきりの重病人になった時にも、病床の楽しみとしてほぼ連日、菓子パン数個を食べていたと書かれていたのだ。坪内氏ご自身がこの30年、朝食はあんパン1個か2個という生活を続けていることからのコラムであった。

 私もあんパンは好きだ。確かに朝食はあんパンということもある。子供の頃両親はいろんな機会に小豆の餡子を使った嗜好品を作って食べさせてくれた。そのことに寄せる郷愁も菓子パンにはあるのかもしれない。年末には、自宅で餅をついてあん餅を作ったし、節句のかしわ餅やおはぎにお月見だんご、羊羹も遠足の時など母が作って弁当に入れてくれた。子供の時分は誰しも甘いものが好きだけれど、糖分は脳の発育のための栄養源と思われ、脳の活動には欠かせない即効性のエネルギー源でもある。子供のころに日常的にもっとふんだんに甘いものを食べていたら、もっと頭が良くなっていたような気さえする。

 子規が死んだのは明治35年(1902年)9月19日の午前1時。満年齢で35歳になる年である。子規に辞世はないが、最後まで子規の看病を続けた弟子の高浜虚子は、月明の下で碧梧桐らに訃報を伝えに走り、正岡家に戻り際、月明の中に子規の霊が空中へあがりつつあるのを認め「子規逝くや十七日の月明に」と即興の句を残したと「坂の上の雲」にある。
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