中小企業診断士 泉台経営コンサルタント事務所 ブログ

経営のこと、政治のこと、社会のこと、趣味のこと、人生のこと

診断士のひとり言10

2009年06月28日 | Weblog
憂国

 政治的な話しは差し障りがあって、すなわち真実というより意見、感情の部分で評論せざるを得ず普遍性に乏しい。だからできれば書きたくないのだけれど、ここに至っての自民党内のゴタゴタをマスコミ報道から見聞していると、ただ情けなく憂国の思いに駆られ書かざるを得ない。以前も書いた。同じようなことを書く。

 衆議院選挙で民主党が政権を取るということは、日本の国体を危うくさせる。これは意見や感情ではなく、事実ではないか。同じ政党内でもいろいろな意見があり、考え方の相違があろうことは当然であるけれど、政党である限り、この国の防衛や他国との同盟に関して、最低限同じ考え方を持った政治家の集まりであるべきで、ただ、政権与党の政策が気にいらないからと寄せ集めで数合わせした政党は本来政党に値しない。そんな政党が一度政権交代させてみて下さいなどという甘言で政権を取ったら、日本という長い伝統と文化と、秀でた工業力や細やかな感情を持った国民からなる世界に稀有な国家の存続を危うくさせる。

 尖閣諸島周辺の領海問題、北方領土問題、北朝鮮の核開発や拉致の問題。自衛隊海上給油や海賊対策派兵の問題。中台有事を想定した集団的自衛権。ただでさえ腰の引けている日本外交が、民主党政権ではさらに一挙に後退し、中国からはさらに侮られ、同盟国米国からさえ見捨てられる恐れがある。年金や医療や格差是正の前に、以前小平がどこかで言い放ったという、20年たったら日本はなくなっている。という言葉が現実味を帯びてくる。

 このような事態に、政治手法が違うことで内輪もめをしている時ではなかろうに。今この大切な選挙を前にして、麻生内閣を引きずり降ろそうと画策している自民党内部の連中は、たとえ言っていることが正しいことであったにしても、明らかに国益に反する。国賊に近いと感じる。今この時期に総理・総裁を代えるなど信義に反し、民衆の信は得られない。恥の上塗りになるだけだ。

 私は、現政権のすべてを肯定するものでもなく、当然に個人的な利害関係もなく、麻生首相の特別の支持者でもないのだけれど、日本の国益を考えた時、現在の民主党への政権交代はあってはならず、そのためにも政権党内部でジタバタして欲しくないと思うだけだ。

 今後思い切った政界再編と、行政の集約化による効率化や地域格差の是正に効果的と思われる道州制の導入を行わない限りこの国は危うい。
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診断士のひとり言9

2009年06月25日 | Weblog
再び品質管理のすすめ

 品質管理については昨年9月から10月にかけて16回に渡り、私の経験を基にこの誌面に綴っている。日本が最も元気だった1980年代、品質管理は工場従業員の必須科目であった。

私は、周辺に起こる自分の勤務する会社の出来事しか知らなかったのだけれど、誰もそうであるように、自社を通じて何となく他社も、世の中もその風潮は感じることはできた。1990年代半ば、TQCがTQMと呼ばれるようになり、方針管理までが品質管理の範疇として捉えられるようになって、多くの企業でTQMは重要課題でなくなったように感じていた。よく言えば日常化した。1990年代の日本の品質管理の課題はむしろISO9000であった。

 私は1990年代の末から米国GE社の関連会社に出向した関係で、シックスシグマにもそこそこ取り組んだ。TQC、ISO9000そしてシックスシグマと時代の移り変わりの中で、それぞれの最も熱い時期に体験できたことは良かったけれど、後の世代には同様の経験が繰り返されることはなかった。今やシックスシグマもISO9000さえも企業の関心から遠く、この10年は、企業の社員への品質管理教育は継続されているのだろうかという獏とした不安は感じていた。
 
そして今月、品質管理学会から送られて来た「JSQCニュース」に掲載されている国際委員会委員/安藤之裕氏の「アジアの品質管理活動の実際」というレポートを読んで、やはりそうなんだと確認すると共に、ものづくり日本の先行きの危うさを思う。

 『・・・一方で、アジアで遭遇する品質管理上の問題点は、そのまま今の日本でも遭遇する。例えば、現地社員対象の品質管理の基礎的なコースで驚かされるのは、日系企業においてもかなりのベテランでさえ基礎的な知識が極めて不足していることである。・・・それでも、40~50歳代の日本人現地幹部の方々は、その現状を憂い、品質管理の必要性を痛感しているのが救いである。それより若い日本人社員は、実は自分自身が教育を受けたことも無い。規定に従った仕事はこなせるが、その基本が分かっていないので、改善も出来ないし部下に教えることも出来ない。近年、それがそのまま多くの日本国内企業にも当てはまってしまう。』

 アメリカナイズされた短期的な視野で経営をみる風潮が、地味な社員教育の多くを葬り去っていたのだ。品質管理は流行で行うものではない。あらゆる企業は今、全従業員に対して再び品質管理教育、願わくばTQC教育を開始しなくてはならない。

  『 』内は、「JSQCニュース」2009年6月号国際委員会委員/安藤之裕氏の「アジアの品質管理活動の実際」から引用させていただきました。
  TQMとTQCは敢えて使い分けしています。
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診断士のひとり言8

2009年06月22日 | Weblog
人生の旬

 6月17日の読売新聞夕刊に面白い記事を見つけた。面白いと言っては関係者にお叱りを受けるかもしれないけれど、新聞の論調も通常の犯罪を伝えるものとは異なり、何となくほほえましく報じていた。以下全文を引用する。

 『札幌市厚別区で無許可のスナックを開いたとして、札幌厚別署が「ママ」を務めていた女子高生(18)らを風俗法違反容疑で逮捕、送検していたことが17日わかった。捜査幹部によると、この女子高生はホステスとして働きながら食品衛生責任者の資格を取るなど勤務態度を評価され、2年生だった今年1月、店長に昇格。年上のホステス8人を使いながら店を切り盛りする“敏腕”ぶりで、売り上げが月200万円を超える時もあったという。

 摘発されたのは同区厚別中央のパブスナック「ムーン」。捜査幹部によると、女子高生は今年5月、経営者の男(34)とともに、北海道公安委員会の許可を受けずに同店を営業、女性従業員に接客させた疑い。

 女子高生は親元を離れ、札幌市内で一人暮らしをしながら通信制高校に在学。生活費と学費を稼ぐため、市内の複数のスナックなどで働き、昨年10月、同店に移ったという。ママに昇格した後も、飲み放題メニューを設定したほか、ホステスの誕生会を開くなど気配りも忘れない商才を発揮したが、学校は休学状態になっていた。

 女子高生は現在、少年鑑別所に収容されており、「働いているうちに学校が面倒になってしまった。今はちゃんと高校を卒業したい」と反省しているという。』

 単なる無許可営業であれば、オーナーであろう34歳の男のみが逮捕されればいいわけで、女子高生ママは風俗店で働くには年齢不足で補導されたものと思われる。普通の商売に従事していたのであれば、休学状態になっていたとはいえ、また家庭の事情がどのようなものであったかは知らないけれど、これは二宮金次郎ばりと言えば大仰だけど、苦学の士と褒められても良かった。飲み放題メニューの設定やホステスの誕生会を開くなど、企業経営の才覚も立派なものである。彼女は自身の人生の旬の時期を生きていたのではないか。

 以前から気になっていることなのだけれど、義務教育は中学三年生までの15歳で終わりながら、風俗関係の仕事となると18歳から。また飲酒や喫煙、選挙権は20歳からと、なにかちぐはぐな規制が横行しているようで疑問である。ただでさえ、栄養状態の向上や情報の氾濫によって、高度経済成長以前の未成年者と現代のそれでは全く異なる条件下にある。

明治、大正の時代であれば、平均寿命の短さもあってか10代で嫁ぐ女性も多かったように聞く。現在はといえば結婚適齢期などという言葉は死語になり、婚活などの言葉が現れたり、草食男子に肉食女子など、面白おかしく若者の生態が揶揄されるけれど、結果少子化対策大臣くらいが産休で手本を示さねばならぬ時代。恋愛の自由さえ制服の下に閉じ込めるようなことはせず、もっと思い切って男女とも子供扱い年齢を下げてもいいのではないかと思う。政治やマスコミがやたら一方的に保護すべき対象を量産しているようにさえ感じる。

 人生旬の時期は人それぞれで、大器晩成もあれば早熟な人もいる。それぞれが生まれ持った才能を如何なく発揮するためには、それぞれの個性を尊重する意味からも、ここでも少し規制緩和が必要なように思う。世間の荒波に抗してたくましく生きていこうとする芽をつぶしてはならない。法で縛ることより義務教育9年間の内容を充実して、若者が人生を踏み誤らない精神を陶冶することこそ肝要ではないか。
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診断士のひとり言7

2009年06月19日 | Weblog
コンサルタント協会

 以前、あるコンサルタントの方からメールをいただいた。全く面識のない方で、恐らく私のホームページからアドレスを尋ねて来て下さったものと思われた。要旨は、『コンサルタントの存在やその価値が、中小企業経営者の方々に十分伝わっておらず、活用がなされていない。コンサルタントの活用によって、日本の中小企業はより効率的な経営が可能で、その不得手な部分を強化できれば、中小企業の体力は飛躍的に向上し得る可能性を秘めている。未曾有の世界不況にも対峙できるのではないか。そのため、「中小企業支援経営コンサルタント協会」を設立して、中小企業の窓口としたい。賛同いただいた方々で一度お会いして話し合いたい』のようなものであった。

 元々、国家官庁のコンサルタントをされていた方で、民間にそのフィールドを移されたことで、実感されたコンサルタントの状況を憂えるお気持ちからの決起と思われ、私にも共感するところ大であり、好ましい着想と感じられた。

しかし、思えば中小企業診断士は、経営コンサルタントの唯一の国家資格者として、すでに「社団法人中小企業診断協会」(昭和29年設立)を有して長年活動している。にも関わらず、一般のコンサルタントの方からこのような切実な声があがる現状は、診断協会の活動が世間には見えていないことの証である。それは国や協会の怠慢もあろうが、その活動の難しさも示唆しているのではないか。診断協会こそ中小企業の窓口として、その役割を担うべきだし、新たな協会組織を作ったにしても、期待される効果を生む運用は至難のことではなかろうか。そのように返信して新たな協会作りへの参画はお断りした。

 その後、この話を仲間の診断士に伝えると、共感を得るところが大きかったし、協会支部の集会でも紹介し、診断協会県支部の奮起もお願いした。しかし、個人的に仕事を貰えないための私憤と混同されるくらいが落ちで、事実協会改革を唱えていた診断士も、仕事が来るようになればその熱は冷める。夢を語ることは容易であるが、実現のための情熱を持ち合わせている人は少ない。意見具申することは提言であって批判ではないが、自分がやらない限り他人のことをとやかくいう資格はないことも事実だ。

 果たして、「中小企業支援経営コンサルタント協会」がどうなっているのかは知らないけれど、別に夢を語るわけでもないけれど、「社団法人中小企業診断協会」のあり方も、一般のコンサルタントの方々くらいには認知していただけるように、中小企業者の方々からは頼りにされるくらいに、時代と共に大きく変容させて行かねばならない時期に来ていることは確かであろうと思う。協会幹部もボランティアで頑張っておられることで、必ずしもプロではないにしても、経営革新を中小企業経営者に啓蒙する立場なのだから。
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診断士のひとり言6

2009年06月16日 | Weblog
プロレス

 私など子供の頃は、丁度庶民の家庭にテレビが普及し始めたのと相俟って、プロレスのテレビ中継が大人気だった。米国人レスラーを圧倒する力道山の空手チョップは、太平洋戦争に敗れた国民の悔しさを幾分かでも癒すことに繋がったのかもしれない。友達の家のテレビの前で、その家のお婆チャンがプロレスに大興奮していた姿がいまだに目に焼きついている。

 プロレスにも水戸黄門と相通じるような偉大なマンネリズムがあって、力道山とタッグを組んだ日本人レスラーが、外人レスラーコンビに延々と痛めつけられる。力道山にタッチも叶わないままボコボコにされる。そこに僅かな隙にタッチを交わした力道山の登場である。観衆の興奮は最高潮に達する。ノーノーといいながら腰を引いてロープ沿いに逃げ惑う外人レスラーに、力道山の伝家の宝刀「空手チョップ」が炸裂する。そして観衆は溜飲を下げるのである。力道山は庶民の英雄であった。

 その後、アントニオ猪木さんや馬場さんの活躍もあって、それなりの人気を維持して来たものの、どうしてもショーとしてのイメージ強く、格闘技としての迫力に欠ける部分があったのであろう、K-1などノックアウトを勝負の決着とするガチンコ勝負の興行が台頭した。

 14日のスポーツ紙1面は、プロレスラーであり実業家であった三沢光晴さんのプロレス試合中の死を報じていた(テレビ報道による)。GHCタッグ選手権で相手選手にバックドロップをかけられ、リングで頭を強打したことによる(6月14日読売新聞)とのことである。プロレスはいかに暗黙の協定による一定のルールの下に行われたとしても、危険なショーであることに変わりはない。より過激さを求めるファンの期待感もその危険を増幅させたのかもしれない。

 プロレスにしても柔道も同じだけれど、受身の格闘技である。投げられることを前提に、受身の練習は欠かすことはない。さらにショーとなればいかに華麗に投げられるかを競うようなもので、時代劇の切られ役の殺陣の見事さがなければ、主役は成り立たないのと同様である。そのプロレスラーが確かな受身を取れなかったということは、46歳という三沢さんの年齢からくる万分の1秒の反射神経の衰えが原因だったのだろうか。

 私が高校1年の時、柔道部の先輩が昇段試験で、対戦相手が死亡する不幸な事故に遭遇した。相手が払い腰を掛けたのに対して、先輩が踏ん張ったところ相手は前につぶれて頭を強打した。死亡した対戦相手は倒れたあと、意識がなくなる前に「体が動かない」と漏らしたそうで、今回の三沢さんの場合と同様に思える。打ち所が悪く頚椎に重大な損傷を受けたのである。

 格闘技に限らずどんなスポーツでも、事故と隣り合わせであることは違いなく、特にプロ選手ともなれば、常にその覚悟の下に戦っていることは想像に難くない。しかし、「ローマはなぜ滅んだか」ではないが、民衆が国に過大の期待を掛けると同様、衣食足りて強烈な刺激を求める風潮は慎まなければならない。

 三沢さんのご冥福をお祈りします。
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診断士のひとり言5

2009年06月13日 | Weblog
説明責任

 西松問題の説明責任云々が未だに問題になっているけれど、野党第1党代表の秘書を逮捕した以上、ここは検察がその罪状を国民の前に分かりやすく説明して貰いたいものである。足利事件にみるように無期懲役が確定し、17年間も刑務所につながれた後に、受刑者の無罪が確定するようなことがこの時期に起こっている。検察の仕業と言って、国民に疑念がないわけではない。西松問題は、一議員秘書の問題ではなく、近く行われるであろう衆議院議員選挙の行方さえ左右する問題だ。逮捕された秘書の野党第1党の前代表から明確な説明は望めない。政治資金の使い途などにしても有耶無耶にしたままで、総選挙を乗り切る戦略とみえるからである。

 説明責任といえば、日本郵政株式会社の西川社長の問題もある。発端はかんぽの宿売却問題。1万円の査定で売却した物件を購入側が6000万円で転売していたこと。これに鳩山総務大臣が噛み付いた。多くの識者やマスコミもこれには賛同し喝采した。これに気を良くしたのか大臣、東京中央郵便局庁舎の再開発に、重要文化財保存の観点から「トキを焼き鳥にするようなもの」との批判でいちゃもんをつけた。

郵政民営化については、自民党内にさえ大きな亀裂を生んだ。その後遺症が尾を引いている。与野党を問わず郵政民営化反対議員の支持が得られる案件と踏んだ大臣の一連の発言ではあろうけれど、それはこの時期野党を利するだけだ。しかもそれが大臣の目論見かもしれないと思わせてしまう疑念も浮かぶ。
 
民主党が相対的に爽やかな表紙に架け替えたこと。麻生首相が厚生労働省の分割案を口にしながら、党内動向で引っ込めたこと。そしてこの日本郵政のトップ人事のゴタゴタによって、内閣支持率は再び低下している。

日本郵政側は、かんぽの宿売却に関して十分な説明責任があるが、衆院選挙を間近に控えたこの時期、閣内不一致と麻生政権批判を受けるような大臣のマスコミ向け発言は、国民にも良い印象は与えない。与党、政府関係者で話し合って落としどころを見つけて欲しい。それが政治家の政治家たるゆえんだ。その後決着の経緯を明らかにし、説明責任を果せばいいのではないか。

この原稿を書き上げて後、6月12日に鳩山総務大臣が辞任した。実質麻生首相からの更迭であるらしい。早速民主党の鳩山代表から麻生内閣への痛烈な批判のコメントがあったけれど、私など実の弟の仕業に端を発した案件で、政府を扱き下ろすのは如何なものかと思ってしまう。そこらあたりの機微については、どこまで考慮すべきか異論もあろうが、何となく違和感を持った国民は多かったと思う。これはどちらが正義かの問題ではなく、政権内部で調整すべき問題をマスコミ向けパフォーマンスに使った前大臣の落ち度である。盟友を切った麻生首相は、いかな批判を受けようとも、今回男を上げたのではないか。
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診断士のひとり言4

2009年06月10日 | Weblog
企業破綻

 米ゼネラル・モーターズ(GM)が6月1日、米連邦破産法11条(日本の民事再生法に相当)の適用を申請した。1908年設立というから100年余り、豊かな米国経済と巨大企業経営モデルの象徴であったGMが倒産した。負債は16兆円。今後は株式の過半を米政府が保有し、一時国有化されて再建を図るという。

 GMの凋落は大分前から言われていたことで、この世界不況がとどめを刺したに過ぎないから、従業員23万人の大企業の破産にも世間の驚きはなかった。原因は、一人勝ち時代の1950~60年代に始まると言われる。新車販売の国内シェアがしばしば50%を超え、車業界に留まらず世界最大の製造企業として君臨したとき、「おごり」が始まる。欠陥車対策が後手にまわり批判を浴びたり、70年代の2度のオイルショックへの対応さえも、利幅の大きい大型車頼みから抜け出せなかった。先進企業として導入した年金や退職者向け医療給付の負担が膨大な「レガシーコスト」として経営を圧迫し始めた。米ゼネラル・エレクトリック(GE)などは余裕のあるうちに労務コスを見直し、事業の「選択と集中」に取り組んでいたが、GMは過去の成功体験があまりに大きかったゆえに、対応が遅れた。(6月2日、日本経済新聞)

トヨタ、日産、ホンダなど日本車の攻勢もあった。最高の955万台を販売したのは1978年でそこがピーク。2007年まで77年間販売台数トップの座を維持したものの、2005年からは巨額赤字が続いていた。

原因にはその原因がある。日経ビジネス2005年1月3日号の「編集長インタビュー」に登場した経営コンサルタントのジェームス・C・アベグレン氏*2)は、「終身雇用は終わっていない。会社を『社会組織』と見る日本企業の価値観は正しい」。そして「日本では経営者の平均年間給与が一般従業員の9倍*3)であるのに対し、米国では約530倍を受け取っています。この水準はいくら何でも高過ぎる。純粋に成果に基づく報酬を得ているというのならば、『あなたは神様か何かですか?』といいたくなります。全くナンセンスです。」と言い切っている。

GMの歴代経営者がどれほどの報酬を得ていたか私は知らないのだけれど、その報酬の高さをGMの破産の原因というなら、米国の大企業はことごとく破産しなくてはならないではないか、との反論もあるかも知れないが、確かにその兆候と捉え、警告と受け止めた方がいいのではないか。

私は、自身の能力や功績以上の報酬を受けることは、人間を堕落させると考えている。それは企業経営者であろうが、工場労働者であろうが、学者や芸術家、スポーツ選手であっても同様であると思う。「足るを知らぬ」人々によって資本主義は暴走する。巨額の報酬を得た経営者は、そこに留まることを欲する。そして組織の官僚化が始まる。高配当を得た株主は取締役の監視を怠る。生み出した付加価値以上の賃金を得た労働者もまた日々の仕事の改善を忘れる。

 美食は誰も欲するところであるけれど、自身の代謝能力を過ぎれば糖尿病という底なし沼の病魔が待っているごとく、過分の報酬は、人間を企業組織を蝕むと考えた方がいい。

 *2)James.C.Abegglen 1926年米ウイスコンシン州生まれ、シカゴ大学で人類学、臨床心理学博士を取得。日本各地の工場を訪問し、終身雇用・年功序列・企業内組合を日本企業の“三種の神器”と唱え脚光を浴びる。65年ボストン・コンサルティング・グループの設立に関わり、日本支社初代代表(日経ビジネス2005年1月3日号)
 *3)9倍は2004年当時。この頃から2008年まで、日本の経営者の報酬は米国に倣い増加したと推測される。
 本稿前半のGM情報は、2009年6月1日、2日の日本経済新聞を参考にさせていただきました。
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診断士のひとり言3

2009年06月07日 | Weblog
安全対策

 私など、長く石油化学工場に勤めていた関係で、自然に安全に対して敏感である。可燃性の高圧ガス、常に引火燃焼の恐れのある大量の液体可燃物、はたまた毒性ガスなどに取り囲まれて仕事していると、チョットした不注意が大事故につながるという認識を常に持つことになった。工場の安全対策も失敗の歴史の中で進歩して、設備・装置のメンテナンスから危険予知訓練、安全パトロールなどのソフト面まで、勿論十分ではなかろうが充実していたように思う。

 東京都内の住宅地で2007年6月に起こった女性専用の会員制総合温泉施設で起こった天然ガスの漏洩による大爆発事故は記憶に新しい。女性従業員3名が死亡し、従業員2名と通行人1名が重軽傷を負っている。これなどは明らかに知識不足からくる施設の管理不十分が起こした人災である。

 この6月2日に山口県のホテルで、修学旅行生が被災した一酸化炭素中毒事故も悲惨である。26歳の同行したカメラマンの青年の命が失われたが、化学工場内でも炭鉱の採掘場でもない、くつろぎの施設での事故は「なぜだ」と叫びたくなったであろう犠牲者を思う。原因はボイラー配管の複数の亀裂であり、ここから客室にCOが漏出した。ホテルは1982年に建設されたが、ボイラー配管の点検は一度もなかったように社長が語っている。(6月4日読売新聞)

 工事現場の大型クレーンが倒壊する事故も頻発している。工場内などの工事現場では、一定の範囲を通行止めにして行われる作業も、市中工事ではそのような配慮はないようだ。被災者は常にお気の毒様で、遺族が少々の補償金を貰っても本人や遺族の無念は消えない。事故というよりほぼ犯罪である。

 これは正真正銘の犯罪であるが、駅のプラットホームから大学生がご婦人を抱えて、出発寸前の電車の前の線路に飛び降りた事件。酔っていて気が付いたら逮捕されていたと容疑者は語ったそうだが、殺人未遂で懲役何年になるかしれないけれど、生涯酒は飲めない監視体制を組まない限り、この男は放免できないのではないか。最近は少なくなったように思うが、精神鑑定で無罪になる殺人等の犯罪者がある。私など精神異常で人を殺すような行動をとる人間は、逆に死刑が相当と思ってしまう。勿論殺人に至る状況にもよるが。無罪といって精神異常であれば罪を悔いる意識もないであろうから、なおさら拘束が必要で、現状いつまで病棟につなぎ止めているのだろうか。

 これら身近な社会生活の中での事故、犯罪を通じて国に優先的に取り組んで欲しいと思う案件が2つある。ひとつは先のプラットホームでの犯罪に関係するのだけれど、すべての鉄道の駅のプラットホームは乗降側を塀で囲い、電車の扉口のみ乗降時開閉するようにすること。これはすでに多くの駅で実施されてはいるが、未だ圧倒的に少ない。もう一件は、すべての鉄道の踏み切りは立体交差にすること。これもすでに多くの場所でそうなっているが、まだまだ踏み切りは数多い。踏み切りは事故だけでなく、自殺の場所ともなる。東京ではしばしば人身事故で電車が遅れることがあるが、これはほとんど踏み切りでの自殺者のように聞く。

 国は不況対策か選挙対策かは知らないけれど、多くの予算を各方面に割いているのだけれど、国民の安全対策にこそ優先的に、計画的にお金を使って欲しいものである。
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診断士のひとり言2

2009年06月04日 | Weblog
政権交代

 野党第1党は来るべき選挙に備えて、昔政権党がよく揶揄された「表紙を変えるだけ」の手法を用いて、相変わらず手段が目的化した「政権交代」を唱えているけれど、そもそも今の野党には政権党の資格などありはしない。

 選挙手法は、旧い自由民主党の手法そのもの。党員の国会議員には、先日も女性党首が北朝鮮の核実験に関して、なぜか米国へ核軍縮を迫れと麻生首相に繰り返し食い下がっていたような政党に属した方々が大勢居る。

 確かに生活者優先の政治はいいことであろう。昨日まで企業の社会的責任を声高に叫びながら、不況対策には、住む家さえない派遣従業員を真っ先に首切るような大企業を優先するような政治は要らない。確かに日常の国民生活の安心は政治の重要課題である。しかし、それは国家が国体を維持することで成り立つ話だ。他国からの侵略や災害から国民の生命財産を守ることは、国の政治の最優先でなければならぬ。ここに揺らぎのある政党は単なる交代してみるだけでも政権を握ってはならぬ。

 新代表の掲げる、NHKの大河ドラマから持って来たようなコンセプトは、本来政治家はその心に常に秘めてあるべきもので、口に出した瞬間から白々しくなってしまうものだ。謙信公の時代、周辺大名に比較して圧倒的な武力を持ち得た上での上杉のポリシーであり得たもの。見かけだけのやさしさなどは、昔々東京都政の失敗で実験済みではなかったのか。福祉とか弱者救済は誰も表立って反対できないだけに危険なのだ。その危険を知ることは、政治家なら最低限の素養でなくてはならない筈だ。

 先の参議院選挙で、野党第1党前代表の選挙対策が功を奏したような評価があるけれど、国民からすれば、先の衆院郵政選挙で政権党を勝たせ過ぎたとの思いがあったこと。昔の地民党(自民党)の選挙方策であった、選挙における1票格差から生じる効率の良い田舎優先の農家への個別補償。また高速道路無料化などの毛針に国民が釣られてみただけだ。

 しかし、なぜか今マスコミの謂れなき扇動もあって、国民の多くにも一度政権交代をさせてみてもいいような無責任さが漂っている。北朝鮮の核実験。中国の軍拡。なぜか人民解放軍が原潜を持ち、空母を持とういう国がお隣さんなのだ。米国も民主党政権は、その支持母体から中国寄りの政策を採りがちである。ただでさえ米国債は中国依存度が高い。

一時でも政権党であってはならぬ政党が国を治めてはならぬ。阪神淡路大震災の折の県知事の自衛隊出動要請が遅れたため、救われるべき命が絶たれたような話も聞いたけれど、有事は待ってはくれない。一瞬の判断の遅れが国民の多くの生命を危険に晒すことになることを肝に銘ずべきだ。政権政党は、最低限国体維持の国家感を共有する人々の集まりでなくてはならない。

 それにしても今の政権党に真に政権交代を迫れる、国を背負える対立政党がないことは、国民の不幸と言えばそうかもしれない。
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診断士のひとり言1

2009年06月01日 | Weblog
中小企業施策のあり方

 2009年度補正予算が29日に成立したことを受けて、5月30日の日本経済新聞に、その内容が解説されていた。一部にはバラマキ混在との批判もある一方、景気の底割れを回避する効果を期待して、一定の評価を与える専門家もいる。今回の補正予算は、まさにこの未曾有の大不況対策であって、雇用対策や金融対策としての中小企業の資金繰り支援などが中心である。ただ、中小企業施策では必ずしもほんとうに必要とするところにお金が回らないとの批判は絶えない。

 当然である。危ない会社にたとえ国のお金といえど軽々に融資することはできない。新東京銀行なども、融資の焦げ付きを減らすため慎重な融資姿勢に転じている。2009年3月期決算によれば、経費68億円に対して不良債権処理に93億円掛けており、最終損益は105億円の赤字。不良債権残高は334億円にのぼるからである。(数字は、同じ日の日本経済新聞による)

 今回の補正予算の中小企業の資金繰り支援策は、各地の信用保証協会*1)による緊急保証制度の保証枠を20兆円から30兆円に拡大。これは、昨年10月の制度開始から29日までの承諾実績が10兆8,000億円で、景気回復にはなお時間がかかるとの見通しから、枠を十分に広げて景気の変動に備えるというもの。日本政策金融公庫や商工組合中央金庫による低利融資「セフティーネット貸付」も融資枠を10兆円から15兆4,000億円に増やした。すなわち、合計15兆4,000億円の枠拡大になる。今回の補正予算額は中小企業資金繰り支援に1兆5,400億円とあるから、単純に考えて、融資拡大枠の10%を焦げ付き等の費用に見込んでいるのではないか。信用保証協会は代位弁済リスクを保険で埋めており、この予算の使われ方の詳細は実はよく知らないのだけれど、今年4月20日のNHK「クローズアップ現代」“貸し渋り”は防げたのか~検証・中小企業金融支援~ で信用保証協会の焦げ付き額が2兆円、保証枠の約8%になるような報道がされていたので、ほぼ符合する話だ。

 中小企業診断士に限らないけれど、経営コンサルタントの仕事の一部に、クライアント企業が金融機関から融資を受ける手続き支援や、経営革新など国の各種中小企業施策による優遇施策を受けるための支援業務がある。しかし、融資を受けられるようにした、で終わりではなく、融資を受けて新たに行った投資から適正な利潤が得られるように経営支援することが本当の意味の中小企業支援である。公的資金が焦げ付くことは、当然税金の無駄使いになるけれど、当事者である融資を受けた企業も悲惨なことになっている筈である。

 そんなことを考えていると、公的資金の焦げ付きを少なくするために、国はコンサルタントの国家資格者である中小企業診断士をもっともっと活用すべきという思いに至る。公的業務日当3万円の中小企業診断士を年間100日、1万人規模(独立診断士はそんなに居ないと思うけれど)で動員しても、費用は年間で300億円。1兆5,000億円の2%に過ぎない。中小企業診断士による融資先や信用保証先企業のフォローを国の資金で行っても、焦げ付き等を10%減らせれば、差し引き1,200億円の節減になる。

 焦げ付きリスクを少なく見積もれるようになれば、より多くの中小企業が救済されることにも繋がるわけで、ほんとうにお金を必要とするところにもお金が回りやすくなるのではないか。このような方向性こそが真の中小企業支援施策である。

  *1)信用保証協会:中小企業が市中金融機関から融資を受ける際に、その債
務を保証することで、中小企業の資金繰りの円滑化を図る公益法人。全国に52存在する。事業者が何らかの理由で返済が困難になった場合、信用保証協会は金融機関に対してその債務を肩代わり(代位弁済)する。信用保証協会は代位弁済した額を事業者から回収する。
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