中小企業診断士 泉台経営コンサルタント事務所 ブログ

経営のこと、政治のこと、社会のこと、趣味のこと、人生のこと

企業経営と品質管理(第10回)

2011年01月28日 | Weblog
品質管理の真骨頂

 我々の日常は、問題解決の積み重ねと言っても過言ではないと思う。大小や緊急性に違いはあって、放っておいても格別当面なんということはない問題から、直ちに対処しなくては命に関わるような問題までさまざまであるが、誰もが日々避けて通ることは出来ず、対処しながら平和な生活の維持に努めている。これら問題解決に指針を与えるのが品質管理の考え方であり手法なのである。だから我々の社会生活の営み全般に通じる考え方であり、企業経営には欠くことができない管理手法なのである。

 ここで言葉の意味を確認しておきたい。(社)日本品質管理学会編、新版品質保証ガイドブックによれば、『問題と課題の定義については書籍によって若干異なる。最も代表的なものは次の定義である。①問題:「あるべき姿」と「現状」の乖離。②課題:「ありたい姿」と「現状」の乖離。』とある。問題は現実にも溢れているし、望みもしないのに勝手にやってくる。一方課題は、その設定に意志が働く。多くの問題の中で、この案件についてはこのレベルまでは改善を図ろうというのである。

 実はガイドブックの解釈と少しずれるのだけれど、私は課題については、前述のように数ある問題の中で、比較的緊急性が少なく一時的にしろ放置されていた問題の解決を方針管理に取り込んで(その時点で問題は課題となる)解決してゆくことだと解釈している。中には問題と認識さえされず放置されており、新任のリーダーやISO監査時の指摘によって知る問題もある。大きな問題だと分かっていながら、先送りされている問題もあるのではないか。

 これら問題・課題解決手法を具体的なアプローチ方法として開発し、確立し実践して成果をあげたところに日本のTQCの素晴らしさがある。その要諦はPDCAであり、QCストーリー*20)なのだけれど、品質管理の真骨頂は、品質管理活動を企業において日常化することによって、従業員に問題を発見する習慣とその力が身に付くことにある。そしてその解決にしっかりした現状把握が必要であること。問題の原因の掘り下げによって、可能な限り根本原因に対して対策を講じることが重要であることを体得できることにある。

 昔、社内教育で聴いた話がある。『旅人が農家の煙突が壊れて傾いているのを見つけ、炎が噴き出せば藁葺きの屋根に燃え移ることをその家の主人に伝えたところ、主人は「いらぬお節介は焼くな」とけんもほろろに旅人を追い返えした。しばらくして、煙突から火が漏れて藁葺き屋根に火がまわり、燃え上がっているのを見つけた別の旅人が農家の主人に通報し、協力して火を消した。農家は軽微な損害で救われた。主人はその旅人に感謝し、恩人であるともてなしたのである。しかしその後、それら一連の話を聞いた高僧は、最初に注意してくれた旅人こそ大切な人だと、その家の主人を叱ったのである』。








*20)問題・課題解決手法、PDCAおよびQCストーリーについては、本HPエッセー平成22年10月9日の「続、品質保証再考其の14」に解説している。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

企業経営と品質管理(第9回)

2011年01月25日 | Weblog
日常管理に思う

 「方針管理」と対を成すのが「日常管理」であること。日常管理は、年度方針に左右されない部門固有の業務を管理することとは以前に述べた*16)。管理するには何らかの基準があって、管理範囲を外れないように諸々の諸条件を制御してコントロールする必要がある。製品品質を管理するために規格を設け、顧客の要求品質を満たすための管理活動を実践する狭義の品質管理など、典型的な日常管理業務と言える。すなわち、日常管理は暗黙の基準を含め何らかの基準に照らして状況を判断しながら管理しているのである。

 テレビや雑誌で、名のある評論家諸氏が現在の日本経済の低迷の原因に、ものづくり偏重で依然80年代ビジネスモデルから進歩していないことを挙げることがある。ブランド力やデザインなどの分野をもっと育成すべきという論が分からぬわけではないが、中国と比べれば少ないわが国の人口も、韓国やヨーロッパ先進国と比べてまだまだ多い*17)。江戸時代には人口のほとんどが当時の中心産業である農業を支えた農民であったように、現代にあってはやはりものづくりを産業の中心に置くしか1億2700万人を養うことは出来ぬと思う。

 経済学に「比較生産費説」というのがある。一般的に先進国は発展途上国と比べた場合、農産物の生産でも工業製品の生産でも、単位当たりの労働投入量は少なくて「絶対優位」を持つ。しかし両方について「比較優位」*18)を持つことはなく、通常先進国は工業製品に比較優位を持ち、発展途上国は農作物に比較優位を持つ。各国が比較優位にある産業に特化し、貿易を行うことが双方に利益をもたらすという理論である。わが国もその国民性や蓄積された技術力などからやはり自国の得意分野である「ものづくり」に注力することが効率的なのである。

 TPP(環太平洋戦略的経済連携協定)への参加もその一環となろうが、食の安全や食料自給率の問題が残る。しかし、農業だってものづくりには違いなく、日本人の性分からすれば、優れた品質の農作物を効率的に作り出す技術を編み出す筈である。そのためには農地の流動化政策を進め、農業の大規模化と若者を農業に呼び込む諸策が必要になろう。

 広義に捉えれば、商品開発や技術革新のための研究活動*19)にしても、日々の仕事には日常的管理が必要である。それらの管理には明確な管理基準を定められるものはおそらく極一部であろう。そこに人づくりを最重点課題とする広義の品質管理の考え方が生きる。そして暗黙の基準を従業員一人一人が高度に判断できる資質を持つのは、われわれ日本人の特長である。企業経営を支える日々の管理活動こそ品質管理そのものであり、わが国の国際的に見ての比較優位であり、企業経営の要諦なのである。

 現代の日本経済の低迷は、80年代のビジネスモデルを踏襲しているためではなく、逆にグローバル化の中で欧米の悪癖に飲まれ、80年代の日本的経営の良さを忘れたところにこそあるのではなかろうか。







*16) 日常管理については本HPエッセー平成22年3月10日の「品質保証再考第13回」に解説している。
*17)韓国4,833万人、ドイツ8,217万人、フランス6,234万人、イギリス6,157万人、イタリア5,987万人など 2009年推計(国連データ)
*18)例えば、先進国の工業製品に投入する労働投入量を2単位、農産物に投入する労働投入量を4単位とすれば、先進国は農作物に工業生産の2倍の労働力が掛かるのに対して、開発途上国のそれを6単位及び6単位とすれば、いずれも先進国に劣るが、開発途上国は農作物に工業製品の等倍の労働力しか必要なく、開発途上国は農作物について「比較優位」を持っている。
*19)そのものは「方針管理」業務である。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

企業経営と品質管理(第8回)

2011年01月22日 | Weblog
人づくり

 「人は石垣、人は城・・・」の方が語呂がいいように思う。原文は「人は城、人は石垣、人は堀。情けは味方、仇は敵なり」らしい。有名な武田信玄由来の言葉で今に伝わる。その心は、どれだけ城を強固にしても人心が離れれば国を守ることはできない。

 同様の話がある。日清戦争の3年前(明治24年)清国北洋艦隊司令長官丁汝昌(ていじょうしょう)が、軍艦6隻を率いて日本の港をまわった。親善のためという建前ながら明らかな威圧行為であった*15)。NHKの「坂の上の雲」では、その折に東郷平八郎が丁汝昌の案内で旗艦「定遠」内を見学する。そこに秋山真之(さねゆき)も部下の水兵と無断で紛れ込む。艦を出て、東郷平八郎は真之に清国兵の艦内での規律の崩壊ぶりを指摘して、清国軍は怖くないと断じた。もっとも、原作ではその時期、真之はトルコへの遠洋航海に出て日本に居ないし、清国将士の士気の乏しさを指摘したのは、「定遠」での懇親会に招かれた当時の衆議院議員で東京日日新聞社社長の関直彦となっている。勿論テレビの脚色を詰(なじ)っているのではない。要はここでも容れ物や装備よりも中身の「人」の重要性が強調されているのだ。

 それにしても、450年前の戦国武将も明治の日本人も、現在の経営者の多くも同様に「人」の重要性を語っている。そしてそれは「品質管理」の世界でも最重要課題なのである。以前にも書いたが、私が小集団活動のリーダー研修で先輩の講師から学んだ、「下農、中農、上農、上上農」の話。順番に「下農は草を作る」、「中農は米を作る」、そして「上農は土を作る」、では上上農は何を作るか。「人」を作るのである。小集団活動は、確かに職場の改善を通じて企業の利益の向上に寄与するところ大であるが、同時に幹部候補生でもない一般の従業員が、品質とは何か、仕事とは何か、そしてリーダーとは何かを学ぶ活動であることが意義深い。

 5S(整理・整頓・清掃・清潔・躾)という言葉ある。ダメになった企業の多くは、まず5Sが出来ていないと言われる。私が中学の時の校長先生は「学校の廊下に落ちているゴミを拾って歩ける教師であれば、校長に成れる。」と言っておられたが、事実私の担任だった地味と思われた教師は、確かにゴミを拾われていたけれど、その後校長になられた。

 私の勤務した工場に講演にこられた東京ディズニーランドの人事課長さんは、掃除とは、見えない所こそ綺麗にすることであると、ディズニーランドの従業員教育と清掃の徹底さを強調されていた。

 確かに、身の回りを眺めてみても、職場で業務用の掃除機の中に溜まったゴミを、都度誰彼なしに気付いた者が率先して捨てているか。目に付き難い倉庫に、捨ててもいいサンプル残などが溜まっていないか。反省することは多い筈である。そんなことは、一見業績には直接関係ないように見えるけれど、実は主業務における問題の先送りに繫がっている。

 競争に耐えうる技術、製品を作り出し、それを多くの顧客に知らしめ買っていただく過程で、ささやかと思える気配りのできる人材が多い会社が伸びる。それには、品質管理活動を通じた教育に拠るところが大きい。





*15)司馬遼太郎「坂の上の雲」より。文藝春秋/昭和44年4月第一刷。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

企業経営と品質管理(第7回)

2011年01月19日 | Weblog
方針管理再考

 私が勤務した会社が本格的に方針管理*14)を導入したのは、90年代半ばではなかったかと思う。曖昧な言い方であるが、当時管理職ではあったが末席にあり、全社的な方針に精通していたわけではないし、記憶も曖昧である。ただ、本社で専門家を招いての「方針管理セミナー」が開催されるというので、上司の指示で当時霞が関ビルにあった本社に出かけた。社長以下重役から本社部長クラスの面々に混ざってコンサルタントの話を聴いたことは確かである。

 その時の資料は残っていないが、記憶を辿ると、コンサルタント氏がやたらと詳細な方針管理の実績他社事例を示し、「これが公表されているということは、当該企業はさらに進んだやり方をやっている筈です。」のように話していたのが印象に残っている。私が勤務した会社が、工場の小集団活動などを通じてやって来た品質管理活動(TQC活動)を、経営と融合させたセミナーであった。

 その後、職場のリーダーとして毎年方針管理手法に基づいて、職場の重点課題を決め、目標設定して目標達成のための方策を掲げ実行した。さらに毎週定期に開催される所内幹部会で進捗を報告しチェックされた。すなわちPDCAの実践である。取締役である所長以下所内幹部も、それらの経営管理手法がTQC活動から生まれた実は品質管理手法であることなど意識することなく実践していた。

 先に戦略論を述べた。企業戦略はそれが思惑通り嵌まってこそ意味がある。そのためには時代を見据えた戦略構想が勿論重要であるが、それを実現するためにはそのための具体的な方策が欠かせない。そのために中長期経営計画があり、方針管理があり、日常管理がある。

 経営計画書については、その策定が創業支援、再生支援はたまた経営革新支援などに求められるため、経営コンサルタントの多くがそのスキルとして誇示している。売上をこのくらいにして、利益と新たな投資を見込みキャッシュフローを確認し、運転資金がショートしそうなこの期にはこの程度の借入金が必要だとか云々。鉛筆舐めなめ作ってみても所詮は机上の空論である。それを現場に下ろして方針管理として定着させて意味がある。品質管理を学んでいないとそこが抜ける。
 



*14)方針管理については本HPエッセー平成22年3月7日の「品質保証再考第12回」に解説している。参照されたい。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

企業経営と品質管理(第6回)

2011年01月16日 | Weblog
戦略論

 「戦略」という言葉が頻繁に使われるようになった90年代に「戦略とは」という解釈について、よく俎上(そじょう)にのぼったように思う。よく意味が解らずに、いろんな所でただ「戦略」という言葉を使っていると思われた節があったためであろうと思う。

 最近でさえ、先の尖閣の中国漁船衝突事件の際に、菅首相が繰り返していた中国との「戦略的互恵関係」という言葉さえ、使っている本人も何も分かってはいないようだし、国民にはなおのこと、何が言いたいのか分からなかったのではないか。そもそも戦略的などという言葉は同盟国間で使う言葉で、中国との間にそんな関係が成立するわけもなかろうに。

 戦後のわが国は敗戦で荒廃した国土から、80年代には「Japan as No.1」と言われるまでの経済大国になったことで、短期間に「生産志向」から(「製品志向」)、「販売志向」、「顧客志向」を経て「社会志向」というようなマーケティングコンセプトの変遷を体現した。このマーケティングコンセプトの変遷は、すでに過去に書いた記憶があるけれど、「性能志向」→「信頼性志向」→「安全志向」→「サービス志向」→「省エネ志向」→「衛生・健康志向」→「地球・環境志向」と品質に付加価値を加えてきた品質管理コンセプトの変遷と重なる。

 その過程で、作れば売れる時代、すなわち企業に表立った「戦略」などというものを意識しなくても済んだ時代から、国内企業の生産体制の充実に加えて、80年代に始まった急速な円高、さらにIT化、グローバル化の進展の中で、わが国の企業にも明確な「戦略」が求められる時代になった。

 「経営戦略」、「マーケティング戦略」、「人事戦略」、「多角化戦略」など、経営本には多くの戦略論が並べられているけれど、要は経営者が自社の経営にどうのように取り組むか、どう取り組んでいるかであり、その取り組み方に経営者の将来に向けた深い洞察があるか否かで、戦略的であるか否かが決まる。

 「国家戦略」などの言葉もよく耳にするけれど、知れた話で、米国などの開発途上国への物資の援助が、ただの人道的なものだけでなく、今は貧しい国の国民も、少し豊かになれば肉を食べるようになる。農業国の米国からすれば、家畜の餌である穀物の輸出先が増えるのである。そのようにしっかりと将来の利を見越した行動を「戦略的」という。「戦略」とは、組織の強みを生かせる機会を創出してゆける行動ともいえる。ドラッカー氏が「企業の目的は利益をあげることでなく顧客の創造である」*13)と述べたことにも通じる。
 
 しかし、品質管理の世界に「戦略」とか「戦略的」などの言葉は見かけない。企業活動にあって、品質管理はそのもの自体が戦略であり、戦術であるからであろう。ウェルチ氏のGE社が徹底した事業の売却と買収すなわちドラスティックなM&Aによって企業を成長させた果てに、品質管理に還り着いたごとくにである。愚直に、一途に進む道を見出した時、戦略はすでに不要のことにさえ思えるものではないか。






*13) 1952年の著作「現代の経営」の中で述べた。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

企業経営と品質管理(第5回)

2011年01月13日 | Weblog
人事管理と品質管理

 人事の問題と品質管理には関係性が薄いと考えがちである。例えば企業の人事担当者が品質管理にも詳しいということはあまり聞かない。その逆もしかりであろう。確かに直接製品の品質管理を人事担当者が行うことはない。しかし、品質管理が企業の中の当該担当部署だけで行うものでないことは、TQC(全社的品質管理=TQM)で散々聞いているごとく、人事管理も人事部や人事課だけで行うものではない。例えば各職場における上司の部下への日頃の人事評価だって立派な人事管理である。

 上司が部下を評価するのは、日頃の上司への反抗的な態度または逆に協力的な行動も含めることもあろうが、通常部下の仕事の出来栄え、すなわち仕事の品質について評価する。すなわち人事管理も品質管理であると考えられるのである。

 人とモノを同様に論じるなという意見もあろうが、サービス業にあってはサービスこそが商品・製品そのものであるし、別に従業員の人格を取り上げて管理するのではない。仕事に対するパフォーマンスを評価管理するのである。不満たらだら仕事をしながらいい品質の製品が作れるわけがないから、人事管理は、すなわち品質管理そのものとなる。サービス業に特徴的に語られる「顧客満足は、まず従業員満足から」は、モノづくりにおいても成り立つのである。

 前稿で「マーケティングと品質管理」について述べたけれど、人事管理もマーケティングとの繋がりが深い。急に話が横道に逸れるけれど、先ごろ中小企業診断士平成22年度2次試験結果*11)が公表された。この中小企業診断士2次試験は、診断及び助言に関する実務の事例Ⅰ「組織・人事」、同事例Ⅱ「マーケティング」、同事例Ⅲ「生産・技術」、同事例Ⅳ「財務・会計」の4科目で、それぞれ与件文と設問で構成されている。与件文の情報を基に設問にすべて自筆で答えることになる。ここで、売上向上の方策が事例Ⅱ「マーケティング」だけでなく、事例Ⅰ「組織・人事」でも問われることがある。事例Ⅰでの売上向上策は、勿論与件文の内容と設問文の誘導ヒントにもよるが、組織や人事制度を改善し充実するとの答えになることが多い。マーケティングはすなわち4P*12)だけではないのである。

 友達の友達は友達ではないが、マーケと品管、組織・人事とマーケの関連性から推しても人事管理と品質管理は結びつく。このように品質管理は経営の根幹に深く関与する管理手法といえるのである。





*11)(社)中小企業診断協会平成23年1月6日発表。平成22年度中小企業診断士2次筆記試験の受験者は4,736名で、最終合格者は925名。合格率は19.5%。合格者の最年長は74歳。久しく70歳代の合格者は居なかったので快挙といえる。50歳代の合格率が12.9%、60歳代では7.2%。すなわち高齢者に厳しい試験である。因みに1次試験の受験者数は15,922名。合格者は2,533名。合格率15.9%。2次試験は1次試験合格年と次年度の2回チャンスがあるため、1次試験合格者数の倍近くが2次試験を受験する。1,2次のストレート合格確率は3.1%。単年度の合格率は5.8%であった。近年最終合格者数は増加しているが、受験者数が毎年増加しており、一次試験の科目合格制導入の緩和策もあるものの、合格率からみる難易度は向上しているようだ。
*12)Product、Price、Place、Promotion。すなわち、製品、価格、流通、宣伝の4つがマーケティングの四大要素である。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

企業経営と品質管理(第4回)

2011年01月10日 | Weblog
マーケティングと品質管理

 改善だ、コスト低減とか言われるけれど、やれることは大抵やっている。兎に角、売れないことが問題。わが社の製品の品質はいいんです。でも安い海外品や量産品には価格競争で負けてどうしようもない。そんな嘆きが多く聞こえる。「品質管理を勉強したら売り方が上手になりますか」、そんな質問を直接受けたことはないが、私のこのエッセーの読者からは、そんな声があがりそうな気がする。

 結論から言えば、基礎的な経営理論を学んだ上で、品質管理の考え方をしっかりと身につければ、マーケティングにも強くなる。但し、が付く。同じ製品、商品が永遠に売れ続けることはあり得ない。プロダクトライフサイクル*9)という理論があって、長短の違いはあるが製品にも寿命がある。1次産業の産物や3次産業のサービスは多少の形は変えても生き続けるものも多いが、工業製品ではそうはゆかない。

 私たちが生まれて現在に至るわずか半世紀余りの間に、どれだけの商品が淘汰されたか。テレビだって、そのものは当分なくならないと思うけれど、ブラウン管テレビは液晶、プラズマテレビの普及が始まるとあっという間に姿を消した。カメラだって、今やフィルム現像タイプは一部のマニアしか使わない。ガスコンロの普及で家庭から姿を消した七輪は、居酒屋などで一部使われるにすぎない。自動車だって、ハイブリッドから電気自動車の時代になる。ガソリンエンジンにしか使わない部品の需要は、どこかで急減する。

 要するに、十年一日同じことをしていては企業は持たない。技術は日々進歩し、市場環境は変化し続けているからである。世の中に要らなくなってゆく製品の拡販を、と言われても困る。しかし、技術の水平展開は可能で新製品の開発は無限である。また、品質管理は顧客第一をモットーにしている。常にお客さまと向き合っておれば、自然と売れる商品の開発に目が向く筈である。

さらに大手量販店の進出や途上国からの安値攻勢への対処も顧客第一の視点しかない。量販店の出来ないことは何か。海外安値製品と差別化する方法はないか。「すべてはお客さまのために」というポリシーがあれば、方策は自ずと見出せる筈である。しかし力を尽くしたとしても、品質は同等となり、価格でサービスでも太刀打ちできない汎用の製品・商品であるなら撤退するしかない。ある事業またはある製品・商品からの撤退も一つの立派な経営戦略である。

 基本的な経営理論のひとつに「PPM」*10がある。プロダクトポートフォリオマネジメントといって、自社の製品群をその市場占有率と市場成長率のマトリックスの中に、「金のなる木」、「花形」、「問題児」および「負け犬」の4つの領分に区分して示し、今後の投資配分や育成か撤退かなどを検討する手法である。商品(事業)間のシナジーが考慮されていないなど、問題はあるが、一度このような手法で自社の製品・商品を眺めてみるのも有効である。

 さらに、品質管理の中には、マーケティングに必要な「市場調査」や「顧客価値創造手法」、「顧客関係性管理」、製品開発に有効な「品質機能展開」などの理論が散りばめられている。要は経営者のやる気次第ではあるけれど、品質管理はいかに売るかにも大きなヒントを与えてくれる筈である。






*9)Product Life Cycle:製品が企画に始まり開発されて市場に出て大いに活用され、その後世の中に必要とされなくなって消えてゆくまでの生命周期。開発期、導入期、成長期、成熟期、衰退期と進み、その長さは製品によって異なるが同様の軌跡を辿ることが多い。
*10)Product Portfolio Management:ボストン・コンサルティング・グループによって開発された戦略策定支援ツール。企業が多角化により複数の事業を展開するとき、それぞれの事業の評価によって各事業への資源配分を決定するときに利用するもの。小規模企業にあっては、それぞれの製品・商品を各事業に見立てて摸すことが出来ると思う。因みに「金のなる木」とは、すでに市場の成長は頭打ちであるが、自社の市場占有率が高く、儲け頭の事業(または製品・商品)。「花形」は、市場が急成長している事業(または製品・商品)で、市場の中での自社の地位も高い。但し、未だ売上高は少なく、十分なキャッシュは生み出していない。「問題児」は、急成長している市場ながら自社が遅れをとっている事業(または製品・商品)。「負け犬」とは、すでに市場は縮小しており、その中でも自社の市場占有率が低い事業(または製品・商品)。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

企業経営と品質管理(第3回)

2011年01月07日 | Weblog
品質管理活動と企業

 例えば米国ジャック・ウェルチ氏当時のGE社が、携帯電話のモトローラ社で開発された「シックスシグマ」に触発されて品質管理に注力したのはなぜか。偏に不良品を作る膨大な負のコストに着目し、そのことをウェルチ氏が実感として認識したからである。『モトローラがシックスシグマを開発してその取り組みの過程で製品不良の数を減らし、4シグマを5.5シグマにした。それによって稼ぎだした金額は22億ドルにもなった。』*3)という事実を真近に見てのことである。さらに品質が向上すれば売上も上がる。

 言われてみれば当然のことも、意外と盲点になっていることは多い。企業の好業績が当該企業の提供する優れた品質の製品、サービスによることは必然であるが、業績の悪い企業に限って、行政や景気の所為にする。もっともいくら良い製品を作っていてもマーケティング力が劣れば、それほど売れない場合も多いし、売上が景気に大きく左右される製品もあるのだけれど、企業の優劣の基本はやっぱり商品力でありすなわち品質である。そのことが忘れられることが多い。

 90年代中半に始まったGE社の「シックスシグマ」への取り組みは凄まじいいと思われるものがあったけれど、その後10年くらいで、今度はトヨタ生産方式を徹底して学び取り込んだ。「シックスシグマ」も取り組みをシンプル化させて「リーン・シックスシグマ」*4)活動とした。「シックスシグマ」以前にもGE社は「ワークアウト」*5)活動を展開していた。何年周期と言う訳ではないだろうが、一つの活動が定着するまで徹底し、次の活動に繋げる姿勢は素晴らしいと思う。

 GE社ほどの超の付く大企業だからできるということもあろうが、お金がないなら無いなりに活動はできる。経営者のやる気次第であり、すべて従業員を乗せることができるかに成否は掛かっている。

 ある期間の活動によって、それらの形式知*6)は従業員それぞれの中に暗黙知*7)として蓄積する。同じ活動を何年も続けるとマンネリにもなって活動は停滞する。しかし、その時点で活動のエキスは社員に浸透して定着していることが多い。TQCもISO9000も「シックスシグマ」もしかりである。しかし、人材は常に入れ替わってゆく。そのままでは個人や組織に蓄積された暗黙知が次世代に受け継がれてゆかない。暗黙知を再び形式知に戻して次世代に伝承してゆく必要がある。すなわち常に何らかの改善活動(=品質管理活動)を続けないと、気が付いた時にはリーダー層にその考え方が育っていないことになる。いつの間にか製品品質は低下し、企業は競争力を失い脱落してゆく。

 TQCや小集団活動は、すでに使い古した昔の手法で、ここまで情報化やグローバル化の進んだ世の中では時代遅れとの想いもあるかもしれないが、それらをヒントにそれぞれの企業で、自社に合った時代に適ったやり方で展開すればいい。身近な小さな改善であっても積み重ねることで大きな力になり得る。常に企業はコスト低減と品質による差別化によって、競争力を向上させゴーイングコンサーン*8)でなければならないのである。




*3)ロバート・スレーター著、宮本喜一訳「ウェルチ-GEを最強企業に変えた伝説のCEO-」日経BP社1999年刊から引用
*4)Lean Six Sigma(リーン=無駄を削いだシックスシグマ活動。基本ステップであるDMAICの高速化。分かりやすく言えば、初めから分かり切った部分まで、データを取って論証する必要はなく、問題が把握できれば、効果の出るところから順次改善してゆく手法)
*5)Workout(チームでまたは個人で、現在行っている業務が真に必要なものかを検証し、要らない業務を止めることで、業績改善につなげる手法)
*6) 文章、図表や数式などによって説明・表現できる知識。
*7)知識の中の言葉や文章で表現し難い部分。たとえばマニュアルなどの形式知から学んだとしても、個人にその知識や技能が取り込まれた場合に、自分なりの言い得ぬKnow Howが付加される部分。
*8)継続企業。将来に亘って無期限に事業を継続し、清算や廃業をしないという企業の社会的責任の在り方をいう。固定資産の取得原価主義、減価償却制度や繰延税金資産の計上など会計制度の多くが継続企業を前提としている。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

企業経営と品質管理(第2回)

2011年01月04日 | Weblog
経営の知識

 企業経営について書こうと思っていた矢先、新聞の広告欄に「マネジメント信仰が会社を滅ぼす」*1)という本があるのを見つけた。『もしドラ』に振り回されるな!という添え書きが付いているところをみると、「もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの『マネジメント』を読んだら」という本が爆発的に売れた反証本ともとれ、一種の流行便乗本の類ともとれるが、本の要約コピーから推して一面の真理を突いた内容ではないかと思う。

 品質管理の世界でもTQC(全社的品質管理)全盛の1980年代には、「TQCは会社をつぶす」的な表題本があったように思う。経営理論もTQCも正しく学べば必ず自社の経営に良きヒントを与えてくれる。会社を滅ぼすものではけっしてないことは誰しも知っている。しかし、TQCにしてもISO9000にしても、その運用方法を誤ると問題が出るのは当然である。よく効く薬は副作用の危険も大きい。過度ののめり込みには確かに注意が必要である。

 12月29日の日本経済新聞の1面コラム「春秋」に、歌謡曲を事例にネーミングの重要性が語られていた*2)けれど、『もしドラ』など、まさにネーミングで売れた本の代表格になるのではないか。勿論内容も良かったものと思うけれど、経営本と女子高生の表紙の組み合わせには妙がある。いくら良いことが書かれている本も、読まれなければ仕方がないところもある。ドラッカーの「マネジメント」思想の普及に貢献しているのではないか。

 先に品質管理は、企業経営全般に通じる管理手法であると述べたけれど、組織・人事、マーケティング、運営管理、財務・会計そしてITや法律の知識など企業経営に必要とされる専門知識のうち、特に財務・会計の基本的な知識は重要で、「品質管理」ではカバーできない。起業には資金が必要であり、企業は利潤を追求するものであり、資金繰りがつかなくなると倒産するからである。

 しかし、少なくとも私共の世代では、教養としても財務や会計のことを学校では習わなかった。だから大学を出た技術者も財務・会計には疎い人が多いと思う。そこで、企業経営やコンサルタントを目指す人は、まず財務・会計の知識の習得に努めることが多い。

 ただ、財務・会計を学ぶことや経営戦略等を学ぶだけでは、経営を維持発展させてゆくことは難しい。例えば決算書等の財務諸表は企業活動の結果であり、経営状態がいいか悪いか、どこが悪いかくらいまでは示してくれるが、どうすれば良くなるかは教えてくれない。決算書には現れにくい財務上の不具合もあったりする。また、経営理論は日々の問題解決には貢献しない。企業活動には常に改善改革が必要であり、そのためには「品質管理」の知識が不可欠となるのである。



*1)深田和範著、新潮新書12月新刊
*2)1972年山本リンダさんが歌ってヒットした「どうにもとまらない」の初めにつけた曲名は「恋のカーニバル」。それでは「ブームになることもなかった」と作詞の阿久悠さん。当時「日本列島改造論」の田中角栄内閣が誕生し、不動産や株価が高騰し「どうにもとまらない」世相を捉えたネーミングが大ヒットを支えたという。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

企業経営と品質管理(第1回)

2011年01月01日 | Weblog
はじめに

 企業経営の中で「品質管理」というと、一般にはオペレーションマネージンメントの一部としか捉えられていない。すなわち製造業における生産管理の中の一分野である。しかし、言葉の意義には狭義と広義という捉え方があって、広義にいえば品質管理は企業経営、さらには我々の社会生活の営み全般に通じる管理手法である。これからしばらく品質管理の視点から企業経営を見つめ直してみようと思う。

 今回余談になる。例えばもう一昨年のことだけれど、先の政権交代を国民の多くが大きな期待をこめて祝福していた。一般の国民ばかりか、政治ジャーナリストや大学教授のような専門家筋の方々までがそうであった。そしてその後、そのうちの多くの人たちが全く期待外れだったと嘆いている。

 私など初めから民主党政権への交代など絶対ダメだと言い続けていた。勿論同様に考えていた人々も国民の2割くらいは居たと思う。しかし、何で専門家の方々までが騙されるのか。それは以前にも書いたけれど、インテリ層にありがちな情報を吟味せず、都合よく解釈して自分は有能だからという秘かなうぬぼれが出る。裸の王様に収まる。「政権交代」などの単なる掛け声が、錦の御旗に見えてしまう。それは残念ながら「品質管理」を学んでいないからである。

 現代は過多と思われるほど情報が溢れている。品質管理手法は、いろんなデータ、すなわち情報を可能な範囲で整理整頓するところから始める。このプロセスを外すことはない。だから判断できる範疇において間違いが少なくなる。

 民主党の代議士のルーツを辿るだけで、問題が大き過ぎることがわかる。元の社会党や民社党、鳩山氏や岡田氏のような自民党出身者、こちらも元自民党だけれど、いろんな党を作っては壊して渡り歩いた小沢氏一派、そして市民活動家に松下政経塾出身者等々。みごとなまでにごった煮である。それは一企業の当該理念の下に集う人材の多様性とは全く異なるものだ。どこにも理念や信条の共通点のない集団に、国家の運営を出来るわけがない。一時でも任せられると思う方がどうかしていると私には思えた。唯一旗印は反自民と政権交代だけだった。

 また、政治家として大切な基本は、国家観であり、国を愛する気持ちである。日の丸にバツ印を付けてデモに参加していたような人間が、この国の政権与党にあってはけっしてならないのである。

 政治は国民に共通する話題で分かりやすいと思って喩にあげた。情報を整理し、分別し検証すれば、風潮に流されることなく本質が見えて来る筈だ。その習慣を身に付けるためには「品質管理」を学ぶことなのである。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする