中小企業診断士 泉台経営コンサルタント事務所 ブログ

経営のこと、政治のこと、社会のこと、趣味のこと、人生のこと

品質問題に思う 第9回

2018年02月25日 | ブログ
オリンピックの品質

 平昌冬季オリンピックも本日閉会式。当初寒さなどから最悪の五輪ではとまで酷評されていたが、テレビで観る分には影響なく、テロとか大きなトラブルもなかったようで良かったのではないか。もっともオリンピックはアスリートファーストがその品質の目安であるべきで、平昌という土地、寒さと強風に晒されたジャンプ台などの施設が競技する者に最適であったかどうか疑問視する声はあった。

 加えて開会式から南北朝鮮の友好を強調するあまり、統一旗から即席の女子のアイスホッケー合同チーム、金正恩委員長の妹金与正氏の初めての訪韓、管弦楽団に美女応援団など、政治色の強いオリンピックの始まりでもあった。合同チームなど韓国内の世論も二分していたようだ。

 しかし、もともと同じ民族なのだから仲よくすることは当然で、このような平和の祭典だけでも一緒に行動することは大いにいいことである。「櫂より始めよ」である。日米が北朝鮮の核開発やミサイル開発を阻止するために経済封鎖を行っても、同じ民族同士に日米と同じ価値観を望むことは無理がある。さらに韓国の大統領文在寅(ムン・ジェイン)氏にすれば、北朝鮮ではなく日本こそが敵国である雰囲気だ。

 ただ、現実問題として南北友好の次を考えると相当な困難がありそうだ。韓国が北朝鮮の金独裁政権に組み込まれるわけにはゆかず。さりとて、韓国が北朝鮮を抱え込む場合、お隣の中国が黙っているとは思いにくいし、韓国には相当の経済的負担がのしかかるであろう。

 政治の話は置いて、男子フィギア羽生結弦選手のSPに始まり、わが国でも俄然オリンピックが盛り上がりを見せた。素晴らしい演技はスポーツと言うより高度な芸術である。続く女子スピードスケート500m小平選手の金メダルも見事だった。韓国選手の五輪3連覇を阻止し、オリンピック新記録での申し分ない勝利だった。

 オリンピックの品質とは、まさにアスリートの技の見事さにある。これぞ世界一。スピードスケートの女子団体パシュート3人組の見事な滑りはまさに氷上の芸術であった。こちらも強豪オランダを破るオリンピックレコードで金メダル。日本のメダル獲得数も長野大会を抜いた。

 政治と商業主義に翻弄される一面もなくはないオリンピック。審判の不正や選手のドーピングもこのオリンピックでも聞かれた。それらのマイナス面を補って余りある選手の品質の高い技。助け合う同僚、ライバルとの民族を国境をも越えた友情。

 この夢の世界を次は酷暑の東京で観ることになる。何で最も暑い時期にオリンピックをやるのかといえば、スポンサーに配慮せざるを得ないマネーファースト商業主義に行き着く。しかし、選手たちのひた向きなその競技に向ける情熱は、金と権力に汚れた連中さえも浄化するように思える。




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品質問題に思う 第8回

2018年02月22日 | ブログ
サービスと押し売りの狭間

 リホーム業、車の修理業者等にみる無料点検(無料の屋根や床下点検または依頼作業周辺点検など)による修理や部品等の交換督促、またはデパートや専門店などで遭遇する店員の付き纏い。多くの場合、サービスに名を借りた押し売りの気配が濃厚である。

 接客術とか云われ、営業トークで客を籠絡させて商品を売る、早めのパーツ交換をさせる。その時は成功したと思っても、後から客にうまく買わされた、早めに交換させられたなどの印象を持たれると逆効果で、客は二度とその店には行きたくなくなる懸念もある。ということで、積極的な督促を自粛する店もあるが、従業員を販売ノルマや売り上げの歩合制などで縛っておれば、自粛とは言えない。もっとも「親切」と「大きなお世話」の区別は一般の社会生活でも難しい。安全を担保するための早めのメンテナンスは、車やマイホームには有効ではあるが、一般の客にとってはその有効性と支払うべきコストのバランス判断が難しい場合が多い。

 高齢者が益々増えて、高齢者の単身世帯が増加すると、特殊詐欺紛いの怪しい訪問販売や通信販売が増える。銀行なども投資信託などの商品を、そのリスクを十分理解させないまま老人に購入させ、元金を取り崩す形で月々の配当を行って儲けを偽装するなどの詐欺まがいの商法がまかり通っていることもあるようだ。

 客にとって必要でもない商品を営業トークで売りつけて、売った側は良心の呵責に苛まれないのか。勿論、買った側は商品よりも一人身の老人に関心を持ってくれたことを喜んで買ったに過ぎず、魂胆の営業トークも了解済みという場合もあろう。

 病院などの人間ドック後の精密検査誘導にも疑問がある場合があった。高い検査料を取った挙句、解析度が不十分でよく分かりませんでしたが結論。

 これらの事例はサービス品質問題であり、詐欺は言うまでもなく犯罪だけれど、そのグレーンゾーンを商売にしている趣がある。いずれにしても客への十分な説明と客の十分な理解と納得が必要である。

 説明責任は、政治の世界にも常に言われる。国家は財政難(赤字国債発行残額865兆円)でありながら、自由民主党は教育の無償化を努力目標としたらしい。少子化で行き詰まる私立の高校・大学法人の将来的な救済手段でしかありはしない。安倍政権下の自民党は、国民の歓心を買うために財政の裏付けの無い総花的な政策を進めようとした前の民主党に段々と似てきた。それは真に国民のため、国家のためと言うより、自分たちが議員であり、権力を維持し続けるための刹那的な政策である。

 旅館やホテルの「おもてなし」も見直しを言われることもあるようだ。本当に客の心に響く「おもてなし」とは何なのか。それは残しつつ、過剰なサービスは切り捨てることは客にとってもいいことだ。わが国の「おもてなし」とは伝統に裏打ちされた高度で雅な礼儀作法、相手に対する心からの思いやりであり、サービス業の接客には有効なスキルだ。とって付けた儀礼的な「おもてなし」ならロボットで十分と、「変なホテル」が好評だったりする。




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品質問題に思う 第7回

2018年02月19日 | ブログ
罪と罰

 品質問題をトップの責任と切り捨てることは容易いが、再発防止としてトップに品質意識を植え付ける方策は難しい。企業活動で生じるさまざまな問題に代表取締役社長とかCEOと呼ばれる経営者、すなわち「トップ」はどこまでの責任があるかを明確にして、常に相応の責任を取って貰う。すなわち罰を与える必要もある。しかし、その罪に相応しい責任の取り方、罰の程度はというと難しい。

 品質問題と言えるかどうかは兎も角、この度発覚したリニア新幹線関連工事の入札に関して大手ゼネコン4社が東京地検特捜部の捜査が入り、これを受けて大林組の社長は引責辞任する(3月末退任)そうだ。社長の関与が明確であったのかどうか。もっとも2007年から社長を勤めていたそうですでに70歳。同じ年齢のわれわれ団塊世代の先頭集団が60歳で定年していたことを思えば、十二分働いたわけで、恐らく億単位の退職金もあろうし、辞めたことが罰となったかどうか怪しい。本人は罪を犯した認識もなかろうから、あるとすれば世間体くらいのものだけれど、これにもほとんど意識はなかろうから、やっぱり相応の罰には当たらない。

 何かあれば、社長が辞めれば済む事であれば、バレるまで好き放題やった企業勝ちの世の中になる。もっともリニア談合では、独占禁止法違反で企業への罰金刑5億円というのもあるらしい。しかし今回執行されるかどうかは不透明。さらに関係4社は当面、公共工事から閉め出される恐れはある。しかし、こちらはリニア関係工事の60%はまだどこがやるのか決まっていないようで、今後受注する能力がある企業がゼネコン4社以外にあるのかも疑問だそうで、軽々にゼネコン4社を排斥もできないようだ。

 品質問題やコンプライアンス違反、業績の低迷、何があっても大企業は簡単に倒産させるわけにはゆかない。従業員はじめ関係者が多く、社会に与える影響が多大だ。いざとなれば税金で救済などもよくある手だ。

 一方、飲食店など中毒事件を起こせば即営業停止で、ユッケの死亡事件の焼肉チェーン店は倒産したようだ。JT子会社で中国での農薬入りギョーザ事件を起こした会社は、親会社が優良企業であったことで、その後徹底した品質管理投資を行ったようだが、小さな会社ではなかなかそうも行かない。

 この度の日産やスバルの無資格者の完成検査問題は、どのような処罰となったかは知らない。また神戸製鋼所、三菱マテリアルや東レの子会社での検査データ改ざんの処罰はどうなったのか。単に顧客への何らかの補償で終わったのか。世間一般人にはほとんど直接の被害が及ばないため、話題的にも後を引かない事件だ。

 2009年の花王エコナ事件では、現実の健康被害など無いにも関わらず、風評被害で200億円売り上げの製品群を市場から引き揚げざるを得なくなった。そんな罪なく罰を受けた企業もある。

 信賞必罰。罪と罰。不具合があっても一時的に騒ぐだけでは歯止めが掛からない。納得のゆく再発防止策が望まれる。




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品質問題に思う 第6回

2018年02月16日 | ブログ
品質を支える伝統と民度

 日本に限らないと思うけれど、世界各地で、日本の片隅で伝統工芸等の職人が僅かながら生き残って、昔ながらの技を伝える。また金属加工をはじめとして、中小企業の職人技でしか対応できない部品、製品があり、いまなお存在感を放っているものも多い。

 それらの職人技は、高度な熟練と効率化のために手抜きをしないことで支えられており、確信犯的な品質問題を起こすことはない。職人のプライドが許さないのだ。

 戦後の高度経済成長期に確立した「メイドイン・ジャパン」ブランドはまさにこれら伝統の職人技に根ざすものだ。加えて、国民の民度の高さにある。

 武家の伝統、商人の心得。それらの良い習慣は、明治政府の施した教育制度と相まって四民平等で庶民に普及した。この国には、本来儲けよりも「品格」、「プライド」を重んじる風潮があった。恥の文化があった。

 現代において、いかに経済大国と言われ、IT大国と胸を張っても、その民度において大幅に劣る国は、多くの分野で成功を収めることはできない。子供の頃から家庭で礼儀作法や衛生習慣を躾けられていない民族は、企業の品質教育は何倍ものエネルギーを要する。

 一方わが国では、70年代、80年代の成功体験に胡坐を搔いて、「うさぎの昼寝」よろしく教育界は「ゆとり教育」、企業は人件費の変動費化と人材の育成に手抜きを図る。経済一辺倒で発言力を高めた政治家や官僚、実業家の中に物事の本質を理解しない不届き者が増えて、折角の良い習慣が怪しいことになっているのだ。

 昨年のわが国は、貿易収支の黒字幅が戻って来たことに加え、海外投資のリターン(所得収支)も多くなり経常収支は非常に好調である。しかし、国民生活への恩恵はどうもあまり行き届いていない。国民一人当たりの所得はバブル崩壊後ほとんど伸びていない。サラリーマンの厚生年金や健康保険に介護保険が加わり、可処分所得は却って減少しているのではないか。健康保険や介護保険など国民のためのようで、今叫ばれている教育の無償化と同様、事業者のための制度の側面がある。だから一般の物価は上がらないのに保険料は増える。本当に老人が増えているから仕方がないのかどうか。

 企業の利益額は多いのに給料は上がらず、内部留保だけが増える現実。一部には働き過ぎの過労死もある現実。ブラック企業、特殊詐欺など世間で大きな問題になりながら、国は本気で取り締りを行っているように見えない。一強の安定政権の負の部分が、森加計の忖度問題程度にすり替えられ、大企業の品質問題も真に責任が追及されない。

 江戸時代からのわが国の良き伝統が、つまらないリーダー層の安逸で失われないことを願うこの頃である。



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品質問題に思う 第5回

2018年02月13日 | ブログ
雇用形態が生む問題

 われわれ団塊世代が若かりし頃よく聞いた話。「欧米は階層社会で、現場作業員は上司の言われることだけを忠実にやることしか求められない。一方、日本ではQCサークル活動に代表されるように、末端の社員であっても自分のアイディアが仕事に活かせ、その総合力で欧米企業を凌駕してきた」というものがあった。

 研究業務などにおいても、欧米では考える人から実験する者、その片づけをする者と階層別に所掌範囲の仕事だけをやるシステムだったようだ。われわれの研究所においては、高卒の研究補助者が発明発見をすることもあった。成功した研究室では、補助者が実験条件の設定から行う場合も多々あったのだ。本来、補助者は実験者であり、実験条件の設定は大学出の研究者の仕事で、その実験条件の設定に忠実に実験を行い結果を報告するのが補助者の立場だったにも関わらずである。

 補助者が実験条件の設定まで行うような仕事のやり方を黙認しながらも、それほど好意的に見ていなかった上司も居た。組織としてまとめてゆくのは大変であり、学歴による差別の意識もあったと思う。ただ、ターゲット領域を見定めるのは確かに研究者の仕事だけれど、その領域をどのように攻めるかは皆で考えた方が効率的だし、職場全体として盛り上がる。言われたことだけをやるのと、自分で考えたことをやるのでは、モチベーションは全く異なる。

 そして、当時は研究者、補助者という区分はあってもみんな正社員だった。頑張って会社が利益を上げれば、ボーナスも賃上げもそれなりには増えた。少なくとも同じ会社の従業員という連帯感や一体感があった。

 ところが、その後は社内の部門ごと別会社にして、プロパー社員は本体の社員より低い給与体系で働かせるようになり、さらに可能な限りパート・アルバイトで業務を賄うようになった。派遣社員という言葉が流行り、本社の女性社員などから正社員にとって代わった。

 確かにパート・アルバイトで十分な仕事はあり、難しいことを言われ、責任を負わされるより、単純作業を望む人も居る。主婦の勤務時間を限定した働き方や高齢者の小遣い稼ぎ的な労働もあって悪くはない。

 しかし、次代を背負うべき若年層にそのような働き方をさせるべきではない。苦労してでも難しい仕事にも挑戦し、成果を出して成長してゆく義務がある。会社の中で皆と一体となってその発展に貢献する義務がある。

 非正規社員の多くなった職場で、真の品質管理が行えるとは思いにくい。人間は感情の動物である。同じように働いているように見えても、非正規社員が正社員と同様の満足度を持っているとは考えにくい。従業員満足のない所に真の品質管理はない。

 自衛隊を憲法に明記すると言って、戦力は保持しない、交戦権はこれを認めないままでは、自衛隊員は戦力ではないことになる。いざ侵略を受けた時、そんな位置づけの自衛官が命を賭してもこの国を守ろうと思うだろうか。単なる加憲の憲法改正ならやらないほうがましだ。自衛官のプライドを損なうだけのように思う。

 そういうことに思いを馳せない政治家が多くなった昨今、企業の品質問題も絶えない。






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品質問題に思う 第4回

2018年02月10日 | ブログ
品質軽視の風潮

 企業活動において何が一番大切か。安全第一。これは企業活動の前提である。品質第一。これこそ企業における収益性の源泉なのである。TQC(総合的品質管理:TQMの前身)全盛の頃、よく聞いた訓戒に「従業員のみなさん、あなたは給料を誰から貰っているのでしょうか、上司からでしょうか、社長さんからでしょうか。いいえ、あなたの勤める会社の製品・サービスを買って下さるお客様からいただいているのですよ」というのがあった。

 最近の品質軽視の風潮は、これを忘れているのであろう。儲け第一、効率第一、株価第一、後に続くものとして、取ってつけたように、ガバナンスを高め、地球環境にやさしく社会に貢献する。しかし、品質軽視は当社が何をもって社会に貢献するかを忘れ去っている姿だ。

 昨秋以来大騒動の大相撲界の問題も関係者の多くがこの認識を欠いていることに尽きる。

 さらに、公益財団法人でありながら、林文科相が一言二言注意を促したくらいで実質何の御咎めもない。安倍政権の緩みの一端である。初場所では陛下のご観戦は取りやめになった。協会側からの辞退と言う報道がされているが、宮内庁からの申し入れと言う説もあった。どちらでもいいが、そういう事態であった。しかし、理事長はじめ幹部はまっとうな責任を取らず、暴行傷害被害者側の親方のみ罷免した。国会も公益法人継続に黙認の体だ。

 初場所、連日満員御礼で、これに気を良くしたか、主だった協会幹部はそのまま理事に納まり続けている。しかし、日馬富士は初めから居らず、白鵬、稀勢の里も序盤から休場の場所。要はすでに白鵬や日馬富士は客寄せの目玉スターでも何でもなかったのだ。それでも現、理事長は白鵬を頂点とするモンゴル勢に気兼ねしているのか、彼らの存在に旨味があるのか随分とご執着の雰囲気である。

 今の相撲人気は、一部のスター力士の存在ではなく、八百長が問題になった頃と比べて格段にガチンコ相撲が多いことにあると感じている。すなわち相撲の品質が高いのだ。

 その中にあって、白鵬の特製と言われるサポータ-を巻いた肘でのひじ打ち相撲(サポーターは悪い所に付けるモノなのに、その肘でかち上げや肘打ちが出来るものだという不信の声もある)や、星の譲り合い的な取り組みが一部見られていた。勿論証拠はない。本来、横綱のひじ打ちなど相撲の品質をぶち壊す行動で、譴責程度で済む話ではない。

 「金持ち父さん、貧乏父さん」以降でもないが、他人の金を動かすだけで巨利を得るような業界に居た人物は、「ガチンコは大相撲にそぐわない、年6場所をガチンコでは関取は体が持たない」など勝手な意見を述べていたが、初めから忖度相撲ありきでは相撲の品質を著しく損なう。現在の実業界では恐らくこの程度の経営者が多いため品質問題が絶えないのであろう。品質が落ちても仕方がない言い訳を考えるのではなく、いかに品質を維持するかの方策を考えるべきなのだ。この場合なら、年4場所制を提言するとか対策案を進言すべきである。

 最近の大企業の有り様が、日本の伝統文化まで衰退させようとしている。



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品質問題に思う 第3回

2018年02月07日 | ブログ
凋落の足音

 日産、スバルの不正と異なり、神戸製鋼所や三菱マテリアル子会社、東レ子会社の場合はデータ改ざんである。そこには、確かに規格には外れていても実用上問題ないレベルであるという生産側の勝手な想いがある。元々過剰品質なのだという過信がある。

 現場の生産製品における規格の決め方は、一般的にこれまでの実績データから標準偏差(σ)を求め、顧客との納入規格設定には5σを出荷規格は4σ、製造基準は3σで管理する。すなわち出荷規格に外れていても納入規格はカバーしている場合もある。ただ、顧客は規格内に納まっていることは勿論、品質の安定性(バラツキが小さい)を望む場合が多い。これまで納入した製品の品質に近いものが顧客に安心を与える。そこにデータの捏造、改ざんの誘惑が忍び込む。

 このような不正が明るみに出るのは、恐らくそれこそ氷山の一角で、すでに日本国中不正だらけになっているのかも知れない。ひとつひとつの事例では確かに安全サイドで設定した規格から少し外れるもので、実用上の不具合には繋がらないものかもしれないが、それが常態化すれば、品質はどんどん悪くなり、気が付いた時は世界の中で競争力を失っている。

 事実、日経ビジネス2018.0108号「甦れ!日本の品質」によれば、米国の自動車初期品質調査で、2011年には首位がレクサス、2位がホンダ、4位マツダ、6位トヨタであった(日産は13位)ものが、2017年、首位と2位、6位を韓国の企業が占め、レクサスは平均以下に転落、日産とトヨタが辛うじて業界平均を超えて10位と11位に入った程度となっている。

 わが国ではバブル崩壊後、品質管理活動が停滞または後退したのに対し、新興国は日本のTQMなどを真剣に学び、今やデミング賞をタイやインドの企業が相次いで受賞するようになっている。逆に日本の一般企業では、過剰な管理だとデミング賞に対する価値観が薄いように思う。

 QCサークル活動や改善提案活動も70年代80年代当時から大幅に後退した。われわれ団塊世代がそれらの活動を担ったけれど、すでにその世代は65歳を超えて企業を去った。

 「企業は人なり」ITだAIだと言っても結局それを管理するのは人なのだ。現場を担う人材の育成にQCサークル活動や改善提案活動は適しており、効果的だったと思う。企業としては同じことの繰り返しでマンネリ化したと感じても、人はどんどん入れ替わっている。昔のやり方をそのまま踏襲する必要はないが、何らかの教育プログラムは必要であり、現場マンの社内教育に「品質管理」は「英語を社内公用語に」などよりよっぽど重要である。

 不祥事がばれて、経営者が一応頭を下げてその場を繕っても、根本から考え方を変え対策を講じなければ、世界の品質競争に敗れた日本企業の凋落の足音が、そこに聞こえてくるような気がする。経営の結果には時差があるから怖い。



本稿は日経ビジネス「甦れ日本の品質」2018.0108を参考にしています。
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品質問題に思う 第2回

2018年02月04日 | ブログ
ルールはルール

 世の中ルールで成り立っている。だいぶん前のことになるが、国立国会図書館の古い膨大な蔵書をマイクロフィルムに写し取る作業を行ったそうである。そこで分かったことだが、明治初期の出版物では法律書が一番多かったという。国家を創るために、明治政府はまず法整備を急いだことが伺われる。当然と言えば当然で、現代にあっても小さな組織であっても、有志で集まって組織を創るとなれば、当該組織構成員が守るべき規則を申し合わせておく。不備があれば改正できること、新たな規則を加えることができるようにしておくことも常識である。

 ルールは守ってこそ意味があるものだけれど、交通規則のスピード制限ではないが、夜間や天候条件も考慮し、安全サイドで規制するため、どうしても実用的には厳しい数値となる。天気の良い昼間、一般道の40km/Hrの制限道をスピード順守して走行すれば、長蛇の渋滞が生じる恐れがある。取り締まりにしても+10~15km/Hr程度のスピードオーバーは見過ごされるであろう。

 今回発覚した、日産やスバルが無資格完成検査を30年も前から続けてきた件にしても、完成検査など外国の自動車メーカーでは、行うにしても資格者は必要ない。さらに国内メーカーの国内生産車であっても海外に輸出する車では無資格者検査が許容されているという。そもそも新車の完成検査の作業は、車の操作を知っている者であれば、新入社員でも可能で、誰が行ってもその安全性に影響はしないものだという。

 なぜ国内車の完成検査が有資格者に求められるかと言えば、車検制度との兼ね合いという。車検は国交省の認定を受けた整備工場や自動車販売店で、国交省に代行する形で行っている。完成検査を無資格者が行っているとなれば、その車検制度を揺るがすことになるということらしい。

 しかし、それが所轄官庁のメンツとか、制度による既得権を維持したい販売店や整備工場の思惑であり、現実の安全性に関与の薄いものであっても「ルールはルール」である。たとえそれが社内で定めた念のための規則であっても、守ることを怠ってそれが当然となる風土が蔓延すれば、重大なルール違反に繋がってゆく恐れがある。

 それにしてもISO 9000が日本に上陸してほぼ30年、日産やスバルは毎年内部監査、外部監査を繰り返していたと思われ、これまで、その不正が指摘を受け是正されなかったことが不思議であり、ISO 9000とは何なのかという不信にもつながる。

 働き方改革などが叫ばれる昨今、ルール遵守で過重労働になるとしたら、わが国の生産性が低いと言うなら、国家ぐるみで無理なく守れるルールの見直しも必要だし、安全・品質維持に真に必要なルール作りが必要である。株式時価総額などの企業評価にしか関心がなく、顧客や従業員の幸せを軽視気味の現代の大企業経営者はじめ企業幹部に、そこまでの問題意識がないことが問題ではなかろうか。



本稿は日経ビジネス「甦れ日本の品質」2018.0108を一部参考にしています。
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品質問題に思う 第1回

2018年02月01日 | ブログ
横行する品質問題

 昨秋以降、日産自動車はじめ日本の名門企業で品質問題が明るみに出て、世間を騒がせた。もっとも企業における品質問題は今に始まったことではなく、ここ10数年を振り返っても、大きな品質トラブルが生活者の安全を脅かしている。

 例えば、2004年には三菱自動車のトラック・バスのリコール隠しが発覚。この頃の三菱車では走行中にタイヤが外れたとか炎上したというトンデモナイ事故も起こした。整備不良とも車両の本質的な欠陥だったとも聞くが、リコール隠しがあったことで、本質的な欠陥を疑われても仕方がない。リコールは、トヨタ自動車でも2009年から2010年に掛けて北米などを中心に1000万台規模の大量発生が報告されている。

 2006年には、パロマ湯沸かし器で1985年から2006年の間に一酸化炭素中毒で20人の方が亡くなっていたことが発覚しているし、2007年には食品会社の多くで賞味期限改ざんが問題になった。そして2008年、中国産冷凍ギョーザ中毒事件が起こる。JTグループの食品会社が中国の工場で作らせて輸入販売していたもので、食の安全があらためて強く意識されるようになった。にも拘わらず、2011年に焼き肉チェーン店で、生肉による食中毒が頻発し、誕生日祝いの中学生が死亡する痛ましい事件があった。調理においてやるべき処理(トリミング)を怠ったことが原因であった。

 2012年の中央高速道路笹子トンネル天井崩落は9名が死亡する悲惨な事故となったが、施工時の固定の接着剤量不足(施行品質の不良)が原因とされた。

 2013年、カネボウ美白化粧品で白斑症状。2014年にはホンダ車などのタカタ製エアバック不具合が発覚し、大量リコールとなった。これなど普段性能の検証ができない製品であり、信頼性の最も重視されるものだけに深刻な品質不具合である。

 食品への異物混入は、2014年から2015年にはその報告が続出した。従業員が故意に毒物を入れるなどは論外ではあり、食品工場では、システムとして食の安全が担保される生産工程を構築すべきである。

 2015年、東洋ゴム工業の免震ゴムデータ偽装、旭化成子会社の基礎のくい打ち施工不良で、横浜のマンション傾く事件もあった。

 このように数々の品質不具合による事件が問題になり、徹底対策が求められる中、昨秋以降日産自動車やSUBARUで完成車の無資格検査が長年に渡り行われていたことが発覚し、神戸製鋼所、三菱マテリアルそして東レ子会社に検査データ改ざんが発覚したのである。いずれも資金力のある名門企業である。

 ものづくり大国日本、信頼の証「Made in Japan ブランド」を毀損しかねない事態だ。大企業経営者を筆頭に「品質」の重要性を真剣に問い直す必要がある。製品品質こそゴーング・コンサーン(継続企業)の第一要件なのだ。


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