中小企業診断士 泉台経営コンサルタント事務所 ブログ

経営のこと、政治のこと、社会のこと、趣味のこと、人生のこと

時事散歩Ⅳ第10回

2015年01月28日 | ブログ
20年

 今年1月17日、阪神淡路大震災から20年となった。3月20日オーム真理教による地下鉄サリン事件からも20年である。

 佐々淳行氏が昨年8月に出された「私を通りすぎた政治家たち」*2)の第二章に“国益を損なう政治家たち”が挙げられており、その冒頭に『不思議なもので、大事件・大事故・大災害が起こるのは、優柔不断の弱虫で決断することができず、単眼的な平和主義者で無策無能なリベラリストか、元左翼のような市民運動家あがりの政治家が内閣総理大臣になっているときだ。』とあり、該当者にまず東日本大震災時の菅直人総理を挙げている。

 20年前の首相は、自社連立で社会党の村山富市氏だった。佐々氏は村山氏を『好々爺で人柄はよいが、非常時の指揮官ではない。』と切り捨てている。自衛隊派遣など政府の対応が遅れたことや後日のそのことへの弁明を批判している。地下鉄サリン事件の3月20日は、東京都知事は鈴木俊一氏であったが、青島幸男氏への交代時で、都にリーダー不在だったとも述べている。偶然と言えばそれまでであるが、時のリーダーの重要性を語る検証である。「一度変えてみよう」などという安易な政権交代は絶対にあってはならないのだ。

 阪神淡路大震災の教訓は、企業のBCP(事業継続計画)作成や、建造物の地震対策の充実に活かされてきた。東日本大震災時に子供たちが自主的に「逃げろ!」と叫びながら大人たちも巻き込みながら高台に逃れて大勢の命を救った話しは、今更に美談として語り継がれているが、それは当該地方が教訓から学び専門家を招聘して小中学生に教育・訓練を続けていた成果だった。

 それならオーム真理教が起こした一連の事件の教訓が現在に活かされているのだろうか。報道によれば、オーム真理教は2派に分かれ、双方共近年信者数を伸ばしているという。信教の自由は結構だけれど、自由とは他人の自由を担保してこそのものである。けっして犯罪組織になどなってはならない。

 先の大戦から今年70年だけれど、大戦からの20年は、私ども団塊世代の先頭集団が高校3年生の夏だった。すでに周囲に大戦の面影はなかった。今よりはるかに日の丸、君が代は敬われていたように思う。祝日には多くの家で国旗を掲げていたように記憶する。小中学校を通じて、日の丸、君が代に異を唱える教師など見なかった。

 この国が経済大国となった頃から、この国がひとつにまとまることを恐れる勢力が、それぞれの想いで、この国を分断しようと策謀したように思える。首相の靖国参拝反対も原発反対、憲法改正反対もしかりである。ひとつにまとまってこの国が他国に攻め入るなど誰も考えてはいない。ひとつにまとまって他国からの干渉や侵略に備えることを妨害しているのである。



*2)株式会社文藝春秋、2014年8月30日第1刷。国益を損なう政治家として、その他湾岸戦争時の海部俊樹氏、日本赤軍事件で、服役中の獄中犯を超法規釈放した三木武夫氏(在任中ろくなことをしなかったという)、金権政治の田中角栄氏、石井一氏(引退時民主党)、加藤紘一氏、河野洋平氏、トラブルメーカーの小沢一郎氏などなどが挙がっている。
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時事散歩Ⅳ第9回

2015年01月25日 | ブログ
大相撲

 今日で初場所も千秋楽。13日目で白鵬の前人未到33回目の優勝が決まって、現役日本人力士の優勝もまたお預けとなった。昔は「巨人、大鵬、目玉焼き」と言われたものだが、いろいろな記録ですでに大鵬を抜いた白鵬1強時代は、「白鵬、二、三がなくて自民党」か。

 時間がある日は、テレビで主に幕の内後半戦を観たが、ガチンコ勝負はやっぱり品質が違う。一時期八百長が疑われる勝負が数々あった時期は、確かにそれとなく全体に勝負の品質が落ちていたように思う。だから人気も落ちた。しかしこの初場所は1997年初場所以来18年ぶりの15日間すべて満員御礼になるという。明らかに大相撲人気復活である。

 ガチンコ勝負だけに、この時期新大関となった豪栄道など、七転ハ倒、大関在位僅か3場所目でカド番となり千秋楽に勝ち越しを賭ける。以前なら要所でそれとなく、相手力士に含めることも出来て、ここまで苦しまなくとも、そのうち持ち直すことが出来たのではないかなどと推測してしまう。7勝7敗力士の千秋楽勝率が異常に高いことを訝しく論じるメディアも多かったから、類のことはあったように思うのである。もっとも相手力士の微妙な心境の勝負に与える影響までは測れない。しかし勝負を興行にする以上、私情を挟むことはご法度であろう。

 日本柔道が、オリンピック競技にまでなり、世界に羽ばたいたのは良いことだけれど、試合場、カラー柔道着、ルールや勝負判定方法、選手の派手なガッツポーズなど、伝統からは外れていった(全日本選手権は変えていない)けれど、大相撲は伝統を守り続けていることが素晴らしい。力士の大銀杏(十両以上の関取)や髷、行司や呼び出しの装束や所作、横綱の土俵入りや弓取り式、仕切り毎の塩撒きなどなど、古式豊かである。まさに世界遺産ではないか。

 現在3横綱はモンゴル勢が占め、さらに逸ノ城、旭天鵬、照ノ富士など、ベテランから有望な若手まで盛りだくさんである。ヨーロッパ勢も頑張っている。イスラム教の大砂嵐も人気者になった。その分日本人力士が不甲斐なくも見えるけれど、世界の逸材を集めた米国のプロ野球の頂上決戦をワールドシリーズと呼ぶごとく、日本の大相撲も今や世界のものになった、ワールド大相撲と思えばいい。しかしそして、これからもけっしてルールやしきたりは日本の「神事としての相撲」から一歩も変えないことだ。土俵上の作法を軽んじる力士や、師匠や上位力士に不遜な態度を取る力士は、排斥しなくてはならない。

 8日目は天覧相撲となった。天皇陛下が4年ぶりに大相撲を見に来られたのだ。最期の取り組みが終り、弓取りが終わるまで観られた両陛下が立ち上がられて、繰り返し手を振りながらお帰りになられる時、それまで観衆は誰ひとり帰る者なく、立ち上がって拍手で両陛下をお見送りしていた。我々は何と幸せな国に生を受けたものであろうか。
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時事散歩Ⅳ第8回

2015年01月22日 | ブログ
相続税増税

 今年の1月1日から相続税が増税となった。その替わりということで、贈与税について孫の教育費などへの贈与の場合大幅な減税措置がされた。すなわち、お金を持っているお年寄りは、「生きているうちに有効活用して下さい」ということ。この税制改革のため昨年は、各地でご年配者向け節税セミナーが盛況であったようだ。

 相続税では基礎控除の定額部分が5000万円から3000万円に引き下げられ、法定相続人の人数比例部分が一人に付き1000万円から600万円に引き下げられた。相続人が妻と子供2人の場合、基礎控除額は8000万円から4800万円まで大幅に引き下げられたことになる。地価の高い所に自宅を持っていると、途端に相続の届けが必要になる。

 もっとも億単位の資産を相続しない限り、残された預貯金を少し切り崩せば支払い可能な税額で、ただでさえ格差拡大と騒がれるこの国では、基本的に許される範囲の増税ではないかと私などは思う。

 この国では、3代相続すれば財産が残らないなどと聞くけれど、先祖の残した資産すなわち不労所得は格差を生む元凶で、本人の器量なり努力の差による格差はあって当然だが、生まれ落ちた時からの持てる者と持たざる者で生じる機会の不平等は現行程度で、今より大きくない方がいいように思う。親がお金持ちで、子供のころからそれなりの教育機会を与えられれば、少々の相続税くらい支払える筈で、3代で消滅する資産とは、子孫がほとんど遊んで暮らした場合を云うのであろう。

 本来、個人資産は個人が生前に私有を認められるもので、原則死後には全額国庫に納付してもいいくらいのものだ。「子孫に美田を残すな」とか、そうは云って、自分が死んだ後に妻や子に不自由な暮らしはさせたくないと、一生懸命働くお父さんも居る訳で、全額国庫返納や過酷な相続税は、その勤労意欲を削ぐことになり好ましくない。従って、常識的に考えて多額でなければ、残された近親者に全額管理を委ねる現行制度は、これで良いのでないかと思う。枠を超える多額の遺産に対しては、その額に応じて部分的に相続税として国庫に返納させるのである。

 ところが、「相続税は引き下げろ」というご意見の方もいらっしゃる。その理由が、『先祖から代々引き継いだ文化的建造物や自然と調和した屋敷があっても、相続税対策のために土地を切り売りしてマンションや商業施設、駐車場に変えてしまう。そうなれば自然や景観が破壊され、ひいては地域のコミュニティーの破壊へとつながる。・・・海外では相続税がないか、あるいは近年廃止した国もある。』*1)

 相続税のために文化的建造物が取り壊される事例が年間どの程度あり、それこそお宝鑑定ではないけれど、本当に価値あるものかどうか。価値ある物件なら、国や自治体が買い取って保存すればいいだけの話だ。

 酷税で、金持ちが住みにくい国などというけれど、格差のゆえに犯罪の多い国と比べればはるかに住み易い国の筈で、多少の相続税に不満を言うのは、成功者の贅沢というものである。



*1)日経ビジネス2015.01.12号「異説 異論」
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時事散歩Ⅳ第7回

2015年01月19日 | ブログ
言論の自由とテロ

 新年早々大事件で、犠牲になられた方々や当事国の人々には世界から哀悼が捧げられ、改めて言論の自由が叫ばれている。昨年末には米国で北朝鮮の指導者を揶揄する映画上映に際して、サイバーテロがあって物議を醸した。

 確かに言論を脅迫や暴力によって封じようとすることはあっては成らぬことで、時の権力や暴力組織に対抗して、「ペンは剣よりも強し」などの言葉も生まれた。ただ言論や表現は、自由とはいってやはりTPO(時、場所、場合)や対象に制約や節度があることも社会通念上当然のことで、そこをわきまえてこその自由であろう。

 政治批判をテレビで放映することは日常であるとしても、全くその種でない番組で、急に政治への批判を始めればNGとなろう。また、政治家の思想や政策、行状に対する批評はあって当然でも、その人の人格を否定するような言動は慎まねばならないだろう。他国の国家元首や宗教の教祖などに対する場合はなお一層の注意が必要である。言った方は単なるユーモアのつもりでも、言われた側は怒り心頭ということもあり得る。常に紳士的配慮は必要である。とは云ってそれが自動小銃による殺戮の免罪符などになりはしないこともその通りだ。

 それにしても、彼らテロ集団の武器や弾薬はどのように供給され続けているものかいつも疑問がある。貧しいからテロ組織に流れる若者がいる。貧しいなら武器や弾薬をなぜ人々の生活に役立つ形に換えられないのか。裏の裏で、民主国家を混乱に陥れる陰謀が渦巻いているかも知れず、その根幹を絶たねばテロはなくならない。あらゆるテロに対しては資金源を断つ方策が求められるように思う。少女を誘拐し、生き埋めか自爆テロかを強要するなどという組織は許されるものではなく、言論・表現の自由以前の問題である。テロ組織への戦いは止めるわけにはいかない。

 今回のフランスでの事件は、移民問題も絡んで当局も取り締まりや未然防止の難しさがあったようだ。フランスでは、移民が人口の8.8%、イスラム教の信者はほぼ1割に達するという。元々地中海を挟んで、アフリカの一部を植民地としていた当国では、当然に異民族の流入がある。しかし、時が経てば同じ国民として融け合って暮らしている仲間であろう。肌の色や宗教が異なるだけで、ブラックリストに入れて取り締まりの対象にはできはしない。このような事件で、国内に民族間の猜疑心の高まりがあれば不幸だ。

 同じ国民として市民権を得た以上、異民族ゆえの差別や逆に特権があってはならない。お互いに異なる民族の誇りや宗教を尊重し合う心と、他国からの移民であれば、その国に暮らす以上、「郷に入れば郷に従う」心根も必要と思う。
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時事散歩Ⅳ第6回

2015年01月16日 | ブログ
異物と品質管理

 食品への異物混入が止まらない。カップ焼きそばにゴキブリ、チキンマックナゲットにプラスチックフィルムに始まり、プラスチック片、スポンジ、金属片、金属製のネジ、コウロギ、ミミズ、テッシュ、中には人間の歯という新種の異物まであった。勿論限定的な企業に発生している事例ではない。食の安全にとっては一大事で、食品会社の一層の品質管理の徹底が望まれることは言うまでもない。

 もともと食品への異物混入は確率的には非常に小さいものの日常的に発生していたものと思うが、まあ仕方がないかと思えるレベルなのか重大と考えるか、メーカーにとっても消費者にとっても、その線引きをなあなあで済ましていると、この度のような事態に発展するから恐い。

 今回の騒動の前哨戦は、昨夏中国食品工場による食肉の取り扱いの杜撰さが摘発されたこと。これで一気に大手ファーストフードチェーン店の売り上げが低下した事件だった。信頼が失われて注視が継続していたところだから目立つ。追い打ちが掛った格好である。

 多くのクレームの中には、購入後の顧客サイドの取り扱いの不備によるものもあろうから、メーカーにも言い分がある場合もあろう。最近のように大きく報道されると、従来黙って見過ごしてきたレベルもクレームとなり、騒ぎが拡大する。

 今回のトラブル食品の加工地別データも何も知らずに所見を述べるのはどうかとも思うが、これらの騒動の遠因を考えるに、長年のデフレと円高で、兎に角安く作る為に、何でも開発途上国に生産を委託した付けがまわってきているのではなかろうかと思う。品質管理などその国の社会的習慣や従業員のモラルに依存する部分が大で、少々の企業内教育で十分補えるとは思い難い。例えば、家庭での手洗いの習慣も十分でない国の工場に食品加工を任せるべきではなかろうと思う。

 ユニクロなど衣服品は中国製で立派に通用しているけれど、縫製に関して中国人は民族的に適応性が高く、それなりの誇りも持っているのではないかと推測する。そのような働く人の精神的基盤は品質管理にとって重要である。

 食品の品質ではないが、ある日本の家電老舗メーカーの蛍光灯電気スタンドは会社に入った時(1966年)に2,300円で買ったものを50年近く経った今も使用している。そこで、同じメーカーのCDプレーヤーやめざまし機能のついたラジオを数年前に家電量販店で買った。コンセントを抜くと表示時刻がリセットされたので、時刻合わせ作業をしようとしたが、初期にはすんなり出来た操作が、操作ボタンが接触不良となったようでなかなか動作しない。何度も何度も押さえてようやくセット出来たけれど、途中で捨てようかと思った。見れば「メイドインチャイナ」である。日本の老舗メーカーがよくもこのような製品を自社ブランドで売っているものだとあきれた。このメーカーの製品は今後買うまいと決めた。

 古い話だが、CDラジカセの出初め頃に3万円程度出して大手スーパーで買った日本メーカーの物が、保証期間を過ぎた頃にCD再生が機能しなくなり、買った店に持っていくと修理に1万5千円もかかった。これはメイドインマレーシアだったけれど、その後文字盤表示プレートが剥がれた。折角の日本ブランドが台なしである。このところ業績が芳しくない電機業界は、近年の円高など交易条件の悪化で韓国や台湾製品などとの競争に後れをとった面もあろうが、コスト重視で品質に対する手抜きが生じ、それが凋落の原因となったのではないかと思ってしまう。

 異物の問題では、プラスチック業界でも悩まされてきた。電線被覆や食品用途など異物管理は厳しい。電機電子用途などでは、目に見えぬレベルの粒子でさえ排除する厳しいスペックがある。人の口に入る食品そのものであれば人命にも直結するだけにさらに重大である。安く作るためと、安易な海外生産委託は止めた方がいいように思う。


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時事散歩Ⅳ第5回

2015年01月13日 | ブログ
民主党代表選挙

 二大政党であれば、一方の首相候補を選ぶ選挙で、民主党員やサポーターだけでなく、国民全体の注視が必要な選挙であろうが、たかだか衆院で73議席の政党の代表など誰であっても大した問題ではない。しかし、当人たちはそれなりに還らぬ夢をみながら、所信を述べているけれど所詮一般国民にインパクトは少ない。

 その理由は単に少数野党というだけではなく、民主党という政党が未だ明確な軸を持たないからだと思う。元々の出身母体が自民党だったり、自民党では公認が得られない保守系政治家志向の連中から、昔の民社党同盟系、動労や公労協、日教組、現在の連合などを支持母体として議員バッジを手に入れていた連中の寄り合い所帯である。

 中で長妻氏が民主党左派を代表する主張をしているように思うけれど、主張している「格差是正」なるものの正体を彼が真に捉えているように見えてこない。どの程度の「格差」を許せないとするのか、その理由や限度が示されていないからである。

 元々自由経済社会で格差が全くないことなどあり得ないし、格差が無い社会が理想とは考えられないからである。世の中、天賦の才や努力や運によって貧富の差が出るのは当然で、だから面白いし、だから頑張って稼ぎ、税金をしっかり払い社会を牽引する。ここまできたグローバル社会では、内部に競い合いのない国は取り残される。とは言って、その格差には当然に限度はある。うまくいった人だけが富を独占すれば世は乱れる。そこを塩梅するのは確かに政治の役目だ。

 「格差」を数値化したものに「ジニ指数」がある。わが国のこの数字は確かに近年上昇しているというデータはあるようだ。ただ、これは高齢化によって低所得者が増えた当然の成り行きで、社会保障によって所得再配分を行った後では、ジニ指数は従前と比べ上がっていないという説もある。

 また、富裕層上位10%の資産がその国の総資産に占める割合で比べる方法もあるようで、1月5日の日経ビジネスにそのデータ(2014年度グローバル・ウェルス・レポート)がある。この割合での格差が大きい国のトップはロシアで、1割の富裕層が全体資産の84.8%を占めているそうだ。香港77.5%、タイ75%、米国で74.6%、ブラジル73.3%などに対してわが国は48.5%である。これはベルギー47.2%に次ぐ2番目に低い。この国に格差が大きいというデータは無いようだ。

 民主党の代表選挙では、当初他の野党との連携の在り方が主要な対立軸になりそうだったが、細野氏が参院のドンに一喝されて引き下がり、対立候補の岡田氏にまで皮肉られていたけれど、彼らの主張とはその程度のものなのだ。代表となって党をまとめる力など初めから有りはしないことを露呈している。元々、連合や日教組を支持母体とする民主党が、それらを敵視してきた橋下維新と合う訳はない。

 連合など主にNHK職員や公務員など労働貴族の集まりで、けっして社会的弱者ではない。自分達の権益を守ることで格差を拡大している組織でさえある。元々の社会党なども一般の労働弱者は相手にせず、動労、公労協を票田資金源としていた。弱者の味方などではなかったように聞く。それでも当時は一定の役割は果たした。

 長妻氏など「格差是正」と、いかにももっともらしいが根拠が薄く、漠然としたフレーズで闘うのではなく、若者の非正規雇用対策や監視強化によるブラック企業の撲滅など、より具体的で真に必要な課題に絞った方が、一般の国民への共感も得られるように思う。



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時事散歩Ⅳ第4回

2015年01月10日 | ブログ
空虚な戦争反対

 今年は戦後70年という節目の年で、終戦の年に生まれた先輩諸氏が揃って古希を迎える。
そしてメディアでさらにまた戦後史が多く語られる年になる。「戦争を知らない世代が増えて」などというけれど、70歳以下の人々は全員生まれる前の話で、知らないことが当たり前、従って近隣諸国への土下座外交にも違和感を覚え続けてきた。国際条約的に清算済の話を機会のあるたびに蒸し返して文句を言う国は、単なる信用できない国という印象しか持てない。

 体験しなくても戦争の悲惨さは分かる。原爆や大空襲の惨禍は繰り返しテレビや映画でまた読み物でも疑似体験している。実際にそれらを体験して恐かった、辛かった、哀しかったは分かるけれど、だから戦争はしてはいけないという発言は必ずしも的確とは思えない。当時を体験した人々は、前線の兵士は兎も角、わが国が戦争に負けた為にそのような思いをしたのであって、もし連戦連勝、インドまでも米国本土までも勝ち進み、国土に被害が及ばなかったら、体験しなかったこと、戦争はいけないという発想に至らなかったかも知れないからだ。元々体験などしなくても特殊な人間でない限り、戦争など御免に決まっている。

 いろんな機会にいろんなマスメディアが国民の意識調査行う。元日のNHKテレビの「戦後70年日本の肖像」の最期に、「日本がもっとも大切にすべき社会」とは、のアンケート(昨年11月に実施)結果が述べられていた。第2位が「心にゆとりがある社会」13%、「福祉が充実した社会」と「経済的に豊かな社会」が共に9%で第3位。そして「戦争のない平和な社会」が40%と断トツの1位だった。問題はそのような社会の実現のための方策である。

 各界で活躍する年輩の方々の反戦コメントもよく目にするが、最近は政治家に先の戦争を体験していない人が増えたために、有事への備えを強化するような政策が目に付くとして、政府に批判的な発言が多い。全共闘世代の単なる郷愁で、未だ思想が「安保反対」から抜け出していない。先の戦争がトラウマとなり、自国の有り様しか見ていない。周辺国は周回遅れの時代感覚で、その帝国主義・覇権主義は着々とわが国を窺っている。

 戦争反対者の言には、敵が攻めて来たら戦わずに白旗を上げなさい。と言っているようにさえ聞こえるものがある。召し上げようとする国の人民に抵抗がなければ、侵略者にはまことに都合の良い話なのである。敵国をそのような雰囲気にさせること、また敵国に内報者を養成することも事前準備としては当然の戦略で、現代のわが国にはその点都合のいい人々が数多く居そうだ。

 靖国神社に首相が参拝するだけでかの隣国が文句を言うのは、兵士を鼓舞する権力者の行為を阻止して、兵士の士気を削ぐためであろう。それにしても首相の靖国参拝には、内からも反対意見が強い。正月にも国旗を掲げる民家は少なくなった。自衛の戦争さえ、その継続は難しい精神構造に国民は落し込まれているように感じる。

 集団的自衛権の行使は、確かに意に沿わぬ国際紛争に巻き込まれる懸念がないわけではなかろう。しかし、そのようなリスクを取ってさえ、同盟国との役割を積極的に果たす覚悟がなければ、南から北から軍事大国が忍び寄るこの国の安全保障は守れないところまで来ているように感じる現実がある。単なる「戦争反対」は空虚である。


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時事散歩Ⅳ第3回

2015年01月07日 | ブログ
少子化

 内閣府の平成26年版少子化社会対策白書によれば、約50年後のわが国の人口は、現在の1億2800万人から8000~9000万人程度となる見込みである。少子化対策が声高に叫ばれ続けている所以である。少子化に伴い65歳以上人口、すなわち高齢化率が2010年の23%から2060年には、ほぼ40%に達する見込みというのも少子化に付随する大きな問題とされる。

 併行して2060年を待たず、さらなる人口の大都市集中によって、この国の多くの地域で人口半減が予測されていること。現在でさえ、過疎地に高齢者の一人暮らしが多く、地震・豪雨・豪雪などで集落が孤立した場合の救難救急対応が難しくなっている。

 ただ、このような少子化や過疎化問題を論ずるとき、すべて国家の責任、行政への責任追及に偏り対策を委ねるが、個人の問題の部分も少なくないわけで、問題点を分けて考え、それぞれに対応を国民総出で考える必要がある。社会保障制度の充実指向も、工業を中心にした成長戦略も変換してゆかねばならないだろう。

 例えば少子化対策のために、子供手当を出しましょうなどの論理は、単なる政党の選挙対策であって少子化対策とは思えない。フランスで、子供手当で出生率が上がったような話があれば、フランスを見習えとなるけれど、かの国では消費税が高く、原発大国でもある。勿論核兵器も保有している。それぞれの国で歴史や文化、諸々の条件が異なるわけで、同じ施策が可能でまたそれで効果があるとは限らない。特に野党の政治家は其処ら辺り十分な検証を行わず、無責任な云いたい放題が多い。

 高齢化率をとってみれば、たとえば50年前(1964年の東京オリンピックの年)の男性の平均寿命は67歳程度、女性でさえ72歳程度であった。これが2013年では女性は、86.61歳、男性も80歳を超えた。50年で15歳近く寿命が延びたのである。これで同じ65歳を基準に高齢化率を勘定して比較することがおかしい。少なくとも現在の高齢化率は75歳以上くらいでカウントしなくてはならないだろう。50年後にはさらにその年齢を上げる必要があるかもしれない。将来を大変だと悲観するのは、予算を付けるためのお役所のご都合主義とさえ思えてくる。

 平均寿命は著しく伸びたのだから、企業における定年制は廃止するか、思い切って70歳程度以上とし、それまでは厚生年金等支払う側にまわって貰う必要がある。そう云うと年金受給の世代間格差などと不平が出るが、世の中豊かになって長生きできる環境になったのである。現在のお年寄りが若かった時代は、物質的にはまだまだ恵まれなかった。子供の時から飽食の時代に恵まれた層が、年金受給年齢が押し上げられて損だというのは一面的で、人生トータルで見れば世代間に格差などないのではないか。

 また過疎地の拡大は、少子化の問題ではなかろうと思う。村には仕事が無いから都会に出ると云うけれど、本当にそうか。古来例えば農家の次男坊以下では、土地の相続が出来ず、自分で商売を始めるか雇われ人にしかなれなかった。その子孫の多くは、やっぱり細々と家業を継ぐか、サラリーマンしか生きる術はなかった。田舎に田畑や山林、または漁業権がありそれを相続できるのに、都会に出て働くというのは自分勝手な話で、国の施策の結果ではない。それぞれが故郷や親を思う心根の欠如である。子供たちに見捨てられた年寄りを国や地方の行政府が面倒を看なければならないなら、彼らが所有する資産はすべて国家が廉価で没収して有効活用する前提がなければならないだろう。

 それが可能となれば、林業も農業も漁業も没収した資産を民間に払い下げて企業化できる。地方にも新たな仕事が生まれ創生する。先祖代々の資産は一族のもの、過疎地の年寄りは行政が面倒を看ろでは片手落ちなのである。

 わが国の人口が50年後、8000万人になるなら、8000万人で国家が成り立つ仕組み作りを今からしっかりと構築すればいい。50年前を考えれば、パソコンも携帯電話もなかった。50年後はさらに諸々の技術は進歩する。現在と同じ状況を前提にする50年後の人口減を悲観すること自体がナンセンスなのである。工場は無人化され、医療も介護もロボット化が進むであろう。安全保障に係る防衛力も、省人化可能であろう。それらに伴う精神的な空虚さは付き纏うかもしれないが、そこはまた対策を考えるしかない。

 要は将来の人口予測に伴う問題点は、技術力の進歩や社会システムの向上を付与して考慮する必要があることを云いたい。変な少子化対策や地方創生施策で、国家財政をこれ以上困窮させることはないし、軽々に人口減の穴埋めを移民に頼るのも如何なものかと思うのである。


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時事散歩Ⅳ第2回

2015年01月04日 | ブログ
続、衆議院選挙

 次世代の党には期待していたが、東京の山田宏さん、田母神俊雄さん、神奈川の中田宏さんと落選で残念に思う。やはり安倍自民党との差別化が難しく、保守層は自民党に流れたのであろう。

 田母神さんは、先の都知事選で61万票を得ており、有力候補と思われた。公明党の太田さんの選挙区であったとはいえ、生活の党の候補(青木愛氏)にさえ届かず最下位であったことは意外だった。公明党批判をやっておられたようだけれど、受けて立つ太田さんは公明党色を消して国土交通大臣を全面に出して闘ったそうで、自民党支持層を取り込んだと見る。田母神さん陣営の選挙戦略の失敗ではなかったか。もっとも61万票を25の小選挙区で割れば2万票余り。実力とも言えなくもない。

 山田さんや中田さんの選挙活動の様子は全く知らないが、当選して貰いたかった。兎に角次世代の党は比例での獲得票が少なく、いずれの選挙区でも一人の当選者も出せなかったは痛かった。維新などは比例票で健闘して最終的に議席をほぼ維持している。

 次世代党首の平沼さんの演説では、自民党の政策に対しては是々非々を強調していたのは良しとしても、未だ郵政民営化を批判していたのはマイナスだったと思う。元々郵政民営化で当時の小泉自民党と袂を分けたところから分からない。小泉さんの最近になっての原発反対は兎も角、「民間で出来ることは民間で」の方向性は間違っていなかったように思う。民営化で郵便局の窓口対応などは随分と良くなったように思うからである。

 生活の党も5議席から2議席となり、参院と合わせても政党要件 (5議席以上) を満たさなくなった(12月26日山本太郎参院議員が入党し、要件を満たした)。小沢さんは当選16回となり、現議員では最長不倒と思われる。修羅場を乗り越えて生き延びて来られたことは凄いことだ。そして今回も選挙結果を受けて野党の共闘を呼び掛けているようだけれど、民主党をも分裂させたようにいつも作っては壊してきた。「その人は嘘があまりに巧みだったので、本当のことを言っている時でさえ、嘘に聞こえた」という名言があるが、人は国会議員まで成らずとも信用第一である。

 それにしても、今回の選挙は大義なく、総理大臣の解散権乱用との批判まであった。しかし、選挙には政権側にも大きなリスクがあり、どこからが権力の乱用となるかの判断は難しい。

 政権信任選挙の様相で盛り上がりにも欠け、投票率の低さは憂えるばかりの状況であった。結果5割の投票率に自民党4割の得票率(比例、小選挙区平均)を掛けて、たかだか国民2割の支持しか受けていないというようなもっともらしい説も野党筋から出るが、これは統計的に見て詭弁である。投票しなかった人も投票結果の割合でそれぞれの党を支持しているとみるべきである。ただ、投票に行かなかった人は現状容認とも見られ、逆に現与党支持と看做す方が自然である。

 今回小選挙区の得票率は自民党47.77%で小選挙区73%の議席を占めたが、09年の民主党への政権交代時は民主党47.43%で小選挙区74%を占めた。なお、比例選では自民党は33.11%で前回12年選挙の27.62%を上回った。民主党も前回の16.00%から18.33%で、少し持ち直しが見られる。(データは読売新聞2014年12月15日夕刊)

 衆院中選挙区制当時は投票率7割を超えることが通常であり、国民に選択肢を与えると云う意味では、昔の制度に郷愁が聞かれる。議員定数や選挙制度には一長一短あり、あるところで、各政党も国民も割り切らざるを得ないように思う。政府を信任なら現与党に、与党が駄目と思えば立候補している野党に投ずるしかないのではないか。せめて比例選挙だけでも参加して自身の主張に近い政党に投票することだと思う。


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時事散歩Ⅳ第1回

2015年01月01日 | ブログ
衆議院選挙

 昨年12月14日、衆議院選挙が行われた。結果は当初の予測通り、景色はほとんど変わらなかった。トピックスとして海江田民主党代表やみんなの党を創った渡辺喜美さんが落選したくらい。また、次世代の党が凋落(19議席→2議席)した。安全保障の法制化を進めたい安倍首相としては、協力野党の存在は心強く、その点少し残念な結果ではなかったか。

 小選挙区制は、もともと政党としては少ない得票率で議員数割合を増やせることから、憲法改正発議に必要な3分の2の議席が得られやすい目論見から推進された制度だという説がある。建前は、同じ選挙区で同じ政党の議員が競い合いとなり、選挙に金が掛ることを是正する。及び責任野党を育成して二大政党で、政権交代を可能にする。であった。

 今回の安定多数の維持によって、与党は憲法改正を現実の視野に入れたであろうか。ただ、次の参議院選挙によって、こちらも3分の2まで増やさねばならない。国民の中庸志向から、主義主張よりバランスを重視する傾向があり、今後の選挙でそれほど与党は伸びないかもしれない。憲法改正の必要性を十分に説明してゆく必要がある。

 民主党代表であった海江田氏は、経済評論家時代の著書か何かで、安愚楽牧場の投資商品を推奨していたことが問題視され、国民的人気はほとんどなかったように感じていた。与党は組み易しと見ていた気配がある。

 民主党政権が短期間にメロメロになって崩壊したことで、この選挙戦でも民主党有力議員からも、政権時の反省が聞かれたが、そのポイントはあまり語られない。子供手当や高速道路の無料化など、元々無理なばらまきマニフェストがいけなかったのか。マニフェストになかった消費税増税からの分裂騒動か。はたまた有効な経済政策が行われず、円高容認で電機・電子業界などを途端の苦しみに陥れたことか。東日本大震災の福島第一原発事故対応も後手後手であったこと。など挙げればいくらも上がるけれど、国民が気付き最も嫌悪したのは朝鮮半島との関わり方ではなかったかと思う。外国人参政権推進や有力議員が外国人(在日朝鮮人)から献金を受けていたり、極めつけは当時の首相の日本人拉致事件容疑者親族の政治団体への献金疑惑が浮上したことであった。このため半島政権とまで揶揄された。この部分の反省は未だ全く聞かれない。

 民主党議員の中には、同じ党員であってもあの方たちはあの方たち、自分は違いますという顔でおられる方も多いけれど、国民から見れば民主党は民主党で、全員その種の顔に見える。

 自民党だっていろいろな方が居り、くるめれば誉められない部分もあろうが、安全保障政策の推進、天皇制重視、憲法改正、中負担中福祉、民間活力の重視、自助・共助・公助の精神など、普通の精神構造の日本人の一般的な考え方に近い軸がある。「安倍さんは右寄りだから」云々などとよく聞くが、これまでが左に過ぎたから右に見えるだけで、ごく普通と思われる。今や内にも外にも左寄りの甘い顔のできる状況ではない時代なのである。
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