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歴史に学ぶ 第5回

2018年06月13日 | ブログ
古代の日本と世界

 6万年~1万2千年前の地球は厳しい氷河期で、海水が凍結し海面が下がっていたため日本列島は大陸と陸続きで、日本海は湖の形であったと推測されている。

 ジャワ原人や北京原人などの出現は紀元前60万年~50万年と言われ、ネアンタール人(旧人)は紀元前10数万年、クロマニヨン(新人)が紀元前3万年頃に出現したとされる。人類の先祖である猿人の出現は400万年前。猿人の化石はアフリカでしか見つかっていないことで、人類はアフリカで生まれ、遠くユーラシア大陸を経て氷河期で陸続きであったベーリング海を渡り、南北アメリカまで到達したと考えられている。

長い長い旅の間に人類は環境に適応させながら、体格や皮膚の色、顔立ちなども変化させ、多様な人種が生まれたものであろう。ヨーロッパ文明を基にして15世紀末、コロンブスのアメリカ大陸発見となるが、南北アメリカ大陸にはすでに多くの文明が栄えていた時期があった。彼らは東洋人に近い黄色人種系だ。

 日本は火山国であり土壌は酸性が強いため、人骨は化石になる前に溶けてなくなる。原人の化石は出土していないのだ。兵庫県明石で見つかった明石人が最も古く一説には~5万年前(旧人~新人)。沖縄県や静岡県、愛知県、愛媛県などで1万5千年~2万年前(新人)の人骨の化石が見つかっている程度。ただ、人骨はないが、20万年くらい前からの石器は各地で見つかっており、その頃から人類の存在した痕跡はある。

 日本列島がほぼ今の形になったのは氷河期を過ぎた1万年くらい前という。その頃から紀元前10~3世紀頃までを縄文時代、その後紀元300年頃までを弥生時代と呼んでいる。区分の時期には諸説あるが、出土された土器の文様で名称が区分されたことは有名である。狩猟生活の縄文時代から農耕が盛んになったことで弥生時代には生活様式も大きく変わっていったであろう。

 農耕が盛んになったことで当時の人々の平均的生活は豊かになったであろうが、格差が増大し富を得た者たちはそれを守るため武力を持ち、他部族からの略奪によっても、権限を増大させたであろう。国王から奴隷まで厳しい格差・封建社会となっていったのである。

 日本の縄文時代、世界ではエジプト文明(紀元前3000年~頃)が栄え、チグリス・ユーフラテス川の古代メソポタミア文明はエジプト文明より500年くらい早く始まったとされる。インダス文明、黄河文明(それぞれ紀元前2500年~)を加え世界4大古代文明である。

 日本で縄文から弥生に変わる頃、西洋ではアレクサンダー大王の東方(アジア)遠征があった。秦の始皇帝が中国を統一したのは紀元前221年。ローマ帝政の始まりは紀元前27年という。

 中国では秦に続き前漢、紀元後に後漢、三国時代と続くが、日本は古墳時代で、邪馬台国女王卑弥が登場するのは紀元3世紀。大和政権が成立したのは4世紀中ごろ。仏教伝来は538年(他説あり)。593年聖徳太子が推古天皇の摂政となる頃から飛鳥時代と呼ばれる。古墳時代から平安時代(~1185年または~承久の乱1212年)までは西国が中心の国家)であった。

 紀元300年頃から700年頃にかけて、ヨーロッパでは人類の大きな移住現象(ゲルマン民族大移動)が起こったが、ヨーロッパが古代から中世に入ったのである。

 589年中国では隋が国家を統一。当時の日本(倭国)から大陸の技術や制度を学ぶため派派遣された遣隋使(607年小野妹子など)は有名。しかし短期間に隋は亡び618年中国は唐(~907年)の時代となる。

 空海のちの弘法大師(774-835)が讃岐(現在の香川県善通寺市)に生まれたのは中国が唐の時代(日本は奈良時代~794年)で、日本全国で人口は約500万人。『宝亀8年(777年)空海4歳の時、4隻の遣唐使船が讃岐屏風ヶ浦の沖を過ぎている。・・・要するに空海の生まれた環境は、唐へゆくという、普通ならばとほうもないことが、ごく現実的な風景として、耳目で見聞きできるような機会が多かった。空海はその夢想を育てるためには、とびきり上質な刺激に富んだ環境に生まれたということができる。』(司馬遼太郎「空海の風景」)

 私たち世代は、中学2年生で「日本の歴史」を高校2年生で「世界史」を習ったが、歴史は双方照らし合わせながら学ぶことで理解が深まるように思う。

 歴史から何を学ぶか、権力者の横暴はじめ人類の醜さを知ること(現代も似たようなものだから)も大切だし、時々の人類の生き抜く知恵を学ぶことも大切だと思う。






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