しっかり脅かされた

2010-10-25 10:31:32 | 塾あれこれ
塾や学校へ教材を出版・販売する会社のセミナーに
行ってきました。

新しい問題集などを展示説明する会ですが
人寄せで小さなセミナーを開かれるのです。

全国規模の出版社で定評があるものが二つあり
今回伺ったのは、そのうちの一つです。
もちろんもう一社も近いうちに広島で展示会及び
セミナーを開催されます。

小さな塾は情報が入りにくいのでこういう機会は
とてもありがたいですねえ。
現在の情報の基準が分かります。

で、先日のセミナーは小学校の教科書が変わるという
ことがテーマでした。

以前から分かってはいたことですがどのように変わり
そうか、具体的な情報を得られました。

「ゆとり教育」への反省から(文科省はそうは言いませんが)
教科書が一気に大幅ページ増になります。

(教科書を教える)→(教科書で教える)

幅広い学力差に対応できるような教科書づくりです。
材料が沢山盛り込んであるのです。

学校現場は大変だと思いますね。

同様の教える水準であった昔は一律で教えていました。
大変ではあったと思いますが、ここまで教えるという
目安がはっきりしていましたから、今回改定よりは
多少ラクだったのではないでしょうか。

今回は、出来る子はそれなりに伸ばし
出来ない子は補習などで対応できるように
柔軟な対応がとれるようにという教科書です。

が、下手をすると「机上の空論」になるかもしれず、
教育現場の大変さは増すかもしれません。

「昔に戻るだけさ」とはいかないようです。

従って塾業界にとっては追い風になるかもしれません
が、私には「大変になりますよ」という風に聞こえて
しまいました。

個別対応をすれば、出来る子出来ない子それぞれの
教育ができるとは思いますが、現在の学校では十分に
対応できそうにありません。
一斉授業を前提として個別対応まで十分に行える訳が
ないのです。
(空論か、というのはこの理由から)

義務教育という立場からか、従来の学校は「出来る子は
自分で伸びていってくれ、出来ない子の対応が大変だ」
という先生方が多かったのではないでしょうか。

能力別対応まで十分に、というのは現実問題として出来
ない子の切捨てにつながるおそれがあります。
「そうならぬようしっかり対応する」とは仰いますが。
教員は神様じゃありませんから。

出来ない子は能力で区別されたときに何にも感じない
と思っているのでしょうか。
出来ない子だから分からない?・・まさか。

たまたま、とある時期にとある能力が発揮できないから
どんどんと出来ないグループを作り、そのなかに隔離
していってよいのでしょうか。
大げさな言い方ですが、国家の損失になりそうです。

本来人間には一定程度の能力は平均的に備わっています。
目先の「経済的要請」で東大レベル、国立レベル・・と
輪切りをしてしまうと本来伸びるものが停滞します。
(多くの塾も同罪)

繰り返しますが「補習を丁寧にするから大丈夫」とは
いかないのです。
人間の心をバカにしちゃいけません。


経済的にかなりのレベルに達した国家で
人間には競争心があるからその面はケアしないでも
大丈夫とはいきません。

補習をしておいてやればいつか競争心がカバーを
するとはいえないのです。

競争心は必要です。
(悪平等は最悪ですね)

では、格差を拡げる仕組みで競争心が生まれるか?
否。

本当の競争は自分ともう一人の自分の間から産まれます。

保護者の正しい眼差が重要で、塾などの個別対応教育
の大切さも問われると考えます。
文科省に頼ってばかりはおられないでしょうから。