教えない・・(その4)教えないで月謝とるの?

2006-08-07 09:48:37 | 教えない

日本における勉強=修行では「教えないこと」が基本でした。多く
は「ただ働き」食事以外は無給で、さまざまな作業などをしながら
「教えない、必要があったら学べ、盗め」とされていました。
厳しいですが、それでも金をとる、までは少なかったでしょうね。

私のように、教えないで月謝をいただくというのはエゲツナイかなあ?

次のように思われる方がいらっしゃいますか?
「教えないとかいっても、質問させるのだから、それには答える
わけで、結局は教えてるんじゃないの?」
そうです。こんな疑問が出てくるように、不親切に説明しておくの
が私流の「教えない」なのです。

いままでの3回では「教えない」と何度も書きながら、その内容を
はっきりさせていませんでした。

もしエライ学者の方などがこの文をご覧になられても、それだけで
あちらを向いてしまわれそうです。(見るわけないけど)
そういう方の書かれる「キチンとしたもの」では初めに定義などが
これでもか、と説明してあります。我々多くの人間はそれだけで
その世界に入っていけません。が、エライ方は考慮などなさいませ
ん。そちらが土俵に上がって来い、とおっしゃいます。

でも、専門までいかなくても例えば数学の教科書を見ましょうか。
単元の初めに概念とか定義とか、たくさん書かれています。
イヤになりません?
なぜそんな決め方?とか思っていると、もう「~であるから、次の
ことが言える・・」と先へ進んでしまうのですね。

ものを考えるとは最初は「こんな場合はどうだろう?」からです。
「正確を期するため定義から説明する」というのは、考えることの
流れとは違うように思われます。
少しずつ考え初めて、疑問を一つずつ解決してゆく、その中で思考
が出来あがってゆくのではないでしょうか。

話が横道に入ってしまいました。
私の「教えない」とはどういうことか、でしたね。

そもそも、完全に何も教わらないで勉強が進む人はふつういません
から、「カンペキに何も教えない」ということはありえません。

平方根やピタゴラスの定理を教わらずに、自分でみつけられるなど
という人はほとんどいないでしょう。まず教わらないと、できるワ
ケがありません。

「なるべく教えることを少なくして、自分で学ぶ力を育てる」とい
うことを、ここでは「教えない」と表現しています。

教えすぎない、という表現では実感が伴いません。
かなり意識して「教えないぞ」としてないと実行できないのです。

さてここからの具体論が難しい。出来あがったものがあるわけで
はないのです。


私の年若い知人にT君という人がいます。数年前私に、とある本を
教えてくれました。辻本雅史著『学びの復権』です。
井上の考えていることがこの本で少し分かった気がする、といって
教えてくれたのです。(著者は教育学者、現京大教授)
読みやすい本です。

乱暴を承知で短かく本の内容を紹介しますと
「明治に始まった学校教育には欠けているところがあり、忘れ去ら
れた江戸の教育にその解決法がある」というものです。
その中心は「教えないこと」

非常に面白い本ですが、後半の具体論は弱いと思います。T君も
そう指摘していました。また、私には儒教の話はジツはピンと
きません。勉強不足を恥じるばかりです。
とはいえ、面白くて勉強になる本です。

この本を読んで自分の方向に自信が持てました。

(上記掲載の写真は昨日近所の山を撮ったものです。暑いですね)


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