ほるほる

矢作川のほとりで枝下(しだれ)用水を、
徐福・百済王で中韓日の渡来人伝説を楽しむ
逵(つじ)志保のページです

中国便り(その3)

2012-09-14 00:49:36 | 徐福伝説
2012年9月13日、8時前にホテルにサイさんがわざわざきてくださって、タクシーを手配してくださった。
自分でやりますと言ったのにみなさん本当に親切で、たぶんそのせいで今もしゃべれないのだ。
蘇州市徐福研究会を代表して象山に行く予定だったサイさんなので「あさって会いましょう」と繰り返し言う。
中止になったんですよと言いたかったけれど、駅までの時間に余裕がなく、そのまま別れてしまった。

蘇州の町はいま地下鉄の延長など工事だらけで、やたらと時間がかかる。
余裕を持った出発のはずがまたぎりぎりの到着だった。1時間近くかかった。これなら南京にもいける時間だ。
再び和階号にのり南京へ。

待っていてくれたのはコさん。
1987年、初めの訪中の時は、まだ個人旅行ができなかった時代で全線随行があった。それがコさんだ。
驚いたのは玄武湖の前に駅ができていたこと。ものすごくきれい!
そして先ずは行きたかった城壁へ。
この城壁、三国時代のものも残っていて、素敵な公園になっている。
なぜ1987年に来れなかったのかというと、そのころはまだ文革の下放から帰った人たちが
暮らすところが無く占拠していたらしい。未開放地区だったのだ。

その後、同様に学生の訪中団で昔おせわになったチョウさんと合流して、
昼食をとりながら昔の話と今の話で盛り上がる。
しかし、いまやチョウさんは国営の旅行社の日本語部長、コさんは副社長。
チョウさんのところには日本からのキャンセルの電話がしょっちゅうかかってくる。
南京のこの旅行社で、この秋、日本からの4団体77人全員、中国からの189人が渡航中止を決めたという。

なんて言ってる間に会議にどうしてもでなくてはならなくなったコさんは
部下のミャオさんに頼んでくださって、私たちは中山陵へ。
日本語をきいて「日本人か」と聞かれたけれど、ミャオさんが「しらない」と応えてくれた。
知らないってのもおかしいけれど。
392段の階段は最後はもう泣けたけれど、遠くの町は違っても、見下ろす緑はまだ健在だった。

というわけでその後はワタルと私は近くの大型スーパー「家楽福(カルフール)」にでかけ、
水餃子を食べて帰ってきた。ワタルがお腹が休まってよかったとかなり贅沢なことを言った。

なんかのんびりしていたようだけれど、今日は電話電話の一日だった。
日本から大会中止は本当ですか?の声。
中国から残念だの声。
連絡つかない人には国際電話。
ああ本当に残念。
コメント (2)
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