先日久しぶりに、喜多院の五百羅漢さんに会ってきた。天気のいい日だったが、さすがに秋らしい日和だった。
五百羅漢とは言え、何体の羅漢像が並んでいるか、私は数えたことはない。だが、案内書めいたものによると、535体の羅漢像が並んでいるとのこと。
「五百羅漢の中に、自分によく似た顔がある」と、誰かに聞いたことはあったが、535体ではなかなか会うのは難しいように思う。とは言っても、いいお顔が並んでいるので、「これぞオレの顔」と思いたい羅漢さんには会えるかもしれない。
今は秋。俳句歳時記に、「秋思」という季語がある。かいつまんで言えば、「しみじみ秋を感じ、秋を思うこと」が、季語の本意らしい。
535体の羅漢さんの中で、「秋思」を体現しておられるお顔に出会えるだろうか。
そんな不遜な動機で、羅漢さんのお顔を眺めて見た。
上の羅漢さんは、秋を深刻に感じてしまわれたご様子。すっかり考え込んでしまった。さすがにこれでは、「秋思」を逸脱していると思われる。
上の羅漢さんは楽天派だ。季語の「秋思」は、これほどの明るさはなさそうに思う。
このお二人は、まさに秋を賑やかに感じてしまわれたご様子で、「いっぱいやろうや!」と、かなりの行動派だ。たしかにこのスタイルも悪くはないが、違和感がないわけでもない。
そう、そう、このお顔、深いところで秋を感じておられるのではないか。
「どんなに暑くても、時が巡れば、必ず秋は来るものさ」
羅漢さんが、そのように仰せのご様子だ。
ふと見れば羅漢の眉の秋思かな 鵯 一平
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