私は童謡が好きだ。子供の頃から、よく唄っていた。
好きな童謡のトップは、やはり、野口雨情作詩、中山晋平作曲の「雨降りお月さん」だ。子供の頃からの愛唱歌だった。野口雨情が同郷の詩人だったことも、好きになった理由の一つかもしれない。
「月の砂漠」も好きな童謡の一つ。王子様とお姫様が砂漠に登場するので、エキゾチックな夢が広がる。自分が王子様の気分になったりする。しかも、誰かをお姫様に想定して唄うのだから、勝手な話ではないか。
「赤とんぼ」も忘れられない童謡の一つだ。三木露風作詞、山田耕筰作曲。
この詩には、戸惑う箇所が幾つかあった。今になってもすっきりしないところがある。
♪ 夕焼け 小焼けの 赤とんぼ
負われて見たのは いつの日か ♪
子供の頃は、「負われて」を「追われて」と理解していたように思う。「あかとんぼが追われて何かを見たのだろう」と思っていた。
「子守の姐やに負われていた風景」とは、だいぶ後になってから知った。
♪ 夕焼け 小焼けの 赤とんぼ
とまっているよ 竿の先 ♪
上は4番の歌詞だ。何でもない風景なのだが、とても強く心に沁みてくる。
竿の先に止まっている赤とんぼは、何かの拍子にツッと飛び立つ。しかし、クルリと展開してまた前の竿に止まる。幾度も幾度もこれを繰り返すのだ。
童謡を一心に唄っていた時代は、はるか彼方へ去ってしまった。もう戻っては来ない。寂しいことおびただしいが、これが厳しい現実だ。
もはやあの幼さを取り戻すことはできない。
しかし、せめて時折は、いっときなりと童心を思い出したいものだ。
赤とんぼせうこともなく止まりをり 鵯 一平
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