昭和20年8月6日の朝、広島市に原子爆弾が投下された。人類史上初の核兵器使用であった。
広島市平和記念公園では、午前8時から、平和記念式典が行われた。
国連トップのハンキムン事務総長のほか、過去最多となる74カ国から、駐日大使らが出席した。原爆を投下したアメリカに加え、核保有国のイギリスやフランスからも、初めて代表が出席をした。核廃絶へ向けて、前進をしたというのだろうか。
まだまだ私は納得ができない。アメリカは依然として、原子爆弾の投下を正当化している。「戦争を早く終結させるため投下したのだ」と、言い張ってはばからない。
原子爆弾を投下した飛行機「エノラ・ゲイ」の機長の息子は、「ルース駐日大使の記念式典出席は、『無言の謝罪』となるので、とても承服できない」と発言している。
つまり、「宣戦布告なしに真珠湾を攻撃して戦争を引き起こしたのは日本。その戦争を終結させるために原子爆弾を投下したのだ。なんら謝罪すべきことではない」という言い分なのであろう。
この考えは、その息子特有の考えではない。アメリカにおいては、そのように教育されているのだ。
それに対し、日本政府としては、なんの反論もしていない。
それどころか、「世界唯一の被爆国として、我が国は、核廃絶運動の先頭に立つ『道義的責任』がある」と、菅総理は演説した。
核廃絶は成し遂げなければならない。我が国が先頭に立つのはいい。しかし、『道義的責任』があるのだろうか。
私には納得がいかない。
核廃絶のスタートは、アメリカの謝罪から始めるべきだ。無差別の大量殺戮に「正義」はない。「真珠湾攻撃」を引き合いに出すなど、言語同断だ。
これは私の言い分だ。
もう一つ附言すれば、謝罪ばかりしている日本にも反対だ。
大いなる不条理を感じている。
不条理が居座ってゐる原爆忌 鵯 一平
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そして悲惨な戦争を避ける努力を忘れない事が重要と思います。
いろいろな意見があっていいのだろうと思います。
終戦直前まで、日本は戦争終結を模索していたようでした。
しかし、日ソ同盟などに頼って、ソ連が仲裁してくれるものと思っていた。アホな話です。
ポツダム宣言についても論議をしていたのです。
アメリカが原爆を使わなければならなかった状況ではなかったのではないでしょうか。
そんなことは、どっちでもいいのです。
言いたかったことは、一国だけを責めることに異を唱えたいのです。
日本が悪いから原爆を使ったという勝手な言い分に異論があるのです。
一発で10万人を殺す兵器を使い、「日本が悪かったからだ」と、さも大量殺戮に正義があったに言いつのるアメリカに、辟易しています。
それを甘受している日本にも失望しています。
サイパンに慰霊の旅をした時に、バンザイクリフ(1万人の日本人が海に飛び込んだ断崖)で言葉もなく立ち尽くすのみでした。
伯父と幼い従兄弟がこの島のどこかに眠っていると思うと胸がしめつけられる思いがしました。
青磁色の海は沖に行くほど紺碧となり、あまりに綺麗で泣けました。
前を向いて核廃絶に全世界が手を繋いでほしい。
みなで核廃絶を唱えれば大きな力となることでしょう。
戦争は悲惨ですね。
平和が何よりです。
平和への筋道の立て方によって、その先の方策が変わります。
どちらを選ぶのではなく、両方を選ぶしたたかさが欲しいと思います。
人間は何処まで賢いか。
私は悲観的なのです。
賢さの前に弱さが出てしまいそうです。
難しい選択を迫られます。