あの夜は、梅雨末期によくある豪雨でした。
昭和20年7月17日の深夜。
東部軍監部情報が、「空襲警報」を発令しました。アメリカの飛行機が鹿島灘から、茨城県上空に侵入してきたのです。
しかし、その空襲警報が、すぐに解除になりました。
侵入してきたアメリカ軍機が、「鹿島灘沖へ退去」したのです。
ところがほどなく、爆音が聞こえ始めました。
「爆撃だ!ソレッ、防空壕へ!」
外へ出てみて驚きました。
眩い閃光と学校の窓ガラスの振動。少し遅れて、ドッカーンという爆音。
これは艦砲射撃だったのです。
私たちは、直ちに、山のトンネルを目指して逃げました。
篠つく雨。
真っ暗でした。閃光を頼りに、必死に走りました。
空襲警報が解除された後の砲撃でした。
日本の警戒網は、空しか見ていなかったらしい。
偵察機が退去してので、「空襲警報解除」としたのです。
こんなことでは、戦争になりません。
しかし、「一億総玉砕」が叫ばれていたのです。
梅雨の闇空襲警報解除です 鵯 一平
あとで聞いた話が二つ。
一つは、アメリカ海軍の標的は、日立市の軍需工場だったこと。
二つめは、海岸沿い人たちは、逃げなかったのだそうです。
軍艦からの曳光が見えたので、「あ、あれは日立市方面を狙っている」と思ったそうです。
旧友のH.I君から聞いた話です。
そのH.I君が病床にあります。
早く回復してほしいと、心底から願っています。
別館として、写真俳句ブログの「ひよどり草紙」を開いてます。
ご覧いただけると嬉しいです。
→ こちら
この地球のどこかで、いつも武器の音がしているようです。
日本に限らず、争いごとが無くなる事は無いのでしょうね。
縄張りを主張するのは人間であっても動物の本能なのでしょうね。
平和を願わずには居られません。
ご友人様、元気になりますように。
中東は縄張り争いですが、根っこは宗教なのでしょうか。
貧困も争いの原因になっているのかもしれません。
東アジアにおける不安定の原因は何なのでしょうか。
中国は「中華思想に基づく覇権主義」で、北朝鮮は金王朝の存続が最大目標なのでしょう。
ロシアは他国へ供給しているエネルギーを道具としている卑劣な国家。
シベリア抑留はシランプリにしたまま、北方領土も返しません。
憲法九条が日米条約の瑕疵となっているのに、日本国民は太平楽で子供手当てや高校無償化で喜んでいます。
「市民政治家」を売り物の政治家では、国家は破滅するように思います。
先ほど ↓ にコメント致しましたが メンテナンス中で文面何処かへ飛んで行きました。
また改めて書きます、お友達のご病気が気になりますね、が気の持ちようです。
この様に何回でも生き返っています者も居ます、今日から放射線治療が始まりましたが 毎日ドライブして行って居ります、10回の予定です。
さて日本に住んでいる方とは戦争に対する考え方少し違います。
まず 友人の子息、又は娘婿、など今は アフガニスタン、イラク、の戦線で戦って居ます、ですから
もう他国の為にはそうそう知っている人々を失いたく無いです。
日本も 安保条約 などと言わずに 1958年 サンフランシコ講和条約にて 日本は独立国家になりました、どうか早くひとり立ちをして欲しいです、皆さんは何か勘違いをして アメリカが押し付けた ”憲法第九条” と言い続けて未だに一人立ち出来ない状態ですね。
今日は辛口ですみません、空襲の話を拝見して皆さん怖い思いを沢山なさったのだととの感致します。
紫のJacarandaの花木を掲載しました、お暇の折にお立ち寄り下さい。
その軍需工場狙って?
海岸の人たちが逃げなかったのは、先を見越していたから?
空襲~アメリカ軍上陸~日本壊滅の恐怖があったのでしょうね。
後世に語り継いで欲しいです。
終戦後すぐに生まれた世代でさえ。
非現実になりつつあるのですから。
日本人の中でも、国のあり方や憲法に関する見解がいろいろあります。
自由と民主の国ですから、いろいろあっても仕方がないのですが、過去の歴史認識の食い違いが大きく、日本人はバラバラなのです。
マッカーサーの占領政策によって、歪められた「歴史認識」が日本人を洗脳してしまいました。
マッカーサーとしては、当然のことをしただけでなので、彼に文句を言っているつもりはありません。
「東京裁判」も洗脳のための必要なステップだったと思います。
戦勝国が敗戦国を見せしめのために裁きました。
しかも、当時の国際法にはなかった「平和を乱す共同謀議」によって、多くの人を死刑にしました。
戦争責任については、日本人の手で裁くべきでした。
しかし日本人は、それをバイブルの如く押し戴いてしまいました。
いまだに「靖国神社」がすっきりしないのです。
講和条約を機に、日本政府は、日本人の手で「歴史認識」を見直し、「過去の清算」をすべきでした。
その機会を逃したのは、戦後指導者の怠慢と国民の無知と無気力だったと思います。
それだけアメリカの統治が上手くいったということだったのでしょう。
経済発展にのみに心を奪われ、日本人の誇りを失わせたのは、戦後政治家の大きな誤りだったと思います。
憲法九条があれば、日本は平和でいられると、すべての国民が思っているわけではありません。
その九条があるために、「集団的自衛権」の手を自ら縛っています。
このような日本が他国と、「安全保障条約」を結ぶことはナンセンスです。
「属国化条約」に等しい。
参院選で、「消費税」が争点みたいになっていますが、実は、もっと重大なことを争点にしなければいけないと思っています。
しかし、偽りの「戦後民主主義教育」が見事になされたので、日本人は当分ダメです。
「歴史認識」、「国家観」をしっかり論議しないかぎり、日本は溶け出します。
今、過去の戦争の辛さを語ると、単なる「過去の否定」のみに理解されます。
だからもう言いたくない!
あなたが言われていることは、よく分かります。
しかし、私は諦めかけています。
その内、「水溶性の日本」は溶けます。
戦時中の経験を語ることに、このごろ躊躇してしまいます。
「戦争は悪い」とだけの認識を振りまくことになってしまうからです。
「何故戦争になったか」、「「日本人はどれだけ悪かったか」「日本国の言い分は何だったか」など、冷静に論議できる雰囲気が今の日本にはありません。
多くの人が、「自虐的」にしか振り返ってくれません。
冷静に過去を整理し清算すべきだと思います。
空襲警報なら消灯するのに、あの夜は電灯傘に腰巻のようにぶら下げた布の内側は、灯りを点けてました、それは、空からのB29空襲の心配が無いからと、子供心に思いました。
それにしても、軍監部情報で警戒警報や空襲警報が発令されると、ラジオから鳴る、あの警報音を思い出しませんか?。
もうお帰りでしたか。
わが家のラジオは、「24B]というタイプの蜜柑箱くらいの大きさでした。
まがまがしい感じの音でしたね。
「ビビー、ビビー。東部軍監部情報、東部軍監部情報。只今空襲警報が発令されました。敵B29は鹿島灘から上陸し、茨城県上空を北上中」
そんな感じでしたかねえ。
耳についていて、今も離れません。
私の生まれる前のお話ですが、空襲警報の音が今も耳に残っているというは頷けます。
戦地にいかないくても、このような体験をされていたのですね。
H.Iさま、今を乗り切ってお元気になられますように!
ご友人さまのご快復をこころから願っています。