偉そうに言うつもりはないが、「老い」は不条理だ。私としては、とても納得できない。
だが待てよ。
「納得できない!」と力んでみても、生物は老いる。地球を持ち上げるほどの力があれば違うかも知らないが、核兵器で殺人をしたり、宇宙基地を造る程度の知恵しかないのだから、不老長寿の仕組みを造り変えることは出来ない。
言い方を変えれば、「生老病死」のシステムは、今のところ、最善の原理なのだ。生まれたら必ず死ぬ。
つまり今のところ、自分が納得できる「老い方」や「死に方」を実践することしかできない。
「輝いている老」を生きたいし、「納得出来る死」を迎えたい。
なーんだ、今までやってきたことと同じではないか。つまり、精一杯生き切ること。
しからば恋は?うーん、こいつは難しいのではないか。相手があるのだから。
去り行ける歳月のごと遠花火 ひよどり 一平
へんな五七五だが、過ぎ去りつつある現在を、大切に生きようということさ。
孫の母親の十三回忌。孫は十三歳になる。あの時の悲嘆は、今や、息子や孫に対する賛辞と周囲に対する感謝に変わった。
そしてチョッピリ、私を誉めたい。
「時」は「クスリ」なのだ。
あっ、いけねえ、もう寝よう。
>自分が納得できる「老い方」や「死に方」を実践することしかできないのだ
確かにそうなのですよね。「生老病死」は不可避なのですから・・。
最近私もそんなことを考えるようになりました(笑)。
ウチの孫娘と同じ年ごろになったのですねぇ。
いろいろ苦労はあったことでしょうけれど、これも受けなければならない一つだったのかも・・・・・・
こうなったらシブトク・・・・
元気で恋でも何でもして長生きしてくださいね。
言い方を替えれば、どんな生き方をしたって、死ぬことはできるということなのでしょうね。
へんな論理です。
これは理想ですが、なかなか難しいですね。
ましてや、「恋でも何でもして…」となるとほとんど絶望的。
恋は一人では出来ませんから。