線香花火(手花火)は、過去のさまざまな事柄を思い出させてくれる。走馬燈の如しだ。
また、線香花火の頼りなさは、現在進行中の現実をも見せてくれているようにも思えてならない。
「そんなマイナス思考でどうすのか!」との苦言もあるが、楽観視していいほど明日は確実なのか。
人の心だって移ろい易い。
最初の小さな嘘や一歩が、ささやかな個人関係を毀損するばかりか、破壊をも起こしかねない。
知らぬは本人ばかりなり。
さよう、この世は危うさに囲まれている。
手花火の烟に泪おのづから ひよどり 一平
(てはなびのけむりになみだおのずから)
数年前までは孫に付き合いやっていましたが
今ではそのチャンスさえありません(笑)。
いい写真ですね。いろいろ思い出させていただきました。
危うさもエネルギーの源になるのかもしれません。
少々のストレスがバランスを取ろうとさせます。
のんびり・・・タラリンでは良い句も出来ないかも・・・・・
線香花火・・・子供のころを思い出しました。
子育てのころはその余裕がありませんでした。
成長というのは不思議なもので、孫たちは「花火」の言葉を忘れたようです。
子供を連れての帰郷の時の思い出だけです。
自分が子供だった頃は、主に戦時中だったので、花火の余裕はなかったと思います。
花火大会の打ち上げ花火もいいのですが、私も線香花火には哀感があって心を打たれます。
私は気が小さいので、最後まで持つことは少ないです。
人生はいろいろあって難しいです。
子猫さんがおっしゃる通り、最後まで自信を持って生き切ることなのでしょうね。