10月25日の記事に、「限りある生命」を書いた。
その気持ちが、次の俳句となった。
ほの揺れつ生命の色の照葉かな 鵯 一平
秋の陽を受け、赤く染まった残り葉のように、燃えて生きたいと思った。
具体的には、どのような生き方か。
それが次なる課題だ。
燃えて生きたいと粋がってみても、残されているエネルギーは乏しい。
緩やかに、丹念に、生きることしかできない。
昨日、久しぶりに公園の薔薇を見た。
四季咲きではない薔薇が、秋の陽を浴びて、控え目に咲いていた。
秋の薔薇には、夏の豊麗さはない。狂わす強烈な香りもない。
レンズを近づけた。微かに香った。
レンズを通して見る薔薇は、とても頼りなさげだった。冬の薔薇と同じだ。とても愛おしい。
丹念にシャッターを押した。
残ったノートの余白に、丹念に描き続けるように……。
生きて今余白に描く秋の薔薇 鵯 一平
俳句の上で、薔薇は夏の季語だ。冬の季語としては「冬薔薇」がある。秋の薔薇が季語となるのかどうか、不勉強な私は知らない。
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素直にそのまま綺麗な句と感動しました。
秋のバラは色がきれいです。そのまっまひよどりさんの素敵な生き方が重なります
今朝は寒いですねえ。
寒さに負けて、ポケットに手を入れた情けない状態の私です。
これではいけませんね。
美しい薔薇と素敵な俳句ですね。わたしには
俳句は難しいです。
おっしゃるように、エネルギーも残り少なくなり
心細いかぎりです。燃えて生きたいとは
思いますが・・・
28、29日女房と小旅行に行ってきました、余白を描くほど格好をつけたものではなく飲み会みたいなものでしたが天気は上々ご機嫌な旅でした。
今頃の薔薇は季節はずれなんですかね、時々見かけますが鵯さんのような感性が無いので申し訳ありません、でも自分流にキッチリ咲いている薔薇と俳句、ホントウに綺麗です。いいなこんな感性、これからも楽しみにしております。
月は秋の季語とされていますが、一年中見られます。
でも、春の月を詠みたい・・・
でも、春の月はどう考えても春の句ですね。
季語は作られるものだと思います。
秋の薔薇大いに結構だと思います。
ひよどりさんの心の中を見事に表現していると思います。
エネルギーが乏しくなりましたが、
心細いなどとは言わずに、
温もり活用の「省エネ作戦」などで、
気持ちよく生活しようではありませんか。
奥様とのご旅行、さぞや楽しかったことと存じます。
いいことをされましたね。
私など感性と言われるほどのものではなく、自分勝手流のバタバタ劇です。
ただただ素直でありたいと思っております。
(今までが素直でなかった分を、取り戻したいと願っております。
一人よがりかなあと案じながらの句づくりです。
いろいろありがとうございました。
もとより「自分勝手流」を標榜しておりますので、いまさら気にしても仕方のないことです。
約束事はあくまでも「一つの」という約束事なのでしょうから、謙虚な踏み外しをしながら楽しみたいと思います。
が言葉を見るのが好きです
ひよどりさんの写真がまた素敵で
今日のバラもまたなんとも言えない
控えめながら
静かに輝いているように
勝手に理解しました
いつも楽しみに見ています
生きて今余白に描く秋の薔薇
余白が意味深ですね。
仕事も家庭にも充実した時間を過ごしたようで、今は、心の余裕を揺れながら楽しんでいると読めました。また、そうあって欲しいですね。