産経新聞の投書欄に、朝青龍騒動に関し、二つの意見が載っていた。
一つは82歳の男性。
「骨折を理由に巡業に行かず、モンゴルでサッカーに興じていた。相撲協会の処分に対し、説明も弁明もせずにダンマリ。最後はモンゴルへ帰ってしまった。横綱の権威と責任を放棄し、相撲協会と親方を手玉にとった。これでは相撲の世界から去るしかない。相撲協会も親方も、反省すべきである」、といった内容。
もう一方は30歳の女性看護師。
「大人たちがここぞとばかり朝青龍を非難している。恥ずかしくないのか。巡業に参加せず、モンゴルでサッカーをしていたのは、横綱の地位にあるまじき行為だとは思う。処分は分かるが、それでいいのではないか。日本国民の好き勝手な発言は、集団いじめのなにものでもない。子供たちに恥ずかしくない大人であってほしい」、という内容であった。
この問題を一つとっても、人さまざまを伺わせる。いろいろな意見があっていいのだと思う。新聞社も、一方の意見では公平を欠くので、両論を載せたのに違いない。
私は30歳女性の意見には、異論はある。
多数の意見が、多数という理由で、少数の意見に遠慮してはならない。意見の開陳は自由だ。民主主義はその自由の上に成り立っている。
もちろん一定の節度と抑制がなければならない。
今回の場合、果たして抑制が利いていたかという点では、多少疑問もある。マスコミの
この喧噪は何なのか。多くの報道陣が、モンゴルに押しかけるほどの問題か。
こんなに金をかけてまで、なぜ取材するのだろうか。個人的には疑問も感じる。しかしマスコミとしても、読者や視聴者のニーズに応えたいための取材活動なのだろう。
とすれば、みっともないことだが、マスコミの動きも必然。
読者や視聴者のニーズが、つまりみんなが興味を抱くことが、いじめの根源なのか。
そうとも言えまい。横綱はすでに「公人」的な存在。知りたいと思うのは、やむを得ないし、知りたい欲望に対応するのは、報道機関相互の競争としてマスコミの動きも避けられない。
どこまで抑制するかが、きっと大きな問題。
つまり、抑制すべき点はあるにしても、多くの人が意見を言うのは、いじめではない。
これをいじめとしたら、多数決はありえない。
朝青龍騒動には、騒がれる幾つかの問題があった。
公益法人相撲協会の横綱として、多くの人(極端に言えば、かなりの日本人)の期待を裏切った。
日頃からの言動が、この際に上乗せされて、一点集中的に攻撃された。
「骨折」という診断書が、本当に存在しているのか。サッカーが出来ているのに、巡業が出来ないほどの「骨折」だったのか。
相撲協会の処分が出されたが、「公益法人」の相撲協会として、代表者がキチンと公表したのか。
朝青龍に対し、十分に説明したのか。
「公人」としての朝青龍は、なぜ実情なり心情なりを説明しないのか。
いきなり「ストレスなんとやら」の病気では、さっぱりわけが分からない。病人相手では、質問も詰問も出来ず、上手いところに逃げ込んだとしか思えない。
「公益法人」の相撲協会は、税金が免除になっているはず。
その立場をふまえた上、相撲協会は朝青龍に対し、横綱としての自分のあり方を教育しておくべきであった。
批判や非難はやむを得ないことだ。協会、親方、横綱それぞれが、も大いに反省すべきである。
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