秋薔薇に無疵な日などあるものか ひよどり 一平
(あきばらにむきずなひなどあるものか)
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大袈裟に言うつもりはないが、ひとは他人を疵つけたり、他人から疵をつけられたりしながら生きているのではないだろうか。そのように思えてならない。
決して気分がいいものではない。
しかし、そのほとんどは、「はからずも」なのだ。「意図的に」疵をつけたりはしない。
そんなことを繰り返しながら、八十余年が過ぎてしまった。
時折り、索漠たる気分に陥入ることがある。
とても寂しい。
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友人に誘われて、カラオケに行ってきた。コロナ以来だから、二年余ぶりだったろうか。
カラオケの装置が、大きく変わってしまったのには驚いた。
わがノドが、ひどく退化したこともショックの一つだった。歌い続けるエネルギーも気力も減退していた。あの頃は、二十曲歌っても平気だったのに、昨日は、五曲も行かないのに、心身共に悲鳴を上げた。
もちろん、結果は最悪。「やっと歌いました」というような成績だった。
「今後、どうしようか?」と考えたくなるほど、「身体」にも「心」にもダメージがあった。
しかし、今後の健康な日々を求めるならば、やはりカラオケは必要ではないかと思い直し、「よし、いちから出直そう」と思い始めているところだ。
それには、以前に使っていた「カラオケのメモ帳」を探すことから、始めなければならない。
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