新・ほろ酔い気分

酔っているような気分のまま、
愚にもつかない身辺雑記や俳句で遊んでおります。
お目に留めて下されば嬉しいです。

子供は社会が育てる?

2009年10月12日 10時39分52秒 | 身辺雑記

 昨日は孫の運動会。

 晴天だったが、風が強かったので、すこし可哀想だった。お弁当もジョリジョリ。

「ヨーイドン!」

 笛が吹かれて、周りが走り出したら、それを見て走り出した。当然のことながらビリッケ。

 しかし本人は、順位には頓着なく、「金メダル」をもらって得意気だ。

 乳児たちや就学直前の子供たちが、それぞれの年齢グループ別毎に、ゲームや競技に興じていた。

「あのころは、あんなに小さかったのだな」  そんなことを思ったら、胸が詰まってしまった。

 地方行政機関や保育園の力添えがなかったら、このような日を迎えることはできなかったかもしれない。とてもありがたく、感謝の念がイッパイである。

「以前、子供たちは親が育てました。これからは社会が育てるべきです」

 鳩山内閣のマニフエストに、こんな内容があったように思う。

 孫の成長にお力添えをいただきながら、私はこの字面には違和感がある。

 子供を生み、育てるのは、やはり親なのだ。しかし、従前にも増して、国や地方自治体や社会が、「応援の形」で関与してほしいと思う。

「少子化を防ぐには、社会が育てなければならない」 という論理は、「人間性」もしくは「動物性」を歪めてしまう。家庭崩壊ともなりかねない。

 しかし、かくも複雑で困難性が増してきた今、親の責任を期待しているだけでは無理がある。

 だからこそ、国や地方は、「親の子育て」に手厚い応援をするという形で、手厚く関与してほしいと思う。

「子供は社会が育てる」の単純な論理は、家庭形成を歪めるように思えてならない。

 孫の育児にお力添えをいただきながら、やはり私は、そんなことを考えている。

「子育ては社会の責任」という単純さは、どうにも危なっかしい。

 昨日はとても疲れた。今日はぐったりしています。

 別館として、写真俳句ブログの「いのちの囁き」を開いております。

 ご覧いただけると嬉しいです。

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コメント (11)
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