昨日は孫の運動会。
晴天だったが、風が強かったので、すこし可哀想だった。お弁当もジョリジョリ。
「ヨーイドン!」
笛が吹かれて、周りが走り出したら、それを見て走り出した。当然のことながらビリッケ。
しかし本人は、順位には頓着なく、「金メダル」をもらって得意気だ。
乳児たちや就学直前の子供たちが、それぞれの年齢グループ別毎に、ゲームや競技に興じていた。
「あのころは、あんなに小さかったのだな」 そんなことを思ったら、胸が詰まってしまった。
地方行政機関や保育園の力添えがなかったら、このような日を迎えることはできなかったかもしれない。とてもありがたく、感謝の念がイッパイである。
「以前、子供たちは親が育てました。これからは社会が育てるべきです」
鳩山内閣のマニフエストに、こんな内容があったように思う。
孫の成長にお力添えをいただきながら、私はこの字面には違和感がある。
子供を生み、育てるのは、やはり親なのだ。しかし、従前にも増して、国や地方自治体や社会が、「応援の形」で関与してほしいと思う。
「少子化を防ぐには、社会が育てなければならない」 という論理は、「人間性」もしくは「動物性」を歪めてしまう。家庭崩壊ともなりかねない。
しかし、かくも複雑で困難性が増してきた今、親の責任を期待しているだけでは無理がある。
だからこそ、国や地方は、「親の子育て」に手厚い応援をするという形で、手厚く関与してほしいと思う。
「子供は社会が育てる」の単純な論理は、家庭形成を歪めるように思えてならない。
孫の育児にお力添えをいただきながら、やはり私は、そんなことを考えている。
「子育ては社会の責任」という単純さは、どうにも危なっかしい。
昨日はとても疲れた。今日はぐったりしています。
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