かつて、「保守」と「革新」の対立があった。
「保守」は狡猾な妖怪と思われ、「革新」は正義の味方と見られていた。
しかし、東西冷戦が西側の勝利で終結し、正義だったはずの「革新」の旗も、中途半端に降ろされてしまった。
一方、「保守」は「保守」としての理念を見失い、衆愚に媚びる存在となってしまった。
その結果が、度重なる政界の「離合集散」劇だったように思う。
その繰り返しの末、もはや自民党は真性「保守」ではなくなってしまった。
古きよきものを残し、悪しきを正しつつ漸進する役割を忘れてしまった。
自民党結党の理念たる「憲法改正」について、もはや誰も語らない。
国防の方策を、真剣に議論する土壌も失われたに等しい。
「拉致被害者の奪還」や「北方領土の奪還」などの領土問題は、どこへ消えたのだろうか。
自民党が敗北し、民主党の天下となった。
「社会保障」も、「福祉対策」も喫緊の課題だ。異論はない。
「少子高齢化」はもはや現実問題。避けて通れるものではない。
まだまだ残っている「差別」も、早急に解決すべきと思う。
同時に、その根底にあるべき「国のあり方」についても、意識すべきなのではないか。
「外国人参政権」問題だって、多くの議論が必要だ。
だが、これらの議論は、ますます曖昧になり、日本人の意識から消えて行くらしい。
なまじ「保守」を語れば、「軍国主義者」、「戦争礼賛者」、「封建主義者」などと思われ、化石扱いを受けそうだ。
憲法に関する議論も封じかねない。
「日の丸」の軽視や「公」を考えない風潮も、大いに気になってしかたがない。
こんなことで、本当にいいのだろうか。
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