新・ほろ酔い気分

酔っているような気分のまま、
愚にもつかない身辺雑記や俳句で遊んでおります。
お目に留めて下されば嬉しいです。

2030年の日本

2011年01月12日 10時55分45秒 | コラム・エッセー

 先日、「二〇三〇年 日本」(産経新聞社会部)を読んだ。「不安の論点」という副題がついていた。

 まえがきには、「あなたの20年後を想像してください」とあった。20年後の日本を想像し、今、何をすべきかを考えるよすがにしようということらしい。

 20年後と言えば、私は96歳。すでにもういない。そんな私が、今さら読んでみても仕方がないが、子供や孫の世代に背負わせる苦労が気になったので、読んでみたのだ。

 日本は不況のどん底に喘いでいる。バブル崩壊の傷手から回復しない中、サブプライムローンで大怪我をし、その上にリーマンショックの大波が覆い被さってしまった。階段から落ちて肋骨を折ったあと、背中をバットでぶちのめされた感じだ。

 立ち上がる暇もなく、次々にショックを受けてしまった。

 高校、大学を卒業しても、なかなか就職ができない。正規社員が不正規社員になり、あるいは職を奪われている。もちろん、給与は減少されっぱなし。

 可処分所得が減少している上に、少子高齢化の進展によって内需は伸びない。子供手当てをもらっても、馬鹿な親はパチンコに使い、賢い親は貯蓄に廻しているとか。

 輸出に活路を見出そうとしても、中国をはじめとした新興国の台頭によって、それが思うにまかせない。しかもかなりの円高傾向だ。

 これでは明るい展望が描けないではないか。

 外国では「ジャパン・シンドローム」の研究が始まっているそうだ。「ジャパン・シンドローム」とは、急速に進展している少子高齢化によって、日本社会が衰退している病理現象のことらしい。

 そんな日本の現状と将来を予測・研究し、自国の今後に備えようということらしい。

 バブル崩壊の傷手はひどかった。サブプライムローンやリーマンショックも大きな波であった。

 しかし、少子高齢化の進展化がもっと緩やかであれば、これほど重苦しい閉塞感の中にいなくても済んだかもしれない。

 くどくどと書いてしまったが、やはり我が国は、どこかで間違えたようだ。

 いまさら「来し方」を悔やんでも仕方がない。「行く末」のために、「今やるべきことは何か」を考え、少しでもマシな未来を残すべきではないか。

「タイガーマスク 伊達直人」の話によって、久しぶりに心が温められた。その後も、「タイガーマスク現象」が続いている。まだまだ日本人は大丈夫なのだ。

 私も、「20年後は生きていないから・・・」なんぞとうそぶいたりせず、今やれることを考えたい。

 政治家のみなさんにも、10年後、20年後、50年後、100年後を見据えて、しっかり対応してほしいものだ。

 与野党ともに、次世代、次々世代のために、正しい政治を遅滞なく進めてほしい。

 そのためにも、使い古された旧人の退場は必須だ。

 ましてや、「政治とカネ」問題などは、手際よく処理すべきなのだ。答えは決まっているのだから。 

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自分を棚に上げて

2011年01月03日 11時49分22秒 | コラム・エッセー

 ネットを漂流してみて、つくづく思った。

 小沢一郎氏に関することだ。

 彼を辛辣に酷評する人は多かった。ここ20年ほど、彼は「政界の騒がせ人」だった。

「政治とカネ」の問題や「政局屋」、「壊し屋」の評価があった。

 一方では、「政権交代の第一の功労者」という評価もある。彼をなくして、政権交代はなし得なかったという説だ。

 現段階に到ってなお、「政権交代の実」を一歩前進させるための立役者として期待されている。小沢一郎氏の手腕がなければ、アメリカ・官僚・検察・マスコミ陣営の軛から抜け出せないという強硬な説もあるようだ。

 本当にそうなのか。

 先の大戦の後、日本は驚異的な復活を果たした。にもかかわらず、自民党一党独裁によって、そんな日本の底力は破壊されてしまった。

 確かにそれはそうだった。「戦後レジームからの脱却」を唱った安倍氏も、あっさりと政権を投げ出してしまった。

 それ以降の自民党政権が、ヨレヨレだったことは事実だ。

 日本の再興のため、政権交代が必要であったことは認めよう。だから国民は民主党政権を選んだのだ。

 ところが、鳩山由紀夫氏、菅直人氏は、見てのとおりのテイタラク。

 そこで出て来るのが、「小沢一郎待望論」なのだ。

 小沢氏でなければ、アメリカや中国と対峙できない。小沢氏でなければ、官僚の専横を除けない。

 ・・・云々・・・。

 果たしてそうであろうか。

 巷間伝えられている小沢一郎氏に、日本の舵取りを任せていいのか。

 自民党の一党独裁の弊害があったことは確かだった。その一党独裁によって、「古きよきもの」が壊され、「改革へのエネルギー」も削がれてしまった。

 国際環境は激変している。もはや古くさい既成の対処方針では乗り切れない。

 日本は古い上着を脱ぎ捨てて、新たな前進をしなければならないのだ。

 戦後に植え付けられた「日本悪者論」、「アメリカ型民主主義」、「非武装平和主義」などの「戦後体制」から、脱却しなければいけない。

 すでに遅過ぎなのだが、たとえ「周回遅れ」ではあっても、「座して死を待つ」わけにはいかない。

 日本の周辺には、虎や狼がウロウロしている。中国、ロシア、北朝鮮など、胡乱な眼で日本を見詰めている。爪を磨いている。

 国際的な経済状況から考えて、「アメリカ一辺倒」で押し通せるはずもない。

 日本はどんな国であったか。どのような國であるべきか。

 安全保障をどのように考えるべきか。

 逼迫している財政の建て直しをどうすべきか。

 少子高齢化時代の社会福祉問題も大きな課題だ。

 せめて6割の人々が納得できる指導者が現れてほしい。

 どんなに優れた資質を有しているとしても、確かな「国家観」と「使命感」に裏付けられた「責任感」、「清潔感」、「透明感」、「潔さ」などが感じられなければ、私はそんな人を信用しない。

 自分のことをを棚に上げて言っているのだが・・・。

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困った日本ですね

2010年12月14日 10時58分23秒 | コラム・エッセー

 今日は朝から、冷たい雨が降っています。気象情報によれば、雨が上がって気温も上昇するということでした。その兆しはまだありません。

 11時20分現在、窓の外では、樹木や家屋を打つ雨脚の音が、激しく聞こえています。

   またぞろ、小沢問題で民主党が揺れています。

 昨日の民主党役員会で、小沢氏の政倫審出席が決まりませんでした。やはり、情けない政権・与党のようです。「一兵卒」の小沢氏に、日本の政治が振り回されています。

 一昨日、茨城県県会議員選挙が行われました。春の統一選の前哨戦として、耳目を集めていた選挙でした。

 そこで、民主党が惨敗しました。地元の民主党責任者は、「東京の政府・与党の問題で、大きな影響を受けた」と不満を表明していました。

 それは事実だと思います。「小沢氏を初めとする政治とカネの問題、尖閣諸島の処理の拙さ、仙谷官房長官の辞任圧力」など、政府・与党に対する国民の不満は、かなりの高まりを見せています。

 岡田幹事長は、「小沢氏には政倫審に出てもらう」と、幾度か表明をしていました。

 従って、党の要請や決定を突きつけられたら、小沢氏一派は党を割るかもしれないという観測も流れました。泰山が鳴動していた感じです。

 役員会が終わってみれば、元の木阿弥。小ネズミ一匹も出ず、何ら進展しませんでした。

「私は民主党の一兵卒」と自称している小沢氏に対し、指一本も触れられなかった感じです。

 余談ですが、「一兵卒」に対する護衛は素晴らしい。小沢氏の身辺は、がっちりと守られています。あれで一兵卒と言えるのだろうかと、つい疑問を感じてしまいます。なにか、やるせない感じもいたします。

 もちろん、国民の生命と安全は、國によって保障されなければなりません。しかし、小沢氏自らが「一兵卒」と言っているのに、あれほどの人が附いて回ることもあるまいに・・・。

 国際問題は緊迫しています。北朝鮮の敵対行動をはじめ、中国、ロシア、韓国との間で、領土に関してはスッキリしていません。

 尖閣諸島における衝突事件は、どのような納まり方をしているのでしょうか。釈放した船長は処分保留のままです。映像流失問題はどのようなことになっているのでしょうか。この頃、ニュースが聞こえなくなりました。

 日本の財政は逼迫し、そんな中で来年度予算を編成しなければなりません。ポロポロと税制改正の話は洩れています。子供手当て問題も出ています。国債発行額は44兆円以下という話も聞いています。

 そう言えば、自衛隊は1000名ほど削減するそうです。

 国会議員や官僚の削減は、どのようになっているのでしょうか。

 暮れから正月にかけて、予算編成作業は大詰めです。

 そんな中、小沢問題一つ決められない政権・与党に、大変不安を感じています。

「最後は私が決めます」。これは菅総理の常套句です。まだ沖縄訪問もできていない総理に、どこまで期待できるでしょうか。

 もちろん、自民党の静かさも不甲斐ない。谷垣、石原体制では、倒閣の迫力が感じられません。上品すぎるのですね。石破政調会長の迫力に期待したくなっている私です。

 それにしても、困った日本ですね。

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言葉の軽さは心の問題

2010年11月23日 08時12分57秒 | コラム・エッセー

 柳田法務大臣が辞任した。

 軽い言葉が追及された。単なる軽口として見過ごすことはできなかった。紛れもなく国会軽視の発言だった。人間性の問題でもある。

 菅総理としては、苦々しく思ったことだろう。任命責任が問われて当然だろう。今後における国会論議で、追及されるに違いない。

 ほかの閣僚の言葉にも、幾度かの論議があった。野党が追及できなかっただけだ。

 菅総理には、施政方針演説に関し、『大風呂敷を広げる』があった。

「できないかもしれないけれど、いろいろやりたいと思って……」

 なんぞとグダグダ言いながら、なんとか逃げ切ってしまった。

 言葉の持つ真意は、『大言壮語する』とか、『法螺を吹く』といった意味合いの言葉だ。施政方針演説が、大言壮語や大法螺であっては困るのだ。

 仙谷官房長官には、『柳腰外交』や、自衛隊に対する『暴力装置』発言があった。

 いずれも大問題なのだが、特に『暴力装置』には驚いた。『暴力』とは、『乱暴な力、無法な力』なのだ。我が国の自衛隊の武力に対し、『乱暴で無法な力』という表現は、言い間違いという弁明で済ませられる事柄ではない。

 ところが、野党は強い追及をしていない。国際的にも大きな影響が出る。これぞ「罷免」に値する発言であったと思う。

 仙谷由人なる政治家が、如何なる政治信条の持ち主であるか、自ずから出てしまった言葉だった。

 彼は自衛隊を、「憲法違反」と断じたのだ。これを許していいはずはない。単に、「自衛隊員へのお詫び」で済む話ではない。

 自民党をはじめ野党の奮起を促したい!

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日本国の矜恃と主張を忘れなく

2010年10月30日 09時30分56秒 | コラム・エッセー

「中国、首脳会談を拒否」という文字が、各紙の一面で躍った。

 ベトナムを訪問中の菅首相と温家宝中国首相による首脳会談が、会談の直前になって、突如中止となった。中国側の一方的な拒否であった。外交上の異例の仕打ちと言っていい。

 中国側の発表によると、「日本側が首脳会談の雰囲気を壊した。責任は日本側にある」と発表している。当面、会談の予定はないとのこと。

 慌てたのは日本側だ。尖閣問題が落ち着き始め、やっと首脳会談の運びとなった矢先だったのだ。

 なぜそのような事態となったのか、日本政府側は、「分からない、分からない」と慌てている状況。もちろん、「尖閣諸島問題」が根幹にあることは間違いあるまい。

 もうこうなったら、慌てることはない。首脳会談は手段であって目的ではない。首脳会談を開くことに汲々とし、日本国の矜恃と領土問題の主張を貫いてほしいものだ。

 はてさて、菅総理や仙谷官房長官にその覚悟があるかどうか?

 彼らを初めとする菅内閣に、いかなる国家像や国家観があるのか、私はいささか不安を感じているのだ。心配で、心配で仕方がない。

 中国という國は、「中華思想」に凝り固まっている一党独裁の國であること、くれぐれもお忘れなく。

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