先日、「二〇三〇年 日本」(産経新聞社会部)を読んだ。「不安の論点」という副題がついていた。
まえがきには、「あなたの20年後を想像してください」とあった。20年後の日本を想像し、今、何をすべきかを考えるよすがにしようということらしい。
20年後と言えば、私は96歳。すでにもういない。そんな私が、今さら読んでみても仕方がないが、子供や孫の世代に背負わせる苦労が気になったので、読んでみたのだ。
日本は不況のどん底に喘いでいる。バブル崩壊の傷手から回復しない中、サブプライムローンで大怪我をし、その上にリーマンショックの大波が覆い被さってしまった。階段から落ちて肋骨を折ったあと、背中をバットでぶちのめされた感じだ。
立ち上がる暇もなく、次々にショックを受けてしまった。
高校、大学を卒業しても、なかなか就職ができない。正規社員が不正規社員になり、あるいは職を奪われている。もちろん、給与は減少されっぱなし。
可処分所得が減少している上に、少子高齢化の進展によって内需は伸びない。子供手当てをもらっても、馬鹿な親はパチンコに使い、賢い親は貯蓄に廻しているとか。
輸出に活路を見出そうとしても、中国をはじめとした新興国の台頭によって、それが思うにまかせない。しかもかなりの円高傾向だ。
これでは明るい展望が描けないではないか。
外国では「ジャパン・シンドローム」の研究が始まっているそうだ。「ジャパン・シンドローム」とは、急速に進展している少子高齢化によって、日本社会が衰退している病理現象のことらしい。
そんな日本の現状と将来を予測・研究し、自国の今後に備えようということらしい。
バブル崩壊の傷手はひどかった。サブプライムローンやリーマンショックも大きな波であった。
しかし、少子高齢化の進展化がもっと緩やかであれば、これほど重苦しい閉塞感の中にいなくても済んだかもしれない。
くどくどと書いてしまったが、やはり我が国は、どこかで間違えたようだ。
いまさら「来し方」を悔やんでも仕方がない。「行く末」のために、「今やるべきことは何か」を考え、少しでもマシな未来を残すべきではないか。
「タイガーマスク 伊達直人」の話によって、久しぶりに心が温められた。その後も、「タイガーマスク現象」が続いている。まだまだ日本人は大丈夫なのだ。
私も、「20年後は生きていないから・・・」なんぞとうそぶいたりせず、今やれることを考えたい。
政治家のみなさんにも、10年後、20年後、50年後、100年後を見据えて、しっかり対応してほしいものだ。
与野党ともに、次世代、次々世代のために、正しい政治を遅滞なく進めてほしい。
そのためにも、使い古された旧人の退場は必須だ。
ましてや、「政治とカネ」問題などは、手際よく処理すべきなのだ。答えは決まっているのだから。
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