小沢一郎氏が起訴される段階となったようだ。
もちろん、小沢氏側としては、起訴阻止の手段を講じているに違いない。
菅氏との代表選を戦っていた折、「検察審査会の結果による強制起訴は受けるか?」との問に対し、当時の小沢氏は、「受けて立つ」ことを表明していた。
その後、代表選に敗れ、検察審査会では「起訴相当」の結果となった。
政治の世界をはじめ世の中では、親小沢か反小沢か、今もって論議が揺れている。
「起訴された」だけでは、「推定無罪」の原則があるので、離党勧告もできず、まして政界を引退する話にはならない。それどころか民主党内には、「政倫審」(政治倫理審査会)への出席にすら異論が出ている。
小沢氏に対する見方は二つあるようだ。
一つは、巨悪という見方だ。極端に言えば、「政治とカネ」問題の権化で、早く消えてほしいという意見。
もう一つに、「民主主義の旗頭」として、彼を担いでいる意見もある。インターネットのあるサイトを覗けば、「小沢待望論」が強く論じられている。官僚、検察、マスコミの横暴は、小沢氏の豪腕をもって以外、排除できないという意見だ。
果たしてどちらが正しいのだろうか。
小沢氏の「政治とカネ」問題に関し、検察当局は「起訴には当たらない」という処分を行ったのだが、検察横暴論の人たちは、「秘書を起訴したこと自体が不当」と論じている。
正直の話、私は具体的な中身を承知しているわけでもなく、マスコミ報道で感じている程度だ。真相は分からない。詳しく知ろうとも思わない。
確かに官僚の壟断は許せない。検察の横暴やミスも、目に余るものがあった。マスコミの権力化には危機感を感じていることも事実だ。
しかし、官僚、検察、マスコミと闘う旗頭は、真に小沢氏だけなのだろうか。大いなる疑問を感じてしまうのだ。
昨日行われた衆院北海道5区の補欠選挙で、自民党の町村氏が当選した。北教組違法献金問題で辞任した民主党小林前議員の補欠選挙だったので、民主党候補に票は集まらなかった。当然のことだと思う。
かつて自民党が掲げていた「政治とカネ」の看板は、今や民主党の表看板となったようだ。
日本の政治は混迷を極めている。菅総理の舵取りも怪しい。
そのような中、小沢氏の「政治とカネ」問題が、依然としてくすぶり続ける日本だ。
小沢一郎氏って、ほんとにどんな人なのだろうか。
別館として、写真俳句ブログの「ひよどり草紙」を開いてます。
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