新・ほろ酔い気分

酔っているような気分のまま、
愚にもつかない身辺雑記や俳句で遊んでおります。
お目に留めて下されば嬉しいです。

小沢一郎ってどんな人?

2010年10月25日 07時21分59秒 | コラム・エッセー

 小沢一郎氏が起訴される段階となったようだ。

 もちろん、小沢氏側としては、起訴阻止の手段を講じているに違いない。

 菅氏との代表選を戦っていた折、「検察審査会の結果による強制起訴は受けるか?」との問に対し、当時の小沢氏は、「受けて立つ」ことを表明していた。

 その後、代表選に敗れ、検察審査会では「起訴相当」の結果となった。

 政治の世界をはじめ世の中では、親小沢か反小沢か、今もって論議が揺れている。

「起訴された」だけでは、「推定無罪」の原則があるので、離党勧告もできず、まして政界を引退する話にはならない。それどころか民主党内には、「政倫審」(政治倫理審査会)への出席にすら異論が出ている。

 小沢氏に対する見方は二つあるようだ。

 一つは、巨悪という見方だ。極端に言えば、「政治とカネ」問題の権化で、早く消えてほしいという意見。

 もう一つに、「民主主義の旗頭」として、彼を担いでいる意見もある。インターネットのあるサイトを覗けば、「小沢待望論」が強く論じられている。官僚、検察、マスコミの横暴は、小沢氏の豪腕をもって以外、排除できないという意見だ。

 果たしてどちらが正しいのだろうか。

 小沢氏の「政治とカネ」問題に関し、検察当局は「起訴には当たらない」という処分を行ったのだが、検察横暴論の人たちは、「秘書を起訴したこと自体が不当」と論じている。

 正直の話、私は具体的な中身を承知しているわけでもなく、マスコミ報道で感じている程度だ。真相は分からない。詳しく知ろうとも思わない。

 確かに官僚の壟断は許せない。検察の横暴やミスも、目に余るものがあった。マスコミの権力化には危機感を感じていることも事実だ。

 しかし、官僚、検察、マスコミと闘う旗頭は、真に小沢氏だけなのだろうか。大いなる疑問を感じてしまうのだ。

 昨日行われた衆院北海道5区の補欠選挙で、自民党の町村氏が当選した。北教組違法献金問題で辞任した民主党小林前議員の補欠選挙だったので、民主党候補に票は集まらなかった。当然のことだと思う。

 かつて自民党が掲げていた「政治とカネ」の看板は、今や民主党の表看板となったようだ。

 日本の政治は混迷を極めている。菅総理の舵取りも怪しい。

 そのような中、小沢氏の「政治とカネ」問題が、依然としてくすぶり続ける日本だ。

 小沢一郎氏って、ほんとにどんな人なのだろうか。

 別館として、写真俳句ブログの「ひよどり草紙」を開いてます。

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それでいいのですか?

2010年09月28日 13時53分31秒 | コラム・エッセー

 日本の国及び国民は、昭和20年(1945年)8月にポツダム宣言を受諾してから、意識が大きく変わってしまった。

 自立しようとする日本人の意識を危険視したGHQは、手を変え品を変えてそれを妨害し、日本人もそれをいいことに、経済にばかり目を向けてしまった。

「第二次世界大戦を起こしたのは日本国だ。日本人は悪逆非道を繰り返した」

 アメリカも中国もソ連もオーストラリアも、口を揃えて叫んだ。その合唱の結果が東京軍事裁判の判決だった。

 日本人自身も、「悪かったのは日本人。悪かったのは日本の軍国主義」と、すっかり洗脳されてしまった。その挙げ句、あの「無差別大量殺戮」の原子爆弾の投下すら、「日本が悪かったのだから仕方がなかった」と、思い込まされてしまっていた。

 以来、軍隊を持つことは罪悪と思ってしまった。

 お陰で経済的には発展したが、日本人の心から、「自立自尊」の精神が消えてしまった。

 その結果が、今の日本だ。

 日本固有の領土である尖閣諸島で、中国漁船が日本海上保安庁の船舶に体当たりをしてきた。

 だから「公務執行妨害」の現行犯で中国漁船の船長を逮捕連行した。ところが、中国政府は大騒ぎ。釈放要求のほか、さまざまな嫌がらせ的な行動に出てきた。

 弱腰だったのは日本だ。「中国との関係を悪化させたくない」という「検察現場の判断」で、かの船長を、「処分保留」のまま釈放してしまった。

 まったくの弱腰。しかも、検察現場の判断だったと言っているのだから驚きだ。危機管理がなっていないどころか、まったくの弱腰。完全な「外交の敗北」だった。

「筋」を通してモノゴトを見ていない。「筋」がない。弱腰なのだ。「中国との間で、紛争を起こしたくない」という視点だけが判断の基準となっている。

 これは決して、安全保障の問題に限らない。世相の荒廃にも影響が及んでいる。

 親の子殺しや子の親殺しなど、日本の世相は目を覆いたくなるばかり。

 食べることにも事欠いた私の親たちは、寝る時間を惜しんで働き、子供たちに与え続けた。「豊かであれば」と思って、どんどん与え続けた。

 私の世代も、自分が味わった「モノがない苦労」を子供にはさせまいとして、せっせと子供たちに与えた。与えようと努力をした。

 その結果、経済的には豊かな社会になったかもしれない。しかし一方では、豊かでなければ我慢できない世の中を作ってしまった。

「お金さえあれば・・・」の風潮が、日本を覆い尽くし、国の安全保障ですらお金で解決できると思ってしまった。すべてはお金で解決できると思い込んだ。奢れる日本、奢れる日本人になってしまったのだ。

 今、そのツケが来ている。

 本当にアメリカは守ってくれるのか。日米安全保障条約は、「一方の当事国が拒否すれば、この条約は成り立たない」のだ。アメリカが「もうイヤだ」と言えば、日本は素っ裸で世界と対峙しなければならなくなる。中国、ロシア、北朝鮮。世界には、虎や狼が跋扈している。韓国だって、いつ牙を見せてくるか分からない。

 日本国憲法の前文には、「日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであって、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼してわれらの安全と生存を保持しようと決意した」と書かれてある。「平和を愛する諸国民の公正と信義」を前提に作ってあるのが、現行憲法なのだ。

 真に諸外国は信頼に足る存在なのだろうか。過去の事例を見るまでもなく、そのようなことはありえない。

 日本にかかわる事例だけでも、沢山あるではないか。

 憲法自体、世界の実態に合わない前提で作られている。にもかかわらず、日本国内では、憲法改正の論議は大きなタブーとなっている。

 世界の厳しい現実から目をそむけ、日本人は、「誰も彼もいい人」という前提の憲法を後生大事に戴き、論議すらも封じ込めてきた。それが戦後の日本だったのだ。

 北朝鮮の拉致問題、ロシアの北方領土問題、韓国の竹島問題、それに中国との尖閣諸島問題。

 どの問題を考えても、「諸国民の公正と信義に信頼し」ていては、とても成り立たなかったではないか。

 それらに頬被りをしていた日本国および日本人は、これからもさらに大きな傷手を受け続けることになるのだ。

 漂流国家日本は、今や水溶性だ。このままでは溶けてなくなってしまいますぞ。

 尖閣諸島に領土問題はなかった。つまり、国際的にも、「日本の固有の領土」として了解されていたのだ。以前の中国は、尖閣諸島を日本領土として認めていた。しかし、あの地域に地下資源が埋蔵されていることを知ってから、中国は領有権を主張しはじめた。

 しかも今や、北方領土問題を抱えているロシアと手を結びそうな雰囲気なのだ。

 それでもいいのですか?

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八月十五日に思う

2010年08月14日 11時07分20秒 | コラム・エッセー

 八月に入ると、毎年のように、私は血が騒ぎます。

 昭和20年の夏、当時は国民学校5年生だった私は、艦砲射撃や焼夷弾爆撃を経験しました。その挙げ句に、8月15日に終戦を迎えました。

 私の人生は、そこから出発したようなものです。

 日本の国も、多くのものを失った後、そこから歴史的な再出発をしたのです。

 日本の再出発と自分の出発が重なってしまいました。強い語調で当時を語りたくなってしまいます。饒舌にすらなってしまうのです。

 もともとこんな饒舌は、年寄りが陥り易い傾向でもあります。他人にとっては、聞きたくもない話なのに、熱を入れて長広舌をしてしまうのです。

 そんな私を傍から見ていた後輩から、「いつまでもそんな話をしていていいのか?」と、かなり辛辣な批判を受けました。

 一応、批判は批判として受けるにしても、やはり雀百まで踊り続けたい。

 マッカーサー将軍から戴いた憲法にしがみつき、安全保障をアメリカに依存し続けている日本。(その場になったら、守ってくれないかも知れないのに)

 一方では、「思いやり予算」や「国際貢献」の名のもとに、多額の血税を献上し、しかも感謝すらされていない日本。

 その上、「グローバルスタンダード」とやらを押しつけられ、国柄までも変えてしまいつつある日本。

 このままでは、アメリカ、中国、ロシアに挟撃され、日本の国は溶けて流れてしまうかもしれません。

 われわれ日本人は、もう一度考え直して、国柄の建て直しから始めるべきです。

 しかしながら、現在の政党や政治家には、期待はできそうもありません。

 正直の話、どの政党に頼んでも相手にされもない。努力をしてくれそうな気配すらもないのです。

 現在のような国家的な危機にあっても、しっかりした国家観を持った政治家は出てくれません。「この人なら……」と思っていた若手政治家ですら、(ナントカチャイルドとかナントカガールズでもないのに)、口に出る言葉は派閥次元の事柄が多いのです。

 呆れたというより、とても悲しい。日本人は不幸だと、つくづく思います。

 日本の国土や国民の生命・財産は、日本人の手で守る!

 国家の基本であるこのようなことが、こんなに難しいとは思いませんでした。

 北方領土はロシアに占領されたまま。

 竹島は韓国によって、実効支配されています。

 尖閣諸島もきな臭い問題をはらんでいます。

 北朝鮮に拉致された被害者を連れ戻すこともできません。

 そのくせ、ことある毎に、謝罪を繰り返しているのです。

 これで国家と言えるのでしょうか。

「政治が悪い」、「政治家が悪い」、「官僚体制が悪い」と言いますが、根本は、国民に気概が欠けているからだと思います。

 多くの国民は、「戦後民主主義」や「似非平和主義」に毒されてしまっております。

「溶けて流れてノーエ、溶けて流れてノーエ、溶けてサイサイ」の調子よろしく、日本丸は漂流しながら溶けて行くのでしょうか。 

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常識を疑う

2010年07月13日 07時37分05秒 | コラム・エッセー

 先の参院選で、民主党が大敗を喫した。

 責任論が、党内を吹き荒れている。

 菅総理としては、代表選が予定されている9月までは、現体制で行きたい意向。総理の立場からすれば、当然の判断と言える。

 総理が「ちょくちょく変わる」のでは、外交上の支障もある。それも分かる。

 しかし、だからと言って、神奈川選挙区で落選した千葉法務大臣を、そのまま居座らせるというのは如何なものか。

 民主党がよく使う「直近の民意」が、千葉大臣に「ノー」が突きつけたのだ。その人を、こともあろうに「法務大臣」に居座らせるのは筋が通らない。

 千葉景子氏だってイヤなはずだ。「サヨク」っぽいこの人を私は嫌いなのだが、それにしても気の毒ではないか。

 大臣は行政の「長」だ。指揮権を発動することもありうる。外交案件に参加することだってあるかもしれない。部下の心情も複雑なはずだ。

  お家の事情で、「9月の代表選までは現体制で」という理由で、落選議員を大臣ポストに就けおくのは大問題だ。

 千葉大臣を退任させ、菅総理か仙石長官が兼務することだってあるではないか。

 民主党とはその程度の頭脳なのだ。菅直人や仙石由人の常識を疑う。

 このような人たちに、国政を委ねる危うさを考え、あらためて慄然とした。

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水溶性の日本

2010年07月09日 09時51分05秒 | コラム・エッセー

 昭和20年(1945年)8月14日、昭和天皇が、「ポツダム宣言」の受諾を、連合国に通告した。

 また、次の8月15日に、天皇陛下の玉音放送によって、ポツダム宣言の受諾を国民に布告した。この日をもって、日本は全面降伏をし、すべての戦争行為を中止した。

 降伏文書に調印した日は9月2日。国によっては、9月2日を先勝記念日としている。

 旧ソ連との「北方領土問題」は、そのあたりの微妙さから発生している。

 もともと日本とソ連は、1941年に「日ソ中立条約」を締結し、友好国のはずだった。

 ところがソ連は、廣島と長崎に原爆が投下された後の8月9日、条約を無視して対日参戦をしてきた。

 千島列島への攻撃は8月18日。その後、どんどん南進し、9月1日から9月5日にかけて、国後、色丹、歯舞などの北方4島を占領した。

「北方領土問題」の起源だ。

 今も、この問題は宙に浮いたままだ。 

 そんな折、ロシアは、対日戦勝記念日を、9月2日として制定するよう、下院での法案が可決したらしい。

 彼らに「北方領土問題」を解決するつもりはない。

 国内政治がゴタゴタとしている日本を尻目に、周辺国は既成事実を積み上げて行くのだろう。

 安全保障と言えば、すぐに「沖縄にばかり負担をかけていいのか」と、声高な叫び声。しからばどうすべきかという論は尻つぼみだ。

 韓国、中国、ロシアとは、領土問題を抱えている。

 北朝鮮との間では、いまだに拉致問題が未解決のままなのだ。

 経済大国でもなくなってしまった。

 争点が曖昧な参院選挙が、とても虚しく思えてならない。

所詮、国家とか政治とは、この程度のものなのだろうか。

 憲法すら改正できない日本。水溶性の国と言いたくなるではないか。

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