
kan-haru blog 2009
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kan-haru日記は記録記事を主体として継続して参りましたところ、おかげさまで3月8日には3周年を迎えることができました。
3月から日記の左サイドバーの下覧部にアクセス状況モジュールを追加して表示するようになりました。アクセス状況の表示は、閲覧日前日の閲覧アクセスと訪問者アクセスに併せ、ブログ開始時から閲覧前日までのトータル閲覧数とトータル訪問者数を表示しております。
皆様には沢山のアクセスを頂き、3月9日までに14万8千の方の訪問があり、40万9千ページもの閲覧があり、誠に有難うございます。
これまでの投稿件数は570点におよび、これまでの記事に使用した写真、地図、図面などの掲載数は1万1千枚を越えた画像ファイルを登録しております。
東京空襲
本日3月10日は、新聞、テレビで報道されていますように、46年前の1945年(昭和20年)3月10日には世界大戦で、約300機のB29爆撃機による東京下町を目標にした無差別爆撃により、10万人もの尊い命が失われました。
この大きな犠牲を受けた戦争は時代の経過とともに風化され、現在では戦争を知らない世代が80%を越えました。

最近、北朝鮮が弾道ミサイルの発射準備の動きがニュースで伝えられており、何か戦争のきな臭いにおいが感ぜられます。
私が小学2年生の時大東亜戦争に突入し、小学6年で敗戦を迎え、学童疎開の経験を味わいました。戦争を知らない世代の方に、戦争の悲劇を伝え、記録していく必要を感じ、今後は絶対に戦争体験をしない様に希望するため、kan-haru日記を始めたのが一つの理由です。
・大森町の戦災体験手記
大森町の無差別大空襲は、1945年4月15日に120機の爆撃機の波状攻撃による爆弾14.5トン数、焼夷弾754.4トン数の爆撃によって戦災家屋6万8千4百余り、羅災人口26万3千9百、負傷者1千6百有余人、死者841人の被害を受けました。
当時、父の同僚である、若山武義氏が東京大空襲の戦災に遭遇した際記録した手記が保存されており、その記録をご遺族のご好意により解説を付けて編集して掲載し、今までに「大森町界隈あれこれ 空襲編手記」の29編、「大森町界隈あれこれ 戦後史手記」の21編を掲載しており、今後も掲載の予定です。
大森町界隈あれこれの記録
kan-haru日記は、1939年(昭和14年)から大森町に住みはじめて、学童疎開の期間を除いて68年あまりとなります。
大森町界隈あれこれの記録の主テーマは8カテゴリーあり、大森町の風景・風物、社寺、イベント、歴史などの記録を掲載しています。

京浜急行電鉄の高架化工事
大森町を縦断して走る京浜急行電鉄の高架化工事は歴史に残るもので、住民生活に密着した変化を遂げますので、記録が可能な限り掲載をしていく予定です。

首都圏に住んでのあれこれ
首都圏では、いろいろなイベントや催し物が開催されます。展覧会や催し物の鑑賞記・見学記、小さな旅・風景風物詩、旅ものがたりなどの記録も、kan-haru日記の三つ目のテーマとして掲載しております。

また最近、IT技術の進歩も著しくインターネットの利用も便利となりました。、ITに絡む活用などの記述も少しずつ増やしており、「e-Tax確定申告申請」記事なども掲載もしております。
kan-haru日記目次
kan-haru日記の掲載記事のカテゴリーが多く過去の記事の検索参照のため、目次には項目検索に合わせた種別ごとの目次を整備しており、投稿開始時から最新記事までの目次が参照できます。
目次の種別は、全体目次の「総合INDEX」、カテゴリー毎の「カテゴリー別目次」、京急高架工事の「年度毎目次」と「工事区間別目次」、各月毎の「月別目次」などを掲載してあります。
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毎月1日付けのIndexには、前月の目次を掲載しております(3月分掲Indexへ)
カテゴリー別Index Weblog カテゴリー別総目次 へ
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kan-haru日記は記録記事を主体として継続して参りましたところ、おかげさまで3月8日には3周年を迎えることができました。
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東京空襲
本日3月10日は、新聞、テレビで報道されていますように、46年前の1945年(昭和20年)3月10日には世界大戦で、約300機のB29爆撃機による東京下町を目標にした無差別爆撃により、10万人もの尊い命が失われました。
この大きな犠牲を受けた戦争は時代の経過とともに風化され、現在では戦争を知らない世代が80%を越えました。

最近、北朝鮮が弾道ミサイルの発射準備の動きがニュースで伝えられており、何か戦争のきな臭いにおいが感ぜられます。
私が小学2年生の時大東亜戦争に突入し、小学6年で敗戦を迎え、学童疎開の経験を味わいました。戦争を知らない世代の方に、戦争の悲劇を伝え、記録していく必要を感じ、今後は絶対に戦争体験をしない様に希望するため、kan-haru日記を始めたのが一つの理由です。
・大森町の戦災体験手記
大森町の無差別大空襲は、1945年4月15日に120機の爆撃機の波状攻撃による爆弾14.5トン数、焼夷弾754.4トン数の爆撃によって戦災家屋6万8千4百余り、羅災人口26万3千9百、負傷者1千6百有余人、死者841人の被害を受けました。
当時、父の同僚である、若山武義氏が東京大空襲の戦災に遭遇した際記録した手記が保存されており、その記録をご遺族のご好意により解説を付けて編集して掲載し、今までに「大森町界隈あれこれ 空襲編手記」の29編、「大森町界隈あれこれ 戦後史手記」の21編を掲載しており、今後も掲載の予定です。
大森町界隈あれこれの記録
kan-haru日記は、1939年(昭和14年)から大森町に住みはじめて、学童疎開の期間を除いて68年あまりとなります。
大森町界隈あれこれの記録の主テーマは8カテゴリーあり、大森町の風景・風物、社寺、イベント、歴史などの記録を掲載しています。

京浜急行電鉄の高架化工事
大森町を縦断して走る京浜急行電鉄の高架化工事は歴史に残るもので、住民生活に密着した変化を遂げますので、記録が可能な限り掲載をしていく予定です。

首都圏に住んでのあれこれ
首都圏では、いろいろなイベントや催し物が開催されます。展覧会や催し物の鑑賞記・見学記、小さな旅・風景風物詩、旅ものがたりなどの記録も、kan-haru日記の三つ目のテーマとして掲載しております。

また最近、IT技術の進歩も著しくインターネットの利用も便利となりました。、ITに絡む活用などの記述も少しずつ増やしており、「e-Tax確定申告申請」記事なども掲載もしております。
kan-haru日記目次
kan-haru日記の掲載記事のカテゴリーが多く過去の記事の検索参照のため、目次には項目検索に合わせた種別ごとの目次を整備しており、投稿開始時から最新記事までの目次が参照できます。
目次の種別は、全体目次の「総合INDEX」、カテゴリー毎の「カテゴリー別目次」、京急高架工事の「年度毎目次」と「工事区間別目次」、各月毎の「月別目次」などを掲載してあります。
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