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kan-haruの日記

イベント 朝顔市の入谷と竜泉界隈 普茶料理で異業種交流会H11メトロの暑気払い(その1)

2009年07月23日 | イベント
kan-haru blog 2009 鷲神社鳥居 

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H11メトロの暑気払い
異業種交流会H11メトロは、地方独立行政法人東京都立産業技術研究センターが異業種交流事業として募集した、東京都異業種交流会グループの中の平成11年に発足したグループの一つで、毎月例会を開催しており7月には暑気払いを行っており、2008年にはほおずき市の浅草中清で開きました(「イベント 浅草ほおずき市の中清 ゆかた着にての異業種交流会H11メトロの暑気払い」参照)。

・普茶料理での暑気払いと朝顔市散策
今年のH11メトロの暑気払いは、7月7日に入谷の朝顔市に近い竜泉の普茶料理 梵で行いました。朝顔市は入谷の朝顔まつりと言われ毎年7月の6~8日の3日間開催され、入谷鬼子母神(地図①)を中心とした言問通りに朝顔業者の露店が120軒も並び、40万人の人が出て今年は61年目を迎えます。梵での普茶料理を満喫してから、夜の朝顔まつりを散策しました。朝顔市には何回も行っていますが、夜の朝顔まつりは初めてです(「風景・風物誌 夏の風物詩 入谷の朝顔市2008」参照)。

 平成21年朝顔まつりポスター

竜泉界隈
普茶料理 梵(台東区竜泉1-2-11 地図A)のある竜泉は、JR鶯谷駅から言問通りに出て浅草方面に進み、入谷交差点を左折して昭和通りを三ノ輪方面に向かい、2つ目の信号を右折して国際通りの1つ手前の路地を左折して2軒目です。この当たりは北浅草界隈の竜泉1丁目で、突き当たりには西徳寺が見え、国際通りを渡るとお酉さまでお馴染みの長國寺と鷲神社があり、その先には、はるか昔には高塀で囲まれた吉原遊郭のあとです。
この竜泉界隈には、歴史的旧跡が散在している場所柄でありますので、普茶料理を戴く前に、軽く梵の周辺を限って辿ってみました。

 竜泉界隈地図(地図拡大図)

・樋口一葉の旧居跡碑
一時期現在の竜泉1丁目に住居したことのある、5千円札の肖像画に登場の樋口一葉(1872~1896)の代表作の「たけくらべ」は、この旧竜泉寺町を舞台として書き上げた代表昨です。一葉は裕福な家庭に育ちましたが、17歳で父を亡くし母と妹を養うために小説家を志しましたが、生活が成り立たずに、龍泉寺町で荒物・雑貨と駄菓子を売る店を始めました。名作の「たけくらべ」は、龍泉寺町での生活体験がなければ生まれなかったのではないかともいわれています。
一葉の文学業績を永く後世に遺すために、1949年(昭和24年)に戦災で失われた「一葉記念碑」を再建し、1960年(昭和35年)に一葉の旧居跡(竜泉3-15-2 地図⑥)に「一葉旧居跡碑」を建立しました。また、1961年(昭和36年)には、地元住民の熱意に応えて一葉記念館が建設されました。

 樋口一葉肖像画の5千円札

・お酉様の鷲神社と長國寺
梵の先の国際通りの鷲神社前交差点を渡り北に進むと右側に長國寺の山門があり、国際通りを南に進むと鷲神社の鳥居があります。
[長國寺]
鷲妙見大菩薩(鷲大明神)を祀る現在地の長國寺(台東区千束3-19-6 地図③)は、1771年(明和8年)に千葉の大本山鷲山寺から長國寺へ迎え移し祀られ、妙見堂、鷲大明神の社(やしろ)、鷲の宮とも呼ばれるようになりました。鷲妙見大菩薩は江戸庶民より「おとりさま」と呼び親しまれ、長國寺も浅草田圃「酉の寺」の名で親しまれて、この頃から江戸浅草の酉の市は一段と賑わいを増してきました。
1686年(明治初年)の神仏分離令により、長國寺は境内を含め寺と鷲神社とに分割されました。長國寺は関東大震災と大空襲で罹災して、山門が平成2年に、新本堂が平成4年に落慶して、江戸の文化としての「酉の市」を開帳しています。

 国際通りを挟んで見える長國寺山門と西徳寺山門

[鷲神社]
鷲神社(台東区千束3-18-7 地図②)は天日鷲命(あめのひわしのみこと)、日本武尊(やまとたけるのみこと)をお祀りした神社です。
江戸時代は社号を鷲大明神社と称しており、酉の日・酉の祭、下谷田甫鷲大明神社が賑うことで、社伝では1832年(今天保壬辰)より凡そ六十余年以前よりの事とあり、1750~60 年(宝暦・明和年間)にはすでに酉の祭は相当に賑わい、それ以前から年中行事として行われていたとあります。ちなみに、鷲神社の鳥居には天保十年辰亥九月銘が記されています。
江戸時代から鷲神社は、「鳥の社(とりのやしろ)」、また「御鳥(おとり)」といわれており、明治時代に改名の鷲神社は「おとりさま」と一般に親しまれ崇敬を集めています。

 お酉さまで親しまれている鷲神社

・鷲神社境内の樋口一葉の碑
鷲神社境内には、樋口一葉歿後百年と平成癸酉五年の酉年を記念し、若くして逝った一葉の文才を称え、その事跡を永く伝えんと神社ゆかりの文学碑、玉梓乃碑を建立しました。
[樋口一葉文学碑]『たけくらべ』十四章冒頭の、「此年三の酉まで有りて……」の一節と、木村荘八筆の祭礼の場面の画が刻まれています。
[樋口一葉玉梓乃碑]一葉が、師の半井桃水に宛てた手紙の一節が、一葉の直筆のものと、読みやすく記術したものとで刻まれています。
[建碑の由来]玉梓乃碑の横に、一葉文学碑と玉梓乃碑の建碑由来を記した副碑があり、鷲神社宮司河野英男の記名と平成五年十月の日付がしるされています。

 鷲神社の樋口一葉文学碑(:樋口一葉文学碑、:樋口一葉玉梓乃碑、:建碑の由来)

子規と其角の句碑
鷲神社には、一葉の文学碑に並んで子規と其角の句碑が建立されています。
[子規句碑]句碑には、「雑閙や熊手押あふ酉の市」の句が書かれ、台東区俳句人連盟の手により平成12年2月建立されました。
[其角句碑]句碑には、「春をまつことのはじめや酉の市」の句が書かれています。

 鷲宮神社境内の句碑(:子規句碑、:其角句碑)

・大音寺
大音寺(台東区竜泉1-21-17 地図③)は、本尊阿弥陀如来を祀り、1718年(享保3年)火災で一切を失う。草創年代開基等は不詳で、享保10年森誉によって中興したが、その後の火災や戦災で九尺の木製彩色寝釈迦像を失った。1959年(昭和34年)に現堂宇が建立された。
一葉のたけくらべの書き出しの、「・・大音寺前と名は仏くさけれど、さりとは陽気の町と住みたる人の申しき・・」と大音寺が登場しています。
また、大音寺は古典落語の「悋気の火の玉」にも登場し、「火の玉と火の玉が大音寺の前のところで、カチーンとぶつかって、火花を散らす・・・・・という騒動になった」という話です。

たけくらべ
樋口一葉の「たけくらべ」の様な著作権切れの作品を収集・公開しているインターネット上の電子図書館の青空文庫からダウンロードして、対価なしで読むことができます。
青空文庫の利用方法は、「インターネットの電子図書館、青空文庫へようこそ。」(←ここをクリック)にアクセスして、作家別または作品別のインデックスからダウンロードができます。
また、kan-haru日記の次の青空文庫を読んで見るを参照してください。

・青空文庫を読んで見る参考ブログ
ITと技術 新技術ソフトで6千冊の青空文庫HTML図書を新電子本で読んでみる(1)
ITと技術 新技術ソフトで6千冊の青空文庫HTML図書を新電子本で読んでみる(2)


 青空文庫から「たけくらべ」HTML文で読む一部抜粋 

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