白川通を渡って、永観堂へ至りました
永観堂の正式名称は、禅林寺
開祖である真紹僧都は真言宗の僧侶であり、禅林寺は真言密教の道場として始まります
当時の京都ではみだりに私寺を建立することは禁じられており、10年後の貞観5年になってようやく、当時の清和天皇より定額寺としての勅許と「禅林寺」の寺号を賜わって公認の寺院となったそうです
永観堂の歴史は、大きく三つの時代に分けられます
最初は真紹僧都から永観律師が住職になるまでの約220年間は真言密教の寺院としての時代を過ごします
次は永観律師から静遍僧都までの約140年間
この時代は、真言密教と奈良で盛んだった三論宗系の浄土教寺院となります
その後は浄土宗の寺院となり今日に至ります
入口の風景です
多くの拝観客の皆様方
さすが、東山随一の紅葉の名刹です
拝観料が1,000円とこれも随一です
中門から、境内に入ります
放生池周辺の紅葉はかなり進んでいました
また、この周辺は絶好の記念撮影スポットで、多くの方々が記念撮影をしています
その中で、素敵な兄妹がちょっと気取って「ハイポーズ」
あまりに可愛いのでつい雪だるまも撮っちゃいました
(でも、そこのおじさん邪魔ってば・・・)
物見台のまわりは大混雑
でも、紅葉が美しかったです
大玄関から、方丈への拝観のため靴を脱いで入ります
ここも入口から大混雑です
続く・・・
永観堂の正式名称は、禅林寺
開祖である真紹僧都は真言宗の僧侶であり、禅林寺は真言密教の道場として始まります
当時の京都ではみだりに私寺を建立することは禁じられており、10年後の貞観5年になってようやく、当時の清和天皇より定額寺としての勅許と「禅林寺」の寺号を賜わって公認の寺院となったそうです
永観堂の歴史は、大きく三つの時代に分けられます
最初は真紹僧都から永観律師が住職になるまでの約220年間は真言密教の寺院としての時代を過ごします
次は永観律師から静遍僧都までの約140年間
この時代は、真言密教と奈良で盛んだった三論宗系の浄土教寺院となります
その後は浄土宗の寺院となり今日に至ります
入口の風景です
多くの拝観客の皆様方
さすが、東山随一の紅葉の名刹です
拝観料が1,000円とこれも随一です
中門から、境内に入ります
放生池周辺の紅葉はかなり進んでいました
また、この周辺は絶好の記念撮影スポットで、多くの方々が記念撮影をしています
その中で、素敵な兄妹がちょっと気取って「ハイポーズ」
あまりに可愛いのでつい雪だるまも撮っちゃいました
(でも、そこのおじさん邪魔ってば・・・)
物見台のまわりは大混雑
でも、紅葉が美しかったです
大玄関から、方丈への拝観のため靴を脱いで入ります
ここも入口から大混雑です
続く・・・