雪だるま倶楽部

日々を離れ
日常から脱却した世界
そんな風景を切り取っています

京都紅葉散策日記9

2006年12月16日 | 京都散策
銀閣寺のすぐ南、哲学の道から少し東に入った所にある「法然院」に移動しました



ここは、境内については拝観無料



雪だるま一押しの場所です

法然院の歴史は、鎌倉時代の初頭に遡ります

浄土宗の開祖、法然上人が弟子の住蓮・安楽とともに念仏修行を行った草庵跡が原型です

法然上人が讃岐国へ流罪、安楽・住蓮は死罪となったことで、草庵は久しく荒廃

江戸時代初期の1680年、知恩院第三十八世萬無和尚が法然上人ゆかりの地に念佛道場を建立することを発願します

その発願を受け、弟子の忍澂和尚によって現在の法然院の姿になったそうです



山門から入ると、白砂壇が見えてきます
白砂壇とは、水を表しており心身を清めて寺内に入る手洗い場と同じものなんです



ここの白砂壇は砂を引掻いて絵がかかれていますが、季節折々で様々な絵に変わります

訪れる度に、「今度はどんな模様になっているかなっ」って楽しみになります
法然院がお気に入りである理由の一つです
(法然院・白砂壇いろいろは次回アップします)




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京都紅葉散策日記8

2006年12月14日 | 京都散策
ようやく、東福寺通天橋です

朝一番に拝観希望で並んでいた人々の列も少し落ち着き、雪だるまが向かった時には並ぶことなく拝観券を購入できました

拝観入口から、通天橋へ向う歩廊が続いています



訪れたのは11月18日でしたが、今年は紅葉するのが遅いです
下の写真は昨年の同日に撮影したものです


違いは一目瞭然ですね

そのまま通天橋の中央、張出展望から臥雲橋を望みます



下の写真も昨年のものです



ちょっとガッカリでした

この通天橋は、1380年に春屋妙葩が、谷を渡る労苦を少しでも無くそうと架けられたと伝えられています

歩廊入口には同国師の筆と伝えられている「通天橋」の扁額があります

南宋径山の橋を模して、聖一国師が通天と名付けたそうです

その後幾度か架け替えられていますが、現在のものは台風により倒壊したものを1961年に再建

歩廊から推測するともっと古いもののような気がしますが、橋を支える柱はコンクリート製であり、なるほどと納得する面もあります



通天橋の奥には、開山堂があります
別名は常楽庵

もとの建物は文政2年に焼失し、4年後に一条忠良によって再建されました
屋上に閣を持つ類例を見ない建築様式です



もどって、庭園を散策しましたが紅葉には早く掲載するほどの写真はとれませんでしたので、昨年の撮影分を掲載します





東福寺を辞し、法然院へ向いました
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京都紅葉散策日記7-3

2006年12月14日 | 京都散策
龍吟庵につきました

通常は拝観謝絶なので、雪だるまも訪れたことがなかった塔頭でした
その為、大変興奮して拝観料を支払いました



龍吟庵は、東福寺第三世住持「無関普門」の住居跡だそうです

方丈は東福寺でも最も古い建築物のひとつです

他の建築物が焼失しているなかで、この龍吟庵は古来よりの姿を留めています

書院造に寝殿造風の名残を留めている珍しい建築様式だそうです

また背面に開山堂がありますが、そこには大明国師座像が安置されているそうです
大明国師は南禅寺の開祖です

方丈の三方(南・西・東)が庭園となっています



南庭は植栽の無い白砂敷です



西庭は龍が海中から昇天する姿を石組みで表現した枯山水庭園です



東庭は一変して赤砂の中央に長い石が置かれ、その石にからませ前後に白石と黒石が配置されています

まったりと庭園を眺めました

30分ほど拝観した後、東福寺へ向かいます
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京都紅葉散策日記7-2

2006年12月13日 | 京都散策
方丈から奥、龍吟庵に向かうと「偃月橋」が見えてきます



本坊から向かうと、三ノ橋渓谷に「偃月橋」は架かっています

桁行十一間、梁間一間、単層切妻造の屋根は桟瓦葺
と、そんなに大きな橋ではありませんが、とても古くて歴史を感じさせる橋です



普段は拝観謝絶ですが、紅葉の時期には特別拝観している塔頭です

龍吟庵の拝観時間になっていなかったため、まずは即宗院へ向かいました



常時拝観先とは違い、少し野暮ったい感じがしましたがそこは京都ですから、魅力のある庭園です





即宗院の歴史は古いです

東福寺の中に島津家の菩提寺として塔頭が作られたのが室町時代
その後、戦国時代の戦乱に巻き込まれ、即宗院は永禄13年に全焼してしまったそうです

戦国時代が収束し、即宗院の再建を図ったのが当時の当主島津義久です
しかし、実際に再建できたのは義久の死後2年たった慶長18年であったそうで、場所は元々建っていた場所ではなく、現在ある場所へ移っての再建でした

明治になってから、廃仏毀釈の時流で島津家の庇護を失ってしまった即宗院は荒寺となり、建物も失ってしまったそうです

現在昔からの物で即宗院に残っているのは、平安時代に作られた月輪殿の遺構という庭と西郷隆盛が揮毫した戊辰戦争時の薩摩藩士の追悼碑だけだそうです

波乱万丈な塔頭です

西郷隆盛が揮毫した戊辰戦争時の薩摩藩士の追悼碑もあるとのことで、庭園の脇をぐるりと回って拝観しに行ってきましたが、その途中で美しい紅葉を発見してしまいました



即宗院を拝観していたら、9時になっていたので龍銀庵に向かいました

 【続く・・・】



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京都紅葉散策日記7

2006年12月12日 | 京都散策
日が改まって、東福寺へやってきました

臨済宗の大本山です

奈良最大の寺院の東大寺や隆盛を極めた興福寺になぞらえようと1255に19年の歳月を費やして造営されました
京都最大の大伽藍もつ寺院で、京都五山のひとつです

幾度かの火災で被災しては再建されたお寺だそうです

三門は応永年間の建築だそうで、日本最古の三門で国宝となっています

寺域には、25の塔頭寺院があります

この東福寺は、橋からの眺めが有名ですね

西から、臥雲橋・通天橋・偃月橋と三つの橋がこの東福寺にはあります

この内、通天橋は昭和34年8月に崩壊してしまい、昭和36年11月に架け替えられています
 (三つの橋の内、コンクリート柱なのは通天橋のみです)

通天橋から眺める「もみじ」は絶景で、その見事さは京都随一といわれています


(臥雲橋からの眺め・昨年の写真です)

っですが、あまりにも何回も撮影に訪れているので今年は東福寺方丈から拝観することにしました
(8時半の拝観開始前から、通天橋拝観希望の皆さまが列をなしていたのが本当の理由です?)

禅宗の方丈には古くから多くの名園が残されております
ところが、四周に庭園をめぐらせているのは東福寺だけです
当庭園は昭和13年、重森三玲氏の作です

釈迦成道を表現し作園されたそうで、「八相の庭」と銘々されています

入り口から進むと、まずは南側の庭が眼に入ってきます


≪東福寺ホームページより引用≫
東西に細長い地割に、蓬莢・方丈・瀛洲(えいじゅう)、壺梁(こうりょう)の四島に見立てた巨石と、砂紋による荒海の表現に加え、西方に五山を築山として大和絵風にあらわし、神仙境を表現しています

次が西側の庭です


≪東福寺ホームページより引用≫
西庭は「井田市松」の庭。さつきの刈込みと砂地が大きく市松模様に入り、くず石を方形に組んで井田を意図して表現します。色彩の変化も楽しい庭です

そして北側の庭です


≪東福寺ホームページより引用≫
市松の庭は、作庭以前に南の御下賜門内に敷かれていた石を市松模様に配したもので、通天紅葉の錦織りなす景観を借り、サツキの丸刈り、苔地の妙が調和するという、南庭とは逆に色彩感あふれる空間となっています

最後が東側の庭です


≪東福寺ホームページより引用≫
北斗の庭は、もと東司の柱石の余材を利用して北斗七星を構成し、雲文様地割に配している小宇宙空間です

また、西庭と北庭の間の所で通天橋を後側より拝観できます



他の観光客の皆様が、通天橋方面へ足を向けていらっしゃったお陰で、雪だるま他数名の拝観客のみでした

美味しい物は最後にとっておけの精神が生きたようです??


続いて、龍吟庵と即宗院へ向かいました

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京都紅葉散策日記6

2006年12月11日 | 京都散策
源光庵から歩いて光悦寺へ向かいました
 (と言ってもすぐ近くです)



光悦寺は、鷹峯三山を見渡す鷹峯の地を、元和元年に徳川家康が本阿弥光悦に与え
たのが始まりです



江戸年間で最高の芸術家として名を残す本阿弥光悦はその地に一族縁者で移住し、その後、数々の工芸に携わる多くの職人を集めました

光悦寺の始まりは、芸術村であったらしいです

本阿弥家の先祖供養のため位牌堂が設けられた訳ですが、
光悦の死後になって、ゆかりのこの地に光悦寺が創建されたものです

現在では、日蓮宗光悦寺となっています



広い境内には楓の木がたくさん植えられています
茶室は、三巴庵・了寂庵など数室が点在しています



この寺のメインは大虚庵の前にある光悦垣です



光悦遺愛の手水鉢のある茶庭を囲むように造られており、光悦垣の前でのんびりとした時間をすごさせていただきました




次回は東福寺を巡ります
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京都紅葉散策日記5-2

2006年12月10日 | 京都散策
さて、源光庵パートⅡです

庭園を拝観した後、源光庵のメイン「悟りの窓・迷いの窓」へ向かいました

JRの宣伝ポスター「そうだ京都へ行こう」にも使われ、知名度が上がった窓です



角窓は迷いの窓
人間の生涯を象徴し、「生老病死」「四苦八苦」を角窓で表現しています



丸窓が悟りの窓
円型に「禅と円道」の心を表し、円窓で大宇宙を表現しています



少し離れて、両方の窓を拝観...ご満悦の雪だるまです

これで、迷いが解け悟りが開ける.......ことは出来なかった雪だるまですが、厳粛な気持ちで暫し拝観しました


さて、この源光庵の本堂廊下の天井は、伏見城の遺構と伝わる血天井です
徳川方の鳥居元忠らが自刃した時のものです



徳川家康らが上杉征伐のため出陣すると、奉行の石田三成らが徳川家康に対して挙兵
東軍を迎え撃つ為の拠点として伏見城の開城をせまるが、徳川家康の君命を忠実に守った鳥居元忠は800人の兵力で伏見城に立て篭もる

関ヶ原の戦の前哨戦として伏見城の戦いは行われ、鳥居元忠は最初から玉砕を覚悟で最後まで戦い抜き、討ち死

享年62才であったそうです

戦の後暫くの間、伏見城は放置されていた為に
鳥居元忠ら300名余が自刃した床に、鎧跡足跡が残ったとのことです

血天井は、この源光庵の他 、養源院(鳥居元忠の遺骸が横たわっていた血の跡が残っている)・西賀茂正伝寺・大原宝泉院(烏帽子を被った人間の顔形の血痕がある)・妙心寺天求院・宇治朝日山興聖寺で供養されています


次回は、光悦寺です

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京都紅葉散策日記5

2006年12月09日 | 京都散策
北区は鷹峯にやってきました

源光庵は16年9月27日~18年9月30日まで本堂・庫裡などの修復工事のため拝観休止でした

10月になってようやく公開した記事を拝見し、紅葉には早いと知ってはいたのですが“うきうき”と訪れました

貞和2年、臨済宗大本山大徳寺の高僧、徹翁国師により隠居所として開創
のちの元禄7年、加賀国大乗寺二十七代曹洞宗復古道人の卍山道白禅師が曹洞宗に改宗し、再興されたものです



ススキの穂と、三門山門が出迎えてくれます
三門にかかっている額は「復古禅林」

この額には由来があって、当時の曹洞宗の慣習を批判した道白へ清人薫愛山師が送ったものだそうです

少し変わった山門です



現在の本堂は元禄7年の創建で、加賀の住人静家居士の建立によるものです





楓が少しだけ色づき、雲の隙間から青空が覗いていました



源光庵、パートⅡに続きます

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京都紅葉散策日記4

2006年12月08日 | 京都散策
国道367号線をつかって京都市街へ戻る途中、叡山電鉄「三宅八幡駅」近くに蓮華寺はあります

元々は、京都駅付近にあった浄土教系の古寺です
応仁の乱の後、荒廃していたのを寛文二年に現在の位置に再興したそうです

再興したのは加賀前田家の老臣であった今枝民部近義
祖父 今枝重直の慕提のための再興だったそうです

本堂、鐘楼堂、井戸屋形、庭園は創建当時のままの姿を残しているとのことで、拝観する前から楽しみにしていた寺でした



細い路地を進むと小さな門があります

周囲は住宅地で、とても寺院があるとは思えない場所にあります

雪だるまが拝観した時も、タクシー運転手が連れてきた拝観客だけでした

門をくぐると木々のアーチが出迎えてくれます
雪だるまが訪れたのは11月7日でしたが、まだ紅葉には早すぎました


この蓮華寺は、縁側と本堂と鐘楼堂の間のスノコでの撮影が禁止されています

まずは本堂、毛氈に座って鶴亀庭園を眺めました


んんっっ、まだ青かった、、

でも、紅葉していたらきっとこんな感じなんだろうなって想像しながらご満悦の雪だるまなのでした



これは、鐘楼堂から見た鶴亀庭園です


鷹峯へ向かった雪だるま紀行は次回です
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京都紅葉散策日記3

2006年12月07日 | 京都散策
三千院に行く前に、三千院の奥にある来迎院に寄りました

来迎院へ向かう途中で朱雀門の横を通ります


木漏れ日に照らされた楓が、ひっそりと紅葉していて思わず見とれてしまいました

およそ300mほど進んだ先に、来迎院があります
大原にありながら訪れる人も疎らで、「女性の一人歩きはチョッと」という場所にあります



良忍上人が創建した天台宗の古刹で、本尊は薬師如来、釈迦如来、弥陀如来の三尊です

でっっ、
誰も見ていないので、ついつい出来心で撮っちゃいました



「魚山声明」発祥の地として知られておりますが、三尊を眺めていると音曲のお経が聞こえてきそうでした


さて、戻って三千院です

三千院は、かつては梶井門跡と呼ばれていたそうです
大原魚山の来迎院、勝林院、往生極楽院などの寺を管理するために大原に政所を設けたものが、明治以降になってから三千院という名で世に広まったらしいです

雪だるまは、少なくとも10回以上訪れております
今回も以前と同様に堪能させて頂きましたが、自然と撮影枚数は減少してしまいました





苔の美しさは、京都有数でしょう


次回は、蓮華寺です






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京都紅葉散策日記2

2006年12月06日 | 京都散策
さて実光院です

ここも勝林院の塔頭です
宝泉院を出ると「法然上人腰掛けの石」がありますが、そこを右へ曲がって三千院門跡へ向かって戻る途中の右手側にあります

この塔頭は元々大原陵(現在の実光院の通向かい)の地にあったそうです
それが、大正8年に、他の2つの塔頭を併合して現在の地に再建されたらしいです



ここでも、お抹茶をいただけます

宝泉院とはまた違った趣ですが、ここは庭園を眺めるだけではなく散策できるのが特徴です



客殿の南の庭園を、池泉鑑賞式庭園と言います

旧普賢院(大正年間に併合した塔頭)の庭園です

この庭には中央に池があり、また律川から水を引いて作られた滝があります
池の手前が俗世間、向こうを仏の浄土に見たてて造られたそうです



客殿西側の庭園は、旧理覚院(これも併合した塔頭)の池泉回遊式庭園です
中央に池があって、西の山を借景にしているため庭木が低く配置されているので、独特の景観を醸し出しています

この池泉回遊式庭園には、不断桜があります
秋に花をつける桜で、紅葉と桜を同時に楽しむことができます



残念ながら、訪問したときは不断桜も紅葉も身頃ではありませんでした




次回は、三千院に向かいます


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京都紅葉散策日記1

2006年12月05日 | 京都散策
12月に入り、季節に気温が追いついてきましたね
みなさまも風邪など体調不良にはご注意ください


さて、雪だるま倶楽部では ここから暫く今年の京都探検紀行を寺院ごとに綴っていきたいと思います


今年のはじめは大原三千院からでした



朝9時頃、参道に一番近い駐車場に車を停め、三千院を通りすぎ一番奥の「宝泉院」へ向かいました

宝泉院は天台宗の寺院の一つで、勝林院(大原寺)の僧坊の一つとして、1012年(長和2年)に創建された塔頭だそうです



建物に入ると、すぐ右手に囲炉裏があります
ちょっと薄暗いですが、なかなか赴きがあります

でも、宝泉院拝観の目的はその奥 額縁庭園



敷居をくぐるとまず見えてくるのが、この五葉の松です
樹齢700年を数える松をじっくりと鑑賞



静けさを堪能し、ご満悦の雪だるまでした

この宝泉院は拝観料にお抹茶券がついてきます



すばらしい盤桓園(立ち去りがたいという意)と名付けられた庭園をお抹茶を味わいながら鑑賞しました



紅葉には早かったですが、おかげで雪だるま一行の他に拝観客は、一組だけだったので、ゆっくりと拝観できました



次回は、実光院です
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落葉

2006年12月03日 | 写真


地元も落葉の季節になりました

本日の天気予報は、曇り時々晴れ でしたが、結局小雨

あちこちに落葉が、はらり はらり

溜まった落葉が、美しくもあり物悲しくもあり
もみじの絨毯を踏みながら、撮影しました

傘をさして(首でおさえて)、左手に三脚、右手に愛犬のリード、右肩にカメラというなんともハヤという井出達で、撮影に望みました





清流は音もなく流れ、濡れた岩肌には紅葉化粧



気温が低く、三脚がとても冷たく
でも、すてきな時間をすごしました

ただ、、
足元の愛犬がしきりと車に帰りたがっていました
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化野念仏寺3

2006年12月03日 | 京都散策
本日は、化野念仏寺の3回め

暮るる間も 待つべき世かはあだし野の 松風の露に嵐たつなり

と、式子内親王が唄を詠んだそうです

ここの鐘堂はちょっと変わった位置にあります
参道を進むと自然と、鐘堂の下をくぐる事になるのです

鐘堂と、紅葉した楓と、緑の楓

ちょっと素敵な風景が迎えしてくれます

「つれづれなるまゝに、日暮らし、硯にむかひて、心にうつりゆくよしなし事を、そこはかとなく書きつくれば、あやしうこそものぐるほしけれ・・・」

と書き出す徒然草は『吉田兼好』の著ですが、その徒然草にもこの化野念仏寺のことを

「あだし野の露消ゆる時なく鳥部山の烟立ちさらでのみ住果つる習ならば如何に物の哀もなからん世は定めなきこそいみじけれ・・・」

と、書いています

ちょっと寂しく、でも美しいお寺でした
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化野念仏寺2

2006年12月02日 | 京都散策
集合墓地をぐるりと回ると、めずらしい石製の鳥居があります

左手側には現代風の墓地が

そこを過ぎると、さあここからが化野念仏寺の本領

「ねえ、久しぶりにお参りに来たわね」
「ああ、ずいぶんご無沙汰していたからな」
「でも、来て良かったわね」
「そうだな」

なんて、ちょっと夫婦の会話を想像してみました

さあ、法然の開いた念仏堂はどこかいな?
と、言うか、、、現在の本堂は1712年(正徳2年)に寂道和尚により再興されたんでしたっ

石仏と紅葉と空

本当に素晴らしい風景でした
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