ハリ天狗の日々奮戦

天狗のごとく山を駆け、野を走る(かな^^;)。 東京は西の端・青梅発、全国行き。日々鍼を打つランニング鍼灸師の奮戦記。

陽気にゆこう

2011年12月20日 | 日々奮戦



ここ数年、ご無沙汰してしまっていた「高石ともや年忘れコンサート」に行ってきた。
繋がるべくして繋がってきた特別な年上の知人2人と我ら夫婦の4人だ。
今年、震災の直前(3/8)にマネージャーでもあった最愛の奥様・てるえさんを亡くされた。そんなこともあって毎年恒例だけど今年の年忘れコンサートは特別だった気がした。
モニターを見ないでしっかり手を繋いでいなさい、そう送り人の方に教わったと語っていた話は、まさに奥様の臨終の時のこと。モニターの数値がゼロを示し、医師からは臨終を告げられても奥様の手はまだ温かい。そしてやがて徐々に冷たくなっていくのだけど、命はその手を通して繋がっていると実感したと歌の合間に話された。
ご一緒していたNさんも数年前にご主人を病気で亡くされているだけに胸を打つものがあったことと。そのご主人にハリ天は教員時代にたいそうお世話になっていたのだ。54歳の時にご病気でこの世を去られているのだけど、高石ともやの歌が好きな先生だった。
ハリ天はどちらかと言えば、フォークシンガーの高石ともやよりもアスリートとしての高石ともやへの興味が大きかった。彼の歌はN先生から借りたレコードで聴いた後追いだった。
そして、ひょうひょうとして決して怒鳴ることのなかった穏やかで何故か算数専門の競馬とお酒の好きな体育主任が特にお気に入りの歌が「陽気にゆこう」だった。
隣の隣の教室で、新しい歌をハリ天のギターで歌いまくっていた我がクラスを尻目に、お前たち、この歌がいいんだぞと子ども達に押しつけていたのが「陽気にゆこう」だった。



昨日のコンサートの後半で・・・

♪喜びの朝もある 涙の夜もある
長い人生ならば さあ陽気にゆこう♪

と聞こえてきたら、あの頃の思い出が突然のように蘇って、涙があふれてきてしまった。
いやぁ、吉川さん、ま、ほら、いいんだよ。何だか訳わかんないけど、どんな時も決して涙は見せずに独特の陽気さで肩を抱いてくれた兄貴分のN先生のことが、それこそ、次から次へと思い出され、死んでしまった今もこうして繋がっていることを実感した時間だった。

だから、コンサートが終わってからの4人のアフターはたいしてアルコールも入っていないのに大いに盛り上がったのだ。

緑風堂鍼灸院WEBSITE
ハリ天狗マネージャーの笑顔いっぱい!

コメント (6)
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