JAZZを聴きながら ふたたび

恥も顧みないで再々開、よろしければお付き合いを

母の皮算用

2008年10月06日 | p-r

  ♪ 闘魂こめて大空へ 
     球は飛ぶ飛ぶ 炎と燃えて
     おおジャイアンツ 
     その名担いてグラウンドを 照らすプレイのたくましさ 
     ジャイアンツ ジャイアンツ ゆけゆけ それゆけ巨人軍 ♪

雨模様の月曜日、慌ただしい朝に珈琲を飲みながら新聞を読んでいると、
「昨日、阪神勝ったんだなぁ」と母
昨日もジャイアンツのデイゲームを必至に観戦しておりましたので、阪神の動向が気にかかるのでしょう。
「残念だったねぇ、せっかくジャイアンツが勝ったのに」
ところが、母曰く「阪神は勝って良い」のだそうで、それがどうしてかと訊ねてみると
ジャイアンツはもう残り四試合全て勝つことに決まっているから大丈夫だというのです。
つまり、ジャイアンツと阪神の直接対決が一試合残っているので、ジャイアンツが全て勝つということは、阪神は必ず一つ負けるということになり、阪神が仮に他の全試合を勝っても勝率で完全に並ぶことになるんだそうで、(母がいつからこんなに野球に詳しくなったのか、とても不思議ですが)
「そうすると、ジャイアンツは阪神戦の勝ち越しが決まってるから、同率でも優勝はジャイアンツ」
これが母の皮算用です。
「だから、今日明日、阪神が勝っても大丈夫だから、気にしねぇの」
いやいや、ジャイアンツ・ファンの母は燃えております。(笑)

   ♪ 六甲おろしに颯爽(さっそう)と
     蒼天(そうてん)翔ける日輪の
     青春の覇気麗しく
     輝く我が名ぞ阪神タイガース
     オウ オウ オウオウ 阪神タイガース フレ フレフレフレ ♪

かく言う私も以前は「ジャイアンツが負けた翌日は新聞も読まない」というほどのジャイアンツ・ファンでありました。
「いかにも反保守的なあんたが、何故にジャイアンツ・ファン?」などと意味の分からない質問をされても
「しょうがないの、なんてったって親父の腹の中にいるときからのジャイアンツ・ファンなんだから」と、これも意味の分からない答えをしていたものです。

地方の野球ファンにとって、プロの試合、まして公式戦となると球場で観戦することなどそうそう出来ることではありませんから、小さな時からテレビ観戦をする父の脇で知らず知らずにジャイアンツを応援する体質が出来ていったのでしょうね。(始めて後楽園に観戦に行ったときのことは、未だに忘れません。)
そこそこの歳になるまで「枝豆・ビールで、ジャイアンツ戦のテレビ観戦」これが夏の贅沢だと完全に思い込んでいました。

それが、まずは愚妻に、そして子供達に、テレビチャンネルの主導権を完全に奪われ、バライティーやアニメのCMの間だけの観戦になり、終いにはそれもうっとうしいと禁止され「頼るはプロ野球ニュースのみ」みたいな(笑)
一人寂しく『ちっちゃなマイテレビ』っていうのもねぇ
いつしか、たまに飲み屋でテレビ観戦しながらの一杯がせいぜいになってしまったんですねぇ・・・・・・寂し~~~~!!
こうなってみると、今更テレビを独り占め出来るようになっても、なかなかそこへは戻れないもので、結局は観戦もせずに新聞やニュースで結果を知るという毎日に馴れてしまうんです。
この現実がテレビの野球中継を減らした要因なのでありましょうか?

我が永遠のヒーロー、ホークスの王監督も引退、何につけても3番と1番を取り合った世代には残念なかぎりです。
長嶋の選手引退で右肩を落とし、王の選手引退で左肩を落とすだけで済むと思ったら、さらに大好きだった高田(現ヤクルト監督)が選手引退ときたひにゃ、全身の力が抜けちゃいましたっけ。(笑)
そう思うと、テレビ中継云々の前に、あの頃から私のプロ野球に対する情熱は徐々に薄れてきていたのかもしれませんね。

王監督といえば、1977年9月3日、ハンク・アーロンのホームラン記録を抜いて世界新となったホームランも忘れられませんが、私はその前、世界記録に並んだ8月31日の対大洋戦でのホームランが忘れられません。

その日は、知り合いのジャズ喫茶で飲んでいたのですが(酒が飲める歳であったかどうかは・・・・)その店のマスターも含め、王のホームランが気になってしょうがありませんでした。
「え~~い、もういいや」
マスターの英断により店は臨時休業、奥様がべつに経営されていた料理屋へと全員で大移動です。
間に合いました。
「出た~~~!!755号!!!!カンパ~~イ!!!!!」
てなもんですよ。
多いに飲み過ぎて、結局はその店の座敷で寝てしまったという、思い出のホームランなのであります。

ともかく、父の意志を継いで未だ熱烈なジャイアンツ・ファンである我が母は、一人、皮算用に微笑むのでありました。

さて、今日の一枚は、昨日に引き続き大人のマクリーン(笑)参加のブルーノート版、フレディー・レッドの一枚です。

同じブルーノート盤「THE MUSIC FROM THE CONNECTION」から半年後、やはり全曲レッド、オリジナルのアルバムです。
レッドを取り上げるたびに言うようですが、レッドはピアニストというより作曲家として評価が高いのはうなずけますよね。ただし、後のレッドを思うと周囲のその認知は少し遅すぎた感はありますけど。

ハード・バップからの脱皮という点で、マクリーンは苦しみながらも何らかの答えを出していけたのに対し、ハード・バップの名作曲家レッドにそれは難しいことだったのでしょう。ヨーロッパの逃避にはそんな内面が見えるように思えます。

とにもかくにも、小難しい話はほっといて、素直にこのアルバムを楽しみましょう。
トランペットが入らないテナー、アルトのフロントという、ちょっと変わってるといえば変わった編成ですが、マクリーンのアルトが泣いてるんですねぇ(良い意味で)、ちょっとばかり心をくすぐられるのであります。ティナ・ブルックスとのやり取りもなかなかのもので「JUST A BALLAD FOR MY BABY」なんか「いやらしいほどそれっぽい」みたいな(笑)

「レッドは作曲家として評価すべし、そして、それを表現する演奏家はマクリーンであると理解せよ」と言わんばかりの一枚だと私は受け取っています。

SHADES OF REDD / FREDDIE REDD
1960年8月13日録音
FREDDIE REDD(p) JACKIE McLEAN(as) TINA BROOKS(ts) PAUL CHAMBERS(b) LOUIS HAYES(ds)

1.THESPIAN
2.BLUES-BLUES-BLUES
3.SHADOWS
4.MELANIE
5.SWIFT
6.JUST A BALLAD FOR MY BABY
7.OLE