昨日は私たちが出席している教会で、
盲人伝道セミナーがありました。
盲人伝道セミナーがありました。
私は今回が初めての参加。
盲の方たちと、それぞれのヘルパーさん、
そして晴眼者(せいがんしゃ)が
そして晴眼者(せいがんしゃ)が
それぞれ三分の一ずつの参加で、
35人ぐらいでした。
「晴眼者」という言い方初めて聞きました。
福祉大学出ているのに…
昔はそんな言い方なかったな。
福祉大学出ているのに…
昔はそんな言い方なかったな。
あとこんなことも聞きました。
なぜ「盲人」というのか。
他の障がい者は「人」とは言わない。
なぜ「盲人」というのか。
他の障がい者は「人」とは言わない。
それは視覚障がい者は、
独自の文化を持っているからだと。
そうなんだ。
これまた知らなかったわ。
これまた知らなかったわ。
食事からはじめて、
教会が盲の方を迎えるにあたって、
どんな配慮が必要なのかを
教会が盲の方を迎えるにあたって、
どんな配慮が必要なのかを
パネラーのおはなしを聞いたり、
率直に質問する時間をもったり、
率直に質問する時間をもったり、
とても有意義な時間でした。
そして、最後の会場教会の牧師がメッセージ。
最後の晩餐で
そして、最後の会場教会の牧師がメッセージ。
最後の晩餐で
イエスさまが弟子たちの足を洗うところから、
仕え合うことを学びました。
仕え合うことを学びました。
なんというか。
彼らの明るさに驚いた!
みなさんユーモアにあふれていて、
始終大きな口を開けてガハハと笑っていました。
始終大きな口を開けてガハハと笑っていました。
目が見えないって、
全然暗くないのだなって。
もちろんご苦労も多いでしょうが、
イエスさまによって心に光を持つ人たちは、
こうして喜んで与えれた生を生きているのだなと、
何だか感動してしまった♪
そしてまた、
何だか感動してしまった♪
そしてまた、
今の出席教会におられる盲のご夫妻は、
本当に心の目がよ~く見える人で、
いっしょに聖書を読んでも、
すばらしい霊的洞察があり、
いつも私は感心しているのです。
本当に心の目がよ~く見える人で、
いっしょに聖書を読んでも、
すばらしい霊的洞察があり、
いつも私は感心しているのです。
下の聖書のことばを思い出します。
イエスは言われた。「わたしはさばきのためにこの世に来ました。目の見えない者が見えるようになり、見える者が盲目となるためです。」パリサイ人の中でイエスとともにいた者たちが、このことを聞いて、イエスに言った。「私たちも盲目なのですか。」イエスは彼らに言われた。「もしあなたがたが盲目であったなら、あなたがたに罪はなかったでしょう。しかし、今、『私たちは見える』と言っているのですから、あなたがたの罪は残ります。」
ヨハネ9:39~41(新改訳2017)
良い機会が与えられ感謝♪
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