課輔班に来ている3人兄弟のお父さんが、
先週の金曜日に亡くなりました。
そして今日が告別式。
式が始まる前に、
子どもたちの顔を見て、
お母さんにご挨拶をしてきました。
お父さんは、5年ぐらい前から動けない体になり、
仕事もできない状態で家にいました。
それでも子どもたちにはいい父親だったようで、
時々教会の帰りに子どもたちを車で送っていくと、
一番下の4年生の男の子は、
一目散にお父さんのところに行っていました。
もちろんお父さんがそんな状態ですから、
家計は火の車。
お母さんはふたつの仕事をかけ持ち、
土日は中学生の二人の子どもたちも
順番にお母さんのお仕事を手伝っていました。
お父さんの体調はずっと悪かったのですが、
寝たきりだったわけでもないので、
子どもたちはあまりに突然のお父さんの死に、
ショックを受けていたようでした。
3人ともずっと泣き通しで、
亡くなって一週間もたった今日の葬儀でも
一番下の男の子は声を上げて、
ぼろぼろ涙をこぼして泣いていました。
見ているこちらの心も痛みました。
本当にかわいそう…。
それ以外の言葉が見つかりません。
竹子坑教会の課輔班の親の中にも、
今いつ亡くなってもおかしくないような状態にある親が、
2,3人いるということで、
先日も祈りの課題にあがっていました。
貧困って、こういうことなのです。
栄養状態が悪く、
いつも安いジャンクフードでおなかを満たし、
生活習慣もでたらめで、
大きな病気にかかると最後、
高額医療は受けられないので、
病気が治ることももなく、
若くしていのちを落としていく…。
今回の葬儀にあたっては、
お母さんの希望で台湾の伝統的な方法でなされました。
でも、参列者は少なく、
いすも10ぐらいしか出ていませんでした。
しかもその半分以上が立新教会の人です。
貧困中にあると親戚づきあいもなくなるのです。
葬儀を出す費用も王牧師が
キリスト教超教派の援助団体、救助協会を通して工面。
葬儀屋も教会のとなりの葬儀屋に頼みました。
台湾のクリスチャンは、
お焼香はしませんが、
遺影にお辞儀をします。
遺影だけならまだいいのですが、
その奥に偶像(今回は観音像のようなもの)が、
三体もおいてあったりするので、
私たちはおじぎするのも抵抗を感じるため、
葬儀の前にお母さんと子どもたちの顔を見て、
慰問カードをお渡しして帰って来たのです。
悲しい2015年最後の日でした。
お母さんと子どもたちのために続けて祈ります。