昨日は初級英語のバイブルクラスでした。
例のスーダン人エチオピア人が参加しているクラスです。
そこに最近はベトナム人とロシア人も加わっています。
みなさん移民で、
一人の人は先週グリーンビザの面接があるということで、
みんなで祈っていましたが、
結果はダメだったとのこと。
みんなとても残念がっていましたが、
本人は思いのほか楽観的で、
次はきっと大丈夫と、
逆にみんなを励ましていました。
そして、今日の聖書の学びは『よきサマリヤ人』。
「助けを必要としている人を見つけたらどうしますか?」
との問いに、
みなさん、口々に「もちろん助ける」と答えていました。
ホームレスの人を見かけたら、
持っているお金の中から少しでも
あげるようにしていると。
先生が、
「たいていの人は、
そのお金でお酒を買ってしまうよ。」
というと、彼女は、
「それはその人の問題。
私は、私のするべきことをするまで。」と答えていました。
「相手がムスリムであろうと、
クリスチャンであろうと、
無神論者であろうと、
それは私の知ったことではない。」とも。
ほとんどの人が、
そうだそうだと同感していました。
こういうところがすごいと思うのです。
貧しい国から追われるようにアメリカに来た人たち。
祖国でも当たり前のように人を助けてきたのでしょう。
そして、この国でも、
同じように弱い人を助ける。
自分が社会的弱者であっても、
受けるだけに甘んじてはいない。
「受けるより与えることの幸い」を知っている人たち。
私は、そんな彼女たちを
美しいな~、と思うのです。