先日、シーツを買った。
台湾でよくある「買一送一」(一つ買うと一つ付いてくる)
の商品だったので、
一枚の値段で二枚買えたわけだが、
家に帰って来てからあけてみると、
薄くて、いかにも化繊という感じで、
寝心地がわるそう。
そこで意を決して返品に行った。
台湾での返品は簡単。
理由を言えば、特価品でも返品できる。
ところが、
サービスカウンターで返って来たお金が、
どうも多い気がした。
「えっ?これでいいの?多すぎない?」
と言ったのだけれど、
お店の人は、取り合ってくれない。
仕方なく、サービスカウンターを後にして帰ろうとしたのだけれど、
やっぱり、多くもらいすぎのような気がする。
きっと、「買一送一」で二枚を一枚分の値段で買ったことを
店員さんは、理解していなかったのだと思う。
戻って、店員さんに説明してお金を返さなきゃと思う。
でも、もう一つの声が、あったことは否めない。
「こっちは、多すぎない?って言ったんだし、
人の話を聞かない定員さんも悪いんじゃない?
外国語で、こういうのを説明するのって気合がいるんだよね。」
みたいな。
だけど、このまま帰れるか。
神さまは見ている。
全部ご存知。
私自身の心も知っている。
きっと、しばらくは思い出しては、
後悔したり、苦々しい思いになるんじゃないだろうか。
こんなことで自分の心を貧しくしたくはない。
ということで、
葛藤の末、再度サービスカウンターへ。
レシートを示しながら、
十分とは言えない中国語で説明。
店員さんも理解してくれた。
別にあやまりもしなかったけど、
「謝謝!」とお礼は言われた。
私も思わず、
「私はクリスチャンだから、こうやって戻ってきたけど、
そうでなかったら、戻ってこなかったよ。」
とだけ、言っちゃった!
というわけで、心はすっきり。
神さまとも正面から向かい合える。
感謝主!
そうそう、シーツはといえば、
なんと、昨日、今度引っ越す人からたくさんもらっちゃいました!
神さまって、そういうお方なのです。
感謝主!
台湾でよくある「買一送一」(一つ買うと一つ付いてくる)
の商品だったので、
一枚の値段で二枚買えたわけだが、
家に帰って来てからあけてみると、
薄くて、いかにも化繊という感じで、
寝心地がわるそう。
そこで意を決して返品に行った。
台湾での返品は簡単。
理由を言えば、特価品でも返品できる。
ところが、
サービスカウンターで返って来たお金が、
どうも多い気がした。
「えっ?これでいいの?多すぎない?」
と言ったのだけれど、
お店の人は、取り合ってくれない。
仕方なく、サービスカウンターを後にして帰ろうとしたのだけれど、
やっぱり、多くもらいすぎのような気がする。
きっと、「買一送一」で二枚を一枚分の値段で買ったことを
店員さんは、理解していなかったのだと思う。
戻って、店員さんに説明してお金を返さなきゃと思う。
でも、もう一つの声が、あったことは否めない。
「こっちは、多すぎない?って言ったんだし、
人の話を聞かない定員さんも悪いんじゃない?
外国語で、こういうのを説明するのって気合がいるんだよね。」
みたいな。
だけど、このまま帰れるか。
神さまは見ている。
全部ご存知。
私自身の心も知っている。
きっと、しばらくは思い出しては、
後悔したり、苦々しい思いになるんじゃないだろうか。
こんなことで自分の心を貧しくしたくはない。
ということで、
葛藤の末、再度サービスカウンターへ。
レシートを示しながら、
十分とは言えない中国語で説明。
店員さんも理解してくれた。
別にあやまりもしなかったけど、
「謝謝!」とお礼は言われた。
私も思わず、
「私はクリスチャンだから、こうやって戻ってきたけど、
そうでなかったら、戻ってこなかったよ。」
とだけ、言っちゃった!
というわけで、心はすっきり。
神さまとも正面から向かい合える。
感謝主!
そうそう、シーツはといえば、
なんと、昨日、今度引っ越す人からたくさんもらっちゃいました!
神さまって、そういうお方なのです。
感謝主!