羽仁もと子は恵まれた環境に生まれ、
類まれな才能を持つ
特別な人だと思っていたけれど、
それだけじゃない。
彼女には大きな挫折が3回あった。
1つは、受験の失敗。
師範学校が女高師に昇格するということで
3人の級友といっしょに入学試験を受けるが、
もと子だけ不合格となる。
それで、明治女学校高等科に入学することになったらしい。
もう一つは離婚。
もと子は明治女学校の校風が合わなかったのか、
二回目の帰省を機に学校には戻らず、
そのまま故郷(青森・八戸)で小学校の先生になり、
その後盛岡カトリック女学院で教える。
そして、その時出会った男性と結婚するが、
なんと半年で破局、離婚。
離婚後、失意のうちに再び上京。
家政婦になる。
ところが家政婦として住み込んだその家が
なんと吉岡弥生氏(東京女子医科大学創設者)の家!
(これ、絶対神さまの導きね!)
こうしてもと子の才覚を見抜いた吉岡氏に励まされ、
再び社会でチャンスを得、
報知新聞社に入り、
女性としてはじめての新聞記者となる。
そして3つ目の挫折は、
次女(涼子)を肺炎で2歳で天に送ったこと。
その時彼女はこう語っている。
「地上の愛児は、最も多くの地の上のことを教え、死せる愛児は一筋に天のこと、霊のことを教えてくれる」
「涼子と共にあった日が、日一日と遠くなるのは、またやがて天国において、涼子との再会の日の一日と近くなるのである。私たちはどうしても天国を得なくてはならない」
これらが、彼女の人生での
大きな3つの挫折。
そうそう、彼女が信仰を持ったきっかけも
紹介しましょう。
16歳、もと子は祖父とともに上京、
新設の東京府立第一高女に入学するが、
1年後の17歳のとき、
同級生の冷笑の中、
食前の祈りをする同級生に感心し、
彼女といっしょに築地明石町教会に通うようになり、
間もなく洗礼を受けたという。
彼女を導いたお友だちの名前は
わからないけれど、
こんなこともあるのだと。
燭台を升の下ではなく、
テーブルの上に置くだけで、
つまり信仰を恥じず、隠さず、公にするだけで、
主はそれを喜んでくださり、
人の救いに用いてくださるのだと
思わされたことでした。
以上!
現実逃避終わり。
クリスマスイブ礼拝と、
クリスマス礼拝のメッセージの準備に戻ります!