おかあちゃん牧師の日記

新船橋キリスト教会の牧師です!
日々の生活のこと、教会のこと、
家族のことなどを書いています!

第4原発めぐり

2014-04-29 08:58:07 | 時事問題

 

 

第4発めぐり大規模市民デモ 馬総統が建設の停止を表明/台湾

第4原発(新北市貢寮区)の建設中止などを求める市民団体が、
27日午後から台北市内で大規模デモを実施している中、
馬英九総統は建設の停止を表明した。 

先回の中国大陸との「サービス貿易取り決め」の撤回を求める
学生抗議デモも一定の成果をもって終結しました。

今回の第4原発をめぐる市民デモでも
このような成果を得ることができたというのはすごいことだと思う。
もちろん一時的に停止するだけで、
根本的な解決ではないけれど、
それでも市民の強い抵抗運動が、
こうして政府を動かすなんて、
日本ではほとんど見られないので、
本当に目を見張る思いです。

ただ、日本人として情けなくなるようなこんなニュースもあります。 

馬総統、「日本の原発再稼働は台湾にとっての重要な参考例」

馬英九総統は28日、
福島第1原発事故が発生した日本が
原発の再稼働に踏み切った関連政策の方向転換について、
台湾にとって大きな参考の価値があると述べた。
日本の原子力エネルギー専門家などの表敬訪問を受けた際に述べた。 

日本の動向が、
このようにに海外に影響を与えていることを
知ってほしい。
 

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好吃~!

2014-04-25 15:51:36 | 食べ物

S子イースターブレイクの作品。
おかずからスイーツまで、
いろいろ作りました。

学校が始まると、勉強が大変なので、
ご飯の仕度を手伝う程度で、
他のことはできません。 
でも、期間限定でも助かります。
一人でごはん作ってると、
どうしてもマンネリになってしまうので、
ときどきフレッシュな風を吹き込んでくれるっていうのは、
いいですね。
家族みんな大歓迎!

あと、桑の実をいただいたので、
ジャムも作りました。

ちなみにこれは自分でやりました。
自分がどうしても食べたいとがんばるものです。笑

けさもこれを自家製ヨーグルトにかけて食べました。

好吃~! 

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台湾通信 vol.50

2014-04-24 19:25:36 | 家族

祈りの友の皆様

 
イースターおめでとうございます。
日本では、長く厳しい冬も終わり、春の花々が一斉に咲いている頃でしょう。
皆様お元気でしょうか。
 
わたしたちもとうとう台湾に来て10年という節目を迎えました。
忘れもしない2004年4月6日、不安と期待の入り混じる中、
湿気を含む暖かい空気に南国を感じながら、
わたしたちは台湾での生活をスタートさせたのでした。
 
10年、振り返ってみれば、ただただ主の恵でした。
語学研修に費やした第一期の4年間。
愛家教会に出席しながら語学を磨く日々。
子どもたちもテレビで中国語の「ドラえもん」や「ハットリくん」を見ながら、
中国語に慣れ親しんだものでした。
またM依が現地の幼稚園に入園したのは2年目の9月のことでした。

ところがそのあたりから主人が体調を崩しはじめます。
胃の痛みや不眠、不安感などを覚え、我慢の限界に達した12月末、
わたしたちは台湾を後にし、一時帰国を余儀なくされたのでした。
そして日本の病院で下された診断は「適応障害」。
海外生活に適応しきれず、過度のストレスで発症する病気です。
 
療養中、主人が「もう、台湾に帰らなくてもいい?」と毎日のように聞くので、
「いいよ、いいよ。」と答える…のは口先だけで、(笑)
もう一度台湾に帰してと主に祈りながらの3ヶ月の療養生活でした。
 
まだまだ完全に癒えたわけではなかったのですが、
一年ごとに更新しなければならない台湾での居留証のために、
3月末、主人は家族を引き連れて、再び台湾の地に戻って来ました。
どうして戻って来る気になったのか、未だに不明です。
でもこのときも、暖かい湿った台湾の空気に迎えられて、
主人もホッと不思議な安らぎを覚えたと言います。
 
その後も半年ほどは、病気の余韻が抜けきらないままでした。
生活のペースを落として、本当に薄皮を剥ぐように徐々に回復し、
3年目の12月、主人が初めて講壇に立ち、中国語で説教をしたときに、
何か吹っ切れたものを感じました。

思えば長いトンネル入ってしまったかのような3年あまりの月日、
主人は週に一度の家庭礼拝でのメッセージに支えられていました。
どこで説教するでもない、わたしと当時まだ小さな子どもたち4人を前に語るために、
主人は聖書を広げ、原語から釈義し、注解書を用いて説教の準備を毎週していたのです。
今振り返ると、そんな主人のはじめての中国語での説教には、
本人しか分からない特別な意味があったように思います。
 
その後の私たちの宣教師としての歩みも、とても順調とはいえません。
竹子坑教会の王牧師夫妻が教会開拓のビジョンがあるから、
第二期に入るのを機に、竹子坑教会に奉仕の場を移すように
台湾TEAMの方からの提案がありました。
それに従って教会を移ってはみたものの、
説教以外の奉仕はほとんど与えられないまま、
3年という月日がむなしく過ぎていきました。
 
それでも王牧師に与えられた教会開拓のビジョンは温められ続け、
とうとう2012年の2月、立新の地でまずは建物を借りて、
「立新教会」の看板を掲げたのです。
まずは、十数人の子どもを集め、課輔班を立ち上げました。
その後、6月には立新教会でのはじめての礼拝。
そして、主人だけでなく、私や子どもたちもいろいろな場面で奉仕の機会が与えられ、
今では、本当に家族で開拓の汗をながしているとの実感があります。
 
イースターには、主日の礼拝でイエス様の復活をお祝いするだけではなく、
日本語クラスや課輔班、幼稚園や小学校で、
合わせると約200人に福音を語る機会が与えられました。
今はまだまだ種まきの段階ですが、
このような地道な種まきを通して、近い将来少しずつでも
収穫を見させていただけるように願っています。
 
10年という節目を迎えられたこと、
それは私たちの努力や頑張りではなく、
ただただ主のめぐみだったと、今更ながら思わされています。
全ての栄光を主に帰します。ハレルヤ!
 
【家族の近況】
<53>
忙しい春でした。
招待教会の家の教会セミナーに、台湾協同会の兄姉5人を連れて行き、
通訳のご奉仕をさせていただきました。
帰ってくるとまたすぐにモリソンのミッショントリップに同行。
通訳など沖縄の教会との間に入っていろいろとご奉仕させていただいた9日間でした。
途中疲れが出て、ヘルペスになったりと大変なこともありましたが、
一切が守られ感謝でした。
 
<Chieko>
課輔班や得勝者(Champion)などでのご奉仕に喜びを感じる毎日。
昨年長女Y実が家を離れてさびしい思いをして、
やっと慣れて来た頃なのに、
今度はK治が6月に高校を卒業、親元を離れます。
時間がもっとゆっくり流れればいいのに…。(涙)
 
<Y実>
9月から二年間、カリフォルニアのバイオラ大学に行くことになりました。
TCUの三年間の学びと合わせて、5年間でダブルディグリーを取得できるコースです。
一人で留学の手続きをしたり、あちらでの生活の準備をしたり、これからが大変です。
お祈りください。
 
<K治>
今年に入ってから、
クワイヤーのトリップや卒業後の移行に備えるためのキャンプ、沖縄ミッショントリップと、
消化しきれないほどの楽しく充実した日々を送っています。
加えて卒業までの様々な学校での課題、
TOEFLの準備に自動車免許の取得、
大忙しの毎日ですのでお祈りください。
 
<S子>
学校があるときには、ひたすら勉強に集中、
長期の休みに入ると、待ってましたとばかりに主婦化するS子。
また、週日の教会奉仕にも一緒に来て手伝ってくれます。
頼りがいのある女の子です。
 
<M依>
中学生になりました!
台湾に来たときには、まだ2歳になったばかりでした。
それがこんなに大きくなって~と、
台湾のおばちゃんたちにため息をつかれる今日この頃です。
今年の学校での運動会では応援団として活躍するそうです。
ますます黒くなる~!
 
 
いつも皆様のお祈りに支えられていることを思い、感謝しています。
皆様の近況、お祈りの課題などもお知らせください。
わたしたちも祈りに覚えたいと思います。
また、配信不要の方、アドレスの変更があった方はお知らせください。
感謝しつつ。
 
(Chieko記)
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挪亞方舟

2014-04-22 09:39:10 | 映画・ドラマ・本

 「ノアの箱舟」観てきました。
洪水の場面、
動物たちが集まってくる場面、
大迫力で見ごたえありました。

でも、まあ一般の映画なので仕方ありませんが、
聖書の記述とは大きく異なるし、
描かれているノアとその家族の人物像が、
ちょっと残念でした。

ノアは正しい人だった…、
確かに聖書にはそうあるけど、
その正しさの受け止め方が違うというか…。

厳格なノアについていけない家族。
後半のノアはずっとしかめっ面。
ノアの奥さんは泣いてばかりだし、
子どもたちもそんな父親に反発。

映画を見終わった後の
何ともいえない後味の悪さは、
きっとそこだな~と、
今日になって思ったことでした。 

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復活節

2014-04-21 08:37:05 | 教会

スタートは日本語クラスのイースター。
前半はちゃんとお勉強して、
後半、お楽しみタイムをしました。

イースターのお話しをして、
みなさんと小さな工作をしたり、
ラッピングフィルムでイースターエッグを作ったり、
ゆっくりお茶したり、
楽しいひと時でした。

S子がイースターブレイク中だったので、
皆さんのためにケーキを焼いてくれました。
ありがとね♪

 ただ残念ながら、普段教会には来ていない
2人の日本語クラスのメンバーがこの日に限ってお休み。
でも、午後からの課輔班のイースターのお話しの時間に来てくれて、
イエス様の十字架とよみがえりのお話しを
しっかり聞いていってくれました。
感謝主! 

こちら↓が課輔班の子どもたちのイースターイベント。
こちらでも十字架と復活のお話し。
子どもたちの心にイエス様の愛が届くように、
いつも心を込めてお話しします。
卵は、自分たちでラッピング。
なかなか手慣れたものです。
楽しいひと時でした。 

そして幼稚園のイースターイベント。
毎年、クリスマスとイースター2回のご奉仕ですが、
子どもたちの反応がとてもよく、
紙芝居を使ったお話しも
集中してよく聞いてくれます。
先生方が明るく元気で、
ふだんからよくしつけているのがよく分かります。

「みんなの心の暗い部分、汚い部分、
イエス様が全部一人で負って、
十字架にかかって死んでくれたんだよ。」

「そして、イエス様はよみがえった!
死によって永遠の悲しいお別れをすることはもうない。
イエスさまの子どもは、
『またね!』って、
天国で会えるのを楽しみにすることができるんだよ。」 

今年はこんな工作してみました。
かわいいでしょ。
子どもたちが、
「うさぎさんがお風呂に入ってる~!」
って。
確かにそんな感じ。(笑)

昨日のイースター礼拝も、
イエス様の復活の喜びにあふれた礼拝になりました。
説教のご奉仕は主人、
奏楽はK治とS子、
愛餐担当はわたしでした~! 



Happy Easter! 

 

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沖縄ミッショントリップ

2014-04-19 09:47:54 | 旅行

主人とK治が、
9日間の沖縄ミッショントリップから帰って来ました。
モリソンの高校生とスタッフ、
合わせて18人の参加でした。
沖縄の同盟の教会が、
いろいろとスケジュールを考えてくださり、 
合同礼拝でスキットや証しをしたり、
路傍伝道やホームレス伝道の経験をさせていただいたり、
子ども会をしたり、
祈祷院の草むしりをしたり…、
加えてチャーチスクールなどでもご奉仕しました。

出かける前の晩には、
主人がヘルペスになり、
夜の11ごろに救急に駆け込んで薬をもらったのですが、
塗り薬しか出ず、
沖縄に行ってからさらに悪化したので、
あちらでも病院に行き、
今度は飲み薬を出してもらって、
その後快方に向かったようです。

メンバーの中で、
日本語ができるのが主人とK治のみ。
通訳に大活躍だったようです。 

昨日の午後3時前には帰って来たので、
ぼちぼちとお土産話を楽しんでいます。
とても恵まれた9日間だったようで、
本当に感謝です。

特に9日間寝食を共にした信仰を同じくする仲間は、
一生ものですよね。
K治にとっては、
宝のような経験になったと思います。

また、一段と黒くなって…、
ポリネシア系のにおいがします。笑

それにしても男2人、
10日近くためた洗濯物、半端ないです。
わたしの今日のミッションは、
この洗濯物をやっつけてしまうこと。
がんばりまっす! 

 

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今日も

2014-04-15 22:43:36 | 信仰 聖書

先週の土曜日に続いて、
今日も葬儀に行ってきました。
こちらは仏式の葬儀です。

亡くなった方は、
わたしと同い年。
2人の子どもが学校でそれぞれ同じクラスだったので、
親同士も仲良くさせてもらってました。

癌だったそうです。
2年前に大腸がんが見つかって、
その時点ですでにあちこちに転移していて、
手のつけようがなかったとのこと。

家族とホントに身近な人にしか、
そのことを告げずにきたので、
亡くなったとの知らせを受けたときには、
みんな耳を疑いました。

12月にもみんなで会って食事をしたのです。
たくさん食べてしゃべって笑って…。
でも、あの時点で彼女はあまり食べていなかったかも。
みんなが美味しそうに食べているのを見るのが
嬉しいんだって、そう言ってた。

明るくてきれいで楽しい人だった。
きっとそんな姿だけを
みんなの思い出の中に残しておきたかったのだと思う。
だから誰にも告げずに、
ひっそりと一人去っていった…。

悲しい葬儀でした。

「再見」と言えないのがさびしい。
病気のこと教えてくれていたら…、
永遠のいのちのこと、
天国の希望こと分かち合いたかった。 

折りしも来週の日曜日はイースター。
死に打ち勝たれたイエス様を思う。
 

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お客様

2014-04-14 14:39:10 | 教会

寺〇先生ご夫妻が、
立新教会を訪問してくださいました。

あと、白〇聖書教会の3人の姉妹と、
海〇名先生ご家族も!

日本人のお客さんを歓迎する思いを込めて、
教会の姉妹たちが、
腕によりをかけてご馳走を作ってくださいました。 
(受難主日なんだけど…(^_^;))

新しく教会に来られた方も2人おられたし、
子どもたちもいつものメンバーがフルに出席したし、
ずいぶんにぎやかな礼拝になりました。
久しぶりに会堂もいっぱいです!

寺〇先生ご夫妻はお元気でした。
今も宣教スピリットにあふれていて、
お話しを聞く度に刺激を受けます。

先生ご夫妻、
また日本からのお客様を送ってくださった神様に
感謝です!! 


 

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安息告別礼拝

2014-04-12 23:06:28 | 信仰 聖書

今日は葬儀に参列してきました。
愛家教会の開拓期からの中心的なメンバーで、
ご本人も奥さんも愛家教会にはなくてはならない存在でした。
口数は少ないけれど、
いつも穏やかで笑顔の方でした。
享年77歳、癌が原因でした。 

今回、葬儀に参列して、
この方のたどってきた道を知ることができました。

実はこの方お医者さんでした。
医大を卒業後、大きな病院でしばらく勤めた後、
ご自分で開業されました。
とても順調で地域で信頼される病院でした。
ところが、1999年台中大地震が起こり、
台中周辺は大きな被害を受けました。

そのときこのお医者さんは、
特に被害がひどかった地域で開業することを決意。
家族で引越し、
そこで家庭医として開業し、
10年間その地域での医療活動に携わったのです。

この地域は、貧しい人も多く、
特に地震で家を失った方も少なかったようです。
ときには医療費も払えない人も診察を求めてやって来ました。
そんな人には無料で診療したということです。
奥さんも自ら、車で病人の送迎をしたりと、
本当にこの地域の人に尽くしました。

葬儀にもその村の村長さんが来られて、
感謝のことばを述べておられました。

医者として、
キリスト者として、
すばらしい人生を送られたのだなと
改めて思わされたことでした。

主にある慰めに満ちた葬儀でした。


 

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KANO

2014-04-10 08:57:32 | 映画・ドラマ・本

1920年代、台湾代表として全国中等学校優勝野球大会(現在の全国高等学校野球選手権大会)へ出場するのは、きまって日本人のみで構成された台北商業であった。

一方、のんびりしたチームの嘉義農林学校野球部は当然連敗続きであったが、新任監督として迎えられた日本人の近藤兵太郎によるスパルタ式訓練により、部員たちの心には徐々に甲子園出場への夢が芽生えていった[3]

当時は台湾全島で1校のみしか代表として甲子園に行くことが出来ず、その為に台湾大会で優勝する必要があった。その厚い壁をなかなか突破できなかったが遂に1931年(昭和6年)、その夢を台湾南部の学校として初めて果たす。しかし、大会前の下馬評では弱すぎて本土のチームには相手にならないのではと危惧されたが、守備に長けた日本人、打撃に長けた漢人、韋駄天の如く足の速い高砂族の選手たちが 一致団結し抜群の結束力を見せて逆に相手を投打に圧倒し、快進撃を続け初出場で夏の甲子園大会決勝戦までたどり着く。

地元の嘉義市内ではラジオ中継に熱中し狂喜乱舞する市民たち。そして次第にその魂の篭もった姿勢と素晴らしい強さに本土の野球ファンをも魅了し、応援するファンも増え決勝戦では超満員の観衆が甲子園に詰め掛ける。そして決勝の相手は名門中の名門、中京商業。日本中だけでなく台湾でも大勢のファンが固唾を呑んで見守る中、その試合が始まる・・・。(ウィキペディアより抜粋)


二月から放映されていたのに、ずっと見に行く機会がなく、
やっと火曜日に観にいくことができました。
本屋さんでチケットをかうと165元、安いです。笑

日本統治下の台湾、
嘉義農林高校の野球部が甲子園を目指す話し。
使われている言語は90パーセントは日本語。
学校での使われる公用語は、日本語だったんですよね、その当時。
でも家に帰るとみんな台湾語だったり、アミ族語だったり、
当時の様子がよく再現されていると思います。

最近の日本の傾向、
日台関係が良好なことを笠にして、
日本が戦時中にしたことはいいことだった、
日本の台湾統治は成功だった、
いろいろ貢献したんだと、
負の面を忘れての論調には同意できませんが、
それでも、民間レベルでの交流には心温まる場面もあります。
特に野球だしね。
スポーツだしね。
国際間のいろんなしがらみを忘れて楽しめます。
何度も泣ける場面もあり、感動的な映画でした。
日本で放映されることがあったら、是非!


 

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