母が天に召されて、6年になる。
昨日、3月30日が母の昇天日。
(兄の誕生日でもあるんだけどね。)
母がこの世にいないことには、
慣れてきたし、
もともと自立した子どもたったので?
母に頼ることもあまりなかった気がする。
でも、ふだん離れて住んで、
頻繁に連絡を取り合うこともなかった母だけど、
ときどき、ふと声を聞きたくなったり、
子どものことや教会のことで、
相談したいときや、
愚痴をこぼしたいときには、
よく電話したものだった。
やっぱり、私の中で大きな存在だったんだと思う。
母は、一代目クリスチャン。
田舎で家庭環境も荒れていた中で育ったせいで、
性格は荒削り、
よく笑ったけれども、よく怒った。
お世辞にも穏やかで優しい母親とは、
言いがたい母だったかも。
きびしかった。
でも、ふざけるのが大好きで、
おもしろい母だった。
結局わたしも、
母に比べると、
少しは薄まった?気はするけど、
同じようなタイプなのかもと思う。
口をあけて噛まない。
食器洗いは、ガチャガチャいわせない、水をとばさない。
雑巾を使ったら、はじめより白くするつもりで洗う。
醤油などは、残らないよう使う分だけお皿に取る。
スリッパで歩くとき、パタパタ音をたてない。
ぼうっとテレビを見ない。何か仕事をしながら見る。
ラップやティッシュも最小限しか使わない。
子どもは、大人の話に割り込まない。
子どものテレビは夜8時まで。
ホント、うるさい母だった。
でも、母に教えられたことは、
今でも大いに役に立っていることは言うまでもない。
感謝している。
もう少し、そばにいて欲しかった。
うちの子どもの成長する過程を見ていてほしかった。
がんばってるねって、
ほめてほしかった。