先主日の礼拝説教でも少し触れたんだけど、
聖書には、ちょっとした場面で
よく女性の名前が出てきます。
例えばこの間の説教個所で、
「マルコと呼ばれるヨハネの母マリアの家」で、
多くの人々が集まって祈っていたと。
たぶん裕福な家で、
大きなお屋敷があって、
集まるのに好都合だったのでしょう。
でも、あれ?
世帯主の名前は?
世帯主の名前は?
と思うわけです。
たぶんこの家を仕切っていたのは、
マリアという女主人だったのでしょう。
そして、彼女は教会でも中心的なメンバーで、
よく教会に仕え、人望も厚かったのでしょう。
当時女性執事がいたかはわからないけど、
恐らく教会でもかなりの発言権を持っていた思う。
当時女性執事がいたかはわからないけど、
恐らく教会でもかなりの発言権を持っていた思う。
今でもそうだけど、
中東の方では女性の地位が低い。
当時も間違えなくそうだったでしょう。
中東の方では女性の地位が低い。
当時も間違えなくそうだったでしょう。
でも教会の中は違ったみたい。
女性は差別されたり、
軽んじられたりされることなく、
生き生きと、のびのびと活動し、
発言権もあったのでしょう。
のびのびしすぎちゃって、
パウロが教会宛てた手紙の中では、
「ちょっと教会では黙っていなさい」
「ちょっと教会では黙っていなさい」
「そんなに派手にケンカをしないように」
とか注意されちゃった…(^_^;)
とか注意されちゃった…(^_^;)
そんなことかな~と思ったりして。
そう思いながら聖書を読むと楽しいね♪