おかあちゃん牧師の日記

新船橋キリスト教会の牧師です!
日々の生活のこと、教会のこと、
家族のことなどを書いています!

就任式

2020-03-31 10:12:32 | 教会
日曜日の朝は、
あえて、主任の山〇陽〇先生の車に
ご一緒させていただきました。
主人もコロナのせいで当日奉仕がキャンセルになったので、
いっしょに行けて感謝でした。

行きの車で、
今後の教会でのコロナ対策について、
いろいろ先生に相談にのっていただき、
いつもより空いていた道路のせいで、
あっという間に教会に到着してしまいました。

教会に入ると、
あらら…このご時世にちょっと無防備かなという印象。
こんなこともあろうかと、
持ってきたマスクを何人かに手渡し、
礼拝に備えたのでした。

その後しばらくして
千葉宣教区担当理事畑〇洋〇先生が到着。
冷たい雨の中(すぐに雪に!)、遠くから来てくださいました。
山〇先生もいらっしゃるので、
畑〇先生にわざわざおいでいただくなくてもいいのではと、
思いつつの1週間でしたが、
私が言うことでもないと思い
何も言わないで来ました。
でも雨に濡れて、メガネが真っ白に曇っている先生を見て、
あ~~すみませ~ん!!という感じ(^_^;)

それでも礼拝は主の恵みに満ちていて、
畑〇先生のメッセージは慰めと励ましに満ちていて、
不安や心細さの雲がだんだん晴れていくのを感じました。

そして就任式。
前日に式文の内容を確認して、
その内容の重さに
もう一度気が引き締められる思いで臨みました。
そして心を込めて誓約。

会衆のみなさんも心を合わせて、
この牧師を祈り支えることを約束。

感謝主!!

大変なスタートになりました。
高齢者の多い教会ですから、
当面はコロナ対策を真剣にやります。
教会から一人の感染者も出さないように。

嵐の船の中、
ともの方で寝ていたイエスさまを思って。

眠っておられたんですよ。
心が平安でないと眠れないでしょう。
そんなイエスさまを横目で見ながら、
私は一生懸命水を掻き出します(笑)
そのうちイエスさまが起きてきて、
コロナに「黙れ!静まれ!」って言ってくださるから。
その時を待ち望みながら…
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どうしてそんなに

2020-03-27 18:06:36 | 信仰 聖書
さて、その日のこと、夕方になって、イエスは弟子たちに、「さあ、向こう岸へ渡ろう」と言われた。そこで弟子たちは、群衆をあとに残し、舟に乗っておられるままで、イエスをお連れした。他の舟もイエスについて行った。すると、激しい突風が起こり、舟は波をかぶって、水でいっぱいになった。ところがイエスだけは、とものほうで、枕をして眠っておられた。弟子たちはイエスを起こして言った。「先生。私たちがおぼれて死にそうでも、何とも思われないのですか。」イエスは起き上がって、風をしかりつけ、湖に「黙れ、静まれ」と言われた。すると風はやみ、大なぎになった。イエスは彼らに言われた。「どうしてそんなにこわがるのです。信仰がないのは、どうしたことです。」彼らは大きな恐怖に包まれて、互いに言った。「風や湖までが言うことをきくとは、いったいこの方はどういう方なのだろう。」 マルコ4:35~41(新改訳聖書第3版)

新型コロナのせいで「恐れ」が
世界中を覆っているように見える。
私たちクリスチャンも
主につぶやいていないだろうか。
「先生。私たちがおぼれて死にそうでも、
何とも思われないのですか。」と。

そんな私たちにイエスさまは言われる。
「どうしてそんなにこわがるのか」と。

そりゃこわがるでしょう。
こんな大波なんです!
誰がウイルスを持っているかわからないのです。
教会で感染者が出たらどうするんですか!

でもイエスさまがいっしょにいるでしょう?
イエスさまは私たちのことを
「なんとも思わない」わけがないでしょう。
命がけで愛してくださっているのに。

いや、こわがってもいい。
ちゃんとこわがって、
気を付けることは気を付けたらいい。
手洗い、うがい、換気…
オンライン礼拝もいい。
確信をもって決断したらいい。

でも、「そんなに」恐がることはない。
世の人と同じように恐れにとらわれないようにと、
イエスさまはそう言っておられるような気がする。

大丈夫、大丈夫♪
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聖職者

2020-03-27 10:54:27 | 時事問題

FBでもシェアしたのですが、
こんな記事を目にしました。
いろいろ考えさせられます。

カトリックにとって「病者の塗油(終油)」は、
7つの(秘跡)サクラメントの一つ。
手をもってオリーブ油を塗って
病の回復を祈り、
特に臨終の床にある場合には、
そこで告解(罪の告白)を促し、
罪の赦しの宣言をし、
聖体拝領(ミサ)をして
祝福をもって送り出す。
まさにどれをとっても濃厚接触です。
感染は避けられないでしょう。

でもカトリックの聖職者にとっては、
これらは大切な職務なのです。 
特に看取りは、
なくてはならないもの。
その人が御国に行けるかどうかが
かかっているわけですから。

カトリックの教理によると、
この世で告白しない罪が残っていると、
煉獄での苦罰を受けることによって、
自らを清めなくてはいけないようです。
またこの煉獄にいる霊魂のために、
今生きている私たちは祈ることをもって、
清めを助けることができるとも?
それからやっと天国に行ける?

すみません。
カトリックの教理はあまりわかりません。
でも、彼らにとって、
聖職者に看取られることは、
非常に意味があることがわかります。

プロテスタントは、
一度のイエス・キリストの十字架によって、
それを信じる者のすべての罪は贖われ、
義と認められ、
新しいいのちと御国の約束をいただける
という教理を持っているため、
死ぬ間際の告解は必要ではありません。
また万人祭司の教理は、
聖職者が最後を看取らなければいけないという
縛りもありません。

だから、
私はプロテスタントでよかったということではなく、
むしろカトリックの聖職者たちの献身というか、
命がけの牧会に敬服します。

以下の記事にもいろいろと考えさせられたことでした。


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牧会される

2020-03-24 15:56:25 | 教会
シンカマでの半年余りの礼拝生活が、
一昨日の礼拝をもって終わりました。

半年の教会生活での感想は、
牧会されるっていいな~ということ。

祈られていること。
顔を見るたびに「お元気ですか?」
と声をかけられること。
どこかに奉仕に出かけるときには、
前の日か当日朝に、
必ず、「明日(今日)のご奉仕のために祈っています」
とのメッセージ。
奉仕から帰ると「お疲れさまでした」と。

牧会される安心感ってあるのね。
忘れかけていた感覚でした。
シンカマの信徒のみなさん幸せですね。

そして、なんといっても礼拝とみことばによる牧会。
大事です♪
礼拝の中でいやされ、養われました。
また祈り会で、
みなさんと聖書を学ぶ楽しさも味わいました。
とてもいい半年を過ごさせていただきました。
シンカマの教会には足を向けて寝られません。
…いや、みんな向けてるかも(笑)

そうして、来主日は就任式。
シンカマでいただいた愛を
シンフナで分かち合いたいです。

感謝主!!


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誓約

2020-03-24 15:10:33 | 教会
正教師按手の時に何を誓約したのか。
忘れないように。

誓約

 いまあなたが召され、この職務をもって仕える教会は「神がご自身の血をもって買い取られた神の教会」です。
 あなたが、この職に任じられるにあたり、神と教会の前に、次の誓約をしてください。

一、あなたは、旧新約聖書が、神のことばであり、信仰と生活の唯一絶対の基準であることを信じますか。
信じます
二、あなたは、いま、按手によってこの職に任じられることを、教会のかしらである大牧者、主イエス・キリストの召命によると確信しますか。
確信します
三、あなたは、その確信に基づいて、正しくみことばを宣べ伝え、聖礼典を執行し、ゆだねられた人々をねんごろに教え、導くことを約束しますか。
約束します
四、あなたは、日本同盟基督教団の信仰告白と教憲・教規に従い、福音の真理および教会の純潔と一致と平和のために、熱心に努力し、祈ることを約束しますか。
約束します
五、あなたは、敬虔な生活をもって、福音の信仰をあかしし、キリストの信徒の良い模範となるように努力することを約束しますか。
神と教会の前で謹んで約束いたします

願わくは、この志と決心とを与えられた全能の神が、これを成し遂げる力を与えてくださるように。 アーメン

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そういえば

2020-03-19 16:55:15 | 家族
私は忘れてたけど、
主人が覚えてて、
昨日「そういえば…」って。

そういえばうちの母、
時々言ってた。
「お母さんは本当は
牧師になりたかったんだよね」

結婚決めてから、
お父さんに促されて
神学校に行ったんだけど、
学んでいるうちに
牧師になりたくなったってことか(笑)

でも、当時は、
女性の既婚者で牧師になる
というアイデアはないし、
あきらめたのね(^^ゞ

うちの同盟教団だって
女性既婚者の牧師を認めたのは、
ごく最近だし。

お母さん、
お母さんの夢
私が果たしたよ(^^)

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按手

2020-03-18 13:47:47 | 家族


昨日は教団総会でした。
そして総会最後の典礼で、
息子の補教師准允、
私の正教師按手がありました。
親子で…というのは特別の神さまの恵み、
感無量でした!

息子は29日から北海道の教会へ。
私は新船橋キリスト教会の牧師に就任します。
いよいよです。
緊張はありますが、
神さまが開いてくださった道を
「いいんですか」「だめなら止めてください」と
問いながらここまで進めて来たので、
きっといいんだと思います(笑)

下の文章は、
按手のあとに1分の挨拶をと言われ、
話した内容です。

「深みに漕ぎ出して網を下ろしなさい。」との主の呼びかけに「お言葉ですので下ろしてみましょう」と答えました。もう一度宣教と教会形成の最前線に立たせていただけることがとても嬉しいです。
今までは主人の背後でお気楽にのびのびと奉仕してきましたので、責任ある立場に立つことには不安はありますが、大牧者であるイエスさまと、スーパーバイザーであり、私の専属牧師である主人、そしてたくさんの信仰の友と主にある同労者、そしてこれから赴任する教会の兄弟姉妹に支えられて、主を見上げつつ励みたいと思っています。よろしくお願いします。 

感謝主!
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婚約

2020-03-12 21:14:07 | 子育て
息子が婚約しました。
お相手は私と主人の神学校時代の同級生のお嬢さん、Yちゃん。
婚約式は、相手方の教会で行われました。
こじんまりとした婚約式で、
教会のみなさんと、
同じ宣教区の教会の先生たち、
そして、Yちゃんのアルバイト先のみなさんが
来てくれました。

息子が婚約するって
母親としてどんな感じかなと思いましたが、
何だか、特に感傷的になったり、
寂しく感じたりすることは全然なく、
静かな喜びと感謝でいっぱいでした。
まあ、息子が幸せならそれでいいのです♪

息子は4月から、
ここから遠く離れた教会で、
伝道師として奉仕することになるのですが、
そのことについても、
静かに受け止められています。

考えてみると、
息子が高校を卒業して、
台湾を去って行ったあの時に、
すでに子離れしていたのかなと…。
うん、あの時は確かにすごく寂しかった(T_T)

というわけで、
息子と彼女は、
10月には結婚する予定です。
良い準備をして結婚に備えられますように。
祈りつつ。

感謝主!!

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卒業

2020-03-09 09:58:55 | 子育て


先週の金曜日、
息子がTCUを卒業しました。
大学院まで行ったので
全部で6年間の学びでした。

TCUの教会教職者課程を修了し、
教団の補教師試験にも合格しているので、
4月以降は、同盟教団の補教師です。
すでにひとつの教会に赴任することが
決まっています。
人生の大きな節目を迎えたことになりますね。

4人兄弟の中で一人だけの男の子。
父親譲りの頭脳と温和な人格を持ち、
姉や妹、母に愛され、いじられて?
とても優しく、誰からも愛される、
安定した人になりました。

しかも彼の信仰はとても純粋でまっすぐ。
もちろん、宣教師家庭で育ち、
国や文化、言語を超えての移動が多かった分、
苦労や信仰の葛藤もあったと思うのですが、
それが、神さまから背を向けることに繋がらず、
ますます、神さまに拠りすがる方向に向かったのは、
本当に主のあわれみ( ;∀;)

本当に息子のおかげで、
楽しい子育てをさせてもらいました。
やっぱ、男子の子育ては面白い(^^♪

後悔は…、
中高生の食べ盛りのころ、
もっと良質のたんぱく質を
食べさせればよかったということ(笑)

…まあ、これからは、
自分で補っていってください。
もう成長期終わったけど(笑)

ということで、
卒業おめでとう!
これからの人生に、
神さまの豊かな祝福がありますように。

感謝主!
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教会、宣教、福祉

2020-03-06 10:08:48 | 学び
昨日TCUでキリスト教と福祉研究会がありました。
発題は、岩上敬人先生。
「新約学から見た教会、宣教、福祉のつながり 」
がテーマでした。

イエスさまは、絶えず
  1. 貧しい人
  2. 捕らわれ人
  3. 目の見えない人
  4. 虐げられている人
  5. 社会的弱者
に目を向け、
関心を持ち、
彼らの霊的、実際的必要に応え、
愛を実践して来られた。

そしてペテロやパウロにも
それが引き継がれている。
ルカ文書ではそれが顕著。
そしてそれは今日の教会にも
引き継がれているということ。

1974年ローザンヌ誓約以降、
教会の社会的責任ということが叫ばれ、
福音的な教会でももう一度、
そのことに目が向けられることになりました。

ところが現実は…。
教会が社会的な活動をすることに対するアレルギーが、
未だに存続していて、
なかなか乗り出せない、
積極的に社会的な活動をしている教会を裁く、
といった現状があるようです。
残念なことです。

また逆に、
地域社会にコミットし、
社会的なステータスも得、
公の援助を受ける中で、
教会としてアイデンティティと、
宣教スピリット、機会を
失ってしまう…、
あるいは自ら放棄するような
現象が起きてしまうのも残念。

今振り返ってみると、
台湾の教会は自然に、
社会とのネットワークの中で、
社会的な責任を果たしていたなと。
貧困家庭をサポートし、
子どもや母子家庭、高齢者に関心を持ち、
学校や社会福祉機構、
キリスト教系の機構、基金を上手に利用し、
彼らを援助していました。

その地域に教会があるというのは、
そういうことだから。

でも、日本の教会だって、
心の病をもった人が教会を訪れ、
話しを聞いてほしいと言えば話しを聞くし、
必要なサポートもする。

教会に貧困家庭の子どもが来ていれば、
ご飯を食べさせたり、
できるサポートをしているんじゃないのかな。
ある意味、それが教会本来の自然な姿だから。

そして、その中でも、
時に社会的な活動に重荷を持ち、
賜物と使命感を持った牧師がいれば、
自然とそのような活動に力を入れ、
組織化し、地域との連携の中で、
社会のリソースを活用しつつ、
その活動を広げていくのではないかなと。

構えず、
そのような教会を批判せず、
牧師に水を差すようなことを言わず、
温かく見守ってほしい。
むしろ応援し、サポートしてほしい。

そんなことを思わされた今回の学びでした。

感謝主!
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