きのう月一度の王牧師夫妻とのミーティングがありました。
最近の課輔班、
特に課輔班の中でも王牧師夫妻が特別に目をかけている
「才藝班」子どもたちのことについて話し合いがなされました。
課輔班では、
毎日宿題をちゃんとこなし、
先生たちの言うことをちゃんと聞いて、
バイブルタイムなどでも積極的に参加している子どもを
何人か選んで、
将来の教会リーダーになることを期待して、
人材育成(弟子訓練)をしています。
それぞれ楽器を習わせたり、
(ピアノの場合、一月一人あたり9,000円近くかかります)
週に一度牧師自ら聖書の学び会を導き、
英語を教えます。
また土曜日は山登りに連れて行ったり、
サイクリングに連れて行ったり、
バーベキューをしたり、
文字通り手塩にかけて育てているのです。
ところが、
小学校の高学年になり、
思春期に差し掛かった2人の女の子の態度が、
以前と変わってしまいました。
牧師が導く聖書の時間はおしゃべりばかり。
ピアノの練習も集中できず、
もうやりたくないと言い出す。
先日得勝者の授業で学校に行って、
その女の子に会ったら、
そっと友達の後ろに隠れて、
私たちを避けているような様子。
日曜日の礼拝にも以前は喜んで来ていたのに、
最近は遅刻ばかり、
今週はとうとう来なかった。
自分たちだけではなく、
他の「才藝班」の子どもも巻き込んで。
どんなに王牧師夫婦が愛して、
お金をかけ、時間をかけて育てても、
彼女たちから帰ってくる反応は、
むしろ反抗的な態度。
どうしたらいいのだろうか…。
彼女たちのピアノの上達は早く、
この夏からでも奏楽の奉仕ができるのではないかと、
期待していたのに。
彼女たちをやめさせて、
他の子どもに機会を与えるか、
なおも忍耐深く彼女たちを導くか。
彼女たちの家庭環境は複雑。
6年生の女の子は2人姉妹。
でもお父さんは違う。
そして今はどちらもいない。
お母さんは、遠くで仕事をしているために、
子どもに聞くと、
もう1、2ヶ月会っていないという。
普段はおばあちゃんと暮らしているけれど、
食事だっていつも作ってくれるとは限らないらしい。
そのおばあちゃん、
一度礼拝に来たことがあるけれど、
ずっとスマホでキャンディークラッシュをやっていた…。
こんな家庭環境の子どもなので、
愛情不足だろうし、
しつけだって十分されていない。
本来家庭で育まれる価値観だって身についていない。
彼女たちの心には、
きっといつもどこにぶつけていいのかわからない
怒りがあるのだろう。
牧師夫妻は、
毎日彼女たちに会って、
恐らく親以上に彼女たちに愛情を注いで、
イエス様の愛を伝え、
聖書の価値観を教え、
基本的なしつけをし、
英語や楽器なども特別に教えているのに。
どうして、その思いが愛が伝わらないのか。
そんなことを悶々と考えていたら、
ふと、神さまも同じ思いなのか…と気づかされた。
私たちを愛し、選び、
いつも見守り、寄り添い、
よいものを与え、
私たちの成長のために訓練し、
ついにご自分の一人子イエス様をも犠牲にされた。
それでも人は、
神さまの愛を受け取らず、
自分勝手に歩もうとする。
そして神さまから離れようとし、
牙を向ける。
愛が届かないというのは、
本当に悲しいことです。
彼女たちがいつか、
神さまの愛に気づきますように。
牧師夫妻から注がれた愛が、
どんなに得がたいものであったのか、
気づきますように。
そして王牧師夫妻のためにも祈ってください。