同僚のアメリカ人宣教師が、
公務と娘の産後のお手伝いをかねた
一時帰国から帰って来ました。
日曜日の夜、台湾到着の便です。
またです。
彼らは平気で日曜日の便をとります。
出発が日曜日であろうと、
到着が日曜日あろうと、
時差の関係で日曜日がなくなろうと、
気にしません。
主日礼拝?
飛行機の中で、
空港のロビーで一人、
礼拝を守りました。
That's all right!
ってな感じ。
彼らにとって、信仰はとても個人的なことなのです。
先日もこんなことがありました。
主人は、あるキリスト教機構の役員なのですが、
構成メンバーのほとんどはアメリカ人です。
その話し合いの席で、
国外で開催されるカンファレンスに行くときの
フライトをどうするかで、
意見が出されました。
向こうでの時間を有効に使うために、
日曜日の朝のフライトに乗りたいのだか、
何か不都合のある人はいますか?
主人がすかさず、
日曜日の午前中は礼拝がありますから。
と応えます。
それで一旦おさまったかのように見えましたが、
また、会議が終わる頃になって、
フライトの話に戻り、
どうしても日曜日朝の便はダメなのかと
主人に再度確認。
相手は、みんな宣教師だったり、
教会でも社会でも信頼されているクリスチャンたちです。
そんな人たちを相手に、
主日礼拝を守ることの大切さを説くものおかしな話。
そこで、主人はこう応えたそうです。
I don't like the idea.
アメリカ人って、この言葉に弱いんですね。
みんな考え方が違う、価値観が違うのだという前提。
そして、それは何よりも尊重されなければいけない、
そんな文化があるようなのです。
それで、日曜日のフライトは避けられました。
はい、日本人クリスチャンはお堅いのです。(笑)
でも、日曜日、教会で礼拝したくてもできないお仕事の人、
戦いの中で日曜日礼拝を固守しているクリスチャンたちを思うと、
彼らを導く立場にある宣教師が、
他に選択肢がある中で、
日曜日を移動日に使うのは、
やっぱり、どうかなと思うのです。
「炎のランナー」という映画が昔ありましたが、
主日礼拝を守るために、
メダルを捕れる可能性のある競技を棄権した
エリック ・ リデルのような主日へのこだわりは、
今は見られなくなってしまったのでしょうか。
そう思うと何だかとてもさびしい感じがします。