おかあちゃん牧師の日記

新船橋キリスト教会の牧師です!
日々の生活のこと、教会のこと、
家族のことなどを書いています!

『隣に座って』

2019-12-27 23:34:51 | 映画・ドラマ・本
息子が購入して貸してくれた本、
中村佐知著 『隣に座って』
〜スキルス胃がんと戦った娘との11ヶ月〜

一番心に残った部分を抜粋します。

「ミホは『どうして神様はこんなにも私ののとを憎んでるの』と叫んだけれど、違うのよ、違うの。あなたの心があまりにも美しくて、あなたが神様にあまりにも愛されているから、サタンがあなたのことを憎んだの。サタンがあなたに神様のことを呪わせようとして、あなたを苦しめてるのよ。」

「ミホが激しい痛みの中で『どうして神様はこんなにも私のことを憎んでるの』と叫んだとき、私はとても切なかった。でも、あとからそのことについて祈り、思いをめぐらしていると、ミホのその叫びが十字架上での『わが神、わが神、どうしてわたしをお見捨てになったのですか』というイエスさまご自身の叫びと重なった。誰よりもイエス様が、ミホの気持ちと痛みをご存知であられるのだ。そして、誰よりもイエスさまが、ミホに寄り添い、ミホといっしょにその苦しみを担ってくださっているのだ。」

もっともっといっぱい
いい言葉があるけど、
あとはみなさん、
自分で買って読んでください😁

感謝主!



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ながらのすすめ

2019-12-27 10:50:18 | 生活
クリスマスの時期は、おもてなしが多いのです。
毎日お料理ばかりしている気がします(^_^;)
買い出しをしてお料理をしているときは、
ああ、疲れたな~とか、
もう最後にしよう~と思うんだけど、
おもてなしをして楽しい時間を過ごすと、
片づけをしながら、
すぐに次はだれを呼ぼうかと考えている(笑)

そして私の場合、
ただお料理するのはつまらないので、
いつも何かを聞きながらです。
今、続けて見たり聞いたりしているのはこちら。

S子の大学のKGKの先輩で、
若くてフレッシュ、素直な信仰が大好きで、
お気に入りです♪

神学校で同期の林先生ファミリーの
トークとメッセージがいいですね♪
本当は沖縄ラジオの番組なんだけど、
YouTubeでも見られます。

ご夫妻の明るくて軽快なトークが楽しい。
若い人向けなんだけど、
若くない人にもいいですよ(笑)

皆さんご存知のこちらも聞いています。
7のつく日に配信されています。
こちらは安定のおもしろさがありますね♪

あと、最近では中村哲さんの過去の講演を
二本聞きました。
YouTubeで検索して。
本当に素晴らしい働きをなさったし、
人物もすばらしい!
そしてその背後に信仰があるのがいい。 

これらの番組をいつも「ながら」で聞いてます。
だからYouTubeでも顔は見ていない(笑)
そうそう、加えて「聞くドラマ聖書」も聞いています。
みことばをながらなんて…とも思うけど。
読むのとは違う気づきや感動があり、
とてもいいです!
聖書通読の助けにもなっています。
まだインストールしていない人はぜひ♪

年末、お正月の準備のために大掃除をしたり、
台所に立つ機会の多い主婦のみなさんは、
ぜひこれらの番組をお試しください。
特に家事やお料理の苦手な人にお勧め!
番組が終わるまで手を止められなくなります(笑)

感謝主♪
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出張クリスマス会

2019-12-25 23:15:55 | 家族
今日は横浜の義父母のところに行って来ました。
出張クリスマス会です!
最近お義母さんの方が調子が良くないので、
お料理やデザートはすべて持参。
お漬物とかあるものは出してくれたけど。
あっ、山形の芋煮も用意してくれた。
ありがたいです♪

そして楽しくおしゃべりしながらご飯を食べて、
今回は一緒にドキュメンタリー映画
『エンディングノート』を観ました。

こんなことを通しても、
信仰のこと考えてくれるといいなという願いを持って。
これからの人生をイエスさまと共に過ごせたら、
きっともっともっと豊かになるのに…。
そんなことを思いつつ帰ってきました。
これからも続けて祈ります♪
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クリスマス・イブ

2019-12-24 10:52:00 | Weblog
クリスマス・イブですね。
贅沢な話しですが…暇です(笑)
いや、やるべきことはあるんだけど、
クリスマスに向けて特にすることがないということ

主人が牧師だったころ、
宣教師だったころは忙しかった。
教会内のクリスマス行事も目白押し、
教会外に出て行ってのクリスマスもいくつか。
それぞれに合わせて、
ケーキやクッキーを焼いたり、
プレゼントを準備したり、
会場をデコレーションしたり。
そしてみことばの準備。
準備しながら恵まれ、教えられ、
クリスマスに向かって心の備えができます。
来年には、
そんな恵まれ忙しいクリスマスが帰ってくるかな。

でも、今年は今年の恵みが。
今出席させていただいている教会は、
礼拝と聖書の学びが充実してる、
キリスト教会の王道を行く教会です!
みことばに浸り、
教会音楽を楽しみ、
み言葉の前に静まりつつ、
平安と喜びに満ちたクリスマスを過ごしています。
感謝主!!
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義なる神さま

2019-12-18 11:11:44 | 信仰 聖書
12月18日
人の建てたすべての制度に、主のゆえに従いなさい。
(Ⅰペテロ2:13)

 義なる神さま。
 今日も世界は一日の営みを始めています。人々はそれぞれの部署について、その職責に当たっています。どうぞ、そのわざを祝福してください。
 特に、平和を促進する職務に当たっている人たちを支えてください。現実は甘くないぞとか、理想なんて乳臭い、と毒づかれようと、一秒でも長く、一寸でも広く、平和を押し進めて行けますように。
 また、正義をつかさどる人たちを聖めてください。悪は、あらゆる手段をもって、彼らを篭絡しようとしていることでしょう。その誘惑を退けて、あくまでも正義のために、その諸功績を果たさせてください。
 彼らの堕落は良心の死であり、国家の死です。その使命に常に目覚めさせて、私に死に、公に生かしてくださいますよう祈ります。
F・B・マイヤー 『きょうの祈り』 小畑 進訳 (いのちのことば社,1977年)


母の形見のこのデボーションテキストを使って、
朝聖書を読んでいます。
前半では、中村哲さんのことを思い、
後半では、安倍さんや菅さんのことを考えました。
そして祈りました。
社会の正義と平和のために活躍されている人々の守りのために。
そして国の為政者が良心に従い、正義をなすことができるように。

「いと高き所で、栄光が神にあるように。
地の上で、平和が
みこころにかなう人々にあるように。」
ルカ2:14(新改訳2017)
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男女平等

2019-12-17 10:15:42 | チャンピオンズ
先日神谷美恵子の本の中から、
心に留まったことなどをシェアしましたが、
もう一つ。
神谷美恵子が師として仰いでいた
新渡戸稲造のことばを紹介します。

「娘時代には女性としてどうあるべきかとか、そういうことよりももっと以前の、人間としてどうあるべきかということが大事だということです。これは男女を問わず、人間として踏むべき道があるはずだ。だから、まず人間として立派に人間らしく生きることを身に着けさせた上で卒業させる。そして、その上で結婚すれば、女性は女性としてのいろんな課題に取り組んでいく、その取り組む時に、一個の個人として、誠実な取り組み方をするだろう。それでいいのだ。」(『神谷美恵子 いのちのよろこび』 <人生のエッセイ4>日本図書センター、2000年。選文集) 

非情に封建的な社会の中で、
よくこのような発想ができたなと驚く。
新渡戸稲造の思想の背景にはもちろん聖書がある。
性別を無視することなく、
それぞれの性を尊重した上で、
平等と受容と理解とそれぞれの役割を大切にするのが、
聖書に立った男女平等だと思う。


今朝もこんなニュースを見た。
がっくりだな。
女性が男性と同じことをする必要はない。
女性としての特質を大事にして、
持っている賜物を発揮できる社会になればいいと思う。
そして神さまはそれを望まれていると思う。
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沖縄セミナー

2019-12-16 20:17:28 | チャンピオンズ
来年のチャンピオンズのセミナーは、
1月11日に東京で、
2月11日に沖縄。
そして2月24日に千葉です。

沖縄セミナーは実はチャンピオンズ教育協会主催。
はじめての協会主催のセミナーです。
今までのセミナーは全部、
教会や宣教区、その他団体が主催して、
チラシも作って、宣伝や準備もしてくれていたので、
身一つで行けばよかったのですが、
今回はそういうわけにいかない…。

沖縄の友人にお願いして、
地域の牧師会などで案内をしてもらい、
チラシを送った方がいい教会を紹介していただき、
会場を探してお願いしたりと、
いろいろ大変。

でも、持つべきものは友ですね。
みなさん気持ちよく協力してくれて、
本当に助かっています。

結局沖縄109教会にチラシを発送しました。
今だからできるけど、
来年度以降はさすがに難しいだろうな…と思いつつ。
事務系を手伝って下さる人を探さなきゃ。

だけどまたまた不思議なことがありました。
チラシを400枚ネットの印刷業者にお願いしたのだけれど、
なんと600枚送って来たのです。
400枚の値段で。
どうやら紙を間違えて200枚印刷してしまったらしい。
しかも、お願いしたのよりいい紙を使って。
そして、間違えた200枚を破棄するよりはということで
いっしょに送ってくれたということでしょう。
なんていい会社。
東京カラー印刷です♪
宣伝しちゃう。

はい、神さまの後押しを感じます。
きっとこのセミナー祝福されます!

なぜ沖縄でセミナーをしたかったのか。
それは、沖縄は日本一離婚率が高く、
デキ婚が多く、
シングルペアレントが多いからです。
背後には貧困やDV、虐待など、
いろいろな社会的問題があります。

だから、当初から沖縄には絶対行きたいと思っていた。
そして待ってても全然依頼が来ないから(笑)
時間のある今のうちに行っておくことにしたのです。
どうか、このセミナーが祝福されますように。
祈れる人は祈りを合わせてくださいね。

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子どもに福音を

2019-12-13 12:58:27 | 信仰 聖書
実は今、「信条学」を聴講してます。
その中で、印象に残っていること。

カテキズム教育は、
おとなの信仰教育のため以上に、
子どものためになされたということ。

難しくてわからないのではとの質問に、
わかる教育というのは近代社会のもので、
当時はわかるとかわからないとかに関わらず、
教えるべきことを早い時期に教えるのが、
教会と親の責任だったとの答え。

その理由の一つとして、
子どもはみんな大人になるわけではないからと。
確かにそう。
今みたいに医療が進んでいるわけではないので、
小さくて弱い子どもはよく死んだ。
だからなるべく早くということ。

確かにそうだと、
思いめぐらしていたところ、
こんな動画を見た。


生と死を行き来している少女が、
「わたしはイエスさまといっしょにいる」
と告白する姿には胸を打たれる。

多くの子どもたちにとって受難の時代。
早く、早く、福音を必要としている子どもたちに
伝えなければと思う。

アドベント、
イエスさまが、赤ちゃんになって
生まれてくださった意味を思いながら。
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細く長く

2019-12-11 10:22:25 | 学び
うちの近くに、
本当に歩いて3分ぐらいのところに、
公民館があって、
そこに談話室やら小さな図書館、自習室があります。
ずっと気になってはいたのですが、
しばらくは正教師試験のために、
TCUの図書館に通い詰めだったので、
今になって、ぼちぼちそちらを利用するようになりました。

本当に小さな図書館で、
子ども用の本が半分という感じなんだけれど、
ふと目に留まったのは、
神谷美恵子(1914年 - 1979年 )さんの講演や遺稿がまとめられた本でした。
(『神谷美恵子 いのちのよろこび』 <人生のエッセイ4>日本図書センター、2000年。選文集)

神谷美恵子さんは精神科医ですが、
その半生をハンセン病患者と共に生きました。

神谷美恵子については、ずっと興味があり、
若いころは、彼女の著書をいろいろ読みました。
結婚したばかりの誕生日、
夫53氏が、私が神谷美恵子のファンと知って、
彼女の著書『生きがい』を買って来て、
プレゼントしてくれたのですが、
あの時は、なんだかがっかりしたな~(笑)
もうちょっと気の利いたプレゼントはできないものかなと(^_^;)
今なら、嬉しいプレゼントなんだけどね。

彼女は若い頃に、
医者である叔父に連れられて、
ハンセン病患者の療養施設に行ったのですが、
そこで大きな衝撃を受け、
自分は将来医者になって
彼らを援助したいとの志を与えられました。

けれども語学など、
賜物を多く持つ才女だったことや、
まわりの反対があったり、
後に結核を患ったり、
結婚、育児の生活に入ったりで、
その志が現実のものになるには、
長い、長い年月を要しました。

でも、最後はこの志を遂げ、
精神科医としてハンセン病患者に仕える人となります。

今回手に取った本には、
今の私に響くことがたくさんちりばめられていて、
なんだか2時間ぐらい読みふけってしまい、
本来やろうとしていたことは何もできなかった(笑)

せっかくなのでその時のメモを
下に少し抜粋して貼り付けます。

「結局、人間、一生の間で何かぜひしたいと思ったらそれをがむしゃらにやろうと思ってもすぐできるという条件がそろうわけではないので、時期を待つというその忍耐といいますか、根気といいますか、それもずいぶん必要じゃないかと私は思っております。」

「若い時は、いろんな偉人伝などを読んで、それぞれ感銘して誰かのようになりたいとあこがれるもので、私も確かにそういうあこがれの遍歴を持ちましたけれども、結局それぞれの人の持っている性質とか、それから生い立ちとか、もちろん能力とか、その他いろんな条件がありますね。
…人と出会いとか、いろんなことがそろってはじめて一種の必然性が生まれてくるわけで、どうしてもそうならならざるをえなくてというような必然性が生まれてこそはじめて何かにぜひ、ということが起こるんじゃないかと私は思うわけでして…」

「だいたいもともとは内気でなんにも社会に出る気はないし、そういう勇気もなかったほうで、ひっそりかくれて家庭の中にいるっていうのが自分だと初めはずっとおもってたんですけれども、なんだかこんなことになってしまいました。41歳ぐらいから少し社会活動をやりだしたっていうのは、大変遅い芽の出し方ではないでしょうか。おそくてもいいから求める気持ちというか、探究的な態度っていうのか、そういうことがやっぱり人生で一番大事じゃないかと思うのです。ちょっとおこがましいのですけれども。」

「家を持つ女にはいろいろな時期があるのだから何よりも粘りと弾力性を持ち、細く長く志を遂げていく工夫が必要と思う。」

「サン=テグジュペリは遺稿となった対策『城砦』の中で「交換」という思想をしばしば述べている。人間は何かの仕事に打ち込んで、自分のすべてをそれに献げることによって、自分の生命をそれと交換するのだという。そのしごとが大工の作業であろうと、刺繍の仕事であろうと、なんでもいい。ともかく我を忘れて努力をつみかさねるうちに、そこにその人間よりも永続的な価値のあるものが生まれ、その人間はやがて年老いて死ぬが、死ぬとき、「その両手は星で一杯なのだ」という詩的なことばが記さされている。」

「こういう人たちに接するのに、どうしたらよいか。どういうことばを彼らに述べうるか。特定の宗教の伝道者と精神科医とは立場が違う。もし患者がすでに何かの宗教や信念を持っているのならば、それを尊重するのが一番いいと思う。そうでない場合は、まず相手の心の世界を知ることに努め、それに通じることばをみつけるべきなのであろう。そのことばは、何よりも人間の生と死と宇宙を支える、超自然的な力への信頼をもたらすきっかけとなるべきものでなくてはならないと思う。この信頼がなくては、人間はほんとうは一日たりとも安心して生きていけないはずなのだ。
 いずれにせよ、極限状況的なものに直面した時の人間の心情には、普遍的なものがあると思う。ただ、それを乗り越えるための手がかりとなることばは、決して出来あいのものでよいはずはなく、その時々に、相手によって、ふさわしいものを探り求めなくてはならない。」

「生きがいある生涯を送るためには、なにかしら生きがいを感じやすい心を育て、生きがいの感じられるような生き方をする必要があるのではないか、と思われてきます。もちろん、人間の心は絶えず生きがいを感じるようにはできていないので、一生のうち何べんか“ああ、生きていてよかったなァ”と感じられるような瞬間があればありがたいとすべきでしょう。絶えず生きがいを感じて喜んでいるというのは、むしろ普通ではないのではないかと考えられます。」

「さて、こういうことを承知の上で、生きがいを感じやすい心とはどんな心かと考えてみますと、それは結局、感受性のこまやかな、謙虚な心、何よりも、“感謝を知る心”だろうと思われます。欲深い、勝気な心の正反対です。感謝を知るというのは、何か特に他人が自分によくしてくれた場合だけでなく、自分の生というものを深く見つめて、どれだけの要素が重なりあって自分の存在が可能になったのかを思い、大自然に向かい、ありがとう、と思うことを言っているのです。不幸な境遇にある人にそれを求めるのは無理ではないか、と思う方もあるでしょう。けれども私は、慢性の厄介な病気にかかり、一生家族と別れて暮らさなければ人や、目の不自由な人などにも、こういう人のあることを知っています。私は宗教の形式はあまり好きではありませんが、真の宗教心、かたちにとらわれない宗教心とは、こうしたものではないかと思っています。皆さんもこういう自由な、本質的な宗教心というものについて少し考えてみてください。それは人間の心が持っている最も大切な働きだとおもうのです。」

「生きがいとは“いきているだけのねうち”ということでしたが、この“ねうち”が自分にもっともはっきりと感じられるときの一つは、自分の存在が何かのために、誰かのために必要とされていると自覚されるときでしょう。それも、ただ飾りのようなぐあいに必要とされるのではなく、他人では代用できない任務や責任負った者として必要とされる時に、一番強く意識されるでしょう。」

まだあるけど、この辺で。
豊かな時間でした。
感謝主!

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一歩を踏み出そう

2019-12-09 10:22:16 | チャンピオンズ
一歩を踏み出そう

もし君が体重を減らしたいなら、
 最初の1キロを減らすのが一番難しい。
もし君が一冊の本を読みたいのなら、
 最初の1ページをめくるのが一番むずかしい。
もし君が一つの商品を売りたいなら、
 最初の一本の電話をかけるのが一番難しい。
もし君が会社を立ち上げようとするなら、
 最初の売上を出すのが一番難しい。

みんな「はじめの一歩」が一番難しいことを知っている。
だからいつも始める前にあきらめてしまう。
でも、君が想像しているに過ぎないその「第一歩」を恐れないで。
ただ思い切って一歩を踏み出そう。
なぜならそこには、その一歩がもたらす力と創造の可能性、
そしてそこで学ぶであろう教訓と
その途上で得る多くのものがあるのだから。

だから勇気をもって前に進もう。
第一歩を踏み出そう。
そうしないと君は永遠に
その一歩がもたらすすばらしい実を知らないままだろう。

だから勇気を失わないで。
この勇気は君たちに大きな報いをもたらすのだから。

蒲公英希望月刊 2014/3 より


チャンピオンズのテキスト『問題処理』(中国語タイトル)を
訳し始めています。
さっそく、こんなチャレンジングな詩に出会いました。

本当にその通りだと思う。
はじめの一歩が一番難しい。
たくさんのエネルギーと勇気を要する。
だから、多くの人は始める前にそれをあきらめてしまう。

でも、勇気を出して一歩踏み出したときに、
きっと素晴らしい結果を見ることになる。
たとえ結果は失敗に終わっても、
その途上で得るものははかり知れない。

わたしたち信仰者はなおさらです。
なぜなら、インマヌエルの主が共におられるからです。
アドベント、
そんな私たちに寄り添い、力を与えてくださり、
はじめの一歩を踏み出させてくださる主を思います。

感謝主!

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