6月30日、今日の説教のテキストは、
創世記5章全体。
創世記5章全体。
私たちの教団の北海道苫小牧で伝道、牧会しておられる水草修治先生という方がおられます。先生は『失われた歴史から』という著書の中で、エノクが取り上げられた時のことを美しく描いていたので、皆さんに紹介しましょう。
「ある日、エノクさんが野を散歩していました。いつものように神とともに語らいながら行く道はなんと楽しいことでしょうか。時がたつのも忘れて語らううち、気がつくともう夕日が西の山の端に近づいています。神がおっしゃいました。『エノク。今日はずいぶん遠くまで歩いてしまったようだ。少し早いが、家に来ますか。』エノクは『そうですねえ。そうさせていただきましょうか。』こうして、神がエノクを取られたので、彼はいなくなったのでした。」
神とともに歩む人生は、この世界で生きることと、御国で生きることの境をなくします。人がこの地上で生きる時、生活の苦労、学業の苦労、人間関係の苦労、子育てや老後の衰えの苦労、病気…、多くの苦労があります。けれども、神さまと共に歩む楽しみと喜びとは、それらの苦労を忘れさせ、苦労を上回る喜び中を生きることができるのです。それを体験したエノクにとっては、地上と御国の境はもはやなかったのでしょう。聖歌467番に「みくにのここちす」という賛美がありますが、こんな歌詞です。
悲しみ尽きざる 浮世にありても 日々主と歩めば 御国の心地す
ハレルヤ! 罪 咎消されしわが身は いずくにありても 御国の心地す
イエスさまの十字架によって罪ゆるされた私たちは、聖霊によって、この地上にあっても、いつも主と共に歩むことができます。そして地上の生涯が終わるときに、私たちはエノクのように、主によって、そっと御国に移されて、主と共に永遠に生きるのです。ある人が、死ぬことは「お引越しだ」と言いました。この世から御国への引っ越しです。それにしても、御国の方がだんだんにぎやかになって来ました。私たちもお引越しの準備をする必要がありますね。それは今日も主と共に生きることです。