おかあちゃん牧師の日記

新船橋キリスト教会の牧師です!
日々の生活のこと、教会のこと、
家族のことなどを書いています!

父が天に召されました

2021-07-21 11:47:01 | 家族
 ご報告が遅くなって申し訳ありませんでした。私の父、川村江弥は去る7月17日19時28分、主の御許に召されました。84歳でした。かねてから進行性核上性麻痺を患っており、次第に転倒が多くなり、言葉も遅くなり、最後は誤嚥性肺炎を繰り返し、入退院の日々でした。しかもコロナで面会を許されず、孤独な1年になったかもしれません。けれども認知症が進んでも、穏やかで柔和な父は、どこに行ってもまわりの人たちに愛され、良くしていただいたことでした。
 しかも不思議なことに、召された日の午前中、私はどうしても父に会っておかなければという思いに押し出され、面会に向かいました。15分ほどの面会でしたが、父の耳元で主に賛美をささげ、聖書を読み、祈り、礼拝をささげました。そしてその日の晩、父は平安のうちに天に召されたのです。父は今、苦しみから解放され、御国で先に召された母とともに主を賛美していることでしょう。
 葬儀はコロナ感染予防のために、「家族葬」を行いました。直系の親族皆が一同に会したのは母の葬儀以来かもしれません。悲しくも幸いなひと時でした。
 家族以外の皆様には参列をご遠慮いただいたので、YouTubeにて限定公開することになりました。今までのお交わりと温かい励ましに心から感謝申し上げます。
https://youtu.be/i_usrYcfisw

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カレーライス

2021-07-12 23:08:47 | 地域支援
子どもが6人いる例の家族。
そのうちの3人がうちの教会学校に。

朝迎えに行って、
教会学校で楽しく過ごして、
礼拝の時間は、
母子礼拝室で静かに過ごしてくれて、
その後、
近所にオープンした
こども食堂に行きました。

メニューはサバの竜田揚げとカレーライス。
おいしそうに食べていました。
「カレーライスは家でよく食べるでしょ?」
「はじめて!」
「うそ?はじめて!?
お母さんカレーライス作ったことないの?」
「ないよ。
お母さん簡単なのしか作らないから。」
「簡単なものって何?」
「からあげとか。」
唐揚げの方が難しいでしょ、と
子どもに突っ込んでも仕方がないので、
それはぐっと飲みこんで。

台湾でもそうでした。
貧困の中にある子どもは、
食の世界がとても狭いのです。
食べたことのないものがたくさん。
それこそ給食が栄養源。

今家にいる中で、
一番大きな4年生の女の子に、
基本的なお料理とか、
洗濯の仕方とか、
教えてあげないと…。
と思ったことでした。

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聖書翻訳

2021-07-10 15:24:42 | 映画・ドラマ・本
息子が引っ越すときに置いて行った本。

「真理の源を求めてーパプアニューギニアの山地からー」
ニール・アンダーソン&ハイヤット・ムーア
日本ウィクリフ聖書翻訳協会

夜な夜な少しずつ読んで、
今日の午前中で
明日の礼拝の準備が終わったので、
午後の時間で全部読み終わった。

読みながら、
何度も胸にこみあげるものがあった。

文字のない部族の中に入り、
彼らと生活を共にし、
言葉を習得し、
文法を解析し、
文字を作り、教え、
読むことを教え、
村の人々と共同で、
聖書を翻訳していく。

その中で、
村人たちは翻訳者と一緒に、
聖書の旅に出る。
聖書の言葉を
彼らの生活の中に探す…。
彼らが理解し、納得できる言葉を探す。
そしてそれを発見した時の感動。
そういうことか!と感動し、興奮し、
悔い改めに導かれたり、
喜びに溢れたり。
すごいな、すごすぎる!

でも、これって
すでに聖書が翻訳されている私たちも、
ともに聖書を読むときに
同じ作業をしていると言えないか。

みことばを語りながら、
聞く人に届いていないことがある。
「神の愛」と言っても
その大きさと深さ、
そこに払われた代償…。
どれぐらいわかっているのか、
「礼拝」と言っても、
その意味、意義を
どれほど理解しているのか。
届いていない。
通じていない。
いや、自分も含めて。

そう思うと、
毎週の説教は、
会衆と一緒に
聖書翻訳をしているようなものだなと。

この本のような感動を
会衆と共有したいものだと思う。
聖霊の御助けを仰ぎながら。

「『礼拝』には、『神のもとに死ぬ』という大意の慣用句を使う。神の御名を高く掲げ、神をほめたたえるという意味だ。『神のもとに死ぬ』とは、人がなしうること知りうることのすべてをもって、神こそがすぐれた方であることを認めることだ。」(本文「付録」より抜粋)




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先週の水曜日

2021-07-05 15:10:02 | 教会
先週の水曜日、
祈り会のために教会に行ったのですが、
着いてみてびっくり。
玄関に男性が座っていました。

ホームページを調べて、
祈り会に来られたとのこと。
はい、基本どなたでも大歓迎ですが、
大きなリュックに、
大きなショルダーバッグ。
ひょっとして、家なき子さん?

話しを聞くと、
2週間ぐらい前に大阪から来られたらしい。
なるほど、確かに関西弁。
横浜で仕事の口を見つけて、
やって来たのだけれど、
いろいろ手違いがあり、
採用されず…。
せっかくここまで来たのだからと、
漫画喫茶に泊まりながら仕事を探すも
どこも採用まで至らず、
そうこうしているうちに
大阪に帰る交通費もなくなってしまったとのこと。
しかも悪いことに、
この2,3日心臓がぎゅっと痛むらしい。
保健証は持って来てないし、
とりあえず大阪に帰って医者にかかりたいのだという。

まあいいや、
とりあえず祈り会に来られたのですから、
他の方たちも一緒に聖書を学んで祈って…。
彼が話すことや、祈りを聞いていると、
うんうん、確かにクリスチャン。
彼のために祈って、
彼もわたしたちの教会のために祈ってくれて。

祈り終わって、
そういうことに詳しい、
大阪のY先生にお電話して、
こういう時はどうしたらいいのかとご相談。
結果、祈り会に来られていた婦人たちと、
大阪までの高速バスの交通費とお弁当代をカンパして、
大阪に着いたら、
まずは生活困窮者自立支援センター?に行くことと、
お医者さんに行くことをお勧めして、
車で駅まで送ってあげました。

最近のこういう方たちは、
ホームページを調べて来られるのね(笑)
この春からうちの教会もいろいろ始めたから、
それが吸引力になったのかも。
今後もあるかもね~。
お勉強しておかなきゃ。

それにしてもあのおじさん(私より少し年下だけど)
今頃どうしているかな。
ちゃんと医者にかかったかな?
公的援助受けられたかな?

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小さな牧者

2021-07-02 11:01:51 | 牧師
牧師は、大牧者なるイエスさまから
ゆだねられた群れを
牧するのが仕事。
だから「牧師」という。

そして、小さな牧者の頭の中は、
いつもあの羊、この羊のことがあって、
頭を悩ませている。
羊たちへの言葉かけ一つについても
そのタイミングや話す内容にも
どんなに気を使っているか、
たぶん羊だちは知らない。

そして、
小さな牧者は、
羊に寄り添いつつも
いつも神の側にいることを、
羊たちは知っているだろうか。
神が軽んじられたり、
あなどられたちすると、
牧者はひどく心を傷める。

そう、小さな牧者は、
神の側にいるひとりの人間に過ぎない。
弱く、もろく、傷つきやすい。

だから最終的には、
大牧者にゆだねる。

聖書の「ゆだねる」は、
「そばに置く」という意味を持つ。
だから、あの羊、この羊を
主のそばに置く。

朝、羊たちのために祈る時、
一人ひとりを主のそばに置く作業をする。

そして「羊は羊飼いの声を聞き分ける」との
みことばを信じて、
説教し、聖書を語り、
大牧者が羊たちに語ってくださるのを待つ。
最終的には、
イエスさまと羊の問題。
小さな牧者は、
聖霊の働きかけを信じて、
見守ることしかできない。

小さな牧者の限界を覚えつつ、
無限の愛と力を持っていらっしゃる
大牧者イエスさまを見上げる。
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