おかあちゃん牧師の日記

新船橋キリスト教会の牧師です!
日々の生活のこと、教会のこと、
家族のことなどを書いています!

妹が二人

2015-01-29 09:14:36 | 課輔班

この間、課輔班の子どもの一人Mちゃんと話をしていた時に、
「私には妹が二人いるんだ~。」
と言っていました。

その子は今4年生。
お姉ちゃんも課輔班にずっと来ていて、
去年小学校を卒業して今は中学生です。

ずっと、二人姉妹だとばかり思っていました。
下に二人も妹がいたとは…。

上の二人のお父さんはそれぞれ別の人です。
そして、驚いたことに、
下の二人もそれぞれ違うお父さんだということです。
4人姉妹、みんな違うお父さん。
ありえない…。
そして、一番下の子は、
実は、まだおなかの中らしい。

お母さんは、ずっと前から、
仕事を理由に離れたところに住んでいて、
そこで別の男の人と暮らして、別の家庭を持っているので、
ほとんど帰って来きません。
上の二人はずっとおばあちゃんに預けっぱなし。 
そして、もっと驚いたことに、
実は1番目と2番目の間にもう一人女の子がいて、
その子は、生まれつき障害があったために、
ずっと施設に預けているらしい。

ゆうべの教会の祈り会で、
下のみことばを読んだときに、
そんな子どもたちのことが思い出されて、
なんとも言えない思いがこみ上げてきました。
彼女たちこそ、イエス様の愛が必要です。
それぞれイエス様を信じて、
たくましく、まっすぐに成長していけますように。 

「 私の父、私の母が、私を見捨てるときは、
主が私を取り上げてくださる。
 」
(詩編27:10) 

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水曜日と木曜日

2015-01-26 09:08:01 | 課輔班

一か月前には、まだアメリカにいたなんて、
信じられない感じです。
暖かい台湾の気候の中で、
夏以前の日常生活に完全に戻ってます。
でも…、微妙に違うかな?
短いアメリカでの生活が、
家族関係や教会との関わり中で、
何らかの影響を与えているような気もします。

課輔班の子どもたちはみんな元気です。
元気すぎて、さすがの師母も持て余してます。(笑)

子どもたちの期末テストはすでに終わり、
今週火曜日から始まる春節休み(一か月)を待つばかりです。
そのせいか、子どもたちの宿題も比較的少ないので、
水曜日はちょっと早い時間にバイブルタイムを始められます。

子どもたちは相変わらず、よくお話を聞いています。
やっぱり、聖書のお話そのものが、
子どもたちを惹きつけるのです。
聖書はおもしろい!
感謝主! 

木曜日は、宿題が終わると、
お楽しみタイムも持てます。
上の写真のように、公園に連れて行ったり、
いただいた大量のサツマイモで、
スイートポテトも作りました。

私がいない五か月間は、
ぎりぎりの人数のスタッフででまわしていたので、
こんなお楽しみタイムを持つ時間も余裕もなかったのです。
こんな楽しい時間が再開されて、
子どもたちは大喜びです。
私は、いいとこ取りですね。
人気者です。(笑)

というわけで、今週からお休みなので、
私も今週いっぱいは、お休み。
その間に、再来週の「冬令営(冬のデイキャンプ)」の
準備をします。

冬休みの間に、
子どもたちの生活が守られますように。
家族といい時間が持てますように。
祈りつつ。 

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アメリカで

2015-01-22 10:16:13 | 時事問題

アメリカで私が関わっていた教会では、
たくさんのイスラム圏から来た移民が、
ESLなどを通して教会と関わりを持っていました。

ある女性は、
少しでも収入になるからということで、
教会の定期的な集まりなどでは、
ベビーシッターなどの奉仕をしたりと、
かなり深くコミットしている人もいました。

ちなみに私がアメリカで知り合った
ムスリムの人たちは、
全然排他的でもないし、
みなさんフレンドリーでいい人ばかりでした。 

そんな中で、
キリスト教信仰に興味を持ち、
個人的に聖書の勉強をしている人も少なからずいました。
中には洗礼を決意する人も。

でも、教会の皆さんにさえ、
明らかにしません。
すべては内密に進められます。
洗礼式さえも公にはしないで、
本人と牧師、
その人を導いた人だけで行われるそうです。 

もし、その人がクリスチャンになったことが、
家族にさえ知れると、
必ず離縁されるし、
子どもも配偶者の方に渡さなければならなくなる。
ともすると命の危険にさえさらされるとか。

本当に命がけの回心です。

過激派組織「イスラム国」による
日本人の人質、身代金要求の事件を
祈りつつ見守りながら、
そんなアメリカでの出会いを思いだしました。

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熱い選挙戦

2015-01-16 10:54:14 | 時事問題

私たちが、アメリカにいた昨年11月29日、
台湾では大きな選挙がありました。
「九合一選挙」と呼ばれるもので、
台北や台中、高雄など主要都市の市長選や
各都市の市議会委員、
県長、県議会委員など、
のべ1万人以上の代表者を決める
大規模な統一地方選挙だったようです。

その時の選挙活動もすごかったようですが、
http://matome.naver.jp/odai/2141602306330621401

選挙結果も大どんでん返しの内容でした。
新北市をのぞく主要都市で、
民進党が圧勝したのです。
南部はもともと民進党が強いのですが、
台中市以北は、国民党が強い地域。
ところが、今回は台北でも現職の国民党市長が負け、
民進党バックアップする無所属の候補が勝ちました。
現職の台中市長も2001年からずっとその座を守ってきましたが、
今回は惨敗、同じく民進党の市長にその座を譲ることになりました。


アメリカでこのニュースを聞いたときには、
お~、民進党圧勝か~!
ぐらいのもので、
どこか蚊帳の外のような感じで受け止めていましたが、
台湾に帰って来てから、
今回の選挙結果が結構私たちの身近なところで、
影響を与えていることに気づきました。

私たちの教会の一人の姉妹の勤める会社の女社長は、
国民党関係の団体に属していました。
今回、国民党が負けたことによって、
その社長は、責任をとって、
お役目を降りることになり、
秘書的な役割をはたしていいたその姉妹は、
大きな影響を受けています。
詳しくはわからないのですが、
経済的に大きな打撃を受けたようです。
今は礼拝出席もままならない様子。 

また、立新教会が会堂として使っている
3階建ての建物を貸してくれている大家さんも
国民党関係の人。
私たちが今使っている建物も
私たちが借りる前は選挙事務所として
使われていました。

大家さんにとってもこの選挙結果は大打撃だったようで、
先日賃貸の契約を更新したのですが、
なんと、5千元(約1万8千円)もアップされてしまいました。
聞けば、その大家さん、
他の不動産も売りに出しているようです。

というわけで、
台湾の投票率の高さ、
また、彼らが選挙に熱くなるわけが
わかったような気がします。
とにかく身近なところで、
生活に大きな影響が出るのです。 

どこかの国の投票率の低さは、
上が変わっても自分たち生活は変わらないなどと、
勘違いして、
のんきに構えているせいなんでしょう。
でも、気が付けばゆでガエル。
気を付けましょう。

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五カ月ぶり

2015-01-15 10:08:38 | 教会

この愛餐会の写真を見ると、
ああ、帰ってきたんだなって思いますね。(笑)

1月の第一日曜日は、
共同会中部地区の合同礼拝だったので、
立新教会でみんな一緒に礼拝をするのは、
5か月以上ぶりになります。

この日、嬉しかったことが3つ!

一つ目は、
課輔班の子どもたちで、
特別にピアノを習っていた子どもたちが、
礼拝の奏楽をしていたこと。
一人で全部弾いていました。
この日は4年生の女の子です。
しかも、とても上手!
ピアノを習い始めてまだ2年もたっていないのに、
こんなに上手になるものなのかと、
驚いてしまいました。
子どもたちの家にはピアノはないのですが、
毎日課輔班の後も教会に残って、
よく練習していたからでしょう。
小さな教会なのに、
今、奏楽者は子ども3人、高校生2人、
大人1人の5人もいます! 
感謝主!! 

そして嬉しかったこと2つ目。
恵真(フェイジェン)が帰ってきたこと。 
彼女は以前、立新教会の主要なメンバーだったのですが、
1年ぐらい前から別の教会に行っていました。
でも、今回私たちが帰って来たら、
彼女が礼拝に復帰していたのです。
今後は腰を落ち着けて、
この立新教会に通うのだと言っていました。
感謝主!!

そして、3つ目が今日の愛餐会!
アメリカから帰って来た私たちを歓迎して、
教会の主要メンバーのご夫妻が、
私たちの好きなお料理を作ってくれました。
このご夫妻が作る「三杯鶏」がおいしいのです♪
うれしかった~。

もちろん、いいことばかりではありません。
少し残念なこともありました。
やはり主要メンバーの二人が、
仕事や家庭の用事で、
この日礼拝に来られなかったこととか。

でも基本、私たちの留守中、
だれも教会を離れないで、
続けてつながっているのは、
本当に感謝なことでした。

はあ~、本当に帰って来てよかった~!!

感謝主! 

 

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メティカフ宣教師

2015-01-10 10:07:44 | 家族

父のFBにアップされていた記事です。
とても良かったので、
父に許可はもらっていませんが、
勝手にここにシェアします。 (笑)

昨年6月に天に召された私の信仰の恩師メテカフ・ステパノ(英語読みはスティーブン)先生を紹介させてください。先生は宣教師の息子として中国で生まれました。彼自身熱心なクリスチャンでしたが、1931年、満州事変が勃発、日本軍によって捕えられ、投獄されま した。14才の時でした。しかし少年はその獄中で、自らの運命を変える出会いを経験します。それは、クリスチャンの間では「炎のランナー」として知られるエリデリック・リデルとの出会いでした。
リデルはご存知の通り、1924年、パリオリンピックの陸上短距離競技に英国代表として出場しますが、得意とする100m競走が日曜日だったので拒否、他の日に400m競走に出場しました。彼の信仰に基づく選択でした。400mで彼の金メダルを予想する人は殆んどいなかったそうです。しかし彼は見事に優勝、金メダルを獲得しました
その後、彼は宣教師となって中国に渡るのですが、やはり満州事変の時、日本軍によって抑留され、2年後に脳腫瘍のため亡くなりました。
メテカフ少年は獄中で、そのリデルから、敵を愛し、敵のために祈ることを教えられました。そしてついに、宣教師として来日することを決心するのです。しかも先生は、日本でも本州の北のはずれ、今は五所川原市と合併になっている金木町に赴任されました。方言の中でも特に難しい津軽弁しか喋らない北の果の片田舎に、なぜイギリス人の宣教師が来られたのか、なぜ0MF(宣教団)がそれを許したのか、今でもその理由が私にはよく分かりません。私としては、神の憐れみの摂理としか言いようがありません。なぜなら、私はメテカフ先生から福音を聞いて救われ、牧師になったからです。
「炎のランナー」の信仰の炎をメテカフ先生が受け継ぎ、あの雪深い田舎町で神も望みもなく、空虚な毎日を過ごしていた私にまで点火されたことを思うと、この信仰の灯火を1人でも多くの人にともし、天国の聖火台まで運んで行かねばと、新たに決意させられます。
(先生の写真はこの1枚しか残っていませんでした。小柄な方でした。私が19か20才の時でしょうか。若くて、恥ずかしい)

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明けまして

2015-01-09 01:17:40 | Weblog

上空から見たミシガン湖です。
12月29日にグランドラピッズを発ち、
31日に台湾に帰ってきました。
飛行機は混む時期だからでしょう、
遅延に次ぐ遅延で、
リアレンジを何度かして、
3回乗り換えでやっとの思いで帰ってきました。

31日は大晦日です。
こんな時に帰って来る私たちを憐れんで、
海〇名家が私たちのために夕食を準備してくださり、
一緒に紅白も見せてくれました。
ところが、まずは私がすごい睡魔に沈没。
続いて主人が、
その後子どもたち二人もがんばりましたが敢え無く撃沈。
大晦日、人の家で何やってんだって話です。(笑)
海〇名家の皆さん、すみません。

それでも、時差は順調に回復(主人を除く (笑))。 
日曜日には、元気に共同会中部地区の新年合同礼拝行ってきました。

教会の皆さんと感動的な再会を果たし、
課輔班の子どもたちとはハグハグをして
再会を喜び合い、
とてもハッピーな主日の一日を過ごしました。

そして6日火曜日から主人と二人、教会に初出勤?
王牧師夫妻とミーティング。
一緒にみ言葉に聞き、祈り、1年の戦略を練りました。

そして7日水曜日、
課輔班初奉仕!
私がいない間に元気すぎる1年生4人が加わり、
大変なことになっていました。(-_-;)
師母(牧師夫人)も30センチものさしほどのムチをふりふり
指導、しつけ?に当たっていました。
いいのだろうか…。

そして木曜日、
課輔班の子どもがお昼寝している間に中学校へ。
この日がこの学期最後の授業でした。

前の日に教会からたくさんのサツマイモをいただいたので、
それで、子どもたちにスイートポテトを作って振る舞いました。
みんな喜んでくれてよかったです♪

というわけで、 
1週間が終わり、ほっとしている金曜日。
来週はこのスケジュールに日本語クラスが3つ加わります。

アメリカでの生活を懐かしんでいる間もありませんが、
それで良いのです。
思い出すと寂しくなってしまうので。

聞けば、私たちがGRを離れてから、
また雪が降り始め、
気温も-15℃まで下がったとか。

アメリカでの五ヶ月。
まるで夢の中の出来事のようです。
台湾での奉仕11年のご褒美だったのでしょうね。

感謝主!

 

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