私の出席している教会では、
喜びの集いという集会があって、
月に二回は読書会、
一回は手芸の会をやっています。
今日は読書会で、
本のタイトルは、
堀肇[著]『心の部屋を空けて』です。
今書きながら気づいた。
「空けて」なんだ。
「開けて」ではなく…。
心をオープンにしてと言うのではなく、
心に空き部屋を作るということ?
なんか、深いな…。
今日は第二部
「失敗を語るときにも」
というところ。
誰か悩みを持っている人の相談にのるとき、
その人に良かれと思い、
自分の失敗談を語る場合があるが、
それはたいてい
すでに解決済みで、
乗り越えてしまっていることで、
ともすると、
成功談にもなりかねないと…。
そうなると、
成功者と失敗者のような構図ができてしまい、
相談者はかえって心を閉ざし、
悩みを解決するのが難しくなるというのです。
ですから、自分の話しはなるべく控えて、
その人の話すことに、
とことん寄り添うのがよろしいと
先生はそうおっしゃっているわけです。
なるほどと思います。
そんな風に思ったことはなかったな。
参考になった。
でも、でもなんですよね~。
何だか人間関係が、
あまりにセンシティブで、
配慮しなければいけないことが多すぎて、
相談にのる側に自分を当てはめてしまうと、
上手にやれる気がしないのです。
心の繊細な人って、
(日本人には多い気がする)
思いもよらないことで傷ついたり、
心を閉ざしたり、
拒否反応を示したりするので、
私は、人と接する機会があればある分、
人を傷つけまくって
生きて行かなきゃいけないような
そんな気がするのです。
人の悩みを聞くというのは、
教会の働き人にとって、
大切な職務なのかも知れないけれど、
こういうのを学べば学ぶほど、
自信をなくすし、
人間関係が臆病になってしまう。
でも自分はおおざっぱな人間で、
とても繊細とは言えない性格なので、
やっぱりこういうことを学んだ方がいいのよね、
きっと。
でも、先生から、
カウンセリングの勉強をする気ないですか
と言われたときには、
ぶるんぶるんと
首を振ってしまった(^_^;)