おかあちゃん牧師の日記

新船橋キリスト教会の牧師です!
日々の生活のこと、教会のこと、
家族のことなどを書いています!

壽喜焼

2017-11-29 22:26:36 | 日文班

今日の日本語クラスはお休みでした。
先週が学期最後のクラスだったので、
今回は一回お休みにして、
来週また新学期が始まります。

毎学期最後のクラスは、
お料理クラスになります。

そして先週はみなさんのリクエストにお応えして、
すき焼きをしました。
中国語では寿喜焼と書きます。

台湾の人は薄味を好むので、
味の濃いすき焼きはどうかな?と思ったのですが、
案外みなさん気に入って、
おいしいおいしいと食べてくれました。

味を安定させるために「割り下」を作りました。
みりん、料理酒、醤油、水を
1:1:1:4 の割合で。

台湾の人は甘いのは好まないので、
甘みはみりんだけにしました。


それにしても最近は、
台湾人好みの味付けがわかってきた感じ。
台湾に来た当初は、
台湾人の好みがわからなくて、
甘すぎるとか酸っぱいとか苦いとか、
いろいろ言われました。(^_^;)

ちなみにアメリカ人の好みも
ある程度わかりますよ。
同じく失敗を重ねてきましたから。

というわけで、
みなさんきっと家でもすき焼き作るでしょう。
お鍋を囲んだ楽しいクラスになりました!

感謝主!!

 

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母性

2017-11-29 08:32:36 | 家族

母性ははじめから備わっているわけではなく、
育つものだと思う。

わたしは長女を生んだとき、
母性ってこんなもんかって、
失望した経験がある。

子どもがいなかったら、
あれもできるのにこれもできるのにと
よく思ったし、
生活が子ども中心になり、
自分の時間がなくなり、
寝不足が続くと、
何もかも投げ出したくなった。

だいたいはじめのころは、
夢の中に子どもが出てこなかった。
きっと、まだ私の中で、
子どものいる生活が
受容できていなかったんだと思う。

でもそのうち、
夢の途中で気づくようになる。
あれ?子どもどこ行った?
いないいないとあせって探しまわる。
目が覚めると自己嫌悪。
ふつう子ども忘れるか?

そんな感じ。

世の中の母親は、
もっと自然に子どもを愛し、
受け入れているように見えた。
それに母性はもともとすべての女性に
備わっているものだと思っていたし。
あのよく言われる自己犠牲的な母の愛は、
母になれば自然に湧いてくるものだと思っていた。

でも違ったんだよね。

人はたとえ母になっても
セルフィッシュ(自己中心)で罪深い。
子ども産んだからって、
聖母マリヤのような
慈愛深い人になれるわけないし。

でも、母性は育つ。
それは確信もって言える。
母性は、子どもとふれあい、
一生懸命お世話する中で育つもの。

その証拠に2人目、3人目を生んでからは、
そういえば自分の母性を疑ったことないし。
忙しくてそんな暇がなかったからかも知れないけど。(笑)
とにかく子どもがかわいくてかわいくて
一日に50回もチューしてたし。

子どもが大きくなった今でも
子どもへの愛が止められない。
ほとんど子どもに嫌がられてるし。(笑)

そうは言っても私は基本セルフィッシュだから、
自分のコンデションにいつも振り回されてる。
やっぱ、気まぐれ?
自分を優先したり、
疲れて子どもに当たったり。
大きいケーキと小さいケーキ、
子どもとジャンケンして勝てば大きいのとるしね。
えっ?わたしだけ?

まあ、人間だからね。
仕方ないよね。
一般論にするなってか?

とにかく母性は育つ!
それに母性の欠けたところは、
神さまが補ってくれる。

そういえば、
子育ての主体は聖霊様で、
親はアシスタントだって、
誰かが言ってたな~。
それ聞いて、肩の荷が下りたことがあったっけ。

だから若いお母さん、自分に失望しないでほしい。
大丈夫、大丈夫!

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結業式

2017-11-28 14:15:05 | チャンピオンズ

今日は得勝者課程(チャンピオンズプログラム)の修了式でした。
今学期8時間の授業を行った5クラスが、
一堂に会しての修了式。
8時間も毎週のように顔を合わせていれば、
みんな顔見知りです。
街で見かけても声かけてね~!
何かあったら相談に来てね~!
という思いを込めて、
最後の式をいっしょに過ごしました。

まずは校長先生のお話し。
校長先生とも長い付き合いです。
お話の中で私たちの労をねぎらってくださり、
学んだことを忘れないようにと
子どもたちを励ましたくださいました。

そして、授業に積極的に参加し、
テキストによく書けていた子どもたちを表彰。
各クラス6人の子どもたちを表彰し、
小さなプレゼントを渡します。

子どもたちからも、
先生たち(私たち)へのお礼を込めて、
クラスみんなの寄せ書きを送ってくれました。

最後に学んだことの復習クイズ!

みんな積極的に参加してくれました。

お別れの時には、
子どもたちひとりひとりを出口で送って、
手作りブラウニーを手渡します。

これもまた毎回恒例になってしまったので、
やめられません!

みんな喜んで帰って行きました。
感謝主!

 

そうそう、
授業の終わりに、
子どもたちが授業を受けての感想を
作文に書いてくれました。
どれもよく書けていたのですが、
特に二つの作文が心を打ちました。

一人の子は、こんなことを書いていました。

この授業を受けて、
私の中の何かが変わった。
それまではクラスの中でもいつも一人で、
孤独だったのだけれど、
この授業を通して、
自分もクラスの子も変わり、
今は友だちといっしょの時間がとても楽しい。

という内容。
どうしてそういう変化が起こったのか、
私たちもわかならいのですが、
何しろ、今は学校生活が楽しくなったなら、
めでたしめでたし。

もう一人の子は、
こんなことを書いていました。

この授業を通して、
本当に大切なことを学んだ。
自分を大事にすること、
人を大事にすることを学んだ。
世界中の人がこの授業を受けるといい。
そうしたら、世の中の悲しい事件はなくなるのに…。

本当にそうです。
とにかく収穫の多い今学期の授業でした。

感謝主!!

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リトリート

2017-11-27 21:48:59 | TEAM

先週のサンクスギビングリトリートの最後の日に撮った写真。
TEAM台湾のフルメンバーです。
それぞれ子どもが4人いる二家族が加わったので、
とてもにぎやかです!
着ている服がばらばらで、
季節が読めません。(笑)
あと、若い短期宣教師もいます。
なかなかよい雰囲気です♪

感謝主!!

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性の自覚と受容

2017-11-27 09:48:28 | チャンピオンズ

『真愛守門員』の翻訳をしながら気づいたことを
シェアします。

私たち宣教師は、
子どもが人格形成をする段階において、
子どものナショナリティーを
とても大事にします。

なぜかというと、
子どもが成長する過程で、
自分のナショナリティー、
つまり自分が何人であるかということが曖昧になると、
人格形成に影響を与え、
いわゆるアイデンティティークライシスが起こるからです。

それは、宣教師になる前に、
先輩宣教師から何度もアドバイスされたことですし、
宣教師になる人への手引書のような書物にも
書いてあることです。

それで私たち親は、
子どもたちを日本人として育てることを決め、
せめて中学まではと日本人学校に行かせました。

もちろん、
私たちはそういう環境が許されたからできることで、
子どもたちを現地校やインターナショナルスクールに
行かせるしか選択肢がない場合もあります。
そんな場合は特に、
家庭の中で注意して、
あなたは日本人なのよと教え、
家の中では極力日本語を使うなど、
気をつけることが大事でしょう。


さて、このことと性教育とは、
どんな関係があるのでしょう。

私は思ったのです。
自分が男か女かしっかりと自覚することは、
子どもの人格形成に大きく影響するのではないかと。

先日ネット上でこんな記事を読みました。


子どもが生まれました。
この子が将来男か女かどちらでも選択できるように、
私たち親は、
子どもに性を押し付けないようにします。
女の子だからと赤やピンクの服を着せたり、
男の子だからと青や水色の服を着せたりもしません。
男の子なんだから~しなさいとか、
女の子なんだから~してはダメだとか、
そいういうことは一切言わないつもりだと。

もちろん言いたいことはわかります。
男だから泣くなとか、
女だから大人しくとか、
そういうステレオタイプの教育は、
確かに間違っているでしょう。

でも、それでも、
神さまから与えられた性があるにも関わらず、
それを自覚させないのは間違っていると思うのです。
もともと備わっている性を無視して、
将来子どもに選ばせるんだという教育は、
親の価値観の押し付けです。

自分のナショナリティー、
自分が何人だという自覚が曖昧だと、
アイデンティティークライシスを
起こしかねないのと同じように、
自分が男か女か自覚できないまま成長すると、
同じように、
アイデンティティークライシスを起こしかねません。
自分が何者かがわからなくなり、
人格形成に影響を与え、
精神的に不安定になりかねないのです。

子どもに与えられた性を自覚させ、
積極的に受容できるように助けることが、
親が子どもたちにしてあげられる最善だと思います。

そのためにも、
身近なモデルである両親は、
自分の性を受け入れ、
喜んでその役割と責任を果たしていることが肝要です。
家庭内に暴力や性虐待などがあると、
子どもは、自分の性を受け入れられなくなります。

もし、お母さんがお父さんの暴力を受けているのを
日常的に見て育ったら、
父親の性に嫌悪をいだき、
母親の性を否定したくなるのは必至です。
もし、父親に性的虐待を受けて育てば、
どうして自分の性を受け入れられるでしょう。

性は平等です。
でも性差は平等を妨げるものではないはず。
そして、性は与えられたもの、
選択するものではありません。
健全な性の自覚、
それは子どもの人格形成の土台となります。

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Thanksgiving

2017-11-24 16:36:14 | TEAM

毎年恒例のTEAMのThanksgivingの集まりがありました。
私は今年もベジタブルプレートと
アップルパイの担当。

パイ生地は前の日に準備しておいて、
一晩冷蔵庫で寝かせてから、
朝、たっぷりのりんごを入れて
シナモン、ナツメグ、シュガーも
たっぷり使ったアップルパイを作りました!
食べるのはアメリカ人なので、
アメリカ人好みの味にしたつもり♪

べジプレートに添えるディップも
今年はサワークリームベースのと
アボカドベースの二種類を準備しました。

大人数なので、
ターキーは特大ターキーを3つ焼きます。
それにマッシュポテトのグレービーソース添え、
コーンとスイートポテトのキャセロール。
焼きたてパンと3種類のパイ。
年に一回食べる本格的なアメリカンなお味。
おいしかったわん(^^♪

感謝主!

ただ残念なのは、
去年まではいつも一緒に
サンクスギビングのお祝いをしていた仲間が、
最近天に召されて、
今年はいっしょにお祝いできなかったとこ。
明るい人で、
いつも大きな声で笑っていました。

寂しいけど、
天国は毎日がサンクスギビングですからね。
イエスさまといっしょに、
大きな声で笑ってるんじゃないでしょうか。

Happy Thanksgiving!

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台湾の学校

2017-11-18 21:48:39 | チャンピオンズ

いつも得勝者の授業で行っている学校の廊下です。
台湾は暑い国ですが、
普通の公立の学校は冷房がありませんから、
校舎は、とても開放的です。
上の写真のように廊下は外に面しています。
教室の窓も開け放してありますから、
風通しはとてもいいですね。
教室の天井には、
大きなプロペラのような扇風機がついていますし、
教室の両側の壁にも扇風機がついているので、
教室の中の空気がよどむことはありません。

そしてこちらが小学校の給食。
この日はさつまいもごはんと、
おかず4品、それにスープですね。
そうそうこれ意外に、
必ずフルーツがついているのも魅力的。

子どもたちは自分のステンレス製のお椀を持っていて、
まずご飯をよそい、
どんぶりのように、
おかずを上に載せていきます。
スープはご飯やおかずを食べ終わった後で、
よそって飲みます。
台湾の一般家庭と同じですね。

そしてすべてセルフサービス。
食べられる量だけよそいます。
なかなかいいシステムですね。
おかずも栄養のバランスがとれてていい感じ。


また台湾の学校では、
担任を持つと、
教室に自分の机を置きます。
教室と言うより、
教室にちょっと奥まったスペースがあって、
そこに先生の机があるわけです。
つまり職員室はないということ。

各フロアーに、
ちょっとした先生方の控室みたいなところがあって、
他の先生が自分の教室で教えているときに、
そこで自分の仕事をしたり、
お茶やコーヒーを飲んだりしますが、
基本、いつも子どもたちと一緒にいます。

そして驚いたことに、
台湾の学校には、
一つの学校にスクールカウンセラーが複数いるのです。
また在宅にいる生徒のための先生もいます。

身体や心の問題で学校に来られない
いわゆる不登校の子どもの
勉強をみる先生です。

台湾の学校、
問題も多いのでしょうが、
一生懸命それに対応しようとしているのが、
よくわかります。

台湾の学校から学ぶこと、
たくさんありそうですね。

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聖書のお話し

2017-11-17 09:59:33 | 課輔班

今週の水曜日で、
課輔班バイブルタイムでの
「ヨセフシリーズ」が終わりました。

準備する中で、
私自身がいろいろと教えられ、
励まされました。

波乱万丈のヨセフの一生。
人の目から見れば、
誤解され、
否定され、
排除され、
忘れらた人生ですが、
神さまの大きな御手の中で、
すべてが益となり、
エジプトだけでなく、
近隣諸国、
イスラエル部族を救う結果となったのです。
そして家族関係の回復。

どんな状況でも、
神さまが知らないところで起こっていることはない。
神さまの愛と良いご計画とは、
決して変わらないことを学びました。



それにしても最後のお話は骨でした。
聖書箇所が長かったこともあるし、
いろいろと別の用事が入り、
準備が間に合わなかった感があります。

毎回、中国語で原稿を書き、
それを何度も読み、
ほぼ暗唱しなくてはいけません。
本番は何も持たずに子どもの前に立ちますから。

S子がモリソンに通っているときに、
プレゼン、詩の暗唱など、
みんなの前で発表するときには、
原稿をなるべく見ないで、
6回練習すればまず大丈夫だと、
どこからか聞いて来て実行していました。
S子も母語ではない英語での発表です。
私もそれを聞いてから、
6回は練習するようにしています。

でも今回はそれができなかった…。
反省です。

でも、これも神さまの恵みです。
母語だったら、
完全原稿じゃなくても
練習不足でも
暗記できてなくても
何となくやれてしまうのではないかと。
特に子どものためのお話しだと。

でも、時間をかけ、
万全な準備をして
みことばの奉仕に当たれるというのは、
すばらしいことです。
準備の段階で、
みことばが私の中で、
何度も反芻され、
しみこんでいきます。

そういう意味でも、
みことばの奉仕に関しては。
いつまでも臆病でありたいものです。

感謝主!!

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寄付

2017-11-16 10:05:30 | 課輔班

最近は、台湾でも飽食の時代を見直し、
食べものを粗末にしないとの
意識が高まってきているようです。

以下の写真は、
この2週間で課輔班の子どもたちの家庭に
寄付された食べ物です。

左がシイタケ入り肉燥、
右がミートソースです。
他にも二種類ありました。
これは1919救助協会を通して、
レストランのオーナーが調理されている食材を
子どもたちの家庭にと寄付してくれださったものです。
冷凍になっていて、
温めるだけで食べられます。

昨日は、展望会(ワールドヴィジョン)を通して、
心ある饅頭(マントウ)屋さんのおばさんが、
やはり子どもたちにと寄付してくれました。

こちらもその日売れ残ったパンだとは思うのですが、
すぐに冷凍して保存し、
子どもたちにと寄付してもらったものです。

こういうものは、
子どもたちのおやつとして出されるか、
子どもたちが家に持って帰って、
家の人とシェアして食べます。

本当にありがたいです。

日本も破棄されるしかない食べ物が、
有効利用される方法が、
いろいろ出ているようですが、
ますます進むことを願います。

感謝主!!

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罪責感からの解放

2017-11-13 11:08:24 | 信仰 聖書

主日の夕方はいつものように家庭礼拝。
うちの家族3人と青〇証〇さんを加えた小さな礼拝ですが、
主日の一日を締めくくるにふさわしい
豊かな礼拝と交わりの時です。

今日の聖書箇所はⅡコリント5:11~21
(GRのラグレーブ教会、ピーター牧師の説教を
主人が聞いてシェアしてくれたものです。)

人は罪を犯すと罪責感に苛まれます。
それは人が神に似せて創られ、
罪を犯すと痛みを感じるようになっているからです。

ところが、人はその罪責感から逃れようと思い、
神を否定するようになりました。

罪に定める神がいなければ、
罪責感に苛まれることはないと思ったからです。

ところがその結果、
罪そものを解決する道をも失いました。

なぜなら、神以外誰も、
罪の解決の道を与えてはくれないからです。

神を拒否し、
罪からの救いさえも拒んだ人に、
神はそれでも一方的な愛と憐みを示し、
ひとり子イエスキリストを地上に送りました。

それがクリスマス。

人が拒否した神から送られてきた神の子。
それは、地上の人々にとって大きな衝撃でした。

イエスキリストは人としてこの地上に生まれてくださり、
罪となってくださいました。
罪のないお方が、人の罪を一身に背負い、
罪となってくださったのです。
そして十字架によって神からの裁きを受け、
人の罪をすべて清算してくださったのです。

人が罪責感から逃れるために拒否した神から
一方的に差し伸ばされた罪からの救いの頼み綱。
それがイエスキリスト。

この差し伸ばされた頼み綱を受け取りさえすれば、
わたしたちの罪は解決し、
罪責感からも解放され、
聖霊によって新しく生まれることができるのです。

こういうわけで、私たちはキリストの使節なのです。
ちょうど神が私たちを通して懇願しておられるようです。
私たちは、キリストに代わって、
あなた方に願います。
神の和解を受けれなさい。
神は罪を知らない方を、
私たちの代わりに罪とされました。
それは私たちが、この方にあって、
神の義となるためです。

Ⅱコリント5:20~21

ひと足早いクリスマスメッセージでした。🎄

感謝主!!



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