おかあちゃん牧師の日記

新船橋キリスト教会の牧師です!
日々の生活のこと、教会のこと、
家族のことなどを書いています!

台湾映画『流麻溝十五号』観たよ!

2024-07-29 21:31:19 | 映画・ドラマ・本
『流麻溝十五号』

2018年台湾にいる時に旅行で行った緑島で、
実際に訪れた「新生訓導処」が舞台の映画。
その時のブログがこちら

千葉では、松戸の映画館しかやってなくて、
昨日、教会の帰りに寄って見てきました。
ナチスの捕虜収容所を彷彿とさせるような
過酷な生活環境の中での強制労働と再教育。
特に女性の思想犯に焦点を当てて描かれています。
こんなにひどい状況だったとは…、
知らなかった。

中国大陸の共産党の思想統制も酷いものだけど、
蒋介石率いる国民党軍もおんなじだ(T_T)

いろいろと考えさせられる重い映画でした。
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セミの抜け殻

2024-07-27 15:31:05 | 家族
週報に載せている「牧会コラム」も
明日で99回になりました。
当時うちの教会に出席してくださっていた
A先生の提案で始めた牧会コラム。
そんなに苦しむことなく
続けられているのが感謝!

4月28日主日 牧会コラム

 夏本番、セミがにぎやかな季節になりました。あちこちでセミの抜け殻を見る機会も増えました。私はセミの抜け殻を見るたびに思い出すことがあります。

 私の母は、2002年の秋に多発性骨髄腫と診断され、あと数か月の命、来年の桜は見られないでしょうと余命宣告を受けましたが、それから約4年生きて、私たち家族や教会に多くのものを残してくれました。そして65歳になる、ほんの手前で、静かに天に召されました。

 父は、母の闘病生活中、これ以上何もすることがないというほど母に寄り添い、お世話をし、万に一の可能性を求めて、いろんな民間療法にもチャレンジし、新薬も試しました。そしていよいよ、母が天に召されたその時に、火葬場でこんなことをつぶやいていました。

 「お母さんの亡骸、あれはセミの抜け殻みたいなもんだ。お母さんの形はしているけれど、中身はもうない。昔は庭にセミの抜け殻がたくさん落ちていて、落ち葉なんかといっしょに履いて、焚火で燃やしたもんだ。あれと同じだね。でもね、あれは抜け殻なんだよ。お母さんは今、セミが羽を広げて飛び立つように、新しいからだをいただいて、イエスさまのみもとに行ったんだよ。お母さんは誰よりもイエスさまが大好きだったからね。きっと大喜びではしゃいでいるんじゃないかな。」

 そんなことを言っていた父も、3年前の7月20日に、やはり抜け殻を地上に置いて、栄光のからだをいただき、大好きなイエスさまと母のところに旅立ちました。
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相手にないものを求めない

2024-07-25 22:32:57 | 信仰 聖書
私たちが傷ついたとか、
ゆるせないと言うとき、
相手にないものを求めて、
それが与えられないから、
満たしてもらえないから、
傷ついたり、
ゆるせなくなるのだと聞いた。
確かにそうだと思う。

私は、
情けないことに、
私が教会で関わっている子どもたちの
ことばや態度で傷つく。
子どもの言うことだと
聞き流せることもあるが、
堪えることもある。

どんなに与えても、
尽くしても、
応えてもらえないのはつらい。
どんなに良くしても、
文句や責める言葉しか出てこないと、
気持ちが萎える。

私は彼らに何を求めているのかな。
愛の応答、リスペクト、信頼、心の交流…。

リンゴの木からミカンは穫れない。
ということ。

そっか、
自分は相手にないものを求めていたのか。
確かに、
誰が彼らに愛されること、
満たされることを教えたか。
お世話されることの喜びを教えたか。
守られ、保護されることの安心感を教えたか。

愛着欲求…というのかな?
誰も彼らの愛着欲求を満たしてこなかった。
愛されていないと、
愛への答え方がわからない。
あたりまえ。

良くしてもらったり、
親切にされて嬉しかったことの積み重ねで、
はじめて心からの「ありがとう」が言える。

もし彼らが「ありがとう」が言えるようになったら、
それは心からの「ありがとう」なのだと思う。
礼儀でも、
人間関係のテクニックでもなく、
本当の「ありがとう」なんだろう。

私は彼らにないものねだりはすまい。
彼らにないのは、彼らのせいではない。

彼らがイエスさまに出会い、
イエスさまの愛に満たされて、
いつか心からの「ありがとう」が言えますように。

そして私の満たされない分は、
主に満たしていただこう。
父の愛、
友なるイエスさまに、
慰め主聖霊に、
満たしていただこう。

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HGF合同コンサート

2024-07-22 21:52:19 | ゴスペル
HGF合同コンサート

今頃だけど…、
7月6日のハレルヤゴスペルファミリー合同コンサートのリハーサルの様子
本番は、客席に座っている300人のクワイアが、
みんな舞台に上がって歌います。
日本全国50以上あるクワイアの合同コンサート。
いや~、天国の前味でした。

21日週報の牧会コラムで取り上げたので、
それを下にコピペします。

7月6日(土)に、越谷サンシティ―ホールで、ハレルヤ・ゴスペル・ファミリーの合同コンサートがありました。春期の私たちのゴスペルクラスに出席されていた一組の親子と私とで、参加してきましたが、大変な盛り上がりでとても楽しかったです。
日本全国の教会のゴスペルクワイアから300人が集まり、春期に練習した7曲を共に賛美しました。このコンサートと各地で行われるワークショップのために来日したレイ・シドニーは、日本での滞在先の部屋で、ひどく転んで大腿骨を骨折するというハプニングに見舞われたのですが、当日は松葉杖をつきながら、ステージにあがり、いつになく聖霊のパワーあふれるゴスペルを歌ってくださいました。
コンサートの最後の曲は、“My God can do anything”「私の神は何でもできる」でした。最後のヴァンプで、レイ・シドニーがクワイアに問いかけます。“What can He do?”「神は何ができるって?」そして、クアイアが答えます。“Anything!”これをエンドレスで繰り返し、最後に“God can do!”「神はできる!」で閉じました。
今、はやりの自己啓発では、「あなたはできる!」と言います。けれども私たちはこれが本当ではないことを知っています。「私はできない。でも神はできる!」「神に不可能なことはない」それが私たち信仰者の確信です。松葉杖をつきながら、輝いて歌うレイ・シドニーの確信に満ちた笑顔を見ながら、私たちクワイアのメンバーも大変励まされたことでした。「この方に信頼する者は、失望させられることはない。」(ローマ9:33)アーメン!

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シャローム館

2024-07-18 21:13:09 | 地域支援
リフォームが終わって、
7月からうちの教会で借りています。
名前は、教会の皆さんから公募して、
投票で決めました。
それが「シャローム館」
まあ、無難なところかな(^^♪
それにしてもネイビーブルーの外壁がステキ。
おしゃれな感じに仕上がりました。

いろいろいい名前の候補がありました。
コネクション(Connection)ハウス/新船ベース、山手ベース/山手みんなの家/セカンドハウス/Cottage(コテイジ)/みこと場/しんふなぶどう園/ふくふく堂/アサリオンハウス/やもめハウス/サバスカフェ/小羊牧場/よきサマリア人の家/ハレルヤ・テント/コヘレトハウス/マナカフェ/グロリアホーム/タラントスクエア/すぎこしハウス/しんふなテント/わけっこハウス/わけっこ広場/ひとやすみ/サランカフェ/ギフトハウス/めぐみの家/葵(碧い)の家/ブルーハウス/シャローム館/

みなさん、なかなかセンスがいい♪

20年以上空き家だった隣の物件。
この建物に向かって手を広げて、
「主よ、地域支援の拠点として、
この建物を与えてください」
と祈ったことも何度もありました。

そしたら、難しい物件(らしい)を
買い取った大家さんがいて、
その大家さんとばったり会って、
「この家買いますか?」と言われ、
これはいい話と、
役員会にかけたら、
借りるなら可能性はあると。

総会が間近だったので、
総会にかけると、
懸念する声がたくさんあがり、
これはだめかな、
そりゃだめだよね~と思って採決とったら、
なんと、一人の反対者があっただけで、
賛成多数で通ってしまった。

家賃交渉も、
大家さんが、
地域の子どもたちのために使ってくれるならと、
たくさんお勉強してくださり、
お安く借りることができました。
感謝主!

聞けば、
うちのめぐるんるん(初孫)と同じころに、
大家さんのところの第一子が生まれ、
当時、お腹の大きな奥さんが、
地域の子どものために使われるなら、
この物件で利益を取ろうと思わないでねと、
しきりに旦那さん(大家さん)にとりなしたらしい。

というわけで、
道って、
開かれる時には開かれる、
ということ。

そして今、
学習支援を立ち上げるべく情報集め。

「あなたのみことばは、
私の足のともしび、
わたしの道の光です。」
(詩篇119篇105節)

神さまは、
将来のことは、
ハイビームでは見せてくれない。
足元と、
一歩踏み出せるように、
ほんの先まで照らしてくださる。
そして、
私たちは、
信仰をもって一歩踏み出すだけ。
そして、踏み出した分、
道は開いて行く。

わくわくより、
ドキドキの方が強いかな(^^;
緊張しています。
とても。

でも、主を信じて
踏み出しましょう!

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映画『ONE LIFE 』を観てきたよ

2024-07-10 22:25:01 | 映画・ドラマ・本
『ONE LIFE 奇跡が繋いだ6000の命』

月曜日から53氏が、
TCUの夏期伝に参加していていないので、
今日は、夕方6時から一人映画でした。

以下、オフィシャルサイトからの抜粋。

時は1938年、第2次世界大戦直前。ナチスから逃れてきた大勢のユダヤ人難民が、プラハで住居も十分な食料もない悲惨な生活を送っているのを見たニコラス・ウィントンは、子供たちをイギリスに避難させようと、同志たちと里親探しと資金集めに奔走する。ナチスの侵攻が迫るなか、ニコラスたちは次々と子供たちを列車に乗せる。だが、遂に開戦の日が訪れた。それから50年、ニコラスは救出できなかった子供たちのことが忘れられず、自分を責め続けていた。そんな彼にBBCからTV番組「ザッツ・ライフ!」の収録に参加してほしいと連絡が入る。そこでニコラスを待っていたのは、胸を締め付ける再会と、思いもよらない未来だった。

以下はネタバレになるかもしれないから、
読みたくない人はここで終わってね。

ニコラスたちは、
最終的には669人のユダヤ人の子どもを救った。
タイトルにもある6,000人というのは、
救われた子どもたちが成人して、
子どもたちが生まれ…、
今や6,000人ということ。

彼がなぜ、多くのリスクを冒してまで、
こんなすごいことができたか。
そこには彼の母親の当たり前の教育がある。
「困っている人がいたら見過ごしてはいけない」
(だっけ?あんまりちゃんと覚えてない)
そして、実際ニコラスが活動を始めると、
お母さんは、役所に掛け合ったり、
ビザ申請のための書類を整えたりと
重要な役割を果たすことになる。

あと、ニコラスも彼の仲間も、
自らを「普通の人」だと言う。
イギリスで人莫大な数の里親を探すことも、
そこにかかる経費の寄付を募ることも
こんな短期間ではどう見ても不可能!

でもニコラスには信念があった。
普通の感覚を持つ、普通の人なら、
心動かすはずだという。
人の善意への信頼が彼らにはあった。
人はここまで酷くなれるのかという、
悪魔のようなナチスの暴力を見ながらも、
なお、人が持つ良心と愛を信頼できるのはすごい。
結局人は、自分の持っている愛の大きさで、
人を見て、信頼し、期待するのかもしれない。

とにかく時間との戦いだった。
焦ると人は、投げ出したくなる。
けれども、彼らが、
許されている時間ぎりぎりまでがんばれたのは、
とにかく、
一人でも多くの子どもを救うのだという決意。
とにかくやるしかない。
やるしかない。
それだけ。

私も最近ちょっと落ち込むことあったけど、
やるしかない!
やっぱりやるしかないよねって、
心が燃えたよ(笑)

そして、250人もの子どもたちを乗せた
最後の電車が、
結局ナチスに止められて、
ほとんどの子どもたちもその家族も、
収容所送りになり、殺されることになる。
用意されたビザも里親も無駄になった。

ニコラスは、
自分の正気を保つために、
あの子たちは、あの後どうなったのだろうと、
考えないようにして生きてきたという。
そりゃ、そうだよね。

どんなにがんばったって、
人は後悔する。
この世の罪と悲惨を前に、
自分の無力を思うよね。
そんなニコラスに、
お母さんは、
「自分を許しなさい」と言う。
本当にそう。
私たちは神さまにゆるされているんだから、
自分のこともゆるさないといけない。

ということで、
いろいろと考えさせられる映画でした。
感謝主!!

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2024-07-09 23:18:55 | 生活
もう1か月ぐらい前になるかな?
新しい車が与えられました。
新しいとは言っても中古車だけど、
新車みたいに中も外もきれいです♪
3年落ちのトヨタのPassoです。
前は日産のマーチ。
ずっと調子よく走ってたけど、
この数か月調子が悪く、
異音がするようになって、
部品を変えたりしたんだけど、
調子は戻らず、
いつ止まるかと恐かった。

で、新しい車が与えられるように祈ってたら、
神さまは、手ごろな車を与えてくれました。
感謝主!!

トヨタ車だけど、
マツダで整備して中古として出したから、
安かったと。
安すぎて、
かえって怪しまれて
なかなか買い手がつかなかったらしい。
神さがうちのためにとっておいてくれたんだ~。

本当に大きな買い物をするときには、
祈るべし。
神さまは不思議なことをされる。

マーチのときは、
自分で走ってるって感じだったけど、
今は、車に乗せてもらって走ってる感じ?
感謝主!!
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2024-07-05 10:24:26 | 信仰 聖書
アダムが神さまの言いつけを守らず、
善悪の知識の木の実を食べた時に、
人に罪が入った。
そして人は、
自分が裸なのを知り、
木の葉っぱで隠した。
また、神からも身を隠した。
こうして人に「恥」が入ったと言われる。

最近、この「恥」というワードが、
アメリカをはじめとするキリスト教界で、
ちょっとしたブームなのだろうか。
よく「恥」という言葉を聞く。

だけど、私はずっと、
日本語の「恥」と、
訳本の信仰書などで見られる「恥」とが
一致しない気がして、もやもや。

でも、昨日TCUで、
ケン・シゲマツさんの講演会があって、
ご自身の著書『もう、自分を隠さない』
 ~恥を癒すおおいなる恵み~
の内容を紹介してくださいました。

その講演会で、最初に、
「恥とは、自分は十分ではない、
足りていない、
ふさわしくないという恐れです」
と説明をしてくださって、
ああそういうことかと、
ストンと落ちました。

人は恥を持っていると、
不安になり、落ち込み、
時にオーバーワークになる。
オーバーワークは、
何とか、自分のことを評価してもらおうと、
自分の限界以上のことをしようとすること。
また、極端にいい人になろうとする。
これも恥から出ていることらしい。

要するに、
ありのままの自分を恥じており、
自分を等身大に受け入れられない。
自分を過小評価したり、
過大評価するするということ。

恥から解放されるために必要なことはひとつ。
それは、神の愛で満たされること。
神の愛はいつも変わらずにあるのだけれど、
私たちの罪の性質は、
それを十分理解できず、
受け止められない。

神さまは、
マスクをし、着飾り、武装した私たちではなく、
どんなに欠けだらけでも、
弱さを持っていても、
どうしようもなく罪に傾く性質を持っていても、
ありのままの私たちをを愛している。

私たちの罪の性質は、
簡単にはこれを受け入れられないので、
習慣的に自分に語りかけることが大事。
ケン先生は毎朝、
「これは私の愛する子、
私はこれを喜ぶ」と、
3回自分に語りかけるのだと。

人は自分の力で、
恥を取り除こうとしても無理。
神の愛でいっぱいになるときに、
恥は自然に居場所を失っていく。

はい、そんな内容でした。
だいぶ脚色あります。
本も買ったので、
あとでじっくり読みます!
コメント (2)
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ダイジェストセミナー

2024-07-03 16:00:27 | チャンピオンズ
お茶の水クリスチャンセンターで、
初のチャンピオンズプログラム・ダイジェストセミナーを行いました。
クリスチャン新聞にプログラムの紹介をしていただき、
CS教案誌『成長』にも広告を掲載したのですが、
期待していたより人数は集まらず、
そういう意味では残念でしたが、
でも、やっぱりやってよかったです。

いつも思うのですが、
主のための働きは、
やって損することも、
意味がないことも、
絶対なくて、
やっぱり、やってよかったと、
今回の経験は、
絶対に後の祝福につながると、
思えるので感謝です。

個人的には、
『問題解決』6時間のプログラムを、
1時間で内容紹介できるように
PPTを作れたのが嬉しい。
これ、ずっと使えるやん♪

当日来られた方との出会いも感謝!
皆さん、主を愛し、
子どもたちを愛する人たちで、
その姿勢に学ばされました。

牧会と同時に、
チャンピオンズのミニストリーも、
今後豊かに祝福されますように。

感謝主
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