おかあちゃん牧師の日記

新船橋キリスト教会の牧師です!
日々の生活のこと、教会のこと、
家族のことなどを書いています!

教会、宣教、福祉

2020-03-06 10:08:48 | 学び
昨日TCUでキリスト教と福祉研究会がありました。
発題は、岩上敬人先生。
「新約学から見た教会、宣教、福祉のつながり 」
がテーマでした。

イエスさまは、絶えず
  1. 貧しい人
  2. 捕らわれ人
  3. 目の見えない人
  4. 虐げられている人
  5. 社会的弱者
に目を向け、
関心を持ち、
彼らの霊的、実際的必要に応え、
愛を実践して来られた。

そしてペテロやパウロにも
それが引き継がれている。
ルカ文書ではそれが顕著。
そしてそれは今日の教会にも
引き継がれているということ。

1974年ローザンヌ誓約以降、
教会の社会的責任ということが叫ばれ、
福音的な教会でももう一度、
そのことに目が向けられることになりました。

ところが現実は…。
教会が社会的な活動をすることに対するアレルギーが、
未だに存続していて、
なかなか乗り出せない、
積極的に社会的な活動をしている教会を裁く、
といった現状があるようです。
残念なことです。

また逆に、
地域社会にコミットし、
社会的なステータスも得、
公の援助を受ける中で、
教会としてアイデンティティと、
宣教スピリット、機会を
失ってしまう…、
あるいは自ら放棄するような
現象が起きてしまうのも残念。

今振り返ってみると、
台湾の教会は自然に、
社会とのネットワークの中で、
社会的な責任を果たしていたなと。
貧困家庭をサポートし、
子どもや母子家庭、高齢者に関心を持ち、
学校や社会福祉機構、
キリスト教系の機構、基金を上手に利用し、
彼らを援助していました。

その地域に教会があるというのは、
そういうことだから。

でも、日本の教会だって、
心の病をもった人が教会を訪れ、
話しを聞いてほしいと言えば話しを聞くし、
必要なサポートもする。

教会に貧困家庭の子どもが来ていれば、
ご飯を食べさせたり、
できるサポートをしているんじゃないのかな。
ある意味、それが教会本来の自然な姿だから。

そして、その中でも、
時に社会的な活動に重荷を持ち、
賜物と使命感を持った牧師がいれば、
自然とそのような活動に力を入れ、
組織化し、地域との連携の中で、
社会のリソースを活用しつつ、
その活動を広げていくのではないかなと。

構えず、
そのような教会を批判せず、
牧師に水を差すようなことを言わず、
温かく見守ってほしい。
むしろ応援し、サポートしてほしい。

そんなことを思わされた今回の学びでした。

感謝主!
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見えないこと

2020-02-02 15:03:32 | 学び
昨日は私たちが出席している教会で、
盲人伝道セミナーがありました。
私は今回が初めての参加。
盲の方たちと、それぞれのヘルパーさん、
そして晴眼者(せいがんしゃ)が
それぞれ三分の一ずつの参加で、
35人ぐらいでした。
「晴眼者」という言い方初めて聞きました。
福祉大学出ているのに…
昔はそんな言い方なかったな。

あとこんなことも聞きました。
なぜ「盲人」というのか。
他の障がい者は「人」とは言わない。
それは視覚障がい者は、
独自の文化を持っているからだと。
そうなんだ。
これまた知らなかったわ。

食事からはじめて、
教会が盲の方を迎えるにあたって、
どんな配慮が必要なのかを
パネラーのおはなしを聞いたり、
率直に質問する時間をもったり、
とても有意義な時間でした。

そして、最後の会場教会の牧師がメッセージ。
最後の晩餐で
イエスさまが弟子たちの足を洗うところから、
仕え合うことを学びました。

なんというか。
彼らの明るさに驚いた!
みなさんユーモアにあふれていて、
始終大きな口を開けてガハハと笑っていました。
目が見えないって、
全然暗くないのだなって。
もちろんご苦労も多いでしょうが、
イエスさまによって心に光を持つ人たちは、
こうして喜んで与えれた生を生きているのだなと、
何だか感動してしまった♪

そしてまた、
今の出席教会におられる盲のご夫妻は、
本当に心の目がよ~く見える人で、
いっしょに聖書を読んでも、
すばらしい霊的洞察があり、
いつも私は感心しているのです。
下の聖書のことばを思い出します。

イエスは言われた。「わたしはさばきのためにこの世に来ました。目の見えない者が見えるようになり、見える者が盲目となるためです。」パリサイ人の中でイエスとともにいた者たちが、このことを聞いて、イエスに言った。「私たちも盲目なのですか。」イエスは彼らに言われた。「もしあなたがたが盲目であったなら、あなたがたに罪はなかったでしょう。しかし、今、『私たちは見える』と言っているのですから、あなたがたの罪は残ります。」
ヨハネ9:39~41(新改訳2017)

良い機会が与えられ感謝♪




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静まりの時

2020-01-25 15:12:24 | 学び
夕べは、TCUに太田和功一 先生がいらっしゃって、
「静まりの時」を導いてくださいました。

昨年4月から今までを静まって振り返り、
嬉しかったり、悲しかったりしたことを思い出し、
それが自分にとってどんな意味があったのかを考えます。
そして、神さまの語りかけを聞くのです。

時間にして45分、
でもあっという間でしたし、
とても意味のある時間でした。

4月からいろんなことがあって、
挫折やロスを経験し、
新しい環境とコミュニティーに入り、
新しい出会いもたくさん経験しました。

そして来年度の新しい出発を前にし、
心静めて、
今年度、主が教えてくださったことに耳を傾け、
次のステップに生かす…。
本当にタイムリーでした♪

そして、最後の分かち合いでは、
夫婦で来ている人は夫婦で組むように言われ、
夫と分かち合いをしたのですが、
これまた面白い。

いっしょに生活していて、
経験としては重なることが多いのに、
私たちそれぞれの印象に残る出来事は違い、
受けとめ方、感じ方も違い、
神さまの語りかけも全然違う。

ホント、神さまのケアと訓練は、
一人ひとり違うのだな~と改めて思い、
神さまの大きさと、
きめ細やかな愛を感じましたことでした。

感謝主!

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細く長く

2019-12-11 10:22:25 | 学び
うちの近くに、
本当に歩いて3分ぐらいのところに、
公民館があって、
そこに談話室やら小さな図書館、自習室があります。
ずっと気になってはいたのですが、
しばらくは正教師試験のために、
TCUの図書館に通い詰めだったので、
今になって、ぼちぼちそちらを利用するようになりました。

本当に小さな図書館で、
子ども用の本が半分という感じなんだけれど、
ふと目に留まったのは、
神谷美恵子(1914年 - 1979年 )さんの講演や遺稿がまとめられた本でした。
(『神谷美恵子 いのちのよろこび』 <人生のエッセイ4>日本図書センター、2000年。選文集)

神谷美恵子さんは精神科医ですが、
その半生をハンセン病患者と共に生きました。

神谷美恵子については、ずっと興味があり、
若いころは、彼女の著書をいろいろ読みました。
結婚したばかりの誕生日、
夫53氏が、私が神谷美恵子のファンと知って、
彼女の著書『生きがい』を買って来て、
プレゼントしてくれたのですが、
あの時は、なんだかがっかりしたな~(笑)
もうちょっと気の利いたプレゼントはできないものかなと(^_^;)
今なら、嬉しいプレゼントなんだけどね。

彼女は若い頃に、
医者である叔父に連れられて、
ハンセン病患者の療養施設に行ったのですが、
そこで大きな衝撃を受け、
自分は将来医者になって
彼らを援助したいとの志を与えられました。

けれども語学など、
賜物を多く持つ才女だったことや、
まわりの反対があったり、
後に結核を患ったり、
結婚、育児の生活に入ったりで、
その志が現実のものになるには、
長い、長い年月を要しました。

でも、最後はこの志を遂げ、
精神科医としてハンセン病患者に仕える人となります。

今回手に取った本には、
今の私に響くことがたくさんちりばめられていて、
なんだか2時間ぐらい読みふけってしまい、
本来やろうとしていたことは何もできなかった(笑)

せっかくなのでその時のメモを
下に少し抜粋して貼り付けます。

「結局、人間、一生の間で何かぜひしたいと思ったらそれをがむしゃらにやろうと思ってもすぐできるという条件がそろうわけではないので、時期を待つというその忍耐といいますか、根気といいますか、それもずいぶん必要じゃないかと私は思っております。」

「若い時は、いろんな偉人伝などを読んで、それぞれ感銘して誰かのようになりたいとあこがれるもので、私も確かにそういうあこがれの遍歴を持ちましたけれども、結局それぞれの人の持っている性質とか、それから生い立ちとか、もちろん能力とか、その他いろんな条件がありますね。
…人と出会いとか、いろんなことがそろってはじめて一種の必然性が生まれてくるわけで、どうしてもそうならならざるをえなくてというような必然性が生まれてこそはじめて何かにぜひ、ということが起こるんじゃないかと私は思うわけでして…」

「だいたいもともとは内気でなんにも社会に出る気はないし、そういう勇気もなかったほうで、ひっそりかくれて家庭の中にいるっていうのが自分だと初めはずっとおもってたんですけれども、なんだかこんなことになってしまいました。41歳ぐらいから少し社会活動をやりだしたっていうのは、大変遅い芽の出し方ではないでしょうか。おそくてもいいから求める気持ちというか、探究的な態度っていうのか、そういうことがやっぱり人生で一番大事じゃないかと思うのです。ちょっとおこがましいのですけれども。」

「家を持つ女にはいろいろな時期があるのだから何よりも粘りと弾力性を持ち、細く長く志を遂げていく工夫が必要と思う。」

「サン=テグジュペリは遺稿となった対策『城砦』の中で「交換」という思想をしばしば述べている。人間は何かの仕事に打ち込んで、自分のすべてをそれに献げることによって、自分の生命をそれと交換するのだという。そのしごとが大工の作業であろうと、刺繍の仕事であろうと、なんでもいい。ともかく我を忘れて努力をつみかさねるうちに、そこにその人間よりも永続的な価値のあるものが生まれ、その人間はやがて年老いて死ぬが、死ぬとき、「その両手は星で一杯なのだ」という詩的なことばが記さされている。」

「こういう人たちに接するのに、どうしたらよいか。どういうことばを彼らに述べうるか。特定の宗教の伝道者と精神科医とは立場が違う。もし患者がすでに何かの宗教や信念を持っているのならば、それを尊重するのが一番いいと思う。そうでない場合は、まず相手の心の世界を知ることに努め、それに通じることばをみつけるべきなのであろう。そのことばは、何よりも人間の生と死と宇宙を支える、超自然的な力への信頼をもたらすきっかけとなるべきものでなくてはならないと思う。この信頼がなくては、人間はほんとうは一日たりとも安心して生きていけないはずなのだ。
 いずれにせよ、極限状況的なものに直面した時の人間の心情には、普遍的なものがあると思う。ただ、それを乗り越えるための手がかりとなることばは、決して出来あいのものでよいはずはなく、その時々に、相手によって、ふさわしいものを探り求めなくてはならない。」

「生きがいある生涯を送るためには、なにかしら生きがいを感じやすい心を育て、生きがいの感じられるような生き方をする必要があるのではないか、と思われてきます。もちろん、人間の心は絶えず生きがいを感じるようにはできていないので、一生のうち何べんか“ああ、生きていてよかったなァ”と感じられるような瞬間があればありがたいとすべきでしょう。絶えず生きがいを感じて喜んでいるというのは、むしろ普通ではないのではないかと考えられます。」

「さて、こういうことを承知の上で、生きがいを感じやすい心とはどんな心かと考えてみますと、それは結局、感受性のこまやかな、謙虚な心、何よりも、“感謝を知る心”だろうと思われます。欲深い、勝気な心の正反対です。感謝を知るというのは、何か特に他人が自分によくしてくれた場合だけでなく、自分の生というものを深く見つめて、どれだけの要素が重なりあって自分の存在が可能になったのかを思い、大自然に向かい、ありがとう、と思うことを言っているのです。不幸な境遇にある人にそれを求めるのは無理ではないか、と思う方もあるでしょう。けれども私は、慢性の厄介な病気にかかり、一生家族と別れて暮らさなければ人や、目の不自由な人などにも、こういう人のあることを知っています。私は宗教の形式はあまり好きではありませんが、真の宗教心、かたちにとらわれない宗教心とは、こうしたものではないかと思っています。皆さんもこういう自由な、本質的な宗教心というものについて少し考えてみてください。それは人間の心が持っている最も大切な働きだとおもうのです。」

「生きがいとは“いきているだけのねうち”ということでしたが、この“ねうち”が自分にもっともはっきりと感じられるときの一つは、自分の存在が何かのために、誰かのために必要とされていると自覚されるときでしょう。それも、ただ飾りのようなぐあいに必要とされるのではなく、他人では代用できない任務や責任負った者として必要とされる時に、一番強く意識されるでしょう。」

まだあるけど、この辺で。
豊かな時間でした。
感謝主!

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講演会

2019-11-16 23:12:39 | 学び


今日はこれに行って来ました。
そのために正教師試験の課題を
前の日までに終わらせるという目標を立てて。
それがいい動機付けになって、
何かとか書き終わり、
あとは書式や表記を見直し、
装丁を整えるばかりとなりました。
感謝主!

講演会はとても良かったです。
それぞれの実践から、
今の貧困社会の現状と課題、
また、それにどう取り組んでいくか、
私たちが今できることは何なのかを
分かりやすく話してくださいました。

やっぱり、時々こういう空気を吸わないと、
窒息してしまう(笑)
なんか、フレッシュな空気を胸いっぱい吸った気分!
内容はまた今度シェアします。

感謝主!
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研修会

2019-10-10 23:41:26 | 学び
教団の教師研修会に参加してきました。
今年は300人以上の参加があったとのこと、
ほとんどおっさんばかり300人、
すごいですね〜(^.^;

懐かしいみなさんにもお会いでき、
ご挨拶しないといけない人には、
もれなくできたかな…?
いや、もれてるな
後でメールやね。

今年は、補教師女性教職のみなさんと
同じお部屋にしてほしいとお願いして、
願いが聞かれ、
女6人、暇さえあれば、
おしゃべりに花を咲かせました。
楽しかった〜

今年はメイン講師が、
今や時の人、岡村直樹先生。

ストレス社会と人間理解とういうテーマです。

労働には、肉体労働と頭脳労働に加えて、
感情労働というのがあるらしいです。
感情労働というのは、
業務上で感情のコントロールや表現が、
不可欠な職業のこと。
はい、牧師業はまさにそうですね。
ということで、
そんなことを学びました。
(詳しくシェアするのは面倒…(^_^;))

メイン講師の講演に加え、
1,天皇制の課題
2,障碍、人への理解
3,聖書信仰と今日的課題
 〜セクシャルマイノリティ対応〜
この3つのテーマについて
3人の先生が、話してくださいました。
こちらも勉強になりました。

あと、開会礼拝と閉会礼拝の説教も良かった〜!
心が熱くなる🔥🔥🔥

というわけで、
熱いハートを保ちつつ、
日常に戻ります〜。

感謝主!

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補教師研修会

2019-09-03 16:57:58 | 学び

昨日から補教師研修会です。
3年目、最後の年です。

今年はここには来られないかもしれないと
覚悟していた時もありました。

5カ月で教会を辞任してしまいましたから。

でも、
主の恵みで、
正教師試験を受けるプロセスを続けていいと
お許しをいただいたので、
今年もここに来ることができました。
感謝だな…(涙)

一年ぶりに会う皆さん、
なんだかたのもしい💪

みなさんそろって試験に合格して、
牧師になれるといいな♪

自分もね(笑)

感謝主!!

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こども食堂

2019-01-31 21:58:37 | 学び

今日は、川越で開催された
埼玉県主催の「こども食堂フォーラム」に
行って来ました。

主人にばかりデプテーション行かせて、
自分は好きなことばっかりしてると
言わないでください。
交通費は一人分しか出ないし、
いろいろと事情があるんですよ。(^_^;)

とにかく、
4月以降忙しくなる予定なので、
今のうちにたくさん本読んだり、
講演会やセミナーに行ったり、
本を読んだり、
学んでおきたいことが、
いっぱいあるのです♪

とにかく今日は、
午前中の講演会だけ参加したのですが、
とーってもよかったです。
二人の講師が立ちました。
一人目は、
彩の国子ども若者支援ネットワークの
代表理事、白鳥勲氏。
白鳥先生は、
貧困世帯の子どもの学習援助のために、
アスポート学習支援員事業を始めました。
その事業の内容は…。

まずは、行政と協力し、
貧困世帯の家庭を訪問し、
学習支援を受けないかと誘う。
貧困世帯の子どもは、
親に勉強を見てもらったり、
塾に行ったりする機会がないため、
概して学力が低い。
(もちろん例外はある)

しかも、家庭訪問すると、
貧困世帯の子どもの6人に1人は、
学校に行っていない。
最近は小三ですでに躓くらしい。
つまり、宿題がわからなくなる。
そうすると学校が苦痛になってくる。

学校に行くためには、
一定の条件がそろう必要がある。

まずは身だしなみ。
人並みの格好ができなければ、
いじめられる。

そして連絡帳に書かれていること、
宿題や持ち物や…
それらがそろっていること。

また、おなかが減ってないこと。
埼玉県の調査では、
貧困世帯の子どもの40%は
朝ごはんを食べていない。
食べていてもその内容が、
お菓子や甘い飲み物だったりする。

そして「行ってらっしゃい」
「行ってきます」という会話、
送り出してくれる人がいるかということ。

本来親が、
小さいときから気を配ってあげること。
当たり前の生活習慣。
それができていない。
貧困世帯の親たちは、
そんな余裕さえなくなっている。

あと、学力低下の要因として、
「質問できない」こともあるという。
赤ちゃんのときに、
泣いて要求し、
おっぱいをもらったり、
おむつを替えてもらったり。
少し大きくなると、
「これなに?」「どうして?」が始まる。
親がそれに答えてあげる。
そんなやりとりがないまま育った子どもは、
質問ができない。
そして、学力が低下していく。

今、そんな子どもたちの進学を助けるために、
アスポート学習支援員事業が行われている。

現在1600人の子どもを
100か所の教室で、
主に埼玉県下の70の大学から、
700人の大学生が、
ボランティアで来ている。
また家庭訪問などもする
専属スタッフが80人。
引退教師が120人。
その他ボランティアがやはり120人。
総勢1000人以上の大人が、
ほぼマンツーマンで、
子どもたちの勉強をみている。

親が外国籍だったりすると、
受験の際、願書を書くところから手伝う。

基本的な生活習慣ができていない子は、
決まった時間までに、
決まったところに
願書を出しに行くことができなかったりする。
そんな子には、
いっしょに願書を出しに行く。

また、合格発表も一緒に見に行く。
もし落ちていたら、
挫折感から立ち上がれず、
将来を投げてしまう子もいるからだという。

そんなこんなで、
今アスポートで支援している子は、
進学率100%!
すごいですね。

そうそう、
アスポートは、
子ども食堂などの食事の支援が
あるとは限らない。
でも、お腹が減っては、
勉強にも身が入らない。

そんな時は、
いっしょにおにぎりを作って食べるのだとか。
そして、そういう時間が、
先生との関係を作っていくのだという。

 

長くなってしまったけれど、
そんないい話をたくさん聞きました。

ただのいい話しにしないで、
今後どうつなげていくか…。
それは私の課題。

感謝主!

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最終講義

2019-01-17 12:31:15 | 学び

きのうは法政大学八王子キャンパスに行って来ました。
社会活動家湯浅誠さんの講演があったからです。

湯浅さんは法政大学で、
5年に渡り教鞭をとって来ましたが、
今期をもって退職ということで、
今日は最終講義。
しかもオープンで!
無料で!

これは行くしかないと思い、
行ってまいりました!
午前の祈り会と夜の祈り会の合間に、
八王子まで往復~!

先生のおっしゃりたいことは、
先生の著書や「ヤフーニュース個人」で、
いつも追っていたので、
だいたい把握していたのだけれど、
ナマの湯浅さんにお会いするのは初めて。
声を聴くのも初めて。
うれぴー♡

今日の講演で、
う~んと頷かされたことのシェアします。

彼はある一人のジャーナリストから、
「おまえは便所の窓から社会を見てるんだな」
と言われた。
ジャーナリストは鳥のように、
高いところから社会全体を見る。
お互い視点が違うなと言われたとのこと。

そう確かに彼は、
社会の底辺にいる人たちに寄り添い、
彼らの視点で物事を見ていた。

しかし、
社会を変えたいと願い、
あらゆる人々に理解してほしいと願い、
普段二階、三階の窓から、
あるいは高層マンションの
10階、20階の窓から見ている人に、
おいここまで下りてきて、
この便所の窓から社会を見てみろと言っても、
だれも下りてきてはくれない。
「はい?意識高い系?」
そんな感じ。

彼は、ああ、自分は、
彼らに通じることばを持ち合わせていないと、
そう感じたという。

そこで、とにかくいろんな人と
接してみようと思った。
それこそ…
「着たことのない服に袖を通すように」

世の中にはいろんな人がいる。
いろんな人と接すれば、
いろんな見方があるのだと気づく。
彼らと話す言葉が見つかる。
彼らと話しても外さない…。

だから大学生の中に入っていった。
東京の私立大学に通える学生たちは、
たいてい生活には困らない程度の家庭から
来ているし、
普段いっしょにボランティアをしている学生とは、
違うところに生きている人たちだから。

湯浅さんは、
長くホームレス支援をしてきた。
そして「便所の窓から」いっしょに社会を見、
彼らに通じることばを学んだ。
その後、
内閣府参与に就任し、
3年間務めた。
そこで、彼らの窓から社会を見て、
彼らに通じることばを学んだ。
そして、今度は大学生ということ。

そして5年で終えた。

今後は主に、
地域交流拠点を作り、
子どもの貧困対策をする活動、
つまり子ども食堂支援センター
「むすびえ」というネットワークの
理事長になる?なった?らしい。
その中で、子ども食堂にコミットしながら、
言論活動をして行くとのこと。

はい、楽しみです。

すべての人に通じることばを…。

そのためには、
あらゆる人の中に入って行き、
対話する必要があるということ。
「わかれ」ではなく、
「伝わる」ように、
「耳を傾けてもらえる」ように、
その人に通じることばを見つける。

きのうの帰り道から、
そんなことばがぐるぐると
頭の中をまわっている。

私の伝道者としての在り方にも通じるかなと。

きのうはいい時間を過ごした。
感謝主!!

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