おかあちゃん牧師の日記

新船橋キリスト教会の牧師です!
日々の生活のこと、教会のこと、
家族のことなどを書いています!

生家を訪ねる旅

2015-03-27 09:18:40 | 旅行

1か月ぐらい前に、
日本の教会関係の方から連絡があり、
今度お友達が、台湾に旅行に行くので、
よろしくお願いしますということでした。

 しばらくしてご本人(奥様)から連絡があり、
どうやら、普通の観光旅行ではなく、
目的あっての旅行だということがわかりました。

実はご主人のご両親が、
台湾の日本統治時代、
長く台湾の彰化というところで、
教員をされていたとのことでした。

そして、ご主人さまご本人も台湾で生まれ、
4歳まで台湾で過ごされました。
お父様は、終戦間近の3年間は出兵されていたようで、
その間、お母様一人で教員を続けながら、
幼い息子さんを育てられたそうです。 

ご主人は、3つの古い住所を持っておられました。
お父様が働いておられた小学校とそこの教員住宅の住所。
その後、教員住宅を出られて、
近くに住まわれていたようで、そこの住所。
そして、その後お母様と息子さん(ご本人)で引っ越し、
別の小学校に移られたのですが、
そこの小学校の教員住宅の住所です。

古い住所はすでに使われておらず、
すべて新しい住所になっていました。
そこで、まずはうちの主人が、
ご本人たちがいらっしゃる前に下見を兼ねて彰化へ。
役場などを何か所かまわり、
だいたいこの辺りだろう新しい住所を見つけて来ました。

そして当日、新幹線の駅までご夫妻をお迎えに行き、
彰化へと向かいました。
最初に行った小学校がこちら。 

この小学校の校舎は、
日本統治下のころから使われていたもので、
今も大事に歴史的建築物として、
彰化県で保存しています。
教室の中には、貴重な資料がたくさん。
一つ一つゆっくり見る時間はありませんでしたが、
とても興味深いものでした。

日本統治が始まった頃の写真です。
子どもたちの髪が、
中国の伝統的な髪型、
「辮髪」になっているのがわかります。

そしてこれが、そこの小学校の教員住宅。
日本統治下の当時のままです。
人が住まないとすぐに家が傷んでしまうということで、
今でも教員を住まわせています。

ひょっとしたら、
生まれて間もない赤ちゃんのころのご主人が、
ここでご両親と住んでいたのかもしれない、
そう思うと、不思議な感動がありました。

そして、この辺りが、
2番目に住んだところの跡地。
この辺りの建物も古いですが、
さすがに戦中のものではないでしょう。
でも、レンガが積んである塀などは、
ひょっとしたら、そのころのものかもしれません。

そしてこちらが3番目の住所。
こちらにも115年の歴史がある小学校がありました。

この写真の右側には、
大きな建物があるのですが、
以前ここには教員住宅があったので、
おそらくそこに住んでいたと思われます。

そして、最後に校長先生が、
100周年記念誌見せてくださいました。
その記念誌の後ろには、
歴代の教員の名簿があったのですが、
なんとそこにお母様の名前があったのです!
感動しました。

お母様は、本当にここで教員をしておられて、
息子さんはここで4歳まで過ごしたのだと、 
証明されたのです。 

今回の「生家を訪ねる旅」、
初めての経験でしたが、
なかなか有意義でした。

感謝主!!

 


 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2015-03-23 11:34:08 | 文化 習慣

台湾の宗教は、主に道教。
詳しいことは、私もよくわからないのだけれど、
土着の宗教と仏教とミックスされていて、
とにかく暦に従って、
祖先崇拝(拝拝)する人たちということで、
一括りにしてもいいような感じ。 

大きくてきらびやかな廟(ミャオ)も
たくさんあるけれども、
小さな、写真のような廟も
街中にもっとたくさんあります。

台湾には上の写真のような
3,4階建ての日本の長屋のような
隣の家と隣接して建てられている家が
たくさんあります。
その一角を廟にしているという状態。

うちの近くで、
毎日見るようなところに、
小さな廟が二つあるのだけれど、
いつも人が何人か集まっていて、
道士(師公)と呼ばれる
いわゆる宗教儀礼を執り行う人がいつもいて、
ひっきりなしに来る人たちを導いています。

朝から廟に集まっている人もいるし、
夜、会社帰りのような人たちも集まっています。
そこで、お弁当を食べたり、
おしゃべりしたり、
社交の場としても使われているのかな?

とにかく、いつも人がいるのです。

教会では、週日一回の祈り会や聖書を学ぶ会にも
全然人が来ないというのに。

みんな仕事が忙しくて時間がないというのです。

でも、どうかな?
早朝や夜の公園は、
体操やダンスの練習をする人たちであふれているし、
社会学校みたいなところでは、
夜いろんな習い事をしている人が集まっている。
結局プライオリティーの問題なのかな。

台湾の廟のように、
いつでも教会が人であふれているといいのに。
少しの時間でも見つけて、
ちょっと寄るような教会だったらいいのに。
ちょっとお祈りしていこうとか、
聖書のこと牧師に質問していこうかなとか、
今日あったあのことこのこと、
教会の人に分かち合いたいなとか、 
そんな教会だったらいいのに。 

何か近所の廟を見ながら、
うらやましく思ったり、
くやしく思ったり、
複雑な心境なのでした。 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

6年生

2015-03-19 10:35:04 | 文化 習慣

今学期は、5つのクラスで、
得勝者課程の授業をしています。
小学6年生が4クラス。
中学1年生が1クラス。

毎学期、学校の補導担当の先生が、
希望を募ります。
担任の先生がぜひ自分のクラスに来て、
授業をしてほしいと申し出れば、
時間の許される限り、
その希望にこたえるようにしています。

本当は小学6年生の6クラスが申請していたのですが、
こちらとの時間の折り合いがつかず、
やむを得ず、2クラスは、
別の教会のスタッフにお願いすることにしました。

このプログラムがとても評判がいいのがわかります。
感謝主!

小学六年生の方は、以下のようなことを学びます。

お互いの性の違いを知ること。
お互いの性の違いを認め合い、
尊重し合うこと。
男女が結び合うためには、
年齢にあった段階があるということ。
幸せな結婚のためには、
純潔を守ること。
性犯罪から自分を守ること。

などなどです。
はい、小6でこれらの学びをするのが、
一番いいと私たちは判断しています。
それ以下だと、
まだ早すぎる子どももいる。
中学生だと、
遅すぎる子とももいるし、
素直に受け止められない子どもも増えてきます。

中学生でやる学びは、
感情(怒りや不安など)をどうコントロールするか。
問題に遭遇したときにどうやって処理するか
という学びです。
子どもを非行や自殺から守るための学びです。

どちらも教会が出張出前授業するのに、
適したテーマですね。

それに、立新の町に顔見知りが増えるのがいい。
学校の中を歩いていると、
いろんな子どもたちから声をかけられて、
挨拶されるのです。
うれしいですね♪

とうわけで、
以前に増して忙しい日々ですが、
やりがいを感じて楽しくやってます。

感謝主!

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

お見送り

2015-03-14 11:16:02 | 友だち

海老名先生ご家族は、
昨日のお昼すぎに台湾を旅立たれました。

前の晩、一緒にお食事をしました。
たくさんおしゃべりして、
とても楽しい夜を過ごしたので、
ますます、送り出しがたくなりました。

いろいろと考えてしまいます。
先生たちが、台湾で長く奉仕できるように、
わたしにできたことが、もっとあったんじゃないかと。
主人も同じ思いです。

初めて日本人の同労者を迎えて、
私たちもどう対応していいのか、
どう援助していいのか、
手探りで、
不十分だったり、
でしゃばりすぎたり、
いろいろ至らないことがあったと思うのです。
ここ何日かはそんなことばかり考えています。

主人の表現を借りれば、
海老名先生ご家族がいなくなったということは、
この後、ボディーブローのように、
じわじわと効いて来るのではないか、
ということです。

そうなのでしょう。

すでにかなり効いてますが…。 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

浪子回頭

2015-03-13 10:22:03 | 課輔班

「浪子回頭」とは、「放蕩息子」のイエスさまのたとえ話のこと。
まずは聖書のお話をそのまま。

新約聖書 ルカ15章1~3, 11~32節 (新改訳聖書)

1 さて、取税人、罪人たちがみな、イエスの話を聞こうとして、みもとに近寄って来た。
2 すると、パリサイ人、律法学者たちは、つぶやいてこう言った。「この人は、罪人たちを受け入れて、食事までいっしょにする。」
3 そこでイエスは、彼らにこのようなたとえを話された。
 

11 またこう話された。「ある人に息子がふたりあった。
12 弟が父に、『お父さん。私に財産の分け前を下さい』と言った。それで父は、身代をふたりに分けてやった。
13 それから、幾日もたたぬうちに、弟は、何もかもまとめて遠い国に旅立った。そして、そこで放蕩して湯水のように財産を使ってしまった。
14 何もかも使い果たしたあとで、その国に大ききんが起こり、彼は食べるにも困り始めた。
15 それで、その国のある人のもとに身を寄せたところ、その人は彼を畑にやって、豚の世話をさせた。
16 彼は豚の食べるいなご豆で腹を満たしたいほどであったが、だれひとり彼に与えようとはしなかった。
17 しかし、我に返ったとき彼は、こう言った。『父のところには、パンのあり余っている雇い人が大ぜいいるではないか。それなのに、私はここで、飢え死にしそうだ。
18 立って、父のところに行って、こう言おう。「お父さん。私は天に対して罪を犯し、またあなたの前に罪を犯しました。
19 もう私は、あなたの子と呼ばれる資格はありません。雇い人のひとりにしてください。」』
20 こうして彼は立ち上がって、自分の父のもとに行った。ところが、まだ家までは遠かったのに、父親は彼を見つけ、かわいそうに思い、走り寄って彼を抱き、口づけした。
21 息子は言った。『お父さん。私は天に対して罪を犯し、またあなたの前に罪を犯しました。もう私は、あなたの子と呼ばれる資格はありません。』
22 ところが父親は、しもべたちに言った。『急いで一番良い着物を持って来て、この子に着せなさい。それから、手に指輪をはめさせ、足にくつをはかせなさい。
23 そして肥えた子牛を引いて来てほふりなさい。食べて祝おうではないか。
24 この息子は、死んでいたのが生き返り、いなくなっていたのが見つかったのだから。』
25 ところで、兄息子は畑にいたが、帰って来て家に近づくと、音楽や踊りの音が聞こえて来た。
26 それで、しもべのひとりを呼んで、これはいったい何事かと尋ねると、
27 しもべは言った。『弟さんがお帰りになったのです。無事な姿をお迎えしたというので、お父さんが、肥えた子牛をほふらせなさったのです。』
28 すると、兄はおこって、家に入ろうともしなかった。それで、父が出て来て、いろいろなだめてみた。
29 しかし兄は父にこう言った。『ご覧なさい。長年の間、私はお父さんに仕え、戒めを破ったことは一度もありません。その私には、友だちと楽しめと言って、子山羊一匹下さったことがありません。
30 それなのに、遊女におぼれてあなたの身代を食いつぶして帰って来たこのあなたの息子のためには、肥えた子牛をほふらせなさったのですか。』
31 父は彼に言った。『子よ。おまえはいつも私といっしょにいる。私のものは、全部おまえのものだ。
32 だがおまえの弟は死んでいたのが生き返って来たのだ。いなくなっていたのが見つかったのだから、楽しんで喜ぶのは当然ではないか。』」

最近は、こちらの視覚教材もよく使います。
フリーの視覚教材ですから、
みなさんも教会学校などで使われるといいと思います。
こちらです。↓
http://www.jhc.or.jp/kyouiku/cs/teaching-material/picturecards/sakakibara/index.html

今週水曜日のの課輔班では、この箇所からお話しました。
その前の週には、「迷子のひつじ」のお話をしたので、
ルカの福音書の15章を順を追ってお話したことになります。

お話の準備のときはいつも最後の段階で、
神さまが何を子どもたちに語りたいのか、
祈りつつ、よく考えてポイントを一つに絞ります。
今回も本当に長く考えさせられました。

でも、最終的に一つのことを教えられました。

実はこのたとえ話は、
パリサイ人と律法学者に語られています。
罪人を招かれ、ともに食事をするイエス様を批判した彼らにです。 

ですから、失われた羊のたとえ話では、
彼らは、羊飼いが一匹の失われた羊を探している間、
おとなしく待っている99匹の羊にたとえられていると言えます。

また、放蕩息子のたとえ話では、兄息子です。
放蕩した弟のようにはなるまいと、
父のもとに残り、
真面目に父のもとで仕事をしていた兄息子。 
それゆえに、弟が帰ってきたときの父のあまりの喜びよう、
またその派手なもてなし方に嫉妬し、腹を立てるのです。

イエス様は、このたとえを用いて、
パリサイ人や律法学者のような宗教上の優等生に、
何を言いたかったのでしょう。

それは、やっぱり天のお父様との愛の関係の欠如だと思うのです。 
放蕩息子は、放蕩した挙句、
父の愛に気づき、父のもとに帰ったのです。
父との愛の関係を回復しました。
はい、結果オーライです。(笑) 

兄息子は、どうだったのでしょう。
父への恐れからか義務感からか、
ずっと父のそばにいました。
ところが父との愛の関係は欠如していたのです。
それでも、罪から離れて真面目に働いている、
その部分を父に評価してもらいたかった。

父は、そんな兄息子に言うのです。
 「子よ。おまえはいつも私といっしょにいる。
私のものは、全部おまえのものだ。」

「お前は私の子どもなのだ。
それだけで十分ではないのか。
子として愛されている。
子として御国を相続できる。
それ以上何がいるのか。

ところが弟は、その愛から離れてしまっていた。
失われ、死んでいた。
その息子が帰ってきたのだ。
私が喜ぶのは当然ではないのか。
おまえは一緒に喜んでくれないのか。 」

神さまとの愛の関係の欠如、
それは信仰者として致命傷です。
自分が十分に神様の愛を楽しんでいないと、
他の人がその関係に入ると、
嫉妬し、批判し、邪魔したりもするのです。


課輔班の子どもたちが、
神さまの愛を受け入れて、
神さまの愛の中で、
満たされ、喜んで、
生きていくことができますように。
 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

歓送会

2015-03-10 09:58:01 | 協同會

協同会中部地区牧師会による
海老名先生ご夫妻の歓送会でした。

それぞれお昼を持ち寄っての食事会。
みなさん、予定外の会だったにもかかわらず、
時間をやりくりして来てくださいました。

本当にいい時になりました。
中部地区の会合は、
いつも笑いが絶えないのですが、
この日もいつものように笑いが絶えませんでした。
でも、会も終盤になってくると、
涙もあり… 。
最後はみんなで丸くなって手をつないでの祈り。
心を合わせて、
先生ご夫妻の再出発のために祈りました。

食事の後には、
皆さんで、先生ご夫妻への一言を
分かち合ったのですが、 
みなさん、口をそろえて言われていたことは、
「先生ご夫妻の謙虚な姿に教えられた。」
ということでした。

日本人といえば、
自信満々で「教えてしんぜよう 」
みなたいなタイプが多い中、
先生ご夫妻はいつも謙虚だった。

先生がキャンプで、
汗と埃まみれになって黙々と働いている姿に
感動したと、
日本人の印象が変わったと、
そうおっしゃておられる人もいました。

本当に、先生ご夫妻は、
多くは語らなかったけれど、
その後ろ姿で多くの影響を与えてきたのだと、
今更ながら思ったことでした。

「そこに住むことが宣教なのですよ。」
今は亡き寺田しま子先生の言葉が、
久しぶりに心によみがえってきました。 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

子どもの勉強

2015-03-07 20:40:25 | 課輔班

課輔班の子どもたち、
こうやって写真で見ると本当に可愛いですよね。

でも、この子たちなかなか手ごわいのです。

私たちがアメリカから帰って来て、
1月に課輔班の奉仕に戻ったとき、
そこには初めて会う4人の1年生がいました。
一人は女の子です。
それ以外は男の子。
男の子3人とも公立の幼稚園の卒園生なので、
実は行事の度ごとに幼稚園に顔を出している
私や師母とは顔なじみです。

ところがこの3人、
何とも扱いにくい子どもたちで、
それぞれ、つきっきりで勉強を見ないと、
宿題が全然進まないのです。
いや、つきっきりで見ていても進まない。
まったく、やる気がないわけです。

なだめたりすかしたり、
ほめたり、叱ったり、
いろいろやってもダメ。

課輔班はいわゆる政府からの委託事業ですから、
その日の宿題を終わらせるというのは、
私たち教える側の最低限の義務でもあるわけです。
子どもが宿題をしないと、
課輔班の存続にもかかわってくるのです。

ところが、子どもたちは、
そんなこちらの焦りなどよそに、
どんなにそばで付きっ切りで教えても、
鉛筆さえ持とうともしません。
そんな子どもたちをみていると、
胸ぐらつかんで「ええかげんにせいっ!」
怒鳴りたい気にもなってくるのですが、
その辺はおさえて…(笑) 
とにかく、忍耐の日々なのです。 

でも、でもです。
忍耐深く彼らと付き合っていると、
こちらの愛は通じるものなのですね。
先日、小学校に用事があって行ったとき、
例の1年生の男の子たちに会ったのですが、
なんと、遠くから私を見つけて、
走り寄って来て「老師(先生)!」と
しかっと抱きついてきたのです。 
かわいいやつ。(#^.^#)
そう思えてきていやされてしまった。

そして次の日には、
また、打ちのめされるのです。(笑)

感謝主。 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

歓送会

2015-03-05 21:18:40 | 教会

3月1日の日曜日は、
模範村教会で
海〇名先生ご家族の送別会がありました。

私たちも立新教会での礼拝が終わってから、
急いで駆け付けて、
一緒に参加させていただきました。

とてもいい送別会でした。
本当に教会の人たちに愛されていたのだなと、
感じさせられました。

先生方はこの台湾の地で、
5年半の時を過ごされたのですが、
お子さんの進学の関係で、
やむなく帰国することになりました。

先生方の今回の帰国を通して、
いろいろと考えさせられました。

やはり海外での奉仕を続けるためには、
いろいろ越えなければいけないハードルがあるのだと、
改めて思わされたことでした。 

本人と家族の健康、霊性、
子どもの進学、
親の介護、
語学の習得と文化適応、

本当にすべてクリアすることは、
実はとても難しいことなのかもしれません。

先生方は残念ながら、帰国されますが、
だからと言って、
先生の宣教師としての導きと召しが
間違いだったとは思いません。
5年半の召しだってあるでしょう。

先生方の存在は、
少なくとも私にとっては大きな励ましでした。
安らぎでもあり、慰めでもありました。

模範村教会にとってもそうでしょう。
日本語を話される方が多い教会です。
先生方に会えることが、
教会出席の励みになっていた人もいるでしょう。
先生方の導く日本語クラスも盛況だったと聞きます。
先生方を通して信仰に導かれた方もいることでしょう。

主にキャンプでの奉仕をされていた先生。
見えないところでいつもいろいろと気を配り、
キャンパーの安全のために環境を整え、
安心して学んだり遊んだりできるように、
そして、何よりイエス様といい出会いができるように、
一生懸命に奉仕されていました。 

葛藤もたくさんあったと思います。
国の文化が違えば、
教会の文化も違うのです。
現地の教会、牧師との協力関係の中で、
教会形成などの理念の違いで、
きっと何度も苦しまれたことでしょう。

そんないろんな経験を経て、
また、それでも何らかの影響を残して、
先生方は、台湾を離れるのです。

感謝と祝福をもって送り出したいです。


 

それにしても…、

さびしくなります。(T_T)

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする