1か月ぐらい前に、
日本の教会関係の方から連絡があり、
今度お友達が、台湾に旅行に行くので、
よろしくお願いしますということでした。
しばらくしてご本人(奥様)から連絡があり、
どうやら、普通の観光旅行ではなく、
目的あっての旅行だということがわかりました。
実はご主人のご両親が、
台湾の日本統治時代、
長く台湾の彰化というところで、
教員をされていたとのことでした。
そして、ご主人さまご本人も台湾で生まれ、
4歳まで台湾で過ごされました。
お父様は、終戦間近の3年間は出兵されていたようで、
その間、お母様一人で教員を続けながら、
幼い息子さんを育てられたそうです。
ご主人は、3つの古い住所を持っておられました。
お父様が働いておられた小学校とそこの教員住宅の住所。
その後、教員住宅を出られて、
近くに住まわれていたようで、そこの住所。
そして、その後お母様と息子さん(ご本人)で引っ越し、
別の小学校に移られたのですが、
そこの小学校の教員住宅の住所です。
古い住所はすでに使われておらず、
すべて新しい住所になっていました。
そこで、まずはうちの主人が、
ご本人たちがいらっしゃる前に下見を兼ねて彰化へ。
役場などを何か所かまわり、
だいたいこの辺りだろう新しい住所を見つけて来ました。
そして当日、新幹線の駅までご夫妻をお迎えに行き、
彰化へと向かいました。
最初に行った小学校がこちら。
この小学校の校舎は、
日本統治下のころから使われていたもので、
今も大事に歴史的建築物として、
彰化県で保存しています。
教室の中には、貴重な資料がたくさん。
一つ一つゆっくり見る時間はありませんでしたが、
とても興味深いものでした。
日本統治が始まった頃の写真です。
子どもたちの髪が、
中国の伝統的な髪型、
「辮髪」になっているのがわかります。
そしてこれが、そこの小学校の教員住宅。
日本統治下の当時のままです。
人が住まないとすぐに家が傷んでしまうということで、
今でも教員を住まわせています。
ひょっとしたら、
生まれて間もない赤ちゃんのころのご主人が、
ここでご両親と住んでいたのかもしれない、
そう思うと、不思議な感動がありました。
そして、この辺りが、
2番目に住んだところの跡地。
この辺りの建物も古いですが、
さすがに戦中のものではないでしょう。
でも、レンガが積んである塀などは、
ひょっとしたら、そのころのものかもしれません。
そしてこちらが3番目の住所。
こちらにも115年の歴史がある小学校がありました。
この写真の右側には、
大きな建物があるのですが、
以前ここには教員住宅があったので、
おそらくそこに住んでいたと思われます。
そして、最後に校長先生が、
100周年記念誌見せてくださいました。
その記念誌の後ろには、
歴代の教員の名簿があったのですが、
なんとそこにお母様の名前があったのです!
感動しました。
お母様は、本当にここで教員をしておられて、
息子さんはここで4歳まで過ごしたのだと、
証明されたのです。
今回の「生家を訪ねる旅」、
初めての経験でしたが、
なかなか有意義でした。
感謝主!!