日曜礼拝の説教のご奉仕は、
易克文&蕭碧連宣教師でした。
ご主人の易克文先生はオーストラリア人。
蕭碧連先生は台湾人で、
もともとは、わたしたちが台湾で協力している
協同会から派遣された宣教師です。
この碧連宣教師の証しを以下の映像で見て、
実際に礼拝での説教を聞いて、
本当に立派な働きをして来たのだなと感動しました。
11人兄弟の貧しい家に育った彼女は、
弟や妹の世話、
家の仕事をするために、
小学校5年生で学校をやめるように
お母さんから言わました。
その後学校に通うことなく働き続け、
18歳の時には床屋さん?美容院?で
働いていいたそうです。
その頃に出会ったTEAMの宣教師に導かれ、
信仰を持ち、
価値観が変えられて、
20歳で学校に入りなおし、
高校まで卒業し、
その後は神学校へと進みます。
神学校を卒業した時には、
すでに30歳だったとのこと。
彼女が神学校在学中、
アフリカのギニアビサウという国で、
宣教師を必要としているという、
宣教報告を聞きました。
彼女は心を強く動かされ、
それを自分の召しと信じました。
ちょうどその頃、
結婚の話もあり、
大きく揺さぶられたということですが、
主のみこころは、
アフリカの宣教師になることだと確信し、
まずは、単身ロンドンへ向かいました。
ロンドンでは、語学研修を受けて、
英語とその当時ギニアビザウの公用語であった
ポルトガル語を修め、
ギニアビザウでの宣教を開始しました。
その時彼女はすでに38歳。
1974年ポルトガルから独立したギニアビサウは、
今度は内戦の危機の中にありました。
非常に貧しく、
子どもの10人に1人しか
教育を受けられなかったそうです。
そんな状況の中で、
宣教を開始した碧連宣教師。
彼らの部族語も習得し、
彼らの中に入っていく彼女の姿勢は、
現地の人々の感動を呼びました。
そして「わたしたちのお母さん」と
呼ばれるようになったということです。
途中オーストラリア人のご主人とも出会い、
結婚し、
28年のアフリカでの奉仕を終えて、
今は、オーストラリアにある宣教団体の
センターに住んでいます。
ご主人は、
IT関係の技術をもって、
やはり世界宣教に関わり、
碧連先生もセンターを訪れる宣教師を
もてなし、励まし、
よいアドバイザーになっているとのこと。
娘が宣教報告を聞いた後、
宣教師らしい宣教師だね~
パッションを感じるよ~と
言っていました。
はい、本当に。
続けて彼らの働きのために祈っていきたいです。
感謝主!!
向かって左の前と後ろが、
碧連先生と克文先生です。
あれっ?
ご主人の本名、英語名は、
何だったんだろう(笑)